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第5話 呼ばれる名前

 扉が、静かに開いた。


 泣き声で滲んでいた視界の中に、二つの影が差し込む。

 さっきの少女よりも大きく、落ち着いた気配。


 部屋の空気が、はっきりと変わった。


 不思議と、胸の奥が緩む。

 理由はわからないが、「大丈夫だ」と体が理解している。


 先に近づいてきたのは、柔らかな雰囲気をまとった大人だった。

 ゆっくりとした動きで、こちらを覗き込む。


「……」


 短く息を吸う気配。

 それだけで、泣き声が少し弱まった。


 次の瞬間、体が持ち上げられる。


 ――抱き上げられた。


 一瞬、視界が揺れる。

 だが、すぐに安定する。


 腕の中は、温かく、しっかりしていた。

 背中と頭を支える手つきに、迷いがない。


 近くで、心臓の音が聞こえる。

 一定のリズムで刻まれる音に、体が勝手に落ち着いていく。


(……知ってる、感じだ)


 記憶ではなく、感覚として。

 この温度は、安全だ。



「大丈夫よ、マルク」


 その名前を聞いた瞬間、

 胸の奥が、静かに震えた。


(……マルク)


 それが、この体の名前。


 前の人生とは、まったく違う響き。

 それでも、不思議と違和感はなかった。


 呼ばれることで、ここにいる理由が与えられた気がする。


 体はまだ小さく、何もできない。

 けれど、名前がある。


 それだけで、少しだけ「存在」になれた気がした。



 視界の端で、もう一人の大人が立っているのが見える。


 距離を保ちつつ、こちらを見下ろしている。

 表情は読み取れないが、視線は静かで、落ち着いていた。


 何かを確認するように、短く頷く気配。


 言葉は少ない。

 けれど、そこにいるという事実だけで、場が整っている。


(……この人たちが、保護者なんだな)


 そう理解するのに、時間はかからなかった。



 抱き上げられたまま、体がゆっくりと揺れる。


 一定のリズム。

 意識が、自然と引き込まれていく。


 まぶたが重くなり、視界が暗くなる。


 泣き疲れたのもあるだろう。

 けれど、それ以上に――


 ここは、守られる場所だ。


 そう体が理解してしまった。


 最後に見えたのは、

 二人の大人が、俺を挟むように立っている光景。


 こうして俺は、

 マルクとして、この家で生きていくことになった。

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