万騎が原の清らかな花
”奴ら”による戦いが最も激しかった2027年、日本国内も大混乱に陥っていた。大戦の初期に”奴ら”によって日本各地に打ち込まれた中露両国の核搭載巡航ミサイルにより大きな被害を受けた上に、その後の主要国の政権崩壊による世界大恐慌により、深刻な状況に陥っていた。
大戦勃発時の石貫首相が”奴ら”の策謀に踊らされて一連の破局のトリガーを引いたことが明らかになり、政権与党は深刻な打撃を受けたが、”奴ら”の目的が現状の人類社会の撲滅であると判明したため、異例の挙国一致政権が発足し、戦時体制に移行していた。
そのごろ、大陸から多くの難民が押し寄せていたが、いち早く国から逃げ出した富裕層とは違い、着の身着のまま逃げて来たため、深刻な社会問題になっていた。そのため日本政府は全国各地に五万人を収容できる難民キャンプを百箇所以上設置していたが、戦時体制への不満を難民に向ける動きもあり、不穏な空気が流れていた。
そうした難民キャンプのひとつに中部地方に設置された万騎が原難民収容所だった。後に「万騎が原難民キャンプの虐殺」が起きたところである。ここは大戦勃発直後に経営破綻したゴルフ場を接収して開設したところで、ゴルフ場の起伏を殆ど変更しないまま建設したため、複雑な区割りになっていた。
ここでは主に半島動乱から脱出してきた旧韓国と旧朝鮮の住民が収容されていた。そもそも半島動乱は2022年勃発の日中両国の海上紛争の直後に発生したもので、旧北朝鮮政権の崩壊を引き金に半島全体が混乱の現場になった。この一連の東アジア全域の紛争地域化は今では”奴ら”によるものとされている。
2027年11月、この年の冬は早く訪れていた。2024年に勃発した世界大戦では多くの都市が核の炎に焼かれたため、当初の予想よりも弱かったが核の冬が到来し、気候の寒冷化がおきていたためだ。その影響は今も続いていた。
この時、難民収容所でNGOメンバーとして働いていた今井誠二は弟の泰三に頼み、富山湾でとれた魚介類を使った難民慰労会の準備をしていた。もっとも調達できる食料も限られていたので、この日慰労会に参加できるのは第九地区の難民だけだった。それでも二千人近くが参加するので、調理の為に大勢の日本人ボランティアが参加していた。
「真由美さん、弟の奴はどこにいったんですか? それにしても従業員や家族だけでなくお子さんまで連れてきてしまって大変ですね。本当にご苦労さん。それにしてもあんた大きくなったなあ、みゆき坊よ」
「主人ですか? たしか雨漏りがする仮設住宅を直しに行きましたよ。お兄さんこそ大変ですね」
誠二は野菜を切っている弟の妻の真由美と娘の美由紀に声をかけた。真由美は二歳になる美由紀を連れてきていたが、子供を預けるはずの祖父母までボランティアに参加していたので、しかたなく連れてきていた。
「それにしても、この人たち、これからどうなるのでしょうか? 日本人の中には難民など受け入れるぐらいなら日本人を守るために追い出せと主張してテロを起こす人もいるから、本当はここから出て行きたいでしょうにかわいそうです」と、難民に日本語がわからないと思って話をしていたところ、一人の若い女が近づいて来た。
「そういった人もいますが、あなたのように手助けに来て下さっている人も大勢いますよ。本当にたすかりますわ」といって、トラックの荷台から野菜の入った段ボールを持ってきたのがノ・ヤンスクだった。彼女は大戦前に大学で日本語を専攻していたので、難民達の通訳をしていた。
「半島から来た人の中にも日本に来たのは不本意だという人も大勢います。でも朝鮮半島の北側と東側は”奴ら”の支配地域ですし、逃げるとすれば南側から海路で日本に渡るしかありません。そして、こうやって日本から国連機構による移送を待つしかありません」とノ・ヤンスクは説明していたが後ろから小さな女の子がやってきた。
「この子、娘のオ・クススクです。父親のオ・スンクスは会場の設営のお手伝いをしています。とりあえず、その子と遊ばせてもいいですか? 」といって美由紀と遊ぶ許可を取った。そして二人の子は別の子供と一緒に遊び始めた。
「この子達、言葉が通じなくても遊べるのですね。本当は大人たちもこのように仲良く出来たら”奴ら”などに付け込まれて、このような大変な目に遭わなかったのに残念ですね」と真由美は言った。事実、”奴ら”は国家間の対立激化によって利益を得ようとした各国の政治家に取り入って事態をエスカレートさせ、共倒れにより弱体化した旧体制を一掃する戦略があったとされており、現在では東アジアだけでなく世界各国で民族や宗教の違いによる紛争が多発し、そこに付け入る形で”奴ら”の勢力が拡大していたのだ。
「ノさん、それにしてもあなた本当に綺麗ですね。昔見た韓流ドラマに出てきた女優さんみたいですね。もし、こんな世の中でなければよかったのに」といったところ、近くで鍋に具材を入れていた誠二が「この人ね、2022年度ミス・コリアだった人だよ。もし平和な時代が続いていたら今頃トップスターだったかもしれないよ。それに、ここでは”万騎が原の清らかな花”と呼ばれて人気があるのよ」と話に入ってきた。




