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不死者のタナトフォビア〜ある英雄譚の終わり〜  作者: 小坂 輝光
1章 悪しき者は追う人もないのに逃げる
3/31

3. キング・フィッシュ

 ほんの数分までは新しい生活について話し合っていたはずだ。だが、今目の前にあるのはフレッドの、いや、フィリップの、後ろめたい過去そのものだ。


「あ、あの、フレッドさん?」


 おずおずと名を呼ばれ、いつの間にか傍に腰掛けていたアリーヌに視線を向ける。彼女は困惑と興奮が混じったような何とも言えない表情を浮かべていた。フレッドは少しの間呆然と視線を返してから、初歩的な疑問を口にした。


「君が殺したの?」

「え? いや――」

「殺したんだろ!」


 フレッドは突拍子もない奇声を上げ、アリーヌに人差し指を突き付ける。アリーヌは驚いた様子でフレッドの指先に視線を合わせ、上体を逸らした。


「き、君の魂胆は透けてるぞ! 食事に誘ったり、家に招いたり、変だと思ってたんだ! どうせ君は僕を騙して殺人の片棒を担がせようとしたんだろう?」

「違います! それに私は殺してません!」

「フンッ、警察にも同じことを言うといいさ! きっと聞いてくれやしないだろうけどね!」

「……そこに倒れているのは私の、母方の叔父さんなんです」


 ピタリと、フレッドは動きを止め目を丸くした。二の句が継げずにいると、アリーヌが口を開いた。


「大切な……私の家族なんです。そんな人を私が殺すと思いますか?」


 彼女の声は張りがなく、掠れている。


「本当なら今日、この家で久々に会って食事をするはずだったんです。でも、私がこの家に来た時には……」


 アリーヌはそこで一度言葉を切ると、苦痛に表情を歪めながら声を絞り出した。


「殺されてました。椅子の上に座ったまま、額を撃ち抜かれて」


 アリーヌはそう言って一度俯くと、深く息を吸いながら再びフレッドに視線を向けた。


 「私にもなにが起きているのかわかりません。ただ、私が殺していないのは本当です。信じて下さい」


 彼女の態度は真剣そのもので、信じ切ることはできないが、これ以上疑う気にもなれなかった。


「わ、わかったよ。わかったけど、君が殺してないのなら、どうして警察を呼ばないの?」

「その……それは」


 曖昧に言葉を濁してから、アリーヌは話題を変えるように咳払いをし、再びフレッドに向き直った。決意に満ちた光。そうとしか形容できないギラついた光を瞳に宿した彼女は、フレッドには最早、厄災の化身にしか見えない。


「私と一緒に死体を処理してくれませんか?」


 案の定、彼女の口から飛び出した提案はフレッドを底冷えさせた。


 「バラバラにしても、海に捨てても、燃やしても構いません! とにかくあの人の死体を綺麗に消したいんです」


 アリーヌの白い手がフレッドの腕に伸びる。布越しであっても、彼女の指が触れた瞬間、焼き印を押し付けられたような熱が伝わってきた。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 咄嗟にフレッドはその手を払った。


「か、家族なんだろ! それなら丁重に墓に入れてあげるのが普通だろ? それなのに……変だよそんなの」

「このままだと私が犯人だと疑われてしまいます。それにもう、私は後戻りできないんです」


 アリーヌが横目でクローゼットの方を見る。その瞬間にフレッドはようやく違和感に気付いた。

 彼女はあの男が椅子の上で殺されたと言っていた。だが何故か男の死体はクローゼットに入っている。それに血痕らしい物も椅子の周囲にはない。

 つまり彼女は死体を捨てるための()()()を既に済ませているのだ。後戻りできない。それは言葉通り、彼女の計画が修正できないところまで進行中であるということだ。

 

「巻き込んだことは謝ります。だけど、私がフレッドさんと冒険者パーティを組みたいと言ったのは本心です。だからどうか、私を助けてくれませんか?」

 

 一度跳ね除けた彼女の白い指が再び、蛇のようにフレッドの両手に絡みついた。


「お願いします」


 念じるかのように呟く彼女の瞳には淀みがない。それが却って恐ろしい。

 

「断る」


 キッパリとフレッドが言い放つと、アリーヌが目を丸くして固まった。同時に手に込められていた力が弱まる。その隙にフレッドは彼女の拘束をするりと抜け、そのまま立ち上がって背を向けた。


「ど、どうしてですか!?」


 遅れて追い縋ってきたアリーヌにフレッドは冷たい視線を向ける。


「死体を遺棄するなんて間違ってるよ。そんな法を犯すようなマネは僕にはできないね」


 少し前の自分では決して思い付かないような綺麗事が飛び出し、自分でも驚いた。


「そんな! 私達は仲間じゃないですか!」

「君は、君の悍ましい計画の協力者が欲しいだけだろ? それなら他を当たってよ」


 フレッドの突き放すような物言いに心が折れたのか、アリーヌは膝から崩れ落ちる。

 そんな彼女を無視して、フレッドは扉に向かって歩き出した。

 

「証拠は隠滅してしまって、もう、手遅れなんです……お願いですフレッドさん……お願い」


 背後で聞こえる彼女の声に、啜り泣きが混ざり始めた。少しばかり心が痛む。しかし、どんな理由があるのかわからないが、一生犯罪の十字架を背負うより辛いことはない。だからこれが正しい選択だ。


「私、捕まっちゃいます……」

 

 フレッドはドアノブに手を掛け、押し込んだ。


「フレッドさんも」


 扉が開くのと同時に、感情の篭っていない悪魔の声に心臓を鷲掴みにされた。


「仮に私が捕まったら貴方が共犯だと話します。フレッドさん、私みたいな目立つ格好の女とテラス席で食事をしましたよね? だから私と居たっていう証言もすぐ集まると思います」


 フレッドは眼前に広がる縦長の闇を見つめたまま、深く息を吸い、扉を内側に引いた。そして精一杯、口の端を吊り上げて振り向く。


「もちろん君に協力するよ。僕達は仲間だからね」


 ◇◆◇◆

 

 夜の街灯一つない暗く静かな住宅街を、台車と押しながら二人の男女が歩いていた。台車の上には白い布で包まれた、人くらいのサイズの物が載っていて、『川魚』とラベルが貼られている。


「気を付けて下さい。慎重に押して下さいね」

「わかってるってば」


 どうしてこんな面倒なことになったのかと、フレッドは内心の不満を溜息にして吐いた。


 古い台車を押す度に、重みに耐えかねた車輪が低い音で鳴いている。その合間を縫うような、アリーヌの囁き声が耳に入る。


「フレッドさん、結局どうするつもりなんですか?」

「海に捨てようと思ってる。あれだけ広い港なら砂漠に埋めるのと変わらないだろうしね」

「大丈夫なんですかそれ? その、えっと、浮かんできたりしませんか?」


 アリーヌが意図的に主語をはぐらかしながら質問してくる。実のところフレッドも知らない。彼は散らかすことに関しては一級の腕を持っているのだが、片付けをしたことは一度もない。痕跡はいつも他の誰かが消してくれていたのだ。殺しの業界も分業制度の恩恵を享受していたのである。


「…………多分、大丈夫だよ」


 フレッドは息が詰まるほどの沈黙の後、失敗した際の言い訳を予めするように『多分』を強調して呟いた。


「港まで後どれくらいかな?」

「このペースだと三十分もすれば着きますよ」

「そんなに? もう少ししたら交代してよ」

「あ」


 真横でアリーヌが体を硬らせ足を止めた。俯加減で台車を押していたフレッドも遅れて足を止めて顔を上げた。


「ヤバい……」


 呟いてから、事の深刻さが後から染み込んできた。


 闇夜を侵すように、赤い火の玉が傲慢な足音を伴って宙を揺れている。その火が、ケピ帽を目深に被った男の強面を照らしていた。


「フレッドさん……」


 アリーヌの声は震えて殆ど聞き取れなかった。彼女曰く、この辺はトラブルが多く逆に警察は滅多に巡回しないという。だからこの道を選んだのだ。しかし、不運にもこうして警察官と鉢合わせてしまった。


 自分達はあまりにも怪し過ぎる。修道女と男というアンバランスな二人が、こんな時間に人くらいの大きさの物を台車で運んでいるのは普通ではない。


 フレッドは知らぬ間に溜まっていた唾を飲み下すと、何食わぬ顔で台車を押した。立ち止まっているのは悪手だ。なるべく平静を装う必要がある。


 アリーヌもフレッドが歩き出したのを見て、戸惑いながら再び歩き出した。


 少しずつ近付いてきた光が、フレッドの顔を正面から右側へと徐々に撫でるように移動していく。

 そうして、視界が再び暗闇に覆われる頃には男の足音はフレッドの背後で鳴っていた。


「ふぅー」


 肺に溜めたままの空気が一気に漏れ出した。真横でアリーヌの口からも似たような音が漏れている。


 窮地は脱し――


「おい」


 背後から声がして、二人は石のように固まった。全身の筋肉が硬直したのに対して、心臓は危険を知らしめるように早鐘を打っている。


「こんな時間になにをしている?」


 こちらの動揺などお構いなしに続け様に質問が飛んでくる。こうなればもう、無視はできない。

 フレッドは素早く肺に酸素を溜めると、身を翻して光の海に飛び込んだ。


 男は手に持ったランタンをこちらに向けたまま、訝しんでいることを隠す気のない鋭い視線でフレッドを突き刺した。


「これはどうも! お勤めご苦労様です!」


 声を張り上げながら、ゆっくりと警官に近付く。声を張ることで注意を自分に逸らし、近付くことで警官の視線を台車から切ろうとしたのだ。


「この場所を巡回するなんて珍しいですね。なにかあったんですか?」

「港で事件があってな。それで付近を警戒している」

「へぇ、それは恐ろしい!」


 フレッドはわざとらしく目を剥いて、いかにも驚いたという風な反応をして見せる。警官はそんなフレッドを煩わしそうな目で眺めている。

 これでいい。このまま警官の関心が自分に向き続ければいい。その隙にアリーヌが逃げてくれれば少なくとも有耶無耶にはできる。


「ところで事件があったんですか?」

「港で死体が揚がったんだ」

「それは……本当、に?」


 フレッドの思考は完全に停止した。


「さて、そろそろ私の質問に答えてもらおうか」


 警官はフレッドを強引に押し退けると、ドスドスと足音を立てながら台車に近付いていく。


「こんな真夜中に灯りも付けずに運び物か? お嬢さん」


 ランタンの光が、アリーヌの青白い顔を浮かび上がらせた。


 彼女が全身を硬らせたまま質問に答えられないでいると、警官は馬鹿にするように鼻を鳴らしてから、ランタンを台車の上の白い布で包まれた物に視線を向けた。


「川魚……このサイズで?」


 警官はアリーヌを睨み付ける。彼女がぎごちなく首を縦に振ると、警官の口の端が吊り上がった。


「凄いな」


 鼻から抜けるような声で警官は呟く。その顔には下手くそな手品を見破った時のような、呆れと喜色が入り混じったイヤらしい笑みが浮かんでいる。


「私は小さい頃川でよく釣りをしていたが、最大は一メートルのナマズだ。それでも親に褒めらたのに、コイツはその倍はあるな」

「は、はい。ですからこんな時間ですが知り合いに見せようと思って……」


 布の上から下をゆっくりと照らしていたランタンが、不意にアリーヌの鼻先に向けられる。警官の顔からは先程の軽薄な笑みが消えていた。


「この街じゃ金持ちの墓が荒らされる事件が多くてな。何でも最近の手口だと、死体丸ごと掻っ払っちまうらしい」

「い、いえ、それは魚で――」

「それなら」


 警官の高圧的な声が、アリーヌの弱々しい囁きを掻き消す。


「この場で確かめれば全て済むはずだ。そうだろう? 是非見たいんだよ、沼の王者の姿を」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべた警官の腕が、ゆっくりと白い布に伸びていく。


 ――ゴツン。と、鈍い音が警官の後頭部で鳴った。


 警官は頭を一度揺らすと、頬を吊り上げたまま白目を剥いて台車の上に倒れ込んだ。


「きゃっ……」


 アリーヌは小さく悲鳴を上げて、反射的に後方に飛び退いた。


「本当に……勘が良くて困っちゃうよ」


 警官の背後から現れたフレッドが嘆息する。その手には警官が腰に差していた警棒が握られていた。


 フレッドは警棒を放り投げると、白い布の上に折り重なるように倒れた警官の脇の下に手を入れて、手早く、かつ慎重に道の上に寝かせた。


「その人、生きてますか?」


 フレッドが天に向かってあんぐりと口を開けた警官の顔に帽子を被せるのを待ってから、アリーヌは恐る恐る尋ねた。


「気絶しただけだよ」

「わ、私達、顔を見られてしまいましたけど、大丈夫ですかね?」

「大丈夫、明日の朝には忘れてるよ。覚えてたとしても、こんな若者二人に返り討ちにされたなんて恥ずかしくて言えやしないさ」

「そう……なんですか?」

「心配なら紐で首を括って木に吊るせばいいよ。指輪もないし多分独身だから、自殺で処理されるさ」


 場が静まり返り、アリーヌに軽蔑するような視線を向けられていることに気付いた。


「じょ、冗談だよ! 本気じゃないさ! その、もちろん本気じゃない!」

 

 ◇◆◇◆

 

 二人は港とは反対方向に歩き出していた。フレッドの案が駄目であったから、今度はアリーヌが案を試す番なのだ。


「アリーヌ、どこに向かってるのさ?」

「貧民街です。馬車を借りにいきます」

「街から出るってこと?」

「はい。マルティアから少し離れた場所に人が寄り付かない湖があるんです。そこならバレません」


 会話しながらもアリーヌはずんずんと前に進んでいく。彼女は角を曲がっては直進し、直進しては角を曲がっていき、やがて周囲の雰囲気が少しずつ変わり始めた。


 これまでは質素ではあるが小綺麗な住宅が通りに連なっていたが、古い建物が目立ち始めた。綺麗で規則的に並んでいた建物が少しずつ、不規則で小汚くなり始める様は薬物中毒者の歯並びの変化を見せられているようで不気味だった。


 一軒家が少なくなり、数階建のアパートが通りに連なるようになった。しかもそのアパートの大半が粗雑で古めかしい、言葉を選ばないで言えばボロっちい。

 狭い道に敷き詰められた石畳は所々欠けており、時折車輪が挟まり、その度に二人掛かりで台車を持ち上げる。


「アリーヌ、ここ大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないと思います。でも、ここ以上に安く馬車を借りられる場所はありません」

「……そっか」


 二人が会話している間にも、尋常ではない赤子の鳴き声や女の悲鳴、誰かの怒鳴り声なんかが、どこからともなく聞こえていた。一度銃声のような音すら聞こえた。……もう一度聞こえた。間違いない、これは銃声だ。


『馬車貸し出し』


 その後少し歩いて二人はそう書かれた小さなプレートが掲げられた煉瓦造りの小屋に辿り着いた。横に大きな車庫が付いているせいで、その小屋はオデキのように見える。


「そういえばお金あるの?」

「はい、ありますよ」


 彼女は頷くとポケットから数枚の札を取り出した。


「五万フロルあります」

 

「おおっ」とフレッドが拍手すると、アリーヌは得意気に鼻を鳴らしながら小屋に近付き、貧相な小屋に不釣り合いに頑丈そうな鉄扉を強く叩いた。


「要件は?」


 数秒、間を置いて扉越しに篭った声が問い掛けてくる。


「馬車を貸して欲しいんです。人が二人……三人くらい乗れるやつを」

「五万フロルだ。金を扉の下におけ」


 アリーヌが指示通りに金を入れると太い指が扉の隙間から伸び、紙幣を内側に引き摺り込んだ。


「横にある車庫から好きなの一つ持っていけ、明後日の昼までには元に戻せよ」

「どうも」


 用途を深く詮索しないのが流儀なのか、交渉はそれだけで終わった。


「それにしても凄く安いんだね」

「はい、古い馬車に老馬を繋いでいるので安いんです」

「そうなんだ。納得」

「しかも全部盗品」

「企業努力だね」

「私が馬車を取ってくるので、フレッドさんはここで待っていて下さい」


 そう言うと彼女は車庫の方に向かった。


 その時、横から夜の冷たい風が吹き抜けた。一人になったフレッドはポケットに手を入れて一度大きく欠伸をした。一時はどうなるかと思ったが、どうにか片付きそうだ。


「まったく、君は手が掛かるね」


 フレッドは呟きながら、台車の方を見る。当然、死体は応えてくれない。それは彼が死んでいるから、というのは当然だが、そもそも死体を包んでいた白い布ごとそっくり台車の上から姿を消していたのだ。


「……えっ?」


 数秒の間、フレッドは台車を見つめたまま動けなくなった。一瞬脳裏に白い塊が立ち上がって飛び跳ねながら逃げ出す光景が浮かんだが、すぐにありえないと振り払った。


 頭を左右に振って当たりを見渡すと、走り去る人影が遠目に見えた。人影は何か大きい、そう、ちょうど人くらいの物を肩に担いでいる。


 ――盗まれた。


「そ、そんな、嘘だ、何で!」


 誰もそんな疑問に答えてくれぬまま、フレッドは人影を追って走り出した。


「待って、待ってよ!」


 フレッドが叫ぶと、人影は追いかけてくるフレッドに気付いたのか、彼の要望とは逆に速度を上げる。


 それでもフレッドは不安定な足場に苦労しながらも、懸命に人影の後を追う。逃がす訳にいかない。絶対に。


 不意に、それまでフレッドに背中を向けていた人影が横を向いた。人影がそのまま、建物の間にできた隙間のような路地の中に入り込むと、フレッドも見失うまいと人影の後に続いて、暗い路地に飛び込んだ。


「動くな」


 男のしゃがれた声と共に、敵意に満ちた金属音が聞こえ、フレッドは足を止める。


 目の前に広がる暗い闇の中から下卑た笑い声が聞こえた。


「へへ、兄ちゃん。金目の物を全部出してもらおうか。ついでに服も全部脱げ、高そうだからな」


 声の聞こえ方からして男は十数メートル離れた位置におり、フレッドからはその姿が見えない。対して男からは路地外の光に照らされたフレッドの姿がよく見えているようだ。


 ここに来てようやく、フレッドは自分が古典的な強盗に遭っていることに気付いた。


「はぁ、き、君、凄い体力だね。よ、よくそんな重い物を持って走れるよ」

「ああ、日々強盗のために鍛えてんだよ」

「その熱意は他に向けるべきだよ……」

「うるせえ、変な動きをすると撃っちまうからな、言うこと聞くのが吉だぜ?」


 そう言いながら男は拳銃の存在を示すかのようにカチャカチャと金属音を鳴らした。


 フレッドは一度深く息を吸って、乱れた呼吸を整える。喉の奥に鉄の味を感じながら、吸い込んだ息を声に変えて吐き出す。


「君、なにを盗んだのかわかってる?」

「あ?」


 暗闇が疑問の声を返す。男は怯えて然るべきの相手が、余裕を含んだ声で朗々と語り掛けてくることに不気味さを感じているようだった。


「何が言いたいんだよ」


 男はそこでようやく、自分が肩に担いだ物の違和感に気付いたようだった。布で何重にも包まれているとはいえ、その質感はそう他にはないだろう。


「死体だよ」

「何!?」


 張り詰めた緊張が、男の喉奥をこじ開けて飛び出た。フレッドはその瞬間を見逃さず、素早くポケットから杖を抜いて暗闇に向けた。


 途端に雷光が闇を払い、目と口を限界まで開いた小汚い面が照らし出された。それは一瞬のことで、フレッドの視界はすぐに暗闇に覆われた。


 ドサリと、重たいモノが地面に打ち付けられる音がして、その後に銃声が響く。銃弾が上空で何かに当たって甲高い音を立てると、周囲は完全に静まり返った。


 フレッドは指の間で杖を回して杖先から出た煙を払いながら、男に近付く。


「夜が明けるまではそのままだよ」


 男を見下ろしながらフレッドは呟く。地面に仰向けになった男は目と口を開が開いたままの状態で身体をピクピクと痙攣させていた。


 電気ショック。魔法の威力を極限まで弱めれば相手を殺傷せずとも鎮圧できる。尚、後遺症は考慮しない。


「ひははまはららい……」

「舌が回らないのも一時的さ、すぐ治るよ。多分、恐らく」


 フレッドは男から視線を外し、傍に投げ出された死体を担ぐと、路地の外に向かって歩き出した。

 ふと、思い出したかのように足を止めて男の方を向く。


「今日、僕らは出会わなかった。君は僕から何も取ってないし、僕も君になにもしてない。そうでしょ?」

「はひ! はひ!」


 男が必死に舌を動かすのを見てからフレッドは「またね」と満足気に微笑んで踵を返す。一時はどうなるかと思ったが、こうして無事に解決できた。安堵を感じ、フレッドは深く溜息を吐いた。


 そう考えた次の瞬間、地鳴りのような衝撃音が背後で鳴り響き、その衝撃に追い立てられた土煙がフレッドの体を追い越していった。


 恐る恐る、背後に視線を向ける。それまで闇がどこまでも口を開けていた細い道が、鉄筋や木片などの残骸に塞がれている。その下に寝そべったままの男は、足だけを瓦礫の山の外に突き出していた。


 どうやら、フレッドの予想よりも随分早く、彼は痺れから解放されたようだ。


 ◇◆◇◆ 

 

 マルティアを出るのは想像以上に簡単だった。検問や積荷の確認もなく、ただ開けっ放しの門を潜るだけだったのだ。どうやらマルティア市民は自分の街に危険人物が入るのを嫌うが、自分の街から危険人物が放たれることに然程関心がないらしい。


 そうして街を出た二人はガタガタと揺れる馬車の上、先頭の御者席に横並びに座っていた。

 

 フレッドは二人の間に吊るされたランタンの光に照らされた、アリーヌの顔をチラチラと眺めた。今の彼には凛と澄ました彼女の表情が変に含みのあるものに見えている。


「アリーヌ、君の言いたいことは理解してるよ」


 フレッドは気まずい空気を払うように声を張ったつもりだったが、実際に出たのは下手をすれば木が軋む音にすら掻き消されそうな、か細く弱々しい声だった。


「思うに……君はあの盗人を僕が殺したと思ってる」


 言いながらフレッドは探るような上目遣いをアリーヌに向けた。だが彼女は相変わらず前を向いたままフレッドに視線を返さない。


「……でも、実際は違うんだ。正直僕も信じられないけど、さっき話したのが真実なんだ。あり得ないって思うでしょ? でもさ、君も知ってるだろうけど世界は偶然の積み重ねでできてるんだよ。あの男は不運で――」

「フレッドさんが魔法で痺れさせたら、弾みで銃弾が発射されて、それが偶然ベランダに直撃して、偶々ベランダが壊れて、不運にも真下の男性に落下して潰されたんですよね? もちろん、信じてますよ」


 アリーヌは前を向いたまま淀みなくハッキリとした声でそう言った。それを言葉通り受け止めるべきか、皮肉として取るべきか、フレッドには判断できない。


「フレッドさん、安心して下さい。フレッドさんは明らかに怪しい私を信じて、助けてくれました。だから私も信じています」

「そ、そっか、ありがとう」


 彼女のキッパリとした宣言は、暗にこれ以上の議論を拒否していた。それからまた、二人の間に沈黙が流れる、フレッドは座り心地の最悪な木の座席に深くもたれ掛かり、一休みしようと大きく息を吸う。


 その時、木が軋む不快な音と共に馬車が大きく揺れた。


「今度はなに!?」


 反射的に跳ね起きて周囲を見渡す。


「だ、大丈夫ですよ、落ち着いて下さい。古い橋を渡ってるだけです」

 

 そうやって、アリーヌがフレッドを宥めている間にもバキバキと木が割れるような音が断続的に鳴り響いており、とても落ち着いていられそうにはなかった。


 フレッドは馬車に垂れ下げてあるランタンを手に取り身を乗り出して足元を照らした。


 木製の板を重ねて作ったような簡易的な橋は灰色に朽ちて所々腐食していた。


「確かに誰も寄り付いてなさそうだね……」

「はい、そういう場所ですから」

「そういう場所? 一体、どういう場所なの?」

「この先にあるのは『魔女の湖』です」

 

 ◇◆◇◆


「君は足を持って。いや、頭かな? とにかく僕の反対側を持って」

「は、はい、こうですか?」

「それじゃあ、せーので持ち上げるよ」


 二人は声を合わせて重たい石を括り付けた死体を持ち上げる。


「フレッドさん、ここからどうするんですか?」

「ハンモックの要領だよ。揺らして、勢いを付けて、投げる!」

「わ、わかりました」


 二人は動きを揃えて、身体をゆっくりと左右に揺らした。その動きは徐々に遠心力のなすがままに大きくなっていく。


「次で投げるよ」

「はい!」


 白い布が湖に向かって揺れた瞬間、二人は手を離した。死体は青くなり始めた空を僅かに舞った後、吸い込まれるように水面に衝突した。重々しい音と共に水柱が立つ。それは今し方自分達が捨ててしまったモノの重さを戒めるかのように大きかった。


「沈んだね」


 フレッドは目の前で起こった出来事を無意味に反芻した。二人が見ている水面には歪んだ二つの顔が浮かんでいる。


「フレッドさん、一つ聞いてもいいですか?」

「どうしたのさ?」

「怖くなかったですか?」

「え?」


 フレッドはアリーヌの方を向く。だが彼女の表情は長い髪に隠されて伺うことはできない。


「私はずっと怖かったです。怖くて怖くて仕方なかったです。でも、フレッドさんが居てくれたからやり遂げられました」

「そっか、まあ僕も初めてだから怖かったよ」

「感謝してます。心の底から、本当に」


 アリーヌの声は震えていた。肩も握った拳も、全身が溢れ出る感情で震えていた。


「もう一つの方を持ってくるね」


 フレッドはアリーヌを一人にしようと、背を向けて馬車の方に歩き出した。


「アルマンです」


 不意にアリーヌが誰かの名を呟いた。


「アルマン・デュール。私の叔父の名前です。フレッドさんには、知ってほしくて」

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