機械娘から人間に戻った薫
機械娘の時の顔と、素顔の薫の顔は当然だけど違っていた。機械娘の時は「ガーディアン・レディ」に登場したパワードスーツのように美しく整った顔つきをしたフェイスマスクに覆われていた。人によってはそれは大量生産された画一化されたものという言い方もされたが、実際には微妙に違っていた。それはかつて大陸にあった秦の始皇帝稜そばから発掘された兵馬俑のように、同じように見えても実際は違っていたのと同じであった。
もっとも「ガーディアン・レディ」は、オプションで飛行ユニットや潜水ユニットが装着することが多く、場合によっては女性らしいフォルムが見えない姿になってしまい、顔もバイクのフルフェイスのヘルメットのような物に覆われることも少なくなかったが。
薫の耳に美由紀が驚いていた声は届ていた。「二木恵理華って、ずいぶん懐かしい名前で呼ぶわね。あの声って美由紀って娘じゃなかったかな。エリカのファンだった彼女なら気づいて当然だろうね。しかし、この左目のひどい痛みって、もしかして眼球が壊れたかな?それに頭の中がものすごく痛くて目を開けられない。こんな時に眼が故障するなんて困るわねえ。これから忙しくなるというのに」と思っていた。
とりあえず、四人は見学が終了したとして処置室から追い出されたが、ここで薫は十ヶ月ぶりに機械の身体から出された生身の身体の皮膚のケアをスタッフにしてもらった。ようやく機械娘の眼でなく自分の目で直接外の風景が見えるようになったので、少し目を開けようとしたが、右目しか明けられなかった。
片目で自分の身体を確認して「本当に肌が白くなったねえ、筋肉や骨格に問題ないかチェックして」とスタッフに指示を出したが、こんな時の自分の身体って人形じゃないかなと思っていた。実際、機械娘の外装に覆われていたため、外装を外し人間の姿に戻した時は、まったく身体の自由が利かなかったからだ。さっきの美由紀の声が聞こえても、目を開けるのもままならなかった。
すぐに「左目に問題があるようなので確認してちょうだい」と開けられない左目をみてもらっていた。すると「相当ダメージがありますね。すぐに治療するのは無理でしょう。後で技士に相談しましょう」とスタッフは言った。「しかたがない、しばらく右目だけで我慢するしかないね。でも他のところも本当に力が入らないわ。これでは自力で立ち上がれない。悪いけど私の身体が乾いたら服を着るのを手伝ってください」と仕方がないといった表情であった。薫の体は機械娘の中にいることに順応していたので、その「殻」を失って、まだ「内臓」は自立できないようであった。自分の力で身体を動かすのは、しばらく時間がかかりそうであった。
処置室を出た美由紀はエリカを演じていた女優と江藤主任が同一人物であったことに驚いていた。その顔は当時より当然歳を重ねていたが面影はあった。当時の二木恵理華はカワイイ顔だが美人というほどでもなく、どこにでもいるようなタイプだったが、エリカのパワードスーツを纏えばたちまち超人的な活躍をしたことで人気があった。つまり、普通の冴えない女の子が魔法少女ならぬ機械少女になることでヒロインになるのが受け入れられたのだ。
実際、当時番組内でリーダー役をしていた、一岡さやかのように美人で体型もよい女優も多く参加していたのにえりかの人気が高かったので、メディアの取りあげ方も違っていた。時々「番宣」として他の映画やテレビ番組にも出演したり、スポンサーのコマーシャルに出たこともあった。
トップスターというほどでもないが、そこそこ知名度があり、アイドル女優とも言われることもあり、番組が終わっても芸能界で多少は生き残れそうであった。なのに彼女は番組が打ち切りになったと同じごろ、突如芸能活動を終了してしまった。その消息がわからなかったが、今ここにいたのである。美由紀の心が弾け飛びそうなのもしかたがないことかもしれなかった。
小一時間が経過し、そして四人に自分の研究室に来るようにと言われた。薫の研究室の隣は、かつて美術室として使われていた部屋には、デッサン用の石膏像や牛の頭骨などが置かれたままになっていて、他にも様々なものが入った段ボールがつまれていた。その隣の教師の控え室だった部屋の端にあるデスクに薫は座って待っていた。薫はまだ自分の足で歩くこともままならない様子で、ここまでスタッフの介助によって車椅子で移動したようであった。
机の上には様々な部品の見本や書類が高く積みあがっていたが、その一角にはかわいらしい女性好みのグッズが置かれていた。その横には大きな写真たてが二つあったが、何故か薫は急いで、ひとつを隠すように倒してしまった。残った方の写真は家族写真であったが、中央の老人に見覚えがあった。たしかサイバーテックロイド社の創業者で、世界的な企業グループの会長だったと思うけど名前はと忘れたが、江藤主任の肉親なのは確かだった。
四人は薫のデスクの前にある応接セットに座らされた。そこにはコーヒーポットにお菓子など雑談でもしますといった雰囲気だった。薫もリラックスして話を聞いてといっていた。「皆さん、ご苦労様。改めて江藤薫といいます。今回、素顔の私と皆さん初めてお会いしました。先ほどまでの機械娘の中身は、このように生身の本物の女です。サイボーグでもガイノイドでもありません。ましては人造人間でも化学合成人間でもありません。これからあなた達も私のような機械娘に調整しますが、元のこのように戻れますので安心してください」とやや自嘲的な表情を浮かべていた。
四人の前に現れた薫は、他の研究員のように、白いブラウスに事務員が着るようなスーツとスカート、その上に白衣という地味な衣装であった。しかし胸の顔写真入の社員証には「研究主任」と書かれていた。この三十前の女性がこの研究所の責任者のひとりだという証だった。
薫の顔は、まだあどけなさが残るが、少し大人の女性になりつつあり、それなりの色香が漂うが、取り立てて美人というわけでもなく。どこにでもいるような女性だった。ただ左目に大きな眼帯をしていたので、真実がどうされたのですか、と聞いたら「これはね、目が充血していてみっともないから」と言った。
この時、美咲は変な事に気づいていた。江藤主任と今井美由紀の身体や顔のつくりがよく似ていたからだ。年齢は一回り違うが、背格好も身長も似たようなもので、顔も丸顔で目が大きく二重で、声も似ていた。まるで姉妹か従姉妹かと思うほどだった。髪型だけは、薫が長い髪でカールしており、美由紀はショートカットだった。今井さんがエリカになることになった理由がわかったような気がしていた。
薫は明後日に真実と美咲を機械娘にするので、明日は一日機械娘にする工程について講習会を行うこと、また他の二人も処置をするまで、別の仕事をやってもらうのでそのつもりでいて欲しいといわれた。
その後は五人で他愛のないような話をして女子会のような雰囲気であったが、どうしても主任と四人の間には見えない壁のようなものがあった。つまり「これから何かをやらす」立場と「これから何かをさせられる」立場という「労使関係」であった。それにバイトの目的もまだ何か隠しているような気がしていた。
昼が過ぎて、今日は日曜日なので、あとは自由にしてくださいといわれ、解散となったが、ひとり聖美だけが残された。薫は「赤松さん。あなたの義体のことですが、機械娘にしても最後には出来るだけ元の状態に戻します。いきなり全身を軍事用サイボーグに再改造するような事は、絶対にしません」と言った上で、「とりあえずあなたを機械娘にするのが、一番最後なのは機器の接続の検討に時間がかかっているからです。待たせて申し訳ないですがお願いします」といった。
聖美は今まで言いたかったことを言い出した。「あたしの体は自衛隊ではバラバラ死体から義体に復元されて、この研究所では機械の身体にするというのは、いくら技術の進歩のためとはいえ技術者って神の様に振るまって、悪魔の様な所業をする恐ろしいものだと本当に思います。今の私の体は人形のような気がします。悪魔の技術で作られたまがい物の」と、義体の自分を呪うようなことを言った。
薫は何かを言いたかったが、少し考えた上で、「そうだね技術者ってものは罪ばかり作るものかもしれません。でも、あなたのは機械娘として協力してもらいます」といった。すると聖美は「少し愚痴が過ぎてすいませんでした。少し気持ちが不安定になっていたかもしれません」と謝罪した。
帰る時に聖美は「すいません、私の弟の件どうなりましたか?」と聞いたので薫は「心配要りません。あなたの弟さんの心臓の複製臓器ですが、弊社の提携先の医療メーカーで作成中です。あと二週間したら移植できますので、あなたがここのバイトが終わって帰宅するころには、退院していると思いますよ」といって見送った。
その後姿を見送った後で、「あの娘の身体の義体など必要のない時代がくればいいだろうけど、今は無理だろうね。あそこまで義体になっていたら、臓器レベルの複製では追いつかないだろうし、莫大なお金もいるから難しいだろうね」とコーヒーをすすりながら口にしていた。自分の口ですすいだ十ヶ月ぶりのコーヒーだった。
今日の朝まで薫は機械娘だったので、こうして軟らかい表面組織の感覚を忘れていた。手で触る足や胸、顔はどこも柔らかいものであった。朝までの硬い殻に覆われ機械のように管理されていたのを考えると不思議な感覚だった。胸の膨らみも金属に覆われたドーム上の装甲のようなものではなく、弾力のある手で触ると形の変わるので、やはり生身の人間だったと実感した。
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薫は自分の身体を触れて恍惚の人になっていることに気づいて恥じらいを感じていた。今回の被験者だった自分のデーターをみながら、「やはり、十ヶ月の間機械の体になっているのは無理があったね。徹底的に調査してもらって、今回の着用の影響について研究してもらって、長距離宇宙飛行のシステムにでもデータを売り込んでもらおう。それにしても私も歳を取り始めたのかな」ともうすぐ三十前の身体だからガタがきはじめたのかな気になっているようだった。
しばらくして何かを思い出した薫は、「そうだ、今夜は祐三さんと約束していたんだ。しばらく仮眠してから着替えよう」と立ち上がろうとしたとき、倒していたほうの写真たてを見て手で持ち上げた。こちらにも江藤会長が写っている家族写真だったが、もう一枚とは大きく家族構成が違っていた。
その写真を見ながら、「今度の見本市が終わったら、私は普通の女になりたいな、爸爸、媽媽、そして老大爺、老太太、みんな。そろそろ私も平凡で人並みな幸せを掴んでもいいのよね」と中国語で語っていた。そして右目からは大きな涙を流していた。




