8. ちょいと一杯
天井の淡い光を、棚のボトルが照り返している。タバコ臭い暖色の空間は居るだけで軽い酩酊感を催す。
「どうした? 飲まないのかよ?」
右横から、ラルスコックが少しも減っていないフレッドのグラスを覗き込む。
「うん、やっぱりアリーヌに悪いかなって」
「気にすんな! 俺の奢りなんだから飲め飲め!」
ラルスコックがフレッドの肩を二度激しく叩いた。腕が重い鉄板で覆われているせいで凄く痛いのだが、彼がそれに気付いている様子はない。
あの後、フレッドはラルスコックに誘われて彼の行きつけのバーに来ていた。バーは口髭、ベスト、蝶ネクタイ、無愛想、というそれっぽいバーテンダーが一人で経営する、カウンター席だけの小さなバーだ。店は路地裏の奥まったところにある、隠れ家的な店であり、二人の他に客は居ない。
ラルスコックはアリーヌも誘ったのだが、彼女は「血を洗い流したいし、仕事の報告があるので」と、先に屋敷に戻ってしまった。きっと彼女は今頃、報酬の支払いについてベルナール氏と話し合っているのだろう。
「そういえば、お前らどんな関係だ?」
「僕達? 僕達は……仲間だよ」
「仲間? そりゃあ、つまり……どういう関係だよ?」
「その……僕にもわからないけど変な関係じゃない」
「ふーん。で、お前、ヤりたいと思わないのか?」
全く予想外の質問に、フレッドは言葉を失った。だが当の騎士様は気にせず、舌を動かす。
「ありゃあ、いい女だぜ。美人だし乳もある。まぁ、俺からしたらガキすぎるがな。お前からしたら美人のお姉ちゃんだろ? で、結局ヤりたいのか? 正直あの森に居たのも青姦だろ? 青姦目的だろ? 当たりか? 当たりって言え」
「ぼ、僕らはそんなんじゃない!……それにアリーヌは僕より年下だよ。僕は二十歳で、アリーヌは十八」
「マジか! 俺はてっきりお前を十五くらいだと思ってたぜ」
「じゃあ君は僕を十五の子供だと思いながら飲みに誘ったの?」
「ああ、駄目か?」
フレッドは溜息を吐きながら、グラスを持ち上げて口を付けた。酒は飲みたくなかったが、飲んでいる間は嫌な会話をする必要がない。
「うわ、マズッ!」
液体の表面を舐めただけですぐにグラスから口を離した。到底、人が飲むとは酷い味だ。ヒリヒリする舌を必死に卓上のナプキンに擦り付けるフレッドを見て、ラルスコックが「ガハハ」と膝を叩きながら笑う。
「おいおい、やっぱガキじゃねえかよ」
「……お酒は苦手なんだ」
「お前、面白い奴だな。やっぱり面白い奴だ。なぁ、マスターこいつ面白いだろ?」
バーテンダーが同意を示すように小さく頷いた。
「面白いって何がさ?」
「こんな時に冒険者になる奴らは、面白い奴に決まってるって話さ!」
「どういう意味?」
「そのままの意味だ。今時冒険者を目指す奴なんていないからな。今じゃ金を稼ぎたい奴は銀行家、英雄になりたい奴は軍隊に入るのが普通だ。それなのにガキが目を輝けせて冒険者なんて、ケッケッケ、こりゃあ面白いぜ」
フレッドがムッとすると、ラルスコックはすぐに「おっと!」と、叫んで掌を見せた。
「バカにしてる訳じゃない。ただ変だって、変わりモンだなって話さ。何せ冒険者は金にならねえし、腫れ物みたいに見られる。更には警察からゴロツキ扱いで因縁を付けられるオマケまである。いいとこなしさ」
「そうなの?」
「ああ!」
渾身の力で頷いたせいか、彼の声は掠れていた。ラルスコックは一度咳払いしてから、ワイングラスに刺さったストローを覗き穴に差し込む。
グラスの中のワインの水位がみるみる下がるのを、フレッドは見てはいけないものを見るように横目で盗み見た。
「ゴホン。俺がどうやって生計を立ててるか教えてやる。月に一回骨董品を買って、リブレスに住んでる金持ちの婆さんに届けるのが収入の全部さ。それだって婆さんが少し心付けをしてくれるから成り立ってるくらいだ。なんで心付けをしてくれるかって? そりゃあ俺ら冒険者が社会的な弱者だからだ。救貧の対象になるくらい俺らは落ちぶれたのさ」
フレッドはナプキンをカウンターに置いて、ラルスコックに身体を向ける。
「そんなに、酷いの?」
「ああ、酷い。酷いより上の語彙があるならそれ使いたいくらいだ。だから俺は思ったんだよ。今時、冒険者になるんなら、きっと女とヤりたいからだろうなって」
「僕とアリーヌはただ人助けをして、真っ当に生きたいだけだよ……」
「ふーん。そりゃあ素晴らしいな」
ラルスコックは笑えない冗談を聞いた時のように、軽く肩を揺らした。
「………僕、そろそろ帰るよ」
「退屈させちまったか?」
「ううん違うよ。考えたんだけどさ、やっぱりアリーヌ一人に任せるのは申し訳ないなって」
「お前、真面目だな」
立ち上がろうと、フレッドはテーブルに手を付いた。
「待て」
それを、ラルスコックが手で制す。
「どうしたの?」
「お前に先輩としてアドバイスしてやる。他の冒険者連中は相手にするな」
「え?」
「俺みたいに後輩に何でも教えるような善人は数える程もいねえ、今時冒険者をやってる奴らは犯罪でも何でもやるクズばかりだ」
「え? 冒険者はみんな人助けをして生計を立ててるんじゃないの?」
「あ? ああ、大工仕事が得意な奴が多いな。工具はそのまま武器になるし」
「それと」と、ラルスコックが続ける。
「『派閥』に入って上納金を渡せって脅されたら大人しく従え」
「派閥?」
「ああ、俺は一匹狼だがな。この街で冒険者やってる奴は地域毎に色んな派閥を作って仕事を回しあってる。この街の冒険者は全員、十五年前に潰れた『マルティア・ギルド』が恋しいのさ。連中に逆らわない方がいい」
「逆らったら?」
「前に同じ質問をした奴がいたが、今は土の下だ」
フレッドは少しの間ラルスコックを見つめてから、片眉を上げて頷いた。
「わかった」
それからラルスコックに一瞥して立ち上がり、出口に向かって歩き出す。
「またな若いの! お前に神の祝福あれだ!」
フレッドはバーの出口を押し開けた。
◇◆◇◆
扉を出て、壁に囲われた急な階段を軽快に登っていく。吹き抜ける夜風はジメジメとしていたが、それでも心地よく感じられた。
最後の段を登り切り通りに出た途端、急に何かを被せられ、視界が真っ暗になった。
驚いて息を深く吸うと、埃臭い布が顔に張り付いた。
「このクソガキ!」
嗄れた怒鳴り声と共に横から蹴りを入れられ、フレッドは地面に倒れた。
「痛っ!?」
突然のことに驚いたのも束の間、すぐに羽交い締めにされ無理矢理立たされる。
「テメェ、このガキ! 誰のシマで好き勝手やってんだ? あ!?」
「な、何の話!?」
腹を勢いよく殴られた。鈍い痛みがじんわりと広がって、呼吸が上手くできない。
「このビラはテメェが貼ったもんだろ! 違うか!」
「どれのこと! 布のせいで見えないよ!」
また腹を殴られる。
「舐めやがって! テメェ、俺の顔も知らねえのか?」
「だ、だから見えないってば!」
「知らねえなら教えてやる俺は『黄金の炎』のヤン・トゥアティだ。ムッシュ・トゥアティと呼べ!」
ムッシュ・トゥアティは言いながら、葉巻臭い息と拳をフレッドに浴びせた。
「俺の目を見ろ! ガキ!」
「もうわざとやってるでしょ! それ!」
「顔役の俺に許可もなく事務所を構えるなんて舐めた真似しやがって。いいか、一週間やる。一週間以内に街から出て行かねえと全員ぶっ殺してやるからな!」
「えー! 無茶苦茶だよ!」
ヤンはフレッドに唾を吐き掛けると、オマケとばかり腹に拳を捩じ込んだ。そこまで食らってようやく、フレッドは解放され、地面に倒れ込む。
ズカズカと不遜な足音が遠のいてく。
「な、俺が言った通り、碌でなしだろ?」
布越しにラルスコックの少し嬉しそうな声が聞こえてきた。
「ううぅ……見てたなら助けてよ……」
◇◆◇◆
アリーヌは札束を見つめたまま、動けずにいた。あれからどのくらい長い時間そうしていたのかは知れない。彼女の意識は宙を舞い、残された身体を長く喧しい耳鳴りが襲っていた。
数えたところ、百万フロルある。それはアリーヌの見積もりでは犬の散歩千回、草刈り二百回、迷子探し百回に値する。本来なら弛まぬ努力の果てに得るはずだったその金が、今、目の前にある。
本来の手筈では、ベルナール氏が屋敷内で待っているはずだった。だが戻ってみると彼の姿はなく、この百万フロルと『愛国心溢るる若者に聖マルティアンヌのご加護を!』という書き置きだけが残されていた。
その書き置きを見て、すぐに事前に住所等を記入してもらった紙を探したが、それも消えていた。代わりに資料置き場には『影の政府に隙を見せるな!』という別の書き置きがあった。……つまり、この金を返す手段はもうないということだ。
その時、突然扉がノックされ、アリーヌの意識が引き戻される。
彼女は咄嗟に札束を普段開かない一番下の机の引き出しに放り込むと、立ち上がって扉に向かって駆け出した。フレッドが鍵を忘れていたのだろうか。と、焦りながらも内心で考えながら彼女は扉に飛び付いた。
もし、報酬のことを聞かれても彼に黙っておこうと、内心で決意する。あの金は労働が伴っていない。本来、あってはいけない金だ。悪銭だ。悪銭は人を堕落させる。そんな金を使ってはいけない。
一度息を深く吸い。笑みを作る。そしてドアノブを回し、引く。
「フレッドさ――」
アリーヌの声が途切れた。彼女は対面した相手に驚きながら。心のどこかで、いつも自分の望む状況が扉の向こうにないジンクスを呪った。
「夜遅くに失礼するわ」
歌うような流麗な声で女は言うと、一枚の紙をアリーヌの前に突き出した。
「これ、貴女達の物よね?」
それは紛れもなくアリーヌとフレッドが考えて作り上げたポスターだった。
「はい、そうですが?」
「そう」
女は素っ気なく呟いて、ポスターを引っ込める。すると、ポスターで隠れていた猛禽類を思わせる鋭い碧眼と視線が合った。
扉の向こうに立っていたのはアリーヌと、歳も身長もさして変わらない見た目の、淡い栗色の長髪をなびかせた少女だった。彼女は軍服とケピ帽という姿で、腰には剣を下げている。軍服はよく見る赤いズボンではなく、上下ともに藍色のボタン留めのものだった。
少女が軍官の立派な装いに身を包んでいるという状況は、言葉を選ばずに言えば滑稽である。ただ、丈の合わない制服を無理に着込んでいる様子はなく、少女の身体にピッタリと馴染んでいる。
それが少女の装いが、単なる仮装ではないことを示すと同時に、ガタイのよい軍人を前にした時に受けるのとは異なる種類の威厳を漂わせている。
「ポスターを貼る上で適切な許可は得たのかしら?」
「え?」
心臓が波打つの感じた。許可など取っていない。というかそもそも必要だとも思っていなかった。
「ああ……許可ですか、えーと、確か……取ったような」
「取ってないのね?」
「はい、取ってないです」
あっさり白状した。すると少女の目がスッと細くなる。値踏みするとも睨むとも取れないその視線を受け、アリーヌは背中に冷たいものを感じた。
「そう、それなら役所に言って正式な手続きをすることね」
場に沈黙が降りた。アリーヌは少女の次の言葉を待ったが、それが発せられることはなかった。夜風が汗で濡れた顔を撫で、その冷たさにハッとする。
「そ、それだけですか?」
「は?」
「いや……その、罰則とかないんですか?」
「ないわ」
少女の返答は常にハキハキとしていて端的だった。腹が立つ程に。
「私はただ気になったから聞いただけよ」
「気になった?」
「ええ、別に貼ってあるのが雑貨屋とか、演劇のポスターなら気にも留めないわ。けど、このポスターには、まるで楽しい絵本の表紙みたいな筆記体で『冒険者』って書いてるじゃない。それって凄く変でしょ?」
同意を求めるように少女は首を傾げたが、アリーヌは反応できなかった。それは、単にアリーヌには何が変であるのか理解できないからだ。
「えっと、それはつまり私達が冒険者だから今こうやって許可を取るように指導されてるってことですか?」
「あら、何か勘違いしているようだけど、私はこの場に仕事で来た訳じゃないわよ? 役所に行けってのは単なる助言」
「え?」
話が突然見えなくなった。つまり目の前の少女は、これだけ厳しい格好をしておいて、言葉少なに意味深な物言いをしておいて、単なる野次馬だと言うのか。
「申し遅れたわね、私はルイーズ・ド・ロクターヌ。ルイーズでいいわ」
「わ、私はアリーヌです」
「そう、よろしくアリーヌ」
ルイーズに手を差し出され、気付ければ反射的にそれを握っていた。ド・ロクターヌという言葉には聞き覚えがあったが、ひとまず記憶の片隅に追いやった。
「アリーヌ、今日は寒いわね」
「え? ああ、そうですね。確かに少し冷えますね」
「ええ、寒いわ、コーヒーの一杯でも飲んで温まりたいものね」
「はあ?」
「温まりたいわね」
「……一杯飲んでいかれますか?」
「あら、気が利くのね」
言いながらルイーズはアリーヌを押し除けるように身を扉の隙間にねじ込んで室内に入り込んだ。
「広くて綺麗なお家」
首を回しながらぐるりと室内を見渡す彼女は、やはり自分と同年代の普通の少女にしか見えない。
◇◆◇◆
「安物ね」
供されたコーヒーカップを手に取り、目を瞑りながら香りを確かめる。それからそっとカップを口元に運び、音を立てずに啜る。その洗練された一連の動作を終えた後、彼女はそう言った。
「安物で悪かったですね」
「そうでしょうね、今時冒険者なんて金にならないに決まってるもの」
金なら有る。それは今座っているソファーの、階段を挟んで向こう側にたんまりと。
「その、ルイーズさんは軍人なんですか?」
「ええ、そうよ。一目でわからないだろうけど、実は私軍人なの。驚いた?」
ルイーズが冗談っぽく言い、アリーヌは思わずクスリと笑う。
「私と同じくらいの年頃なのに凄いですね」
「そうでもないわ。私は死んだ兄の跡を継いだだけだから」
「跡を継ぐ?」
その表現は些か疑問である。軍隊の階級や地位は、爵位や王権のような世襲制ではないはずだ。
「私、ロクターヌ騎士団の団長なの。知らない?」
「ロクターヌ騎士団……」
騎士団、それは聖地巡礼に向かう人々を魔物や異教徒から守る為に設立された武装集団に起源を持つ。彼らは現代に至る過程で世俗化し軍隊に取り込まれ、精鋭部隊としてその名を残している。
そして、その中でもロクターヌ騎士団は誰もが一度は耳にしたことがある最強と名高い騎士団だ。代々、騎士団長の座はロクターヌ伯が世襲する決まりとなっている。
つまり、目の前の少女は王国最強の騎士にして、女伯爵なのである。先程、軽薄な騎士モドキと出会ったばかりなので、余計に本物の気品にあてられる。
「そ、それって凄いですね!」
「そんなことないわ。私が騎士だって知る前に受けた印象が正しい私だから」
ルイーズは溜息を吐いてから、安物のコーヒーを啜った。暗く濁ったコーヒーが彼女の目に映っている。
「それよりも、今度は貴女の話を聞かせて、『自由の剣』なんて騎士団に負けず劣らず壮大じゃない」
「そんな大したものじゃないですよ。思いつきで付けた名前ですから」
「へえ、何人でやってるの?」
「二人です。私とフレッドさん……フレッド・ロスって名前の男の人です」
コーヒーを啜ろとしていたルイーズがピタリと動きを止め、上目遣いでアリーヌを見た。
「フレッド・ロス?」
「はい。そうです」
「嫌な名前ね」
「……そうですかね?」
「ええ、嫌な名前よ。気に食わないわ」
「そんなことないですよ」
アリーヌが頬を膨らませる。彼女はフレッドが馬鹿にされ思いの外苛立っている自分に、内心で驚いていた。
「彼は今どこへ?」
「バーに行きました。多分、もう少しで帰ってきます」
「そう、是非お目に掛かりたいわ、フレッド・ロスに」
その時、首尾よく扉が開いた。アリーヌがルイーズ越しに扉の方を見ると、扉を押し開けるフレッドの姿が見えた。
彼は肩を震わせながら、革手袋に覆われた左手と剥き出しの右手を小刻みに擦り合わせている。
「ただいまアリーヌ」
「お帰りなさいフレッドさん!」
アリーヌは笑顔でフレッドに応じ、その顔をそのままルイーズに向けた。「彼がフレッドさんです」そう紹介しようとしたのだ。しかし、彼女は喉元まで出かかった言葉を押し留めた。
彼女の正面でルイーズがカップを持ったまま石のように固まっていた。そして、彼女からは先程とはまるで違う、重たい空気が微かに放たれているような気がした。
「あれ、こんな時間にお客さん? あ、コーヒーの香りだ! いいなあ、僕にも入れてよ!」
ルイーズに釘付けになっているアリーヌの耳に足音がどんどん近づいてくる。
「あれ、軍人さん? なにかあったの? えっと、こんば……ん……わ」
ルイーズの顔を覗き込んだフレッドが動きを止めた。彼の表情は強張り、顔に浮かべていた笑みは引き攣っている。
「アリーヌ、コーヒー悪くなかったわ」
ルイーズは自分が作り出した静寂を、その一言で破壊した。彼女はカップをテーブルに置き、立ち上がって、足早に扉の方に向かった。扉が静かに開き、そして閉まる。
後には、未だに沈黙の中に居る二人だけが残っていた。
「フレッドさん、その、あの人と知り合い……ですか?」
「いいや!」
彼は目を剥いて、上擦った声で否定しながら首を何度も横に振った。誰にでも一瞬でわかる嘘だ。
だが……アリーヌにその嘘を指摘する勇気はない。
◇◆◇◆
フレッドはゴミ袋を両手に下げ、屋敷の脇の細道にあるゴミ捨て場に居た。
大きなゴミ箱を開けて、ゴミ袋をそこに放り込む。そうするだけで回収業者が勝手にゴミを持っていってくれるそうだ。
便利だな、とフレッドは内心で呟いた。もっとも王都でも同じシステムが存在したのかもしれないが、ほとんどゴミを捨てる必要がなかったので実のところはわからない。
ゴミ箱の蓋を閉め、通りの方に身体を向ける。おかしなことに見えるはずの街頭の光がどこにもなく、代わりにギラリと光る鋭い二つ碧眼が、眼前に立ち塞がっていた。
「あっ――」
フレッドが声を上げるよりも早く、彼の首に細い指が絡みつき、そのまま壁に叩き付けられる。
「フィリップ・ルヴィエ」
声というよりも、それは地の底から響く怨念そのものだ。
「私にもツキが回ってきたのね。まさか新しい街に異動してすぐに兄の仇に会えるなんて」
絡みついた指に力が入り、首の締めつけられる。
呼吸が上手くいかず、少しずつ意識が遠のいていくを感じながら、フレッドは渾身の力でルイーズの腹部を足の裏で蹴った。
「きゃっ!」
喉元の力が緩み、ルイーズが甲高い悲鳴を上げてゴミ箱に激突する。
酸素が喉元を通り抜ける感覚が戻り、フレッドは勢いよく空気を吸った。同時にポケットから引き抜いた杖をルイーズに向けて、指先から杖へて魔力を送る。
しかし、それ以上動けない。喉元に突き付けられた剣に気付いたのだ。
「いつの間に」という疑問を口にしようとしたが、剣先は喉仏を動かした途端に刺さりそうなほど近い。
二人は互いに、僅かな筋肉の動きと、それよりも少量の殺意があれば相手を殺せる状況にあった。
「私はアンタを許さない」
片膝を突いた。姿勢でルイーズがフレッドを睨め上げる。
「アンタがこの街で何を企んでるのか知らない。でも、あの時みたいに好きにはさせない」
弁明したかったが、やはり声は出せない。だが問題はない。なんせ、彼女は自分が何を言おうが最初から聞き入れるつもりはないだろうから。
「いい、よく聞きなさい、フィリップ・ルヴィエ。私は常に見張ってるわ」
怒りの滲むルイーズの視線と、冷たく感情のないフレッドの視線が交わった。二人は誰が言い出すでもなく、同時に右腕を下ろした。
ルイーズが立ち上がり、剣を鞘に収める。それから彼女はフレッドと言葉も視線も交わさずに、大通りに向かって歩き出した。
「消さなきゃ」
一人残された死神は冷たく、抑揚のない声で独りごつ。