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26. 二度目の賭け

「――だから言ってるだろ? 僕達も組合を作るべきなんだよ。大人達みたいにさ」

「馬鹿げてる。手元にあるのに新聞読まないの? 書いてただろ、ヴァレリーの私兵が炭鉱組合を潰したって。大人で無理なら子供じゃもっと無理だ」


 列の最後に並び眼前の会話に耳を傾け、マフラーに鼻を埋めて息を吐く。温かい空気が一層、凍えた鼻先の感触を鮮明にした。マルクはすっかり熱の逃げた身体を揺らしながら、列の先にあるカウンターのカーテンが開くのを待っていた。


(でも……じゃあ、この死体は放っておくの?)

(二人は担げないでしょ?)


 ……今日は朝から鈍い頭痛がする。きっと寒さと飲み過ぎたワインが原因だ。


「……じゃあ、新聞配達員は永遠に搾取されるしかないの?」

「この仕事を年取っても続けるつもりならね」


 ボーっと会話を聞いていると、気を持たせるような重く間延びした鐘の音が鳴り響いた。受付の赤いカーテンがサッと開き、途端に列に並んでいた子供達は前を向く。


「よぉし、ガキども仕事だ」


 カーテンの奥から現れたのは、到底子供受けしそうにない薄らハゲた中年の男だった。子供達は順番に男の前に進むと、4桁の配達番号を伝え、配達分の新聞を手早く受け取る。


 それから五分もせずに、順番は回ってきた。


「0654」


 マルクがカウンターに腕を乗せ番号を伝えると、男が顔を上げた。たちまち、浮腫んだ丸茄子のような赤ら顔に笑みが広がっていく。


「待ってたぞ『悪童(ベンゲル)』」

「待たせたのはそっちだろうが」


 舌打ちをしてテーブルを人差し指で叩くと、男は丸めた新聞を一部差し出した。


()()()は中に入ってるよ。いつもと同じ解読法で読めるはずだ」


 新聞に視線を落とす。『1883年1月10日』その数字の羅列はいつも違うはずなのに、いつもと何ら変わらない。

 新聞を眺めてみたが、頭の中で文字が繋がらない。何もかも漠然で判然としない。


「……何か面白いニュースはあるか?」

「はあ……お前さん、それ毎日聞くよなぁ? 自分で読めよ」

「そんな暇じゃねえんだ」


「そうだなぁ」と渋々、男は手元の新聞を広げて目を細めた。


「おっ、いいのがあるぞ。この街にルテリアから奇術師が来るらしい。セルゲイ・ブグレンコフ。口から氷を飲み込んでケツから火を吹くんだと」

「それのどこが面白いんだよ……」

「トロスじゃそう滅多に珍しいことなんかないよ。まあ、アンタの頑張り次第で夕刊は多少面白い仕上がりなるだろうな」

 

 男が皮肉っぽく笑い、マルクは顔を顰めた。


「うるせえよ」

「しけた面するなよ。この仕事に不満があるならマルセルと仲直りすればいい。親父代わりだろ?」

「うるせえ……」

「そういつまでもヘソを曲げるなよ。アンタは才能もコネもある。なんで使わないのか――」


 マルクはポケットから手を抜いて男に向けた。握り込んだ拳銃の引き金を引き、男の額に穴が空く。


「おやぁ?」


 男は額に空いた穴に触れ、指先に付いた血を見て興味深そうに首を傾げた。男の白目が赤く染まり、顔色は急速に褪せていく。


「相変わらずお前は短気だよマルク。そうやってあの時も俺を撃ち殺した。確か俺が口を滑らせたんだよな? お前をチビだって言って」


 男が悲しげに唇を噛んだ。鼻から流れ出た一本の血の筋が厚ぼったい唇の上に溜まっている。


「ゴミみたいに撃ち殺されて、他人の棺桶に突っ込まれて埋められたんだよな」

「……セルゲイ・ブグレンコフ」

「覚えてるよな? 変な名前のルテニア人の棺桶だったからよ。でもお前、俺の名前は知らないだろ?」


 微笑んだ男の鼻が崩れ落ち、眼球は眼窩の内側に滑り落ちていく。男の身体が溶け出して、グズグズとした肉の塊に変わる。


「戻って来ちまったなマルク。あれだけ後悔したのによ」


 コンソメの匂いが周囲に漂っている。


 ◇◆◇◆


「はてさて、どちらかな?」


 リースは差し出された二枚のトランプを交互に撫でる。その繊細でイヤらしいタッチに、アリーヌはカード越しでも身震いした。


 執務机を挟んで向き合った二人はかれこれもう四時間は睨み合っている。時間を擦り潰すのにカードゲーム以上のものはない。しかもカードは世の一般的な理に反し、シンプルであればあるほどに時間を効率的に消費できる。その点、ババ抜きは劇薬だ。


「ところでアリーヌ、君は大事な物は最初に食べる?」

「は、はい?」

「例えばタルトの上に小さいスモモが一つ乗っていたとして、それはどのタイミングで食べる?」

「そ、それは……さ、ちゅ、中間です! タルトをちょうど半分食べたくらいで食べます!」

「本当ぉ?」


 リースが口の端を吊り上げた。見透かすような紫色の瞳がシャンデリアの光で怪しく輝いている。アリーヌは息を整え、視線を返した。これは心理戦だ、質問に意味なんかない。意味のないことを言って動揺を誘っているんだ。だから、だから動じることなんかない。


 アリーヌは肘を前に突き出し、カードを引くように促した。リースは「ふむ」と愉快気に鼻を鳴らし、アリーヌから見て右のカードに触れた。


「こっちかな? それともこっち?」


 リースの指が二枚のカードの上をスキップする。アリーヌは顔に力を入れて、少しも表情に変化が出ないように努めた。


「これだ」


 リースが右のカードを掴んだ。「あ!」と、思わず指に力が入る。顔を上げると、彼女の口の端は微かに持ち上がっていた。


「君はあまりにも分かりやすい」


 右のカードが引き抜かれ、リースが手元のカードと合わせて、テーブルに投げ捨てた。


「私の三十二勝目だ」


 リースが掌を見せびらかしながら、椅子にもたれ掛かる。アリーヌは手に残ったジョーカーを握り潰しそうになるのを堪えて、そっとテーブルに置いた。


「ではでは、次は何をもらおうかな……これだ」


 伸びた細い指が卓上の羽ペンに絡み付き、攫っていく。


「か、勘弁してください……」

「おや、不思議だな。対等に賭けたはずなのに、負けた途端に奪われたみたいな態度をとるのかね?」


 イヌワシの羽先を指で弄びながら、リースが微笑する。彼女の周りを文鎮定規にステープラーまで、様々な文房具が飾っている。対してアリーヌにはポストカードを書く能力すら残されていない。


「さあ、もう一勝負といこう。それとも諦めるかい?」

「いえ、いいえ、諦めません。次は私が勝ちます。勝って、その妙ちきりんな青い帽子を貰います」

「おお、高貴さと無謀に」


 リースが冷めたコーヒーを掲げるのと、ドアベルが鳴るのが同時だった。

 外の冷たい空気と擦るような重い足音がドアの隙間から入り込んでくる。振り返るまでもなく嫌な予感がした。


「やあ、ただいま……」


 視線を向けると、腰を曲げたフレッドがバツの悪い笑みを浮かべている。彼の背中には薄汚れた海鳥の死骸みたいに、ぐったりしたマルクが背負われている。


「どうしたんですか?」


 立ち上がったアリーヌを無視して、フレッドはソファーに向かって歩き出した。彼が前に進むと背後に隠れていたイザベラの姿も見えた。


 フレッドはマルクをソファーに座らせると、その横にぐったりと座り込んだ。イザベラもフレッドの横に座る。アリーヌとリースはその対面に腰掛けた。


「見たところ、万事順調とはいかなかったようだ」


 リースが懐の入れ物から葉巻を取り出して咥えた。

 

「フレッドさん、マルクさんは大丈夫何ですか?」

「ああ、うん。気を失ってるだけだよ」

「そうですか……それで、どうなりました? ジラールさんは納得してくれましたか?」

「ん? うーんと、ね、えっと」

 

 俯き加減でフレッドはブツブツと呟く。彼はさっきからずっと目を合わせようともしない。何か隠そうとしているというのは明らかであり、何も隠せていないことに気付いていないようである。


「死んだ」


 フレッドの横からイザベラが明瞭な声で言う。その思い切りの良さのせいで実感が追いついてくるまで時間が掛かった。


「……死んだ?」


 かろうじて出た声は掠れていた。


「何てことだ。それは一大事だ」


 と、リースが何でもなさそうな語調で言う。


「私は説得するように言ったのに……いや待て、説得っていうのは隠語なんかじゃないぞ? 誰も殺せなんて頼んでない」

「確かに交渉は上手くいかなかった。でも私達は殺してない」

「ほう、じゃあ何かね、君達にビビって心臓発作でも起こしたのか? 階段から足を滑らせたとか?」

「私達と争いになって、酒場の裏口から逃げようとしたところを殺されたの。誰がやったのかは知らない」

「よりによって今日暗殺されるとは、酷い偶然だ」


 リースは葉巻に火を付け、口から煙の塊を何度か吐き出す。正面に座るイザベラが、灰色の煙の向こうを見据えるように目を細める。


「ええ出来過ぎてる。アンタが私達に依頼した途端に死ぬなんてね」

「ああ……お嬢ちゃん。私は可哀想な奴でね、昔から運がないし、よく勘違いされる。誓って言おう、私は何も、なーにもしちゃいない」


 アリーヌはイザベラとリースを交互に見比べた。相手を睨み据えたまま瞬き一つしないイザベラと、目を瞑り煙を吐くリースは対照的なようで、相手への敵意を隠していないという点で一致している。


 ふとイザベラの横を見ると、目を大きく見開いたフレッドが「何これ?」と言いたげな視線をこちらに送っていた。


「私達はジラールと一緒に居るところを見られてるだから――」

「うわぁ!!」


 突如、その場の空気を引き裂くように悲鳴が響き、気を失っていたマルクが飛び上がった。連鎖するようにフレッドも「ふぇ!!」と奇声を上げた。その声があまりに情けないおかげで、アリーヌは喉元まで出かけた「きゃあ!」を飲み込むことができた。


 立ち上がったマルクは真っ赤な顔に大粒の汗を浮かべ、しきりに周囲を見渡していた。が、その顔は見る間に青ざめていき、洗面所に向かって走り出した。

 時間にすれば、ほんの一瞬だったが場が白けるには十分な衝撃だった。


「まぁ、話の続きだが」


 洗面所に視線を向けたまま、リースが咳を払いをする。


「君達の懸念は、ジラール殺害の罪を着せられることだろう? その点に関して言えば問題はない。君達が殺していようがいまいが、罪には問われない」

「どうしてそう言い切れるの?」

「言い切れるから! なんて説明で満足してはくれないかい? ……経験上、ジラールのような奴は殺されるにしては少しばかり大物過ぎる。だから、一週間後の朝刊辺りでしれっと病死が報じられる筈だ」

「誰の意向なの?」

「さあ、私もそんなの知らない。まあ、上品な人間は水面に石が落ちるのを嫌う」


 イザベラが明らかに納得していない様子で唇を噛んだ。


「目撃者が大勢いるのよ」

「大勢? それはこの街で新聞を読む三十二万人より多いのかね?」


 リースが深く葉巻を吸い、一際濃い煙を吐き出した。


「仮に小さな街で大量殺人が起きようが、大富豪が殺されようが、メディアが報じない限り誰も気にしない。残念ながら今回のことで君達は新聞の主役にはなれないさ」


 リースが「これ以上言うことはない」と言いたげに両手を広げてみせた。しばし全員が黙り、マルクのえずきに耳を傾けた。


「こんな話より重要な話題があるだろ?」

「なによ?」

「報酬だよ! 君達の報酬について話し合おう」

「話し合う? 既に決めた筈でしょ」

「いやいや、満額は出せない。なんと言ったってジラールは死んだんだからね。私は殺せとは言ってない」

「……私達は殺してないし、それに和解金を払う必要もなくなったんだから、却って儲けたでしょ? むしろ報酬を多く払うのが筋じゃない?」

「それは鼻風邪の奴の鼻を切り落として、これで鼻をかむ必要はないというのと同じさ。……うーん、報酬は二百万フロルってとこだ」


 イザベラはリースから視線を外し、緩慢な動作でフレッドに首を向けた。


「今日の晩御飯は何かしら」


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