23. 親の皮で作ったカウチ
「酷い誤解だ」
リースが苦悶に歪んだ声を絞り出す。
先程までソファーに踏ん反り返っていた彼女は両手を縛られ床の上に転がされていた。
一瞬のことだった。呆気に取られたフレッドを追い越したマルクがリースを殴り付け、床に引き摺り倒し、破壊されたペンダントのチェーンで彼女の腕を縛ったのだ。
「な、何をするんですか!」
少し遅れて、目の前で起きた野蛮にして華麗なる一連の出来事にアリーヌは反応した。彼女は立ち上がりリースに歩み寄ろうとしたが、フレッドが立ち塞がる。
「ま、待ってアリーヌ、これには理由があるんだ」
「理由?」
「この女の人は詐欺師なんだ、悪い奴なんだよ!」
「だからって、あんなことしちゃダメですよ!」
アリーヌが背後を指差し振り返ると、床に倒れたリースの頭をマルクがグリグリと踏み躙っていた。
「マ、マルク! 止めるんだ!」
慌ててフレッドはマルクの背後に回り羽交締めにして、リースから引き剥がした。
「離せ間抜け野郎! このクソアマに何されたのか忘れたのか!」
「い、一旦落ちついてよマルク!」
フレッドがマルクを離している隙に、アリーヌがリースの手に纏わり付いたチェーンを解いた。彼女は封印を解かれたミイラのように上体だけをむくりと起こすと、自由になった手で近くに落ちたシルクハットを被り直した。
「き、君達の怒りはごもっともだ。だが私の話を聞いてくれ」
「はっ、俺が聞きたいのはお前の悲鳴だけだ!」
「全く野蛮な奴だ……信じないかもしれないが、私は何も君達を騙したかった訳じゃない、力量を試しただけなんだ」
「そんな嘘が俺に通じると思ってんのか?」
「嘘じゃない」
ことの他、強い口調でリースが返す。
「試乗もなしに馬を買うのは得策じゃない。そうだろう? 君達の噂は聞いていたが自分で実力を確かめたかった。そこで私が試しに、君達を騙し、君達は私を追いかけてくる。そして私を捕まえたところで「流石だ」としたり顔で依頼内容を話し出す。そんな算段だった」
「だが」とリースは吐き捨てた。
いつの間にかリースの話に耳を傾けていたフレッドは、同じくマルクも暴れるのを止め話に聞き入っていることに気付いた。
「君達二人は何だ? 私そっちのけで喧嘩を始めて共倒れ。全く馬鹿げてる」
リースはふらふらと立ち上がり、覚束ない足取りでマルク達に歩み出す。
「マルク・カルスナー、君はサイクロプスのように暴力的で短期で、サイクロプスのように愚かだ。フレッド・ロス、ああ、フレッド・ロス。君の親は伝説的な冒険者の名前は知っていても、名前負けという言葉を知らなかったようだ」
リースが一歩前に進む度に、二人は合わせて二歩後退した。知らぬ間に攻守が逆転している。
「私も人のことを言えた口ではないが、君達はろくでなしだ。間抜けで能無しだ。恥を知れ!」
リースがそう叫ぶ頃には、二人は壁際まで追い詰められ尻餅をついていた。
「だが」とリースは実に残念そうに深い溜息を吐いた。
「今の私には、頼る相手を選り好み出来るほどの余裕もない」
◇◆◇◆
「さて、どこから話そうか」
ソファーに深く座り直したリースは、足を組み煙草に火を付けた。
その対面にはイザベラとアリーヌ、マルクが腰掛けていた。彼らは3:3:4の割合でソファーをきっちり占有していた。誰に強制にされたでもなく座る場所がないフレッドはソファーの背後に立っている。……座る場所がないから仕方ない。仕方ないのだ。
「どこからも何も、一から話しなさいよ」
一連のやりとりを静観していたイザベラが口を開いた。彼女は身体を横に倒して肘掛けにもたれかかっていた。……真っ直ぐ座ってくれればフレッドが座るスペースが空くかもしれない。
「さっき話したことが全てだよ。私は試し、対峙し、そして落胆した。……それより依頼内容について話し合おう」
「待てよ」
話を進めようとするリースをマルクが鋭い声で制した。……彼の大きく開いた股が少しでも閉じてくれればフレッドも座れそうなのに。
「何か思い違いをしてるが、俺はコイツらの仲間じゃねえぞ」
マルクが親指で隣に座る二人を指すと、タバコを咥えたリースは「おや」と目を丸くした。
「話だと君も一員だと聞いたがね? ほら、黄金の炎を君ら四人で壊滅させたろ? 全員病院送りにしたそうじゃないか、一人は撃たれて全治半年だとか」
「あれは成り行きでそうなっただけだ……」
「なら今回も成り行きに任せればいい。報酬は弾むよ」
リースが親指と人差し指を擦り合わせる下品なジェスチャーをしてみせる。すると血の匂いを嗅いだ鮫のように、あからさまにマルクの目の色が変わった。
「ま、今回だけだ」
「仲間に入ってくれなんて言ってない」
「うるせえよガキンチョ、俺の家に住んでるくせに、黙ってろ」
「まあまあ」
アリーヌが両脇の二人を嗜めるように呟く。フレッドは彼女が、ずいと一歩を身を乗り出したように錯覚した。
「ではリースさん、話の本題に入りましょう。依頼の内容について教えてください」
◇◆◇◆
豪奢な応接間の中央でソファーに腰掛けた二人の男女が向かい合っていた。部屋は薄暗く開けっ放しのテラス窓からは下階の喧騒が風に混ざって静かな室内を微かに漂っている。
セルジュは忙しなく視線を動かし、卓上の砂が落ち切ったタイマーと、その奥で硬直した女の顔を交互に見た。
「時間切れだね」
ブランデーで湿った舌が口の中でうねった。女の、元からゾッとするようなアバタ顔が更に醜く歪む。女の木の皺のような瞳から伝う涙の筋が見えていなかったら、セルジュはそれを泣き顔だとも思わなかっただろう。
ソファーに深く身体を預け溜息を吐く。それから上目遣いに女を見つめつつ、左人差し指の腹で、鼻下のペンシル髭を撫でた。相手が美女であれ醜女であれ、決まって女が泣いた時には、セルジュはその気まずさと億劫さをない混ぜにした仕草をする。
「泣かれても困るよ。一分間やったろ? 俺はその間に話せって言ったんだ。でも君は三十秒はまごまごして、後の三十秒でも私の心を動かせなかった」
「お、お願いですムッシュ。夫が死んでお金が必要なんです」
女は来客用のソファーから腰を浮かせた。物乞いのように両の掌を上に向ける様は笑えない程に滑稽だ。
「おい、座れ女」
女が動いた途端にセルジュの背後に控えていた大男が素早く動き、女を椅子に押し付けた。
「おいおい、フェルナンドよせよ」
セルジュが覇気のない声で制すと、大男はすぐに女から離れ、セルジュの背後に戻った。
「まあ、話は聞いてるよ。旦那さん、酷い死に方だったんだって? 身体がバラバラで、棺桶に入れる分が三百グラムもなかったんだろ? そのおかげで、クク、墓代も安く済んだとも聞いたけど」
「ええ、ええ、急に夫が亡くなって……子供達の食事代もありません。だから……どうか助けてください」
「ハハ、なんで俺が、劇場の切符係の家族なんか助けなきゃいけないんだい。なあ?」
安い同調を求めて大男を振り返ったが、彼は彫刻のようにそこに立ってピクリともしない。
「……貴方のお父様なら、『大佐』なら助けて下さいました」
女がポツリと小さな恨み言を吐いた。それを聞き取ったセルジュはゆっくりと女に向き直った。
「俺と親父は関係ない」
セルジュの声に、先程までの余裕はない。
「で、でも大佐は私達が困っている時はいつでも助けて下さいました! 本当なら大佐が私達の為に積立ていた冠婚葬祭用の資金もあるはずです! 貴方も――」
銃声が女の声を遮った。不意の出来事に目を白黒させた女は我に返り、直近の、ソファーに空いた小さな穴を凝視した。
「あ、外した」
セルジュが手にした拳銃を眺めがら呟くのと、女が悲鳴を上げたのがほぼ同時だった。ソファーから転げ落ちた女は、上手く立ち上がることもできないまま、転がるように応接室を飛び出した。
「お、おい、追うぞ」
遅れてセルジュが立ち上がり、大男も続いた。激鉄を起こしながら扉を開け、廊下に出ると、窓から差し込む光に照らされた人影が見え、慌てて銃口を向けた。
「おいおい、その可愛いのを私に向けんな」
嗄れた声の女が億劫そうに両手を上げた。掲げられた彼女の右手の親指と人差し指の間には短杖が挟まれている。
「シャーロット。どこ行ってた」
セルジュが女の名前を呼ぶ。白いシャツにカーキ色のズボンのラフな格好に、一本に結んだベージュの髪の二十代後半の彼女は、唇が妙に湿っていて、眼は真っ赤に充血していた。
護衛をほっぽって、一階のバーで酒と薬を楽しんでいたのは明らかだ。
「なあ、今し方醜い顔のボロ雑巾みたいな女が飛び出してこなかったか?」
「あ? ああ……そんなんだっけかな? まあ、うん……それは大事な客人?」
「いや、違う。むしろ逆だ。迷惑な害虫」
「ああ、そっか。危ねえ……」
シャーロットが横に避ける。すると彼女の背後に隠れていた、あの女の姿があった。
女は地面にうつ伏せに倒れていた。……女の首は円形に大きく抉り取られており、文字通り皮一枚で繋がった頭部のつむじが肩に触れていた。吹き出した女の血液が青い絨毯に広がっている。
「正直に言うと……私にはあれがデカいバイソンに見えたの、それで咄嗟に……ね?」
◇◆◇◆
「――まあ、つまりセルジュ・ジラールは、碌でもない親の七光だ。彼は高名な陸軍将校だった父が築いた財産の上に寝そべり、日がな怠惰に生きている」
一頻り説明を終えたリースは対面の四人を順に一瞥してから首を傾げた。
「その……トラブルの相手がセルジュさんって方だっていうのはわかりました。ですが一体、リースさんは何をしたんですか?」
「ほお、面白いことを聞くね、お嬢さん。人種、性別、文化、政治信条。我々は常日頃から隣人との軋轢を抱えているものだよ。今回もその内の一つがほんの少し擦れ合ったに過ぎない。そしてそれが実際何であったのかもわからない」
「言いたくない」をここまで遠回りして言う人間は、確かに他人に嫌われて然るべきだろう。
「で、仲裁を私達に頼みたい訳ね?」
「その通りだよ! お嬢ちゃん。油と水があるならば、後は掻き混ぜる人間が必要だ。そこで君達の出番だ。報酬は一千万フロル出そう」
一千万という数字を聞いて、イザベラは目を細め、アリーヌは眉を顰め、フレッドは鼻をひくつかせ、マルクは舌舐めずりした。
「そんなに受け取れません」
先陣を切ったのはアリーヌだった。彼女は明らかに過剰な報酬に拒否反応を示し、脳内では既に適正価格十万フロルを弾き出している。
「じゃあ、俺が受ける。お前らは降りろ」
マルクが横の二人を睨みながら言う。彼は小さい頃からパーティーでは人一倍物を食うし、他人が要らないと言った物は片っ端から貰い受ける性分だった。彼は嫌われ者だった。
「ダメダメ、四人でやらなきゃ依頼はしないよ。それに一千万フロルは適正価格だ。相手は落ちぶれているとはいえ、マルティア随一の金持ち一家だからね。寝首を掻かれる心配がなくなるなら一千万は安いくらいさ」
「寝首を掻く? 随分と荒っぽい野郎みてえだな、その坊ちゃんはよ」
「ああ」とリースは溜息を吐く。
「典型的な右の頬を打たれたら、相手をぶち殺してもいいと思ってるタイプさ。だから博士号持ちの仲介人ではなく君達に頼むんだ」
リースは今一度、四人を順に一瞥する。今度はその瞳に強い意思を乗せて。
「さあ、どうする。リスクはあるが報酬も相応。いかにも冒険者向きの案件だと私は思うがね?」




