ダルシア帝国の継承者
307.
どこかで風の音がするのを聞いたように思った。隙間風の音である。
けれども、窓枠がガタガタと音を立ててはいない。おかしい、と思ってファウダノン伯爵令嬢、デーラル・オル・ファウダノンは目が覚めた。そうだった、ここは宮殿の中なのだ。自分の実家であるあの古い屋敷であったなら、風の強い日には大抵いつも聞いていた音だった。けれども宮殿の窓が、風くらいでガタガタと音を立てるはずがない。
目が覚めてしまったので起き上がり、寝台のサイドテーブルにある時計を見た。
「夜中の2時……」
こんな時間に目が覚めるのは初めてだ。いつも朝までぐっすり眠る体質なのだ。だが、今日はいつもと何か違うようだった。違うのは自分ではない。この部屋、いやこの宮殿そのものの雰囲気だ。何か重苦しい暗い影がまとわりついているような感覚があった。
しばらく、その風の音をじっと聞いていたファウダノンは、その音が唸り声のようにも聞こえることに気づいた。
目が覚めてしまったので、その風の音のような唸り声の主を求めて、寝巻の上に一枚ガウンを羽織り、暗い部屋の中を居間への扉へ歩いて行き、廊下へ出た。すると、前よりも風の音がはっきりとして来た。それは風の音というよりも、やはり唸り声だった。一体何だろう、と思って薄暗い廊下を歩いて行くと、皇帝陛下の部屋の前に屈強な兵士が見えた。彼らは皇帝陛下直属の親衛隊である。皇帝陛下が昼間起きている時も、夜寝ている時も常に居室の扉の前にいた。もちろん外へ出かける時にも、皇帝陛下の身の回りの警護に当たるのだ。不思議なことに唸り声がしても、彼らは慌てることなく無表情に立っていた。
デーラル・オル・ファウダノンは、見えないように壁際に背を押し当てて、見ていた。だが、廊下は真っ直ぐだし、薄暗いと言っても一応明かりがついているのだ。やがて、警護の親衛隊の兵士は看護婦のデーラル・オル・ファウダノンがいるのに気づいた。
「誰だ!」
「あ、あの、唸り声がしたように思ったので、何かあったのかと思って来ました。皇帝陛下の部屋から聞こえてくるように思うのですが、陛下はどこか具合が悪くおなりでしょうか?」
「唸り声?」
警護の兵士は毎日見ているファウダノンの姿を見て安堵したようだった。だが、戸惑ったようにお互いに顔を見合わせると、一人が部屋の中へ入って行った。そして、しばらくして出てくると、
「入ってもよいと許可が出た」
と、デーラル・オル・ファウダノンに言った。
「ど、どうも……」
ファウダノンはガウンのままでいいのかと一瞬迷ったが、皇帝陛下の具合も気になったのでそのまま部屋に入った。
居間にはファウダノン以外の看護婦がいた。その他に親衛隊の隊長らしき人物がいて、難しそうに顔を曇らせていた。彼は入って来たファウダノンに気づくと、
「あなたは、皇帝陛下付きの看護婦でしたな」
と、言った。
「はい、陛下の具合はいかがでしょうか?」
「今日、あなたがいつも陛下の体調を測った時、何かいつもと違うことはありませんしたか?」
「いいえ、いつもと同じで、特にどこも異常はありませんでした」
「本当ですか?」
「本当です。一体、何が起きているというのです?私は何も聞いてはおりませんが」
もし、皇帝陛下の体調が悪くなったのなら、まず一番に自分に知らせが来るのが当然ではないかと言いたげに、ファウダノンは言った。
「疑っているわけではありませんが、確認したかったのです」
と、言い訳のように彼は言った。
「それで、陛下の寝室には今、医師が診察に来られているのですね」
「そうです。今は、あなたはここに居た方がいいでしょう。その診察が終わるまで……」
「なぜですか?もし陛下の具合が悪いのなら、おそばに行った方がよろしいかと存じますが……」
「いや、それはまだ、医師の診察の後でいいと思います」
と、親衛隊の隊長は歯切れの悪い返事をした。
普段のファウダノンの知っている皇帝陛下は、いつも元気そうにしていて、具合が悪くなるとは思えなかった。それに、多少元気がない時も特に熱があるとかの異常があったことはない。
「あの、陛下がこのようになるのは、初めてではないのですね?」
親衛隊の隊長の様子から、これが初めてではないと感じたのだ。だが、そのようなことはこの宮殿へ務める時に聞いた覚えはない。
「……」
だが、彼は無言だった。
その時、皇帝陛下の寝室の扉が開き、出て来た者があった。彼は医師ではない。軍の高官だった。きらびやかな軍服を着ているので、軍人ではない者にもすぐにわかった。
「クゲル・アスタリカ大佐、彼女が新しい看護婦のファウダノン嬢か?」
「はい。デーラル・オル・ファウダノンでございます、閣下」
閣下と呼ばれた人物は、軍務卿のバレンドン・オルフ・ヴェリウス元帥だった。ファウダノンもその顔は知っている。宮殿への務めが決まった時に、一度会って話をした覚えがある。現在の他の帝国の高官の例にもれず、歳は若そうだった。少なくとも老齢と言う歳ではない。巷の噂ではかなり切れるが、非常に扱いの難しい、いうなれば危険人物とされていた。できるなら、近づくのは避けた方がいいというのだ。
「昨日の皇帝陛下の御様子を聞きたい」
「はい。今こちらの大佐にも聞かれましたが、特に異常はございませんでした」
バレンドン・オルフ・ヴェリウス元帥は、鋭い視線をファウダノンに向けた。まるで心の中まで見透かそうとするような不快な視線だ。
「あなたは確か、ウォーゲルン公爵の推薦で入った前任の看護婦フィエルノ・ソルダルの代わりでしたな。ファウダノン、そうファウダノン伯爵の令嬢でしたな……」
と、元帥は思い出したように言った。
「そうです。ですが、そのことは私の仕事には関係ありません」
デーラル・オル・ファウダノンは自分の仕事に誇りをもっていた。それでつい、父親のことを言われると反感を示してしまうのだ。彼女の父もかつては彼女の職業に不満を言っていた。貴族の娘がすることではないと。だが、王朝交代による様々な出来事で、弱気になり今では看護婦と言う仕事に理解を持つようになっていた。
「なるほど、性格は前の看護婦よりも勝気なようだ。いいだろう。陛下の寝室に入ることを許可する」
「え?よろしいのですか?」
と、驚いてファウダノンは言った。
「だが、くれぐれも言っておく。今夜のことは決して口にしてはならない。親族にでもだ」
「わかっております。看護婦には患者について守秘義務と言うモノがございます。たとえ、親兄弟であっても言ってはならないことがあることは存じております」
「そのことが守られることを望んでいる」
と、短くバレンドン・オルフ・ヴェリウス元帥は言った。
皇帝陛下の寝室に入って行くと、そこには確かに医師と看護婦がいた。
その向こうに皇帝陛下が横になっているのだが、いつもの寝台とは違っていた。病院の集中治療室にあるようなカプセル型寝台が置いてあった。ちょっと見には、宇宙船の冷凍睡眠カプセルのように見えるものだ。初期の宇宙旅行のために開発された冷凍睡眠用のカプセルを医療用に改良したものである。
その中に皇帝は居たのだが、その表情が何とも言えない苦悶の表情を浮かべていた。そのカプセルの計測装置には、恐ろし気な数値が現れていた。どれも、重篤な患者にしか現れない数値である。今にも、死にそうな患者だ。
「あなたは?」
と、医師が聞いた。
「あの、私は陛下付きの看護婦のファウダノンです。陛下のご様子は如何なのでしょうか?」
「ああ、聞いています。それで、昨日、陛下はどうでしたか?」
と、医師はフェウダノンに軍務卿バレンドン・オルフ・ヴェリウス元帥と同じことを聞いた。
「昨日は、何の異常もありませんでした。それどころか、私が前の看護婦が辞められてその代わりにこちらに来てから、このようなことは初めてです」
「そうですか。実は陛下がこのような症状になるのは、これが初めてではないのです。これで三度目になります」
「三度目?」
「いつも、突然始まるので、何がそうさせるのか原因がわかりません」
「では、病名は?」
「わかりません。病院に入られて検査をすれば分かるかもしれませんが、皇帝陛下がそれを拒絶なされるので、できないのです」
「でも、私はこのような症状の患者は見たことがありません」
「私もです」
「あの、いつまでこれが続くのでしょうか?」
「それもわからないのです。ですが、これまでは夜明けにはよくなりました」
これまでの二度の発作は、医師の言うように夜明けには収まったのだ。
別の看護婦が窓のカーテンを少し除けて外を見た。ファウダノンは部屋の時計を見ていたので、夜明けまでにはまだあることを知っていた。
「私に何かできることがあるでしょうか?」
と、ファウダノンは医師に聞いた。
「いや、今の所は何もできません。この医療用のカプセルが陛下の命を繋いでいるのです」
「それほどひどい状況なのですか?」
「これが、何度も続くようですと、陛下の御命の保証はできかねます」
「そんな……」
この宇宙時代に原因のわからない病気がまだあるとは、信じられなかった。ファウダノンが学んだ看護学では、ほとんどの病気は銀河帝国の初期に治療法が確立されたとあった。それ以来新しい病気は発見されていないと、公式には言われている。
ファウダノンは奇妙なことに気づいた。寝室に入ってから、例の唸り声が聞こえないのだ。彼女には寝室に入るまで、この部屋から聞こえて来たように思っていたのに、実際には何の音も聞こえない。静かな部屋だった。考えてみれば医療用のカプセルは、外に音声を漏らさない作りになっているはずなのだ。だから、聞こえる方がおかしいと言えた。
308.
ヘイダール要塞では、カトル・ファグル前司令官を呼んで、貨物船オルレイア号の政治犯のリストを見せた。
「これは?」
と、カトル・ファグル前司令官は聞いた。
「今、要塞の外で入港を待っている元新世紀共和国の貨物船オルレイア号に乗っている政治犯のリストだ。ここにある名前の人物をあなたが知っているかどうか知りたいのだ」
と、クルム司令官代理が聞いた。
「私にそれを聞いて、どうするのだ?」
「もし、これが本当に政治犯のリストだとしたら、入港を許可してもいいと思っている。だが、もしこれがニセモノだとしたら、入港を拒否し、駐留艦隊を出して貨物船を拿捕するつもりだ」
「要するに、相手が信用できるかどうか知りたいというのだな?」
「そうだ」
「私も、ゼンダを後にしてからだいぶ経ちますから、向こうの様子が分かりません。万一のことを考えて、お聞きしたかったのです」
カトル・ファグル元司令官は、その話に納得した。それでなくても、彼の乗ってきた船にディポック提督を暗殺しようとする一団が乗っていたのだ。だから、このくらいの用心は当然必要なことなのだ。
一人一人リストを見て行くカトル・ファグルの表情が曇った。
「ここに載っている名前は、かつての新世紀共和国軍の将官のリストに等しいくらいだ」
「では、政治犯のリストと見て良いのですね」
と、ディポック提督が言った。
「いや、それはどうだろうか」
どの名も元軍の高官というのが引っかかる。だいたい彼らは帝国軍に占領されてから、大人しく一線を退き、引退生活をしていたはずなのだ。なぜなら年寄りが多いからだ。それなのにその名があるということは、それだけ帝国軍の弾圧が厳しいのか、それとも、単に偽物を掴ませるつもりなのか、どちらかだ。
「私は、あの貨物船の入港に反対だ。なぜなら、彼らがどんなつもりできたのか理由がわからないからだ」
と、カトル・ファグルは言った。
「実はあの貨物船にこの要塞を乗っ取るために、一個中隊ほどの元軍人が乗っていることは確認済みなのです」
と、ダズ・アルグ提督は言った。
「何だ、それならなぜ私に聞いたのだ?」
「それは、もしかして政治犯が本物だと言う場合もあるからです。もしそうなら、政治犯だけでも助けてやりたいと思ったのです」
「そんなことが可能なのか?」
「この要塞の隠された機能を使えば可能です」
あのバルザス提督の部屋のビーム転送装置を使えば、それは可能だった。
「この要塞は帝国軍が使っていたものとは、違うのです。と言うよりも彼らはそれがあることを知らずに使っていたというべきでしょうか」
「それは、あの魔法使いたちと関係があるのだろうか?」
「そうです。ガンダルフの魔法使い、本当は彼らがここを作ったということです。正確に言えば、彼らが作って欲しいものを帝国に作らせたということです」
カトル・ファグルはバルザス提督の部屋で、そのことについて色々なことを聞いていた。この要塞には他に『レギオンの城』という妙な名が付いていることも聞いていた。それが別の次元にある建造物だとまでは彼はまだわかっていないが、ともかく、ここはこれまで彼が知っていたヘイダール要塞とは違うということは有る程度理解していた。
「で、あの貨物船を拿捕してどうするのだ?」
「我々としては、彼らと直接遣り合いたくはないので、送り返すと言う手段もある。ただ、今回はこの要塞を奪還しようとする輩には別の勢力もあると言うことを確認した」
と、クルム司令官代理は言った。
「別の勢力とは?」
「グーザ帝国の連中だ」
「グーザ帝国?あの耳の大きな種族だと聞いたが……」
「惑星カルガリウムに基地を作っている。彼らは蛇使い銀河から来た連中で、エネルギー鉱石をこちらの銀河に取りに来ているのだ。彼らの銀河ではエネルギー鉱石が枯渇していると言う話だ」
その話に驚いたのはカトル・ファグルの方だった。グーザ帝国が惑星カルガリウムに基地を作っているという話は知らなかったのだ。惑星ゼンダでそのようなことは噂にも聞いたことがない。
「惑星カルガリウムに基地を作っている?それでは、そこの住民はどうしたのだ?」
「カルガリウムの住民は皆、まず一時的にこの要塞に移動させた。今は別の宇宙都市にいる」
「そのことは、ゼンダの元議員連中も知っていることか?」
「さあ、知っているのか知らないのか。だが、知っていても何もできないだろう。元新世紀共和国の艦隊はもうほとんど残ってはいないのだろう」
「何ということだ。では、いつ頃からそれが始まったのだ?」
「そこまではまだ知らないが、ともかく今は惑星カルガリウムの鉱山で満足しているようだ」
「それは、いつまでだ?その鉱山の鉱脈が尽きたら、他の惑星へ来るのではないか?」
「もちろん、それは十分考えられる。だが、今はそれどころではない。やつらは惑星カルガリウムの艦隊から百隻程の小艦隊をこちらへ寄越したようだ」
「たった百隻で?」
「奴らの艦の武器は、こちらの艦の武器を上回っている。艦の通常速度も速い」
「なぜ、そんなことが分かるのだ?」
「一度、この要塞へ大艦隊を寄越して攻撃してきたのだ」
「何だって!」
驚いて、カトル・ファグルは司令室の者たちを見回した。彼らは一様に頷いた。
「実はその時、一度この要塞を奪取されてしまったのです。何しろ、突然の事でしたし、ジル星団の惑星連盟の艦隊の襲撃があった後で、駐留艦隊もやられていましたし、要塞に大穴も開いていましたから……」
と、ディポック提督が申し訳なさそうに言った。
「何だって、君が居たのにか!」
と、カトル・ファグルはあまりのことに同じことを二度も言った。
「しかし今は、その連中はここにはいないではないか」
「ガンダルフの魔法使いの助けを借りて、何とか連中を追い出したのです。ただ。その時に置いて行かれた連中もいまして、それで彼らを助けようとして艦隊を寄越したのではないかと思うのですが……」
と、ダズ・アルグ提督は言った。
「そのことは、要塞の政治代表は知っているのか?」
「いいえ。彼らが来る前のことですし、話してはいないので、知らないはずです」
「で、その大艦隊はどうしたのだ?追い出したというのは、どういうことなのだ?」
そこでディポック提督は、味方は全て『レギオンの城』へ逃げたと言う話をした。グーザ帝国の連中を幽霊で怖がらせて精神的に追い詰めて、要塞から追い出したことも。その後、銀河間のジャンプ・ゲートを使って元の銀河へ帰してことも話をした。
「レギオンの城?こことは別にあるのか?私はここがレギオンの城とも呼ばれているのだと勘違いしていた」
「レギオンの城は、ヘイダール要塞と同じ場所にあるのですが、ガンダルフの魔法使いによると、存在する次元が少し違うのだそうです。どちらかと言うと、あの世に近い場所にあるということでした」
「あの世?死者のいる世界と同じということなのか?」
「表現は違いますが、そうだと思います。何しろ、その頃のレギオンの城には多くの幽霊と思われる者たちが居ましたから……」
「多くの幽霊がいた?その連中を使って敵を追い出したというのか?」
「そうです。信じられないかもしれませんが、そうなのです。それに、カルガリウムから来た連中も幽霊を引き連れてきました」
「と言うことは、その時はまだカルガリウムから来た連中もいたということか?」
「そうです。カルガリウムから住民を移動させている最中でしたから、」
「その、レギオンの城への移動というのは、どうやったのだ?」
「それは、一瞬のことでした。魔法使いが移動させると言ったら、移動していたのです」
「魔法で移動したということか……」
カトル・ファグルはカルガリウムの人口がどれくらいなのか、ある程度知っていたので、住民の移動がどれほど大変なことなのか理解できた。数百人と言う単位ではない。数百万人いや数千万人は居たはずなのだ。それを移動させると言うのは、宇宙船でやるとしたらたとえ、一艦隊であっても容易にはできない人数なのだ。それを宇宙船も使わずに、やったとなると、それだけでも異常なことのように思えた。
「ともかく、カルガリウムの住民は、今は安全なのだな」
「リドス連邦王国の中にいるのですが、彼らが災害用に用意した宇宙都市があって、そこを借りることにしたのです。今は、そこで安全に暮らしているはずです。それに、カルガリウムに戻れるようになったら、宇宙都市ごと移動して、カルガリウムへ行けばいいと言うことでした」
おそらく、都市型宇宙船のようなものなのだろう、とカトル・ファグルは想像した。だが、聞けば聞くほど、ジル星団のリドス連邦王国とかなり深い関係になっていることが窺われた。
「それで聞きたいのだが、この要塞とリドス連邦王国とはどういう付き合いなのか?」
それは重要なことだった。国というのは、意志があり利益を求めて動くものなのだ。リドス連邦王国がどんな考えを持って、このヘイダール要塞を利用しようとしているのか。カトル・ファグルにとってはそれを知ることが重要なのだ。これまでカトル・ファグルは、リドス連邦王国と言う国名さえ聞いたことはないのだから。
「それが、よくわからないのです。彼らはジル星団へは最近、と言っても二百年前にやって来たのだそうです」
と、ダズ・アルグ提督が言った。
「二百年前にやって来た?どこから来たと言うのだ」
「それが、かなり遠くの銀河から来たということです」
「別の銀河からやって来たというのか?しかし、どうやって来たのだ?銀河間の距離というのは、到底宇宙航行可能な距離ではないと聞いたことがあるが……」
それに来たと言うことは何しに来たのだろうか。ふたご銀河へやって来て、そのガンダルフとか言う惑星を征服したのではないのだろうか。普通はそう考えないだろうか、とカトル・ファグルは思った。
「それは、ロル星団、つまり我々の科学技術が足りないのです。彼らの科学技術は我々より優れているということです」
それはカトル・ファグルにとっては、あまり良い事実ではなかった。こちらより優れた技術であるとすると、簡単に征服することが可能ではないか。
「彼らリドス連邦王国が、このふたご銀河を征服するということを心配することはないと思います」
と、ディポック提督は言った。
「それなら、何のためにやって来たのだ?」
そこで、ディポック提督はナンヴァル人のマグ・デレン・シャから聞いた話をした。リドス連邦王国の人々はダルシア人が探して、このふたご銀河に来てもらったという話だ。
「ダルシア人が?あの伝説の竜の姿をしていて、高度な文明を持っていたという今では絶滅した種族のことか?」
カトル・ファグルもバルザス提督の部屋で、マグ・デレン・シャから多少ダルシア人については聞いていた。
「そうです。もっとも、絶滅したと言っても、彼らは消えたわけではありません。彼らの竜の姿は見られなくなりましたが、現在彼らの惑星の霊界と言うところには、ダルシア人の霊がたくさん住んでいました」
「まるで、ダルシアへ行って来たようなことを言うのだな」
「私は、ライアガルプスに連れられて、マグ・デレン・シャとダルシアの惑星を見に行って来たことがあるのです」
「いつですか?」
と、驚いてダズ・アルグ提督が言った。ヘイダール要塞のダルシアの艦が、別行動を取ったと勘違いしたのだ。
「いつと言っても、私はこの身体で行ったわけではない。身体から魂が抜けだして、ライアガルプスの背に乗ってダルシアまで行って来たのだから」
と、ディポック提督は言った。
そこで、他の者たちは呆気に取られた。ディポック提督までおかしくなったのではないかと思ったのだ。
「さて、その話はいつまでもここでするわけには行かないのだが、そろそろ現実に戻って欲しいのだが……」
と、クルム司令官代理が言った。彼にとっては、今の話の内容は大体知っていることなのだ。
「そうだった。これは済まなかった。オルレイア号に返事をしなければならなかったのだな」
と、カトル・ファグルは思い出したように言った。
「前司令官はオルレイア号を入港させることに反対と言うことでいいのか?」
「それでいい。今の話を聞いて、何だか前よりも不安になって来た」
今のこの要塞は以前とは違い過ぎる。どこか別の要塞のようにも思えるのだ。
「それで、司令官代理はどうするおつもりです?」
と、ダズ・アルグ提督が聞いた。
「始めは私も入港に反対だった。だが、そうするとオルレイア号に乗っている罪のない一般人も遠いゼンダへ帰らなければならなくなるだろう。それは、やはりよくない。だから、入港を許可することにした」
「しかし、……」
「その代り、今回はフェリスグレイブの部隊にリドス連邦王国の特殊能力者や魔法使いの応援を仰ぎ、協力して対処する訓練に使おうと思う」
「演習もせずにですか?」
「そのような暇はあるまい。今が良いチャンスだ。それと、特にリイル・フィアナ提督の協力を取り付けたい」
「リイル・フィアナ提督ですか?しかし、何かあったら、相手を猫にし兼ねませんが……」
ダズ・アルグ提督としてはリイル・フィアナ提督にアルフ族の魔法を使わせたくはなかった。要塞に魔法使いがいるなどという、本当は事実なのだが、妙な噂がたつのは好ましいとは思えないからだ。
「何を言っている。それが狙いだ」
「しかし……」
「この要塞の中で、武器を使って戦闘をするなど愚かしいことだ。後で修理をしなければならんではないか。オルレイア号に乗っている兵士たちを猫にしてしまえば、そのようなことは有るまい」
「すると、フェリスグレイブの部下たちは、猫を捕獲するということですか?」
「そうだ。だから、リイル・フィアナ提督には特に軍人を猫に変えるようにしてほしい。一般人はそのままでもかまわない。ただ、その区別を付けられるかが、気になるのだが。グーザ帝国の艦隊の方は、リドス連邦王国の艦隊に対処をしてもらおう」
「いいだろう」
と、それまで黙っていたダールマン提督が言った。
309.
看護婦のデーラル・オル・ファウダノンは皇帝陛下の医療用カプセルにつききりだった。
外はもう夜明けが来ており、医師の話の通りなら、もうそろそろこの容体もよくなる兆しが見えて来ても良い頃だった。
だが、カプセルの中の皇帝陛下の表情はこれまでと変わりがない。
「どうですか?」
と、医師が聞いた。
ファウダノンは首を振ってその場を立ち医師に席を譲ると、寝室の窓へ近づいた。
「困りましたね。あと、少し待ってみましょう」
医師としても、何もすることがないのだ。ただ、この症状が落ち着くまではどうしようもない。
分厚い窓のカーテンを開けると、外は夜が明けたようなのだが、空が厚い雲に覆われていて、太陽は見えなかった。
扉の開閉する音が聞こえたので、そちらへ視線と向けると、軍務卿バレンドン・オルフ・ヴェリウス元帥が部屋に入って来たところだった。
「陛下の御様子は?」
と、彼は医師に訊ねた。
「いえ、今回はまだ落ち着かれません」
「何とかならないのだろうか?」
「私では、これ以上のことはできません。少なくとも、このカプセルがある限り命は保障できるでしょう。ですが、この病気を治すことは、このカプセルの機能を超えています」
「だが、何としても治って頂かないと、まだ陛下が我々には必要なのだ」
その言葉にファウダノンは、皇帝陛下の姉君だった大公妃殿下が失踪してしまったことを思い出した。もし今、彼女が居れば、もっと他に言いようがあっただろうにと腹立たしく思った。考えてみれば皇帝陛下は一人ぼっちなのだ。かつては友人もいたらしいが、その友人も失って、たった一人の身内も失い、本当に一人ぼっちなのだ。これまでそのことに気が付かなかった。そして、彼女の心に初めて同情心が湧いた。
怒りっぽく、いつも命令口調で、彼女にはあまり優しくはなかったが、だからと言って意地が悪かったわけではない。たぶん他にどんな態度を取ればいいのかわからなかったのではいかと思われるのだ。何しろ彼はまだ若い。その上、その人生の大半を男ばかりの世界で生きて来たのだから。
その時、カプセルの蓋が乱暴に開けられた。
「陛下!」
と、医師と軍務卿が同時に叫んだ。医師の連れて来た看護婦も慌てて近寄って来た。
カプセルから上半身を出した皇帝陛下は、憤怒の形相で睨んだ。ただ、誰を睨んでいるのかわからない。まるで虚空にある何かを睨んでいるように思えた。
「許せぬ!許せぬ!まだ奴らは生きているのだ!」
と、皇帝陛下は激しい口調で言った。
「何のことでございますか、陛下!」
と、軍務卿が言った。
すると、声のする方を見て、
「わからぬか!奴らだ、奴らのことだ」
と、皇帝は喚いた。
ファウダノンは皇帝のこのような姿を見るのは初めてだった。ただ、呆気に取られているだけだった。奴らというだけでは、誰のことを言っているのかわからない。
「我慢ならぬ。いつになったら、この憂いが晴れるのであろう」
そこで、怒れる皇帝陛下はファウダノンに気が付いた。
「そこにいる者は、誰だ!」
びっくりして声を失ったファウダノンは、黙っていた。
「ああ、あれは陛下付きの新しい看護婦です」
と、軍務卿が二度目の紹介をした。すでにひと月ほど前、ファウダノンが初めて皇帝陛下に謁見をした時に言ったことと同じだ。
「私になぜそのような者を付けるのだ」
「陛下は、ご病気で在らせられます」
「ばかな、余は病気ではない」
「はい。左様でございました。ですが、病気ではないとしても我が銀河帝国の皇帝陛下である御身は、我々臣下一同にとってはこの世に二つとない至宝でございます。常に健康に気をつけることが非常に重要でございます。それゆえに、私が僭越ながら看護婦を選んでお仕えするようにしたものでございます」
「そう言えば、前にもいたな」
「はい。あの者は身内の中に病人が出ましたので、帰しました」
「そうか。この者は大丈夫なのか?」
「はい」
ファウダノンは皇帝陛下がいつもとは違うと感じていた。まるで彼女の知っている皇帝陛下とは違うと言う気がした。それだけではなく、目の前にいる皇帝は一瞬で何十歳も年を取ったように思えるのだ。これはいったいどうしたことだろうか?軍務卿は皇帝陛下が何かおかしいとは思わないのだろうか。
「そこな看護婦とやら、お前の名は何と言う?」
「は、はい。私はデーラル・オル・ファウダノンと申します」
皇帝陛下に名を名乗るのは、これで二度目だった。
「お前は何ができるのだ?」
「私は、陛下の体調を常に気をつけるためにここにおります」
「余の体調だと?病気でもないのにか?」
「陛下の体調の異変をいち早く知るためでございます。ですから、病気で在ろうと健康であろうと、私はここに居なければなりません」
「ほう、まるで余が病気になるのを望んでいるようではないか?」
「そうではありません。もし、少しでも異常があった場合は、すぐに陛下の医師を呼ぶのが私の仕事でございます」
「そうか。そうだったな。では今はどうなのだ?」
その時、ファウダノンはいつも使っている機器を部屋に置いて来てしまったことに気づいた。
「今は、というよりも先ほどまでは体調が優れておられませんでしたが、今は回復したようにお見受け致します」
「では、ここから出ても良いのだな?」
「それは、私ではなく医師にお聞きください。最終的な判断をするのは医師でございます」
だが、突然皇帝は態度を変えた。今の会話がなかったかのように、
「なぜ、私はこんなところにいる!」
と、叫ぶと周囲を怒りの形相で見回した。
「陛下、如何なされました。また具合でも悪くなられましたか?」
と、医師が言った。
「そうではない。ここは私がいる場所ではないのだ」
言っていることが先ほどとは違っていた。まるで、陛下の中にいくつもの人間の意識がある様な気がする。これを何というのだろうか。とうてい口では言えないが、精神病の一種なのではないだろうか、とファウダノンは思った。
その途端、皇帝陛下がファウダノンの方を向いた。
「何だと!」
「あ、いえ、私は何も申してはおりませんが……」
と、咄嗟にファウダノンは言った。
ファウダノンは冷や汗を掻いていた。なぜ、自分の考えたことが分かったのだろう、と思った。
「陛下、あとしばし、ここでお休み頂いた方がお身体のためにはよろしいのではないかと存じます」
と、医師が言った。
カプセルを開けた状態にして身体を起してしまうと、カプセル自体の装置が停止してしまうため、熱や脈拍、呼吸など、これまで数値を記録していたのが分からなくなってしまうのだ。それに身体へのケアもできない。
「余はこの中にいるのは嫌なのだ。病気ではないのだから、そちらのいつもの寝台で休みたいのだ」
医師は軍務卿と顔を見合わせると、
「ですが……」
と、言おうとして言葉を止めた。軍務卿が医師を見たのだ。そして、
「陛下、どうぞ陛下のなさりたいようにされるがよろしいと存じます」
と、軍務卿が言った。
「そうか」
皇帝は自分からカプセルを出た。ファウダノンは皇帝陛下がカプセルを出るのを手伝うと、
「ほう、お前はなかなか気の利く奴だな」
と、評価された。
自分の寝台に横になると、安心したのか皇帝は大人しく眠ってしまった。しばらくして、
「あと少し、陛下の傍に付いているように」
とファウダノンに言って、軍務卿は医師や看護婦と出て行った。
ファウダノンは眠っている皇帝の顔を見た。先ほどとは違って、いつものように若い表情に戻っていた。これはいったいどうしたことなのだろうか、と彼女は思った。ただ、前任者がなぜ、この仕事を止めたのか其理由が薄々分かってきたのだった。




