美由紀の夢、薫の悪夢、聖美の悲劇
美由紀は専用のカプセルで就寝していた。このカプセルは機械娘の装備が人体に与える影響をモニターするためもあるが、背中の排気口が完全に塞がれないようにする役割もあった。美咲が言うには「完全に仰向けにならずうつ伏せであれば、どこでも寝れそうだけどその場合は機械娘の重量で寝ずらい」ということらしい。
優実の話によれば、機械娘に調整された人間が本格的に動けるのは一日経過する必要があるという。これは個人差があるので一概に言えないが、機械娘の人工皮下組織が安定しないことが原因で適応障害を起こす可能性があるからだという。以前、被験者の中に調整直後に激しい行動をさせたとたん機能が全面停止になる事故があったという。このときは緊急処置で全ての装備を脱がしたのだという。この時は男性研究員がまだいたので、大勢の研究員や労働者の男達の前で生まれたままの姿を披露する恥ずかしい目に遭ったという。しかも被害者は薫だったので、以後は彼女の指示で万全を期すようになったという。
そのため美咲も真実も機械娘にされてから強化された機能を試すのは極初歩的なものしかなかったが、真実がいうには「自分の身体がこんなに軽いとは思わなかった」といっていた。事実研究所の運動場で「軽い運動」で自動車並みのスピードが出たという。これも機械娘のバネと強力な人工筋肉のおかげであるが、訓練を積めば120Km/h程度は出るといっていた。
もっとも減速したり止まったりするタイミングを機械のサポートを受けれるが着用者自身も習得する必要もあるし、だいたい研究所の敷地内では難しい。それで美由紀と美咲と真実の三人は明後日、陸上部さながらの訓練を外の公道でやるという。なるほど、過疎地の山奥に研究所がある理由のひとつがこれだと思った。
美由紀は眠りに落ちる前に改めて自分の身体を見つめていた。大事にしていたフィギアと酷似した姿になったというよりもその中に入ったという表現があたるのかもしれない。やはり感動でいっぱいだった。硬質な素材に覆われても違和感はなく、その中にある海の中に身体が浮かんでいるような感覚であった。自身の呼吸音と鼓動は感じられるが、外からの刺激は機械娘の電気的な信号を感じていた。これは手足の触感も含めてであった。今夜の彼女の夢は健やかなものであるに違いなかった。
同じごろ疲労気味の薫は早く床についており、既に夢の中にいた。夢で見た光景はすごく懐かしい光景だった。胡同の細い路地の奥にレンガつくりの家が見えてきた。そうだここは私が生まれた家だ! あの赤い札も提灯も見覚えあるし、おじいさんが大切にしていた釣竿も見える。表には近所の崔おばちゃんが飼っている太った白猫もいる。でも今はいつだろうか。カレンダーを見ると「2024年9月29日」となっている。あ、あの日だ!
彼女がうろたえていると体操服を着た一人のお下げ髪の少女が部屋に入ってきた。そういえば私も中国の小学校に通っていた時、あんな服を着ていたことを思い出した。誰だろうかと思い声をかけると「奇妙なロボットのような姿をしているけど、あなたってオバサンなの? 」と失礼な事を言ったので、「あたいって28歳なのよ。まだ結婚もしていないし子供もいないわよ! 」と半ば切れ気味に言い返してしまった。
すると「何を言っているのよ、私は張薫媛よ! 今じゃ、あなたの中に埋もれているけど忘れていないよね! いくら私の脳が駄目になったからといって、電子頭脳のあなたと接続されて、今じゃあなたの意識が私の身体を支配しているじゃないの! いい加減私の身体を返して! それに、なんで私の身体を機械にしたのよ、この日本鬼子が! 」と泣きながら訴えてきた。
そうじゃないのよ、私はあなたなのよと言おうとして薫が自分の姿を見るとエリカの姿をしていたことに気づいた。しかも機械娘でも極度に機械化した最終バージョンといえるものだった。八歳の張薫媛が泣きながら走り出して「爸爸、媽媽、みんな! 私を助けて! 日本人にも機械娘にもなりたくないよ! 私はみんなとここで幸せに暮らしていきたかっただけだよ! 」と言って隣の部屋にいってしまった。
すると懐かしい声がしてきた。そうだ父の張健軍と母の江藤香織の声だ! 「薫媛、何を言っているのかね爸爸も媽媽もいつもお前のそばにいるじゃないか。これからもずっとお前と一緒だよ。それに生まれたばかりの弟もいるし、老大爺も老太太もいるし。ここで一緒に暮らしていくのだからいいじゃないの」と泣きじゃくる薫媛をあやしていた。
薫は「だめよ、お父さんお母さん、ここにいたらみんな死んでしまうよ! はやくここから逃げて! お願いよ!」と叫んで両親のいる部屋に向かおうとした瞬間。猛烈な閃光と熱線が当たり一面を覆い、全てが蒸発した。少しの時間差を置いて猛烈な爆風が全てを消し去ってしまった。「みんな、死んだなんてイヤだ信じたくない! どうして人間ってこんなに愚かなのよ! 」と意識だけになった薫は叫んでいた。
目が覚めた薫は汗でびっしょりだった。「機械娘の時にはこんな夢見なかったのに、どうしてなの? 私の中の潜在意識が見せているというわけ? でも、どうしてお父さんは私だけを先に行かせたのだろか判らないね」とつぶやいていた。
薫の両親と祖父母と弟は、彼女が日本に向かった次の日に北京市を襲った核爆発に巻き込まれ犠牲になった。本当は一家全員が同じ大阪行きの飛行機に乗るはずだったが、避難民が殺到したことが原因で、航空会社がオーバーブッキングをしており一人しか空席が無かった。そのため、父の健軍の判断で八歳の彼女だけが乗ることになった。
その日までに北京を脱出できる日数的余裕もあったが、様々な理由で出来なかった。そうなった理由には身体が不自由だった祖父母の反対も一因だったが、なによりも薫こと薫媛が相当反日的な態度を取って強硬に日本に行くことを反対したことも一因だった。
薫媛が乗った旅客機は半島解放軍によるアメリカ機動部隊に対する水爆攻撃の巻き添えで日本海上空で被爆し、電子機器が破壊され有視界飛行を余儀なくされたが、被爆治療の出来る施設がある広島空港に緊急着陸した。そこから両親に電話をしたのが永久の別れになってしまった。その瞬間、通信が途切れてしまったからだ。
「おじい様は、あの時はまさか誰もあの日に核攻撃があるとは思わなかったから、仕方は無いというけど、今も後悔しているわ。あの時の薫媛に会えるなら兎にも角にも北京から逃げてと言いたかった。でも無理よね、これはみんな思うことだし、祐三さんもね思うことだし。来月みんなのところに行きたいな」とつぶやいていた。
次の見本市がある燕京は壊滅した北京の南郊に建設された都市で、北京の廃墟はすぐそばにあった。今までは残留放射能のため立ち入り禁止であったが、二十年が経過し許可があれば入ることが出来るようになっていた。そのため彼女は日程に余裕があれば祐三と慰霊に行きたかった。
同じごろ、聖美は自宅に戻っていた。免許センターに行った後、弟の容態が気になってお見舞いに行ったついでに昔のアルバムを見ていた。そのアルバムには自衛隊の機兵部隊にいたころの写真だ。ただ「防衛機密」にあたるので装備品の写真は殆どなく同僚の写真が多かった。
「秋村先輩、あたしまたあの殺人機械に乗るかもしれないですが許してください。先輩の最期の姿を見て嫌いになったパワードスーツなのに、また乗ろうというのはあたしの身体が求めているというわけなの? 」と言った。そう、彼女の義体が欲しているかのように感じていた。
秋村先輩とは政府によって真相が隠匿された「首都機兵第三小隊事件」の犠牲者の一人だった。この事件は防衛省の作戦中枢コントロールセンターがテロリストにジャックされ、首都圏の部隊がクーデターを起こすように仕向けられた事件だった。作戦中枢コントロールセンターをジャックしたのはテロリストによってマインドコントロールされた複数の職員で、その命令に従った部隊が殺傷事件を起こしてしまった。
しかし、政府は作戦中枢コントロールセンターがジャックされた事を公にすると、テロリストを利するとして国家機密保護法の最高レベルの防衛機密に指定し、事件を首都機兵第三小隊の駐屯地で発生した爆発事故にすり替えて公表したのが真相だった。また聖美は公式には「爆発の際に爆風で吹き飛ばされていた車両に下半身を押しつぶされ、義体を装着後除隊」となっているが、実際には叛乱軍と誤認した別の部隊が発射した地対地ミサイルの直撃を受けて身体が四散したのが真相だった。
しかも彼女の部隊が当時着ていたパワードスーツ「武菱重工・三八式機動重装備強化服」がカタログ性能よりも著しく耐爆性能が低く通常考えられないぐらいの爆風で打撃を受けてしまい、爆風から生き残ったのは部隊50人のうち離れた場所にいた者も含め7人だけだった。聖美もその一人だったが、焼死体と誤認されるぐらいの重傷で、幸運が重ならなければ今頃はあの世といわれたほどだった。
聖美はあの時の三八式を「殺人機械」といったのは、搭乗者を殺すという意味であった。他の隊員も強度がカタログ性能と同じであれば負傷はしても犠牲にならずに済んだはずだった。実際、あの時の三八式は制式採用されたばかりであったにも関わらず全品廃棄処分になった。公式には「低コストを追求したため、改修不能の欠陥があった」とされたが「実戦」で欠陥が実証された事は伏せられてしまった。
「あの時、懲罰覚悟でリークしてもよかったけど恩人の苫米地さんに迷惑がかかるのが申し訳ないから躊躇してしまった。ただ、時期が来たら公表できるようにするからそれまで生きていてくれといったけど、本当にくるのだろうかわからないね、秋村先輩」と写真に言った。
秋村先輩とは同じ首都機兵第三小隊の同僚で、結婚で除隊する事が決まっておりあの事件が起きた日が最後の出勤日だった。第三小隊は叛乱軍が核融合発電プラントを占拠したという知らせで出動したが、別のミサイル部隊も同じ知らせを受けており、互いに”叛乱軍”と誤認したまま戦闘していた。しかも悪いことに相手部隊に本当のテロリストが紛れ込んでいたため、ミサイルを首都機兵第三小隊に向けて発射したための惨事になった。同士討ちが発生した。
後方にいた機兵部隊は戦闘に参加せず様子見をしていたが、待機場所にしていた核融合炉近くにミサイルが着弾したため首都機兵第三小隊は壊滅してしまった。その瞬間ミサイルが直撃しそうになった聖美の身体を全力で突き飛ばしたため、自分にミサイルが直撃して機体ごと身体が四散し、原型をとどめていたのは頭部だけだったという。他の隊員も爆風や建物の崩壊などに巻き込まれ犠牲になったが、聖美の身体はすぐに収容することが出来たため助かった。
しかし聖美のバラバラになった身体のうち使える部分だけ再構成して足らない部分を義体で補ったため、身体半分が機械という身体になってしまった。頭脳部分が半分以上電脳に置き換わっている薫とよく似た状態というわけである。
結局、首都機兵第三小隊の悲劇は同士討ちや中枢がジャックされたことを隠匿するため、内容が意図的に書き換えられて公表されたため、「テロリストによる核融合炉の暴走を食い止めるための作業中の事故に巻き込まれた」とされている。なお、ミサイルを撃ったテロリストの仲間は発射直後に別の機兵隊員が射殺したため、東京中枢へのミサイル攻撃は阻止できたが、その事実もまた隠蔽され死体を処分したうえで「核融合炉付近でテロ行為をしていたため射殺。死体は爆発により消失」としたが、身元も判明しており海外出身者の自衛隊員入隊に反対する組織のメンバーだった。その後の調査で世界同時多発テロ戦争を引き起こしたとされる組織と関係があったとされたが、本人が死亡しているためはっきりとはならなかった。
聖美は自分の義体を見ながら「この身体の上にパワードスーツを直接装備すると、あたしって本当の機械兵器にされるのではないだろうか? 今度のアルバイトが終わったら慰霊碑に行くからみんな待っていてね。それまでの行動を許してください」といってアルバムを閉じた。




