第4話 火花のはじまり
地区予選まで、残り二週間。
稽古場には、緊張と汗の匂いがこもっていた。
瀬戸口先生がホワイトボードの前に立つ。
マーカーの先が、私の名前をなぞるか、それとも別の誰かで止まるか――全員が固唾を飲んで見守っていた。
「主役・ヒロイン役……藤堂真琴」
「準主役……市川翔太」
次々と名前が読み上げられ、私は心臓が喉に張り付くのを感じた。
「控え二番手……綾瀬ひなた。立ち位置は真琴の代役兼、町娘役だ」
息を吐くと、胸の奥が少しだけ重くなった。
やっぱり、まだ“主役”には届かない。
けれど――あの日、舞台で掴んだ感覚を思い出す。
嘘の中に本当を乗せる。それができた一瞬があったはずだ。
「……おめでとう、代役昇格」
真琴の声だった。
稽古後、扉の外で立ち止まった私に、背中からかけられた声は、冷たい水みたいに透き通っていた。
振り返ると、彼女は微笑んでいた。けれどその目は、まったく笑っていなかった。
「でも代役は代役。舞台に立つのは私」
まるで刃物を布で包んだみたいな言い方だった。
「……わかってる。でも、私も舞台に立ったら負けない」
口から出た声は、思ったよりも強かった。
自分でも驚くくらいに。
真琴はほんの一瞬だけ目を丸くして、それからふっと笑った。
「じゃあ、楽しみにしてる。リハで本気出してくれるなら、ね」
(稽古場セット → 木の匂い、汗と埃)
ひなた(心の声):「この人に、私の本当をぶつけたい。」
その夜、稽古ノートを開いた。
舞台のプロップ(小道具)のスケッチの隣に、小さくこう書いた。
――“真琴に勝つ。それが、次のスポットライトの切符。”
胸の奥に小さな火がともる。
それは怖さと同時に、不思議なほどの楽しさを連れてきていた。