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25. 魔術師の古く悪しき風習

 シャーロットの杖からコルクが抜けるような軽やかな音が鳴り空間が微かに歪んだ。フレッドが微かに身を捩ると、透明な弾丸が顔の横数ミリを掠めた。反撃で雷撃を放つが、シャーロットは飛び退いて身を躱した。フレッドは相手が大勢を立て直す前に、大きく前に踏み出す。


 立ち上がったシャーロットは距離を詰めに掛かるフレッドに応じるように左手で腰に収めたナイフを抜き、逆手に構えた。フレッドが二歩目で眼前まで飛び込んでくる瞬間に薙ぐ。横に振られたナイフは、フレッドの髪の先を微かに切り落としただけだった。屈んでナイフを躱したフレッドは杖を女の無防備な腹に向ける。


 その時、不意に破裂音が鳴り響き足元が崩れる。身体が地面に吸い込まれつつある中、フレッドは女の杖が地面を向いていること気付いた。そして、この店が随分と古いことも――


 ◇◆◇◆


「あああ! チクショウチクショウ、チクショウ!」


 ジラールは出血した左肩を庇いながら、廊下を走っていた。また、横を氷の刃が掠める。振り返ると、あの殺人人形のような小娘が杖をこちらに向けている。

 

 ジラールが銃を向けると、彼女は素早く扉の淵に収まって、視界から消える。


「この! 何なんだよ!」


 ジラールは闇雲に後方に銃を乱射しながら、ようやく辿り着いた眼前の扉を蹴り開けた。すると扉の隙間から気の抜けたピアノの演奏が吹き込んできた。扉が開き切ると、ラウンジで酒を飲む客達が惜しげもない視線をジラールに向けていた。


「何見てんだ! 酔っ払いが!」


 ジラールが銃を向けると客達が一斉に両手を上げた。手を上げた全員がグラスを握ったままなのを見て、こんな状況でも乾いた笑いが出る。


 客達を無視して階段に向かい、転びそうになりながら駆け降りる。すれ違った女性が悲鳴を上げ、小柄な男と肩がぶつかったが、気にする暇はない。


「うぉ、おい、おぅい! この間抜け!」


 ぶつかった男の、ゲロのような呂律の回らない怒声がジラールに浴びせらる。自然と足が止まり、拳銃を握った手に力が籠る。喉元まで競り上がっていた怒りが、遂に吹き出したのだ。


「何だとこのクズがぁ!」

 

 ジラールが振り向き、男に銃を向けた。相手の怯えた顔を拝む前に視界が大きく揺れ、足元がグラつく。顎に鈍い痛みを感じたその直後には、階段を転げ落ち、ゲロとションベンが染み込んだ床にキスをしていた。


 視界が明滅し、身体中に鈍い痛みが走る。


「おまえ、あれだな、なんとかジラールだろ? へへ、あのバカども、しくじりやがったなぁ?」


 皮肉なことに男の言葉がジラールの意識を繋ぎ止めた。コイツもあの二人の仲間だ、逃げなければ。何とか立ちあがろうと両手をついて――


「おい、手伝ってやるよ」


 髪を掴まれ無理矢理に引き起こされる。


「い、痛い! や、止めろ!」


 膝立ちの姿勢になったジラールは白い髪の男の、微睡んだ目を見て戦慄した。年中酒場で暮らしているジラールには、それが理性まで飲んじまったケダモノの目だと一目で分かったからだ。


「おい、金持ち野郎。ちょっと遊ぼうや」


 男が霧状のワインのような息を浴びせ掛けながら微笑み、カウンターまでジラールの髪を引っ張っていく。


「や、止めてくれ! リースのことは忘れる! か、金だってくれてやるからぁ!」

「うるせえ!」


 男がジラールの顔をカウンターに叩き付け、高い鼻が折れ、白い前歯が口内を跳ね回る。


「俺はなぁ! 金よりも大事なもんを知ってんだよぉ!」


 男がうわ言を吐きながら、ジラールの襟を掴んでカウンター上に放り投げた。投げられたジラールはグラスよろしくカウンターの上を滑り、バーテンの横に転げ落ちた。


「こ、こ、この、イカれ野郎……」


 縁に右手をつき、左手は折れた鼻を確かめながら立ち上がる。父親譲りの自分のタフさに感心したが、そんな暇はない。あのイカれた酔っ払いが、アンデットのような不恰好な動作でカウンターを乗り越えようとしているのだ。


 ジラールは立ち上がり、ボトル棚を倒しながら、厨房に繋がる通路を曲がる。あれだけ煩わしかった油でベタついた壁は手を付いて前に進む上でのいい滑り止めになった。


「なんで俺が……」


 ジラールの口から自然と恨み言が漏れる。そう、何故自分がこんな目に遭わなければならないのか。産まれながらに地位も金もある、この俺が。


 四角い厨房は中心に大きな作業台があり、四辺を囲うように調理設備が設置されている。厨房にジラールが入ると作業していた数人の料理人が振り向き、固まった。


「お前ら、どけ!」


 ジラールが叫ぶと料理人達は一目散に厨房の左奥の通路に飛び出していった。あの通路はバックヤード全体に通じており、真っ直ぐ進んだ先に裏口がある。そこからなら逃げられる。


 歩き出そうとした瞬間、肩に手が置かれた。冷や汗が伝う間もなく、振り向かされ、顔面に拳がめり込んだ。殴られたジラールはよろめき、後ろの作業台に手を付いた。続け様に飛んできた蹴りは身体を捻って紙一重で躱した。


 ジラールは作業台を盾にするように男の対面まで逃げる。


「鬼ごっこみたいで楽しいなぁ、おい」


 向かい合った男が赤ら顔に皺くちゃの、悪魔すら関心するような笑みを浮かべていた。


「お前、そこから裏口に逃げたいんだろ?」


 男が彼から見て左にある通路を指差し、そして次の瞬間には、台の縁をなぞるように左側に移動した。ジラールも慌てて男の対面に逃れる。脱出への道は呆気なく男の背に塞がれた。


「ああ、くそ……」


 今来た道を引き返そうにも、思惑がバレている以上できそうもない。もう戦うしか……いや、それだけは無理だ。


「おら、捕まえちまうぞ!」

「ひっ!」


 男が横移動で作業台の周りを移動する。ジラールも慌てて移動した。二人は左右に忙しなくステップを踏む間抜けなダンスを踊りながら一定の距離を保ち続ける。数十秒その動きを続けた後、痺れを切らしたマルクがコンロの上の、中でコンソメが煮えた小鍋を手に取った。


「そそそ、それだけは駄目だ!」

 

 ジラールが手を前に出したのと同時に、視界一杯に広がった金色のスープが襲いかかってくる。


「あつうぅ!!」


 大きく飛び上がったジラールの耳に下品な笑い声が響く。


「ハハハ! いい匂いすんなあ! どれ、味見してやるぜ!」


 男が台を乗り越えようと右足を掛けた。足に力を入れ、体を持ち上げた瞬間、飛び散ったコンソメスープが「キュッ!」と甲高い音を立てる。


「あ」


 足を取られた男の頭が、台に激突する。その大きな音が他の音を喰ったかのように、辺りは静まり返った。


「え?」


 ジラールは台にうつ伏せに寝そべって動かない男を、ジッと見つめた。次第に恐怖に隠れていた怒りが顔を出して、傍に積んであったエビのフリットを一つ手に取り、男の頭に投げ付けた。ホントはもっとやり返したいが、目を覚まされてはたまらない。


 打撲に火傷、裂傷。今の自分を見たら死んだ親父も「女々しい弱虫」とはきっと言わないだろう。不思議と清々しい気持ちで、ジラールは傷付いた体を引き摺りながら、通路を進む。裏口の窓からは街灯の淡い光が手招きしている。


 ここを出て傷を癒したら、雇えるだけの殺し屋を雇おう。今回の件に絡んだ連中を全員捕まえて、クロワッサンみたいに肉を少しずつ引き千切って殺してやる。


 ドアノブを回し、外に飛び出した。外は、外は酷く暗かった。暗くて何もない――何も。

 

 ◇◆◇◆


 ――ジラールを追うイザベラが二階から見たのは、ジラールがグラスのようにカウンターを滑る姿だった。そのくらいで驚く彼女じゃなかったが、それをやったのがマルクであると気付いて、流石に開いた口が塞がらなかった。


 慌てて階段を駆け降りたその時、天井の一部が音を立てて崩れ落ちた。瓦礫が地面に叩き付けられ、粉塵が周囲を舞う。


 幸いな事に真下に人はいなかった。さっきまで騒いでいた酔客達は不意に(アルコール)を抜き取られたかのように静まり返り、固まっていた。


 少しして巻き上がった粉塵が晴れると床に散らばった瓦礫に埋もれた、二つの人影が見えた。目を凝らすまでもなく、イザベラには誰なのかわかった。


 フレッドが、寝起きのように身を捩りながら、フラフラと立ち上がった。切れた額から血が流れているが、他に目立った外傷はないようだ。


 ジラールの子飼いの女。シャーロットは降りかかった瓦礫を払いのけていたが、未だに立ち上がれそうにない。遠目に見ても酷い状態である。太い木材の破片が左腕や腰に突き刺さり、全身から出血していた。何より致命的なのは白目が真っ赤に染まっていることだ。これは魔力の使い過ぎで起きる生理現象の一つだ。つまり『燃料切れ』である。


 イザベラは思わず安堵の溜息を漏らす。負けないとは思っていたが、やはり結果が確定しない限り少しは心配なものだ。

 

 イザベラはようやく騒めきだした人波を躱しながら、立ち尽くしたフレッドの傍に駆け寄った。


「フレッド、大丈夫?」

「ああ、うん、ああ、また頭打っちゃった……」


 下から仰ぎ向みると、フレッドは焦点の定まらない目で倒れた女見据えていた。


「僕、頭壊れてないか心配なんだ」

「大丈夫よ、単純な物は頑丈なんだから」


 その時、シャーロットが緩慢な動作で立ち上がった。イザベラはフレッドから三歩離れる。勝負はまだ付いていない。フレッドが一歩も動かず、彼女から目を離さないのがその証拠だ。


「一か八かだったけど……上手くいったね……へへ」


 前屈みになったシャーロットが口を歪めて笑う。口からは血が滴り落ちており、口の端が裂けたかのようにイザベラに見えた。


「もう、限界みたいだね」

「いやぁ? まだまだ遊び足りないね」


 シャーロットが掠れながらも弾んだ声を出し、右腰に刺さった杭のような木片を引き抜いた。その際の呻き声は苦痛と喜びで上擦っている。


「あと……あと一発ならやれる。付き合ってくれるね?」


 シャーロットは右手で引き抜いた細長い木片が握り締めた。血で濡れ、先端が鋭く尖ったそれを彼女が杖代わりに使う気なのは明らかだ。


「なぁ、ミスター、一撃で決めよう……古いやり方……知ってるよな?」

「えっ、ん?……ん?……うん」

「おいおい、決闘だよ。うーん、せっかくだしマルティア式でいこう」

 

 シャーロットの真っ赤な目がギョロりとイザベラに向く。その恐ろしい姿は既に地獄に馴染んでいる。彼女が口にした「決闘」という単語に周囲が微かにたじろいだ。


「お嬢ちゃん。ワインボトルを持ってきてくれるかい? 中身が満杯に入ってるやつだ。これも決まりごとだから守れよ」

 

 イザベラは従い、近くのテーブルに置いてある封の空いていないボトルを手に取る。彼女は対面した二人を交互に見ながら二人のちょうど中間の、射線を遮らない位置に立つ。


「いい子だ。じゃあ、お前のタイミングで瓶を床に落とせ、瓶から割れたら合図さ」


 ボトルを胸の高さまで持ち上げると、額に汗が伝うのを感じた。身体が強張り、息を吸うのも慎重になる。緊張は酒場全体に広がっていた。誰もがこの神聖な儀式を邪魔することを恐れているのだ。決闘を行使するのは魔法使いに残された数少ない権利だ。


 イザベラは伸ばした手が震えるのを感じた。ボトルは彼女の手の中で不安定に揺れている。落とすことが役目なのに落とすことを恐れている自分がいる。


 空気が張りつめている。向き合った二人の殺気が膨らんでいき、それがぶつかり合った瞬間、イザベラは手を離した。


 ボトルが垂直に地面に落ちていく。地面に当たるその瞬間、空気が弾けた。


 ――カンッ、という音が鳴りボトルは割れずに底から着地した。


「あ」


 イザベラが呟くのと、二人が止め切れなかった半端な魔法を放つのが同時だった。シャーロットの空気砲がフレッドの額に命中し、「ペチッ」と音を立て、フレッドの雷の糸がシャーロットの首に当たり「パチッ」と鳴る。


 フレッドは尻餅をつき、シャーロットは身体を震わせながら倒れた。

 

 銃後を静寂が統べる。イザベラはキョロキョロと周囲を見渡した。周りの全ての視線が物言いたげで、フレッドすらも困ったような顔を向けてくる。


「何よ、何なのよ」


 イザベラが両手を広げる。


「どうしろって言うのよ!!」


 ◇◆◇◆


「うり、うりうり」


 フレッドはエビのフリットを頬張りながら杖の先で作業台に寝そべったマルクの尻を突いた。


「死んでる訳じゃないよね?」

「ええ、いびきかいてるし」

「イザベラ、マルクを床に落としたら? 立つかもよ」


 背中を殴られながら、フレッドはマルクの尻を一定のリズムで突き続けた。その時、マルクがガッと顔を上げた。彼は充血した目で周囲を見渡すと掠れた声で


「あれ? 見張り……」


 と呟いた。


「はぁ、酔いが覚めたみたいね」

「えーと……俺は?」

「マルク、逃げられちゃったみたいだね」


 フレッドが言うと、マルクは顔を顰めてからハッと身を起こした。


「あのクソ野郎……裏口だ」


 彼は寝惚けた足取りで狭い通路に向かった。フレッドとイザベラは顔を見合わせ、彼の後を追う。


 狭い通路を進むと、外からの淡い光に縁取られたマルクの後ろ姿が見えた。


「マルク?」


 彼の肩に手を置くと、不規則で乱れた呼吸が振動となって伝わってくる。


 彼の視線の先を覗き込むと、あの赤いジャケットを着た男が地面に倒れていた。男の頭は破裂したかのように潰れており、地面に広がった赤い血がジャケットと一体化し身体が溶けだしたかのように錯覚させる。


 街灯が点滅して、マルクが後ろに倒れた。

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