24. タラのフリット、ジャガイモ、白パン
石造の道を歩く足音は軽やかで小気味いい。あの貧民街のベタついた悪路を経験した後だと尚のことだ。
フレッドは歩きながら、目の前で揺れる赤い髪をボーっと見つめていた。不遜に揺れるそれは竜の尻尾みたいだ。
「ねぇ、フレッド」
イザベラが不意に立ち止まり振り返る。突然のことにフレッドは前につんのめりそうになった。
「きゅ、急に止まんないでよ!」
「道ってこっちで合ってるの?」
「え? 合ってるんじゃないの? 僕ずっと君の後を歩いてるだけだからさ」
「アヒルの子供みたいね」
「違うよ」
言わんとしたいことはわからないが悪口なのはわかった。フレッドはベストの胸ポケットに手を入れて、マッチ箱を取り出した。リースから貰った目的地の酒場のマッチ箱だ。
「『ゴブリンの耳亭』1763年創業。メズリー通り8の31」
フレッドはマッチに書かれた情報を指差ししながら読み上げ、それから通りの標識に指を向けた。
「メズリー通り6の27」
「で、どっちが8なの?」
「えっと……見てないや。一回戻ろう」
「もういい、行くわよ」
呆れたように溜息を吐き、イザベラは歩き出した。フレッドは背中をジッと見つめ、それから叫んだ。
「君だってわかってない癖に!」
リースの依頼を受けた翌日、二人は日が落ちかけた時間を見計らって屋敷を出て、トラムに乗って通りまで来た。
メズリー通りは旧市街地の中心を縦断する大通りである。市が大規模な拡張を行い新市街地が形成されるまでは街で最大の目抜き通りであった。現代でも新旧市街地を繋ぐ背骨として重要な役割を持ち続けており、議事堂やコルディエ銀行の本社などの威厳ある建物が立ち並んでいる。
メズリー通りには、歴史のある建造物が数多く存在する。ゴブリンの耳亭もその一つであり、この酒場で共和国憲法が発布され、フレッド・ロスとカール・ロイヒャー・チーグラーは決闘を行った。この場合のフレッド・ロスは無論、今し方、店の看板を見つけ「あ!」と間抜けな声を上げている彼ではない。
「イザベラ、ここだよ! やったね、たどり着いた!」
二階建ての建物は古ぼけた洋館のような外観で、窓から仄かな灯りが漏れている。
「想像よりも綺麗だね」
「痰壺が金なのと同じ理由よ」
ズケズケと外階段を上るイザベラの後にフレッドは続いた。赤い二枚扉の前に立った時点で人々の騒ぐ声が漏れてできて辟易する。一息置いてイザベラが「ようこそ」と書かれた看板の吊り下がったドアを押し込むと、一瞬の内に喧騒の波が二人を飲み込んだ。
人々は笑い、怒鳴り、杯を掲げ、ピアノやヴァイオリンの演奏が競い合うかのように鳴り響いている。そしてそれら人々の愚行を晒し上げるかのように吹き抜け天井のシャンデリアが、ウイスキー色の光を発していた。その場にいるだけで皮膚からアルコールが染み込んでくるようだ。
フレンシア軍一個大隊丸々収容できそうな広々とした室内には四から八人掛けのテーブル席が並び、奥にはサンドワームのように長いカウンター席がある。二階に上がる階段は室内の両脇に二つ、例のジラール氏が貸切にしている個室があるのも二階だそうだ。
フレッドは一階のテーブル席に視線を巡らせた。少しして目的のモノを見つけ、イザベラの手を引いてそちらに向かった。
酒場の端っこ、小さなテーブル席。そこに突っ伏して寝ている男がいる。
「ちょっと……ちょっと、マルク!」
フレッドがテーブル叩くとマルク「んがぁ!?」と鼻と口の間から音を出した。
マルクは充血した目で左右を見渡してから、卓上の酒瓶に手を伸ばす。咄嗟にフレッドがその手を叩く。
「痛えな……」
「このクズ、何してんのよ」
二人は椅子に腰を下ろしマルクと向かい合う。
「君の仕事は見張りだろ。それなのになんだよ。楽しんじゃってさ」
「あ、あのな、あのな、ここは酒場だぞ馬鹿野郎う。酒も飲まずにボケっっっとしてたら、怪しまれるだろうが」
「だからってワインを三本も飲む必要ないだろ!」
フレッドが卓上のワイン瓶を逆さにしながら呟く。
「ん……瓶は六本あるぞ? で、お前はなんで二人いる?」
「もういいわ……で、例のお坊ちゃんに動きは?」
「いや、ずっと見てたが姿は見てない」
「君、突っ伏してたろ?」
「見てたって言ってんだろ、この目でな!」
その目とやらは赤くトロンとしていて、今の自分の滑稽さすら直視できない代物だ。
「はぁ……誰が見張りを見張るのか。こんなことなら、アリーヌに禁酒同盟のプラカードを持たせて見張ってもらう方がよかったわね」
「アリーヌ、自分だけ留守番でだいぶトサカにきてるだろうからね。失敗なんかしたら……もう」
「ま、こうなったらジラールがまだ二階いることに賭けて動くしかないわね、行くわよフレッド」
イザベラはそう言って立ち上がるとマルクに目もくれず雑踏に向けて歩み出した。その時マルクが右手を挙げた。何か激励でも述べるのかとフレッドは期待したが彼が「ウェイター!」と叫ぶのを聞いて、フレッドは心置きなくイザベラの後を追った。
イザベラは自分よりも一回りも大きい人間が踊り、暴れ狂っているのに怯みもせず、酒場の中をズンズンと進んで行く。その頼もしさに感動するのと同時に、この惨状を子供に見せることが、大人代表として何だか情けなく感じる。
何とか人波を掻き分け、二階に続く階段を上がった。そこから更に奥に進み、金の装飾が施された扉が見えた。扉の前ではモーニングコートを羽織った髭面の筋骨隆々な大男が仁王立ちしており、明らかに「お呼びでない」という雰囲気を醸し出していた。現に酔っ払い共もそこだけは避けるように回遊している。
アリーヌは男の眼前まで突進し、フレッドも彼女に続いた。突然現れたチビ二人に大男は首を傾げ片眉を上げた。
「フレッド」
イザベラが呟いて人差し指を鳴らす。フレッドは事前の打ち合わせ通りに、イザベラの脇の下に手を入れて彼女を持ち上げた。これで大男と何とか目線が合う。
「ジラール氏に会わせてほしい」
単刀直入にイザベラが言う。あまりに珍妙な二人が直球な要求をしたせいで大男は「あ、え」と鼻頭を殴られたように動揺している。
「ジラール氏に会わせて」
「お、お前らなんなんだ?」
「重要な話があるの。通してくれる?」
「せ、請願か? それなら後日に……」
「重要っていうのはジラール氏にとってって意味よ。早く会わせて」
大男は未だに初撃の衝撃から立ち直れないようで、頭が働いてないようだ。
「うーん……一旦相談して――」
「いいデカブツ」
イザベラが男の鼻先に人差し指を突き付ける。
「私は重要って二度も言ったわ。それなのにアンタはこうやってマゴマゴして私を足止めしている。これは私にとってもジラール氏にとっても損失よ。どうやって補填する気?」
立ち直る間もなく問い詰められた大男は、いつの間にか小さく丸まった背を二人に向け、扉を開けた。
「付いてこい」
男が渋々、二人を先導し青い絨毯が敷かれた長廊下を進んだ。廊下は長く、途中部屋が何個もあったが人の気配は少しも感じなかった。暫く歩いて最奥の扉のまえで大男は立ち止まる。彼は四回扉をノックして、慎重にドアノブを捻って押し開けた。
「ムッシュ、失礼します。客人が……いらしています」
大男に続き、フレッドとイザベラも室内に入った。薄暮時の室内は薄暗いにも関わらず、光源は卓上の蝋燭しかない。その光に照らされた妙に血色のいい男がゆっくりと顔を上げた。
「誰だ?」
ソファーに掛けた男は膝に肘を付き、値踏みするような視線を二人に向けた。赤いジャケットにベストの男は口元にペンシル髭を生やし、髪はポマードで撫で付けてある。見るからにお坊ちゃん、見るからに金持ち。少しは隠した方がいい。
「ムッシュ・ジラール。重要な話があるの」
イザベラが一歩前に出た。
「フェルナンドなんでこんなガキ通した。話って? 孤児院のおもちゃを増やして欲しいとか、日曜学校の神父がケツを撫でてくるとか?」
ジラールは鼻で笑いながら煙草を咥えた。
「リースの件よ。話をつけに来た」
イザベラが言うと、マッチを手にしたジラールの手が止まった。彼は咥えた煙草を手に取ると、今度は顔の深い部分で笑みを作り「座ってくれ」と対面のソファーを手で示した。
「ああ、その前にフェルナンド。ボディチェック」
ジラールに促され、フェルナンドは太い手でフレッドを足から順に弄り始めた。その度にフレッドが「オヘ」とか「ヒヒ」と声を上げたがジラールは気にせず、しっかりと杖二本とゴミ400グラムを押収した。
次にフェルナンドがイザベラに向き直る。イザベラはベレー帽を脱いで準備万端だったが、ジラールが「待て」と野太い声で静止する。
「エスパーニュの山男に紳士的な振る舞いを期待する方が間違ってたのかな? そのマドモワゼルに触れるな」
「……失礼しました」
フェルナンドは頭を下げ、ジラールの背後に下がった。イザベラとフレッドはジラールの正面にゆっくりと腰を下ろす。
「で、どっちが話してくれるの? 目つきが悪いお嬢ちゃんか? 頭の足りなそうな君か?」
「私よ」
イザベラが呟く。事前の打ち合わせで決まっていたことだ。アリーヌがリースを見張り、マルクがジラールを見張り、イザベラが交渉役、フレッドは用心棒。役割を決めたのはイザベラだ。目的は相手にリースへの報復を諦めさせること。交渉材料は和解金三千万フロル。
「私は余計な長話は嫌いなの。だから本題から入るわ。私達はリースの居場所を知っている」
「ほう」
「で、貴方にその場所を教えてあげてもいい」
「え?」
思わずフレッドが声を出す。二人の視線が同時に向いて、フレッドは気まずさに耐え切れず咳払いをする。
「場所を知ってるんだ。俺が探しても見つけられなかったのに」
「ええ、今は簀巻きにして私の仲間が見張ってる。大きな傷もないし受け答えも明瞭よ」
「ふーん。で、報酬は?」
「四千万フロル。でも貴方からは貰わない。リースが持ってる筈だから。私達はそれを貰えればいい」
事前の打ち合わせとまるで違う。イザベラはリースを助けるどころか、差し出そうとしている。しかも報酬まで四千万フロルになっている。
「イ、イザベ――」
「で、どうするの? 貴方が興味ないって言うのなら、私達はあの女を解放しちゃうけど?」
ジラールは顎に手を当て、考え込むように唸った。フレッドにとって意外だったのはジラールが予想外に冷静なことだ。彼はリースの名を聞いても怒りを微塵も感じさせることはなく、まるで家具のセールスかのように淡々と対応している。
「ところで君達は何者だ?」
「しがない冒険者よ」
違う。冒険者は依頼人を売り渡すような真似はしない。少なくともアリーヌなら認めない。
「ふーん、そうか。じゃあ、俺とリースの間の因縁は知ってる?」
「余計な情報は極力入れないのがポリシーなの」
「そうかそうか。でも、それは知っておくべきだと思うな」
ジラールは再び煙草を咥え、今度こそ火を付けた。
「俺の親父はアンソン・ジラール。知ってる?」
「ええ、陸軍の第六砲兵連隊の隊長でしょ? 盗掘した魔道具を売って財を成したことの方が有名だけど」
「ああ、よく知ってるね。お陰で俺はこうやって楽しくやれてる」
「で、その偉大な父親がなんなの?」
「リースはな、俺の親父をぶっ殺したんだよ」
「え?」
イザベラの顔が曇った。あのお気楽な詐欺師と殺人が上手く結び付かずにいるのだろう。
「まあ、見てとの通り個人的に怒ってる訳じゃない。嫌な親父だったからな。死んで清々したさ。遺産だって転がり込んできたし」
「だけど」とジラールの声が低くなる。
「これは俺の面子の問題なんだ。親を殺されてヘラヘラしてるような奴はマルティアの社交界で生きていけない。血は血で濯がなきゃならない」
ジラールが煙をゆっくりと吐き出した。
「だから、如何なる交渉も受け付けない。お前らはこれから拷問されて情報を洗いざらい吐くことになる。リースも死ぬし、お前のお仲間も死ぬ」
言いながら彼は指を鳴らした。すると開けっ放しのテラスで人影がゆっくりと動いた。
「なんだよ、お坊ちゃん。もう交渉ごっこは終わりかい?」
姿を現したのは白いシャツにカーキ色のズボンを履いた女だ。ポケットに手を入れて、肩を揺らしながら気怠げに歩いてくる。
「ああ、シャーロット。次は君の番だ。君流のおもてなしも見せてやってくれ」
「へえ、随分若い二人だね? もって三時間って感じだ」
女は鷹を思わせる鋭い視線を二人に向けた。
「フレッド、今日の晩御飯は何かしら」
「え? え? なに?」
緊迫したこの状況で不意に意味不明な質問が飛んできた。驚いて顔を向けるとイザベラはこちらをジッと凝視している。
「……今日の晩御飯は何かしら」
「だ、だからなんの話?」
まるでイザベラの言っていることの意味が分からない。意味不明な質問をしているにも関わらず彼女の視線は段々と鋭くなる。
「今日の、晩御飯は、何かしら」
「今それどころじゃないでしょ!!」
しつこさのあまり怒鳴ると、イザベラの顔が一気に真っ赤になる。
「だから合言葉よ!! 打ち合わせしたでしょバカ!! 帽子の中に杖隠してあるから、それ使ってとっととコイツら皆殺しにしなさいよ!!」
「あ、そっか!」
フレッドが慌ててイザベラの帽子を手で弾く。宙を舞ったベレー帽の中からフレッドの杖が二本飛び出した。
フレッドは視線をシャーロットに合わせながら、両手で杖を掴んだ。
上体を捩るようにして右の杖先を女に向け、魔法を放つ。が、雷が放たれる直前、フレッドは愕然とした。女は既に杖をフレッドに向けていたのだ。
放たれた雷はフレッドの眼前で破裂し、眩い閃光を放った。
「うおおおお!!」
視界が奪われる中、男の野太い叫び声が聞こえ、途端に身体が後ろに吹き飛んだ。あの大男が突っ込んできたのだと直感でわかる。
大男はフレッドの両腕を巻き込んで抱き付き、ソファーごと地面に押し倒した。
「はは! よし! やれ、フェルナンド! 握り潰せ!」
万力で締め上げられるかのような圧迫感で全身の骨が軋む。フレッドは痛みに耐えながら、手をゆっくりと男に向けていく。
「ぐっ、潰れ、潰れろ!」
腕の力が更に強くなり、全身の骨から鈍い音が鳴る。
「な、なんだコイツ、骨が折れ――」
フェルナンドの脇にピッタリと杖を付け、フレッドは魔法を放つ。途端に焦げ臭い匂いが鼻についた。
ピクリとも動かない男の腕を潜るようにフレッドは抜け出した。
「イタタ、おっきいクワガタみたいだ」
腰を摩りながら立ち上がったフレッドにジラールの「動くな」というドスの効いた声が振り返る。
「貴様、フェルナンドを殺りやがったな。いくらしたと思ってんだ」
ソファーの奥で、女が杖をイザベラの頬に押し付けている。柔らかそうな頬をぷにぷにされているイザベラは、なんだかいい気味だ。
「投降しないと、このガキの頭を吹っ飛ばす」
女の横に立つジラールがありきたりな文句を言う。フレッドはこれを言われる度に、自分ならもっと気の利いたことを言えると内心思っているのだが、残念ながらその機会はない。
「フレッド、私のことは気にしないで逃げて」
聞いたこともないような懇願するような口調でイザベラが言った。
「イ、イザベラ」
「私、これ以上貴方に迷惑を掛けたくない。足手纏いになるくらいなら切り捨てて」
イザベラの瞳に涙が浮かんでいる。普段の傲慢な彼女の面影はそこにはない。ようやく彼女の本心を見れたような気がした。
フレッドは杖を相手側に放ると、掌を相手に見せた。ジラールの顔に湿気が多分に含まれた笑みが浮かぶ。
「ふふ、それでいい。次は膝を突け」
言われるままに膝を突くと、ジラールが歩み寄ってきた。彼の右手には拳銃が握られている。
「情報は一人生きてればいい、残念だが君が最初だ」
額に銃口を突き付けられる。ひんやりとしたこの感覚は未だに慣れない。
「何か言い残したことは?」
フレッドはゆっくりと息を吸ってからジラールの目を見つめた。
そして微かに微笑む。
「残念だけど、僕は初めてじゃな――」
その時、眩い閃光が室内に走った。
「きゃっ!」
「チクショウ! なんだい!」
「な、何しやがった」
フレッドは事前に杖に魔力を限界まで込め、それが時間差で暴発するように仕込んだのだ。視界は一瞬にして奪われた。フレッドも含めて。本当なら決め台詞の後に暴発する筈だったのだか、思ったより早かったのだ。
「チクショウ! どこだ!」
銃声が二度響いた後、誰かが足早に扉を開ける音がする。
「あ、あああ、目が痛い、痛いよ」
「フレッド、立てる?」
傍でイザベラの声がした。
「ジラールが外に出たわ、追わなきゃ」
「なんで君は無事なの?」
「アンタなら何かするだろうって思って、目を瞑ってたの」
「凄いや、エスパーみたい」
イザベラに助け起こされフレッドは何とか立ち上がった。
「ほら、杖握って」
手元に差し出された杖をフレッドは掴む。微かに見えてきた視界があの女を捉えた。
杖を向け、雷を放つ。女も遅れて杖を向け、雷は再び命中前に破裂した。
続けて二発、三発と互いに魔法を乱射した。だがそれでも二人は立っている。
「イザベラ」
フレッドは静かに呟く。
「杖、一本貸すからさ、ジラールを追ってよ。でも無理しないでね」
「フレッドは?」
「ちょっとさ、この人は集中しないと倒せないかも」
イザベラに杖を預けながら、フレッドはシャーロットと視線を交わした。
イザベラが部屋を出るのが音でわかる。これで加減する必要はない。
「ようやくこの街に来て面白い奴に会えたよ、ミスター」
シャーロットが微笑む。ジラールとは違う。不敵で乾いた笑みだ。




