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27. 音は下から響いている

 ルイーズが敬礼すると、椅子に掛けた痩せぎすの男が書類に向いていた視線を微かに上げた。男の皺一つない軍服には中将であることを示す襟章が輝いている。


「セルジュ・ジラールが死んだそうだ」


 男は葉巻を咥えながら微かに口角を上げ、重たそうに真っ白な口髭を持ち上げてみせた。


「存じております、ラーケル中将」


 ルイーズが答えるとラーケルは鼻を鳴らし、書類を卓上に放り投げた。


「貴様も新聞屋よりは使えるようだ」


 マルティアからおよそ東に20キロ、同じ内海に面した街クロッフルがある。クロッフルはフレンシア内海艦隊本部並びに、陸軍の南部(エクシタニア)方面司令部が存在する軍事上の要衝である。

 昨晩23時に司令部に召集されたルイーズは、翌日の0時30分にはこうして陸軍司令部のラーケル中将の執務室まで辿り着いた。


「奴の親父は、私の最初の上官だった。典型的な汚職士官でな、魔物の死骸の売却にダンジョンの盗掘、果ては軍備の横流しまで行っていた」


 ラーケルが天井を遠い目で見つめている。執務室を照らすシャンデリアの光は淡く、ラーケルの顔に深い影を作る。


「息子も親父譲りのクズだったが、それでも重要な協力者だった。違うか大佐?」


 宙に浮いていたラーケルの意識が不意に収束してルイーズに向いた。蚕の繭のような眉毛の下から射抜くような視線が覗いている。


「はい、セルジュ・ジラールは財閥の動向を探る上で重要な情報提供者でした……彼を失ったことで、戦略を多少転換する必要があります」

「ほう、貴様は重要と知っていて、みすみす殺害を許した訳か」

「申し開きもできません」


 ラーケルは瞬き一つせずにしばし無言でルイーズを見つめ、それから重々しく口を開いた。


「で、次の一手は? どうやって財閥を攻める?」

「マルティア土地会社のガストン・チャーノフを逮捕します。彼が国境を跨いだ銃火器の不法取引をした証拠は押さえています。王国の司法権が行使できるかと」

「チャーノフ? チャーノフだと! 手緩い!」


 声を荒らげたラーケルが立ち上がり、ルイーズは身を震わせた。


「あんな代替が利く小物一人捕まえたところで、一層舐められるだけだ!」

「ですが――」

「この二ヶ月近く貴様はなにをしていた! 『なにも』だ。なんの成果も上げていない! ウェルディエ首相にどう申し開きする気だ! これではモルガンが一層付け上がるばかりだ!」


 捲し立てたラーケルの顔は過熱した銃身のように真っ赤に染まっていた。彼は背もたれに掴まり、荒い呼吸を整えると、少しずつ威厳ある将校としての声音を取り戻した。


「……貴様の兄ならば、もっと大胆な策をとった筈だ。連中が、コルディエが二度と逆らえないような苛烈な方法をな、貴様もロクターヌ家の人間なら、何をすべきか理解しているだろう?」


 ラーケルがよろよろと窓に歩み寄り、カーテンを勢いよく引いた。途端に外の眩しい光が差し込んでくる。それはクロッフルから見える海に迫り出したマルティア市の街の夜景だ。煌々と輝く街のグレアが夜の空を白く蝕み、暗い水面には光の柱がクロッフルの街に手を伸ばしている。


「見ろ、あの拝金主義の結物を。空すら連中の手の中だ。あれは本来なら、我々フレンシア王国の土地、フレンシア王国の富だ。一刻も早くあるべき物をあるべきに場所に戻さねば、ロクターヌ大佐」

「……はい」

「コルディエを、マリアンヌ・コルディエを屈服させろ。我々には勝てないと思い知らせるのだ。その為には手段を選ぶな、血はどれだけ流れても構わん」


 ◇◆◇◆


 背後で扉が閉まる音を聞いて、ルイーズはようやくまともに息を吸うことができた。胃に酷い不快感がある。夕食に食べたサンドイッチが反乱を起こし今にも口から飛び出しそうだった。


「お疲れ様でした団長」


 傍から声がして視線を向けると、ジュールスが大きな身体をドアの横にピッタリと貼り付けていた。彼は厚ぼったい唇に小さな笑みを作り、どこか悼むような柔らかい視線をこちらに向けている。


「聞き耳を立ててたの?」

「はい、あなたが中将を殺すんじゃないかと心配になって」


 ルイーズは小さく声を上げて笑った。二人は横に並んで司令部の廊下を歩き出した。この時間であっても司令部は人が多く、廊下には忙しない足音が響いている。


「相変わらずここは落ち着かないですね」

「ええ、私達も明日から忙しくなるわよ」

「……何をするつもりで?」

「いろいろよ」

「へぇ、それは楽しみです」

「マルティアに戻っ……たら」

「え?」


 ルイーズが不意に立ち止まり、ジュールスが若干つんのめる。


「ど、どうされました」

「……お手洗いに行くわ。先に馬車に戻りなさい」


 ジュールスが敬礼し廊下をスタスタと歩く。その歩幅は自分と一緒に歩いている時より随分と大きい。


 ルイーズは近くの女性トイレに近づき、入り口から中を覗いた。薄暗い内部に人の姿はない。念の為、個室内も無人であることを確かめてから、洗面台の前に立ち、蛇口を捻って水を勢いよく出した。それから顔を上げ、対面の四角い鏡を見た。


「やあ、大変な目にあったみたいだね」


 ――鏡の奥で男が笑っている。栗色の髪に丸く柔和な碧眼。顔の輪郭に角がなく整った顔立ちは中性的だ。そんな青年が自分と同じ軍服に身を包んでいる。


「……お兄ちゃん」


 ルイーズが小さく囁くと鏡の向こうの兄が、エミールが目を見開く仕草で答える。


「深刻な顔をしてるね、追い詰められたって感じだ。ラーケルに酷く虐められたね。僕は君が泣き出すんじゃないかとヒヤヒヤしてたよ」

「……うるさい」

「でも腹立つだろ? いっそ、あの場で殺してやればよかったのに。思ったろ? アイツが窓際に立った時、胸ぐら掴んで外に放り投げたいって」

「黙って」


 ルイーズが鋭い声で制すと、鏡の中のエミールが大袈裟な仕草で口を手で塞いだ。


「私はケダモノじゃない」

「僕と違うって言いたいの? いいや全部同じだよ。違いと言えば時期とその時の体位くらいかな」

「何もかも違うわ。私は手柄の為に虐殺なんかしない」

「へえ、君はラーケルの命令を拒否する気なのかい?」

「上手くやれば余計な犠牲を出さずに任務はこなせる。その為の準備だってしてきた」

「ふぅん」


 と、エミールは顎に手を当て微笑する。元の美形も相まって女のように艶かしい。彼がその美形を用いてパリシアの社交界で特別な地位を築いていたのを思い出す。


「その準備とやらでジラールを消したのかい?」


 エミールが呟くのを聞いて、ルイーズは嘆息した。


「用済みだったから、それに知り過ぎてた」

「うーん、いいねルイーズ。板についてきたって感じだ」

「うるさい……好きでやった訳じゃないわ」

「でもあのアホを心底嫌ってたろ? 初対面で『家族が有名人だと辛いよな?』なんて言われて君、腹の深いところで黒い物がブクブク煮え滾ってたじゃないか」


 ルイーズは鏡から視線を逸らし、無意識に洗面台の縁を強く握っていた。狭い空間に反響する水道管の金属質な甲高い音が、意識をどこか遠くに引き剥がそうとしてくる。


「私は私情で人を傷付けない」

「はぁ、君はさっきからそればかりだ。私はしない、やらない。つまらない! もっと前向きになるといい。君は他人より圧倒的な力を持っているんだから!」

「そうやって好き放題したからお兄ちゃんは――」


 ルイーズが顔を上げる。鏡に映るエミールはどこか悲しげに口元を歪めている。彼の顔の鼻から上は消えていた。代わりに剥き出しになった骨や肉片が抉り取られた部分からはみ出して、水中の海藻のように揺れている。

 この姿の兄を見たのはほんの数秒のことであったが、未だに頭の中で腫瘍のように膨らんでは思い出を蝕み続けている。


「酷いなぁ、ルイーズ。せめて君の中でくらい綺麗な僕でいさせてよ」


 エミールは消えた部分を確かめるように手を翳しつつ、口をへの字に曲げた。


「ああ、怖がらないでよルイーズ。僕はどうなっても僕なんだよ? 君の一番の味方なんだ」

「君には、もう失う家族もいない。それに大切な仲間もいない。でも僕が付いてる」

「だから、ね? やるべきことをやろう。ロクターヌ家の当主として恥じることのない仕事を」


 ◇◆◇◆


 フレッドは大きく欠伸をする。すかさず左を見ると、アリーヌが口を閉じたままプルプルと小さく震える姿が見えてニヤリとする。欠伸がうつった。


 二人は蔦が絡まった石造りのアーチの両脇に立っている。傍目に見て、見張りだというのは明らかだ。


 二人が立つのは、マルティアから少し西に進んだ先にある忘れられた集団墓地の出入り口だ。森の中の見晴らしのいい平地に建てられた広々とした墓地は、背の高い雑草が生い茂り墓石がすっぽり隠れている。誰の目に見ても、もっとも誰も見ないのだが、ここが忘れられた地であるのは明らかだ。


「はぁ、帰りたいね」

「そうですか? こうやって自然を楽しむのも悪くないですよ」

「楽しむって……何もないんだから、楽しみようがないじゃないか」

「何言ってるんですかフレッドさん。風にそよぐブナの木、よくわからない鳥の囀り、ギリギリ怖い大きさの虫の羽音、自然は最高です」

「全然良さが伝わらないや……」


 ◇◆◇◆

 

「フン、フン、フン、フンッ、フンフンフー」


 スコップを足で押し込み、土を掬って放る。


「フン、フン、フ、フン、フフフフフー」


 スコップを足で押し込み、土を掬って放る。


「あのー」


 スコップを土に刺そうとした手を止め、マルクは振り返った。


「止めてくれないかね?」

「あ? なんでだよ。今更金が恋しくなったのか?」

「いや違う、そのおそらく鼻歌と思われるモノの方だ。悪魔だってこんな酷い音痴なら歌うのを自重するぞ」

「なら耳でも塞げよ」


 マルクはニヤリと微笑んでから、作業と素晴らしい鼻歌を再開させた。


「ああ、そうかい! なら好きにさせてもらうよ」


 リースは木に縛り付けられた身体を必死に捩ってみたが、何周も巻かれ、簀巻きのようになった縄はピクリともしない。呻きながら縄を軋ませる度に、マルクはより上機嫌に鼻歌を弾ませた。


 リースは視線を少し手前に落とし、退屈そうにしゃがみ込むイザベラを見た。


「ああ、お嬢さん。頼むよ。縄を緩めてくれ。実は持病がある。胃粘膜活性症といってね、長い間腹を圧迫されると胃液が逆流して最悪死に至る病気なんだ」


 イザベラは一瞬だけリースの顔を見て、すぐに顔を背けた。


「おーい、おーーい、聞いているのかい?」


 反応がない、もしリースの気が沈んでいたら自分が死んだのではないかと不安になる程には反応がない。


「いいさ! もし死ぬなら君にゲロをぶち撒けてやるからそこを動くなよ!」


 だが、自分でも死にたくなるくらいにリースは生き生きとしている。


「お、当たりだぞ!」

 

 その時、穴の中からマルクの弾んだ声が聞こえた。墓を荒らしているというのに、中に大金が入っていると知った途端に、何十にも梱包されたプレゼントを開けるかの如くだ。実に浅ましく思う。埋めた時はもっと厳粛な雰囲気だった。


 穴の中から、ガンガンと棺桶を叩き割る音が聞こえる。ガラガラと木片を除ける音、次にガタガタと中身を取り出す音、そして


「なんだこれ!」


 と、がなり声が響いた。マルクが自分の背丈より高い穴から這い出してくる。そして後から布に包まれた大きな額縁を引き上げた。


 彼はそれを担いで、足早にリースに詰め寄る。


「こりゃなんだ!」


 布を剥がし、額縁に収まった絵をリースに向けた。目の覚めよるような青空の下、草原で二人の若い美女が牧草を引き抜いて、それを頬張っている絵だ


「何かと問われれば絵の具と紙。もしくはアルワント・セルジューの『歯磨き』だ」

「金はどこだ!」


 名画の横から顔を出したマルクが唾を飛ばす。


「その絵だよ、三千万フロルの価値はある。1682年に描かれたセルジューの代表作だ。レアリスムの先駆け的作品で、彼の退廃的なフェチシズムが至るところに――」

「黙れ、美術の講釈なんてクソ喰らえだ。それより、この絵にそんな価値が本当にあるのか?」

「ああ!」


 とリースは力強くかつ、苦々しげに頷く。


「ただ……うーん、私はてっきり君がこの絵を見て喜んでくれるものだと思ったよ。『わぁ、本物のセルジューだ! 冒険者冥利に尽きるぜ!』って小躍りするものだと……」

「へっ、そいつが誰かも知らねえよ。売り払って金に換えてやる」


 マルクがニヤリと笑うのを見て、リースは「ああ……参ったな」と、肩を落とす。


「そこが問題なんだよ。その絵は売れない」

「あ?」

「だから売れないんだよ。一点物の貴重すぎる品だ。合法的な手段では買い手が付かない」

「……どういうことだ」

「この絵はマルティアの市立美術館に『紛失品』として登録されている。仮に市場に出せばすぐさま役人が飛んできて、君達は何日も事情聴取で拘束され更に無数の書類にサインさせられ挙句、寄贈に対する謝礼金十万フロルを握らされて家に返されることになる」


 マルクは一度リースから視線を逸らし、絵を端から端までじっくりと眺めてみた。だが彼の貧弱な感性では到底、そこに価値なんか見出せる筈もない。

 マルクは再びリースを睨み、片手をポケットに入れた。次に手が見えた時、そこに花が握られてはいないのは確かだ。


「殺すぞ」

「おお、その絵を見てそんな感想が出た人間は初めてだろうね」

「そのふざけた軽口が段々好きになってきたぜ、目を抉り出したら、なんて冗談を言うつもりだ?」

「そう、カッカするなよ。どれだけ脅されても、叩かれても金は出てこない。知っての通り、私は食う為に詐欺を働くような人間だぞ?」


 リースは縄の中でモゾモゾと動いて肩をすくめた。


「その絵は私の唯一の切り札だった。ジラールなら……ああ、君達が無教養と言いたい訳じゃない。でも彼ならこの絵を渡せばきっと、頭に(サン)が付くほどに誰にでも寛容になっただろう。私の罪も赦されていた」


「思うに」とリースは続ける。


「選択肢は四つしかない。私と和解しその絵を持ち帰って部屋に飾るか、私を殺し絵も捨てて虚しい勝利を得るか。……後の二つは組み合わせを変えたやつだ」

「待て、俺らに払う一千万はどう工面する気だったんだ」


 マルクが不意に思い出したかのように人差し指を突き立てた。彼の口調は変わらず責め立てるかのようではあったが、奥底に縋るような響がある。

 リースは天を仰ぎ、それからマルクの目を力強く見つめた。


「アンツィキーノ・ブルネッティという稀代の棺桶職人がいた。実にはこの場に彼の現存する唯一の作品がある。いや、正確にはあった」


 ◇◆◇◆


「本当に貴重な品だぞ! 丁寧に扱ってくれよ! 湿気は駄目だ! あと日光も! ……それと、人に見せびらかすなよ!」


 木に縛られたままのリースは木々の合間に見え隠れする馬車の背に向かって叫んだ。


「戻ってきてもいいんだぞ! 解放してもバチは当たらない!」


 そう叫ぶ間に馬車はすっかり見えなくなっていた。


「いいとも! 餓死したって構わないぞ! なんせここは墓場で、穴まで掘ってあるんだからな!」

 

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