いとしのエリカ
「よくもバイトとして図々しく私の研究所にもぐりこもうとしたもんだね。わざわざ大学生の工作員なんて初めて聞いたわ! 」と怒鳴る薫と、開き直ったカンナの激しいやり取りは続いていた。しかも中国語でだ。薫の部屋に他に誰もいなかったが、そうしたのも盗聴されているかも知れなかったからだ。無論、本当に盗聴されているのなら、どのような言語で話をしても無駄な努力かもしれなかったが。
いくら日本と東国が友好国だといっても、技術開発ではライバルに変わりは無かった。なのに無断で人員を潜り込ませるのは問題だった。
すると、薫はカンナを連れて研究所を離れ、近くのダム湖の湖畔にやってきた。ここなら研究所にいる可能性のある”奴ら”のスパイに聞かれることも無いからだ。どうやら薫は東国よりもその存在の方が脅威と感じていたようだ。
「カンナ、あんたのようなエージェントが潜入してくることは充分予想できたわ。ただ東国国防部と”奴ら”のどちらかが判らなかったから迷っていたところだったよ。しかも完璧といえるぐらい優秀なバイト希望者もいたから惑わされたけど、やっぱりドジだけど美人の方が曹玲華のところの工作員じゃないかと判断したけど、外さなくてよかった。実際、優秀なほうが”奴ら”のスパイだったようなので不合格にしてよかったと思うよ」と夕暮れが写る水面を見ながら薫はいった。
「でも、あたしがエージェントなんてどうして知っているのよ。しかも上司の名前まで。他にも部署がいっぱいあるというのに? 」と不思議そうな顔をしてカンナは言った。無理も無い、潜入するように命令を受けていたとはいえ、完全に正体がばれているのだから仕方ない。
すると薫は笑いながら「実はね、曹玲華は私の幼馴染なのよ。彼女も北京がまだ存在していた時に近所に住んでいて、よく私を”小日本”なんてからかっていたわ。あんた知らないかもしれないけど私って父が中国人だったから、アンタと同じハーフなのよ。だからアンタの上司がしそうな事はお見通しなのよ。ただ誰なのか確証が持てなくて。本当にIDを上手に改竄していたもんだよ」と、先ほどまでの怒鳴り声を張り出していた時とは違い、今まで見たこと無いような笑顔だった。
するとタブレットを取りだして薫は国際通信をしていた。そう曹玲華のところだ。彼女らは表面上はライバル関係だが裏で繋がっていたのだ。「玲華、あんたせこいマネをしてアタイのところに、ガードウーマンでもよこしたというわけなの? まさかスパイとして潜入する訓練代わりにうちの研究所を使ったわけじゃないよね? やっぱりうちの機械娘の技術がお目当てなの」と半ば怒り気味でいった。すると意外な答えが返ってきた。
「機械娘の技術は素晴らしいと思うけど、それよりもあんたが彼女らのために使っている他の技術のほうが価値があるのよ。薫媛、そうあんたの頭そのものが”奴ら”の目的なのよ。あんたの理性というか知性が電脳のなかにあるのはわかっているのよ。その中に”強制学習能力機能”に関する情報が収められていることもね。それさえあれば裏切り者や同調者を探す必要も無く操り人形のごときテロリストを量産することも可能になるでしょ! だから警護としてカンナを送り込んだのよ。だいたい、日本でも一線の研究をしている技術者を、東国が堂々と警護をすることは出来ないから、こうやって派遣したのよ。感謝しなさい! 」といった。
たしかに薫の頭にある電脳の大容量メモリーに今までの機械娘に関する情報が納まっているが、そのなかの”強制学習能力機能”は悪用される危険度は高かった。そのうえ他にも様々な情報が蓄積されているし、生体脳と同じように理性を持った薫の電脳の価値ははかりしれなかった。もっとも薫の生命反応が消失した時点で全てのメモリーも自動的に消去される設定になっているとはいえ、薫を誘拐して脳だけにして情報を取り出そうとされる危険性もあった。
「そうそう、ついでに薫媛に教えてあげるわ。あんたのところの研究所に”奴ら”のスパイが二人いるわ。これは”奴ら”に潜入したうちのエージェントの情報だから確かなはずだよ。一人は一ヶ月前に行方をくらましているけど、もう一人はまだいるわ」と言った。
玲華はある名前を言ったが、それは身近な管理者だった。薫はまさかと思ったが、それなりの確証があった。本当にそこまで”奴ら”の息がかかったものが潜入しているとなると、研究所も安全とはいえない。もしかすると早く研究所から脱出しなければならなくなると思った。
「まあ、せいぜい気をつけてきてね。燕京にきたら、うちの国防部の特殊部隊があんたらの警護をしてあげるから」といって、通信が切られた。どうやらエリカは薫らの警護と監視の両方をさせるつもりで送り込んできたらしい。わざわざ正面ではなく手間のかかる手段をとったのも研究所に裏切り者がいることが東国にも漏れていたようだ。覚悟はしていたが、まさかあの人物だと思わなかった。薫は祐三にもこの事をすぐに伝えた。
小一時間して薫とカンナが戻ってきた。「いやねえ、カンナと話をしたことが無かったのでドライブしてきたのよ。今度あなたら機械娘になっているバイトの子らと一緒にバーベキューするのもいいわね」と、先ほどまでの話などしていない振りを薫はしていた。カンナも「皆さんとは別の仕事をしていますが、一緒に仲良くしましょうね。明日からの仕事も一緒にしましょうね」などといっていたが、これから先、カンナは「ガーディアン・エンジェル」の一行が日本に帰国するまで一緒に行動することになった。
薫は明日から使用する戦闘指揮装置をインストールしている美由紀のところに来ていた。美由紀は日中長時間機械娘として行動していたため、疲労により熟睡していた。もっとも美由紀が熟睡していることがわかるのはモニターの脳波計の数値でわかることであり、表面上は稼動停止したガイノイドにしか見えなかった。要するに美由紀は人形の姿に変えられた女の子というわけだ。
美由紀の姿はエリカであった。そう薫が十ヶ月もの間、その姿になっていた機械娘である。今は薫にかわって美由紀が内蔵されているが、薫はそのエリカの姿が愛おしかった。自分の分身をみているようだからだ。
薫はエリカの外骨格を愛おしい手つき触りながらため息をついて「もし許されるなら、もう一度この姿の機械娘になりたいなあ。いくら命が危ないといわれても一度は着てみたい」といって、エリカの外部装置を整備しているふりをして擦っていた。それは、もう届かないものを引き寄せたいという想いからきたものだったかもしれない。必要以上にエリカを触っていた。
一方の美由紀は完全に意識は無かったが、その間に「強制学習能力機能」による基礎能力の向上が行なわれていた。そう薫の代役である美由紀をエリカの装備を使いこなせるようにしていたのだ。ただし、人格の修正は予期しない危険が及ぶ可能性があるので、美由紀の能力改善のみが行なわれていた。
その行程を見ていた薫は不思議な事に気づいた。美由紀の身体と薫の身体に共通点が多いことだ。まるで姉妹関係があるといえるほどだった。薫は美由紀が本当の妹ではないかとも思ったが、それはありえなかった。薫の両親の命日が「2024年9月29日」で美由紀の誕生日は「2025年8月11日」なので、その可能性は考えにくかったからだ。その時薫は「美由紀って今度19歳の誕生日なのね。機械娘の時に19歳になるのも何かの縁だから、ちょっと祝ってあげようね」と考えていた。
同じごろ、別のブースでは真実と聖美も明日の為に整備を受けていたが、同じように熟睡していた。しかし美咲と優実の二人の機械娘が深夜にも関わらず研究所から離れた場所にいた。夕方に薫とカンナが話をしていたダム湖の湖畔だ。
「美咲、あなたは自衛隊の演習場に行かないから話すけど、もう研究所にいることは出来ないのよ。明日、薫達が出発したら私と二人で東京本社に行くことになるのよ。理由はあなたの機械娘の補助電脳にトラブルが発生したので東京本社で修理するという事にするけど、そのシナリオに沿った行動をしてね。取り合えず燕京まではそのままバイトとしてきて欲しいけど、それから先の事は後で話すから」と言った。
「それって、明日で研究所をお別れって言うことなの? 一体何が起きるというのですか? 」と美咲は尋ねたが、優実は答えようとしなかった。ただ「時が来ればこの時の状況が深刻だったということだけは判るはずよ」とだけいった。その時、かずかな月の光が二人の機械娘のメタリックな外骨格を照らしていた。




