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22. 翼を畳んだ雄鶏

人間(ヒューマン)、エルフ、ドワーフ、ハーフリング。如何なる種であっても我々はフレンシア人である。故に、誰であれ平等の権利を享受すべきなのだ』――フレンシア王国第十八代首相アルソン・ホルトゥ。1854年、暗殺間際の演説にて。


 ◇◆◇◆


「おい、起きろよ」


 最初に感覚を取り戻したのは、乱暴に叩かれた右頬だった。それから他も遅れて感覚が戻り、フレッドは上半身を跳ね上がらせた。


 慌てて周囲を見渡そうと開けた目は、飛び込んできたランタンの光に目を焼かれた。


「お目覚めのところ恐縮だが出番だぞ、冒険者(アバンチュリエ)


 目が眩んだまま腕を掴まれ、強引に引き起こされる。


「さあ、早く目を開けて俺がイカれてないって証明しやがれ」


 何をそう焦っているのか、急かされて薄っすらと目を開けた。未だに眩しいランタンの光に照らし出された物を一段と冴えていないフレッドの頭は見た通りに処理した。


 暗い洞窟のような空間の奥にあったのは、三メートル程の石の二枚扉だった。重そうな扉はきっと開く度に大袈裟な重低音を鳴らすのだろうと想像できる。

 灰色の扉の中心、そこに五芒星を上下にして二つ重ねたような刺々しい金色の紋章が二枚の扉に跨って彫られている。


 フレッドはその紋章を知っている。それはある特定の『場所』にしか存在しないものだ。そしてその『場所』はもう存在していないはずだ。


「……ダンジョン?」


 いつから、誰が、その一切が明らかではないが、少なくとも人間が文明を築いたその日からダンジョンは存在していた。世界の至るところ、フレンシア王国内では十二箇所に存在したそれは、古くから冒険者の探検の対象となっており、坑内に存在する『魔道具』の発掘は国やギルドに巨万の富をもたらしていた。

 しかし、フレンシアでは坑内が魔物の大規模な繁殖地となっていたことを警戒した陸軍によって1868年に、全てのダンジョンが入り口から内部二キロを爆破された。


 この出来事と、二年後の政府による魔物絶滅宣言が冒険者を決定的に過去のものにしたのだ。


 だが、今二人の目の前にあるのはダンジョンの入り口だ。存在しないはずの十三個目の。


「なんでこんな場所に……街の真下だよ?」

「それは俺が聞きてえよ。テメェの知り合いってのはミノタウロスか何かか?」

「い、いや僕もあんま親しい訳じゃないから知らないんだ。もしかしたらその……そうかも」


 扉を見つめたまま立ち尽くして、二人は同じようにその向こう側を想像しようとした。だが頭の中に浮かぶのは無限に続く空洞とそこに満ちた不定形の黒い恐怖だけだ。


「ねぇ、中に入ろうよ」

「あ?」


 呟きながら歩き出すフレッドの腕をマルクが慌てて掴んだ。


「な、なに考えてんだよ。中に何があるかわかんねえぞ」

「そうだよ。だから僕らで中に何があるのか調べるのさ」

「正気かよお前……」

「正気だよ。僕は冒険者だ! 冒険者には魔物を討伐し、人々を守る義務があるのさ!」

「やっぱイカれてるじゃねえか」


 両腕を広げ胸を張る。高らかに叫んだ声は狭い洞窟内で行き場もなく反響した。

 アリーヌの受け売り、お気に入りの言葉だ。如何なる時でも口にするだけで勇気が湧いてくる。だがマルクには響かなかったようで、彼は変な物を見るように片眉を下げるだげだった。


「まあ、勝手にしろよ……」

「勝手にするさ」


 扉に歩み寄り、紋章の前に立つ。開け方は何度も英雄譚を通して見た。フレッドは紋章に触れ魔力を込めた。


 全身の魔力が吸われていくのを感じた。同時に血管に血が通うかのように、扉の中心から全体を覆うように葉脈状の赤黒い光が伸びていく。


「気味悪りぃな……」


 全体が光に包まれるのと同時に、巨大な錠前が開くような重厚ながら軽快な音が鳴り響いた。フレッドが一歩後退ると扉は想像通り、臼を引くような重々しい音を立てながら左右に開いていく。


 扉を引き裂くようにして這い出す闇を見つめながら、フレッドはポケットに手を入れて杖を掴んだ。傍にマルクが並ぶ気配がある。彼に英雄的な精神はなくとも、人並みの好奇心はあったようだ。


 マルクが掲げたランタンの光が闇を散らし、扉の向こうを曝け出した。その光景に思わず息を呑む。


 扉の向こうにあったのは書斎のような小さな小部屋だった。部屋には本棚と机それとワードロープがギチギチに詰められている。変わったところはない。強いて言えば扉がデカいくらいだ。


 フレッドは半開きで止まった巨大な扉を凝視しながら、漂う鯨油の匂いに鼻をヒクつかせた。 


「で、どこから探検するよ」


 横から飛んできた嫌味を無視してフレッドは小部屋に向かって歩く。きっとこれはダミーでナニかしらをナニしたらきっと本物のダンジョンへの入り口が出てくるはずだ。でなければ困る。


 本棚の前に立ち食い入るように背表紙を眺め、『エウロパ魔物図鑑』『1802年革命録』『フレンシア英雄譚蒐集録』『国民戦争』『亜人主義(デミニズム)と反動』等の目に付いた本を片っ端から引っ張ってみたが、本棚が動いたりする様子は一向にない。次に埃まみれの机を叩いたり、裏側をなぞってボタンを探したが、指が黒くなっただけだ。最後にワードローブを開けたが古い黒の外套が一着吊られているだけで何もない。


「紛らわしい!」


 ワードローブの扉を勢いよく閉めつつ、フレッドは吠えた。まさかとは思ったが見たところ、ここは入り口がダンジョンみたいなただの書斎のようだ。それは最早、ダンジョンより奇妙で珍しいものかもしれない。

 

「何でわざわざダンジョンの扉を付けたんだ? それともダンジョンの扉があった場所に部屋を付けたのか?」

「……どっちでもいいよ」


 遅れて小部屋に入ったマルクも同様に本に触れ、机を撫で、最後にワードローブを開けた。後は落胆を口にするだけのはずだが、何故だか彼はワードローブを開けたっきり黙り込んでしまった。


「何かあったの?」


 一縷の期待に引き寄せられ覗き込んだマルクの顔は凍り付いていた。彼の視線の先を辿ってみたが、そこにあるのは、あのボロ切れみたいな外套だった。


「どうしたのさ……」


 フレッドが問うと、唐突にマルクは外套を鷲掴みにして、机に叩き付けるように広げた。するとそれまで皺になって認識できなかった、マント型の外套の背に大きく刻まれた、剣を咥えたコカトリスが姿を現した。


「こいつを見ろよ」


 深刻な口調で促され、その模様をじっくりと眺める。頭をもたげ翼を広げたコカトリスはどこか権威的であり、見るものに威圧感を与えんと勇んでいるかのようだ。


「これが……何?」

「はぁ……知らねえのかよ」


 マルクが外套を強く握りしめながらフレッドに鋭い視線を向ける。


「こいつはな、『夜の(シュバリエ・デュ)騎士団(・ラ・ニュイ)』の団員の印だ」

「夜の騎士団?」


「ああ」とマルクは力強く頷いた。


「手当たり次第に亜人種を殺し回ってた連中さ」


 ◇◆◇◆


――『ブレンシュリー騎士団、別名は夜の騎士団は魔物絶滅後の混迷期、おおよそ1872年から74年の間に冒険者であるジョゼフ・アーバル・デュポンによって設立された。同騎士団は当時に盛んであった亜人種の地位の向上運動や自治運動に対する反動組織として結成され、主にフレンシア南部において亜人武装組織との抗争を頻繁に起こしていた。――夜の騎士団が他の反亜人組織と一線を画している点として、その際立った残虐性が挙げられる。特にポーワル、クレセンス、ブエション、ブランシーでの虐殺は悪名高く、老若男女問わず多くの亜人が犠牲になった。騎士団が活動した十数年間での犠牲者は約六千人に上るとされる』


 手にした本をパタリと閉じたフレッドは強張った顔をマルクに向けた。棚から取った本を読む間も変わらず地下には淀んだ空気が立ち込めていた。


「この模様の持つ意味がわかったろ?」


 マルクが外套を汚物のように摘み上げ呟く。フレッドは同意を示すように深く頷いた。


「こいつらはクソ野郎だ」

「うん」

「死んでも許される連中じゃねえ」

「うんうん」

「で、そんなカスが知り合いに居るのは何でだ?」

「うん?」


 突然向けられたそれが矛先であると気付くのに多少の時間が必要だった。しかも気付いたところで「あ、え、えっと」と、しどろもどろになる他なく。余計な不信感をマルクに抱かせる。


 ……彼と知り合った経緯、まあ正確には一方的に知る他ない状況だったあの日の出来事を説明できるはずがないのだ。何せフレッドも説明が欲しいくらいなのだから。それに、仮にありのままを話しても無茶苦茶な嘘だと思われるのが関の山だ。


「地下にこんな秘密基地をこさえた夜の騎士団の死に損ない。そんな面白い奴なら俺にも是非紹介してくれよ」

「だ、だからさ、そんな親しい訳じゃないんだってば……」

「それでも少しは知ってんだろ? な、教えてくれよ、どんな奴だ? 名前は? 性別は?」


 語調が徐々に強くなり、それに比例して一歩ずつ詰め寄る歩幅も大きくなる。額がぶつかる程にマルクが迫ったその時、彼はピタリと動きを鼻をウサギのようにヒクヒク動かした。


「臭いな」

「え?」


 咄嗟に口を手で覆ったフレッドを無視して、マルクが頭を部屋の入り口の方に振る。


「煙臭えぞ」


 言われてフレッドは暫く詰まらせていた呼吸を再開し、鼻で目一杯空気を吸い込んだ。途端に木が焦げたようなチクチクとした刺激臭で咽せる。


「何この匂い?」

「木が燃えてんだろ」

「え? それって……火事?」

「ああ、火事だよ……火事?」


 その火傷しそうな単語が却って冷水になったのか、マルクは不意に険しい顔を弛緩させ、それから有無も言わさず部屋から飛び出した。釣られてフレッドも飛び出した。先を行くマルクのランタンが、ヘドロのように階段滑り落ちる黒い煙を照らしていた。


「ヤバい逃げるぞ!」

「ちょっと待ってよ! 地下室はどうするのさ!」

「黒焦げになりたきゃ残れ!」


 口元を手で覆ってマルクは煙の中に消えた。背後を振り返ると、そこには煙で霞んだあの小部屋がある。心残りはあったが、フレッドは前を向き口一杯に空気を溜め、階段を駆け上がった。


 ◇◆◇◆


「急げ! 放水しろ!」


 貧民街に近い閑静な住宅地で発生した火災の報を受け、出動したマルティア南消防団の蒸気ポンプが甲高い咆哮をする様を、煤まみれの二人の顔が遠くの物陰から眺めていた。


「見ろよ、普段は薄暗い部屋に篭って出てこないような連中が群がって見物してやがる。正に火に群がる虫だぜ」


 特に上手くも革新的でもない比喩で悦に浸るマルクを尻目に、フレッドは目を輝かせて真っ赤な蒸気ポンプ車を眺めていた。


「……でも、何で火事なんか起きたんだろう?」

「暖炉の火を消してなかったからだろ。今日は空気も乾燥してたしな」


 疑問に対するマルクの答えは、想定していたものとは違った。自分達はあの時、隠された地下室で過去の過激な政治結社の痕跡を見つけていたのだ。火事はそれを待っていたかのようなタイミングで起きた。それが人為的でないのならば、神が特定の政治思想に傾倒していると考えるべきだ。


「偶然にしては――」

「今日俺らがこの場に来たのも偶然だろ」


 マルクがあらかじめ予期していたかのように、そう切り返す。


「あの部屋は長いこと放置されてた。それに家主長い間不在だ。そうだろ? それなのに今日たまたま訪れた俺らを誰かが見つけて消そうとするか?」

「うーん……」


 そう言われればそんな気がするし、やっぱり違うような気がする。どちらの意見にも論拠は何もなく、どこまでも平行線で結論が出ることはない。つまり――


「……まぁ、いっか」


 それはフレッドが使うどんな詠唱よりも強力に作用する魔法の言葉だった。この一言で物事は脳内から弾き出され、明日には永遠に思い出すこともなくなる。


「ああ、考えても無意味だ。頭を使うなら別のところにしろ。例えば、さっきの質問にいい加減答えるとかな」

「え?」


 非常に残念なことにマルクは疑念を地下に置き忘れるようなヘマはしなかったようである。彼は再び目を細めフレッドをジッと睨め付けた。

 フレッドも再び顔を強張らせ固まることになった。が、マルクはすぐに表情を緩め、深い溜息を吐いた。


「ま、いいか」


 そしてそう呟いたのである。まさか彼もあの詠唱を使えるとは知らなかった。


「お前は嘘をつける程賢くないし、俺に詰められて情報を隠し通そうとするような度胸も当然ない。そうだろ?」

「ん?」

「だから知らないっての本当なんだろうな。脅すような真似して悪かった」

「あ、うん……分かってくれて……よかった」


 マルクは頬に小さな笑みを浮かべフレッドの肩を二回叩いた。その仕草に一切の嫌味が見受けられないのは、ある意味最大の嫌味だ。

 少なくない不満はあるが、どうやら危機は乗り越えたようである……不満はあるが。


「じゃあ、一件落着だね!」


 フレッドが両腕を広げ言うと、マルクは「待てよ」と右手を差し出す。


「ペンダントを返せ、あれは大事な物なんだ」


 思わず舌打ちが出そうになった。このまま円満に終わってくれれば、詐欺師に盗まれた金額を補填できそうだったのに。


「……ねえ、もしよければペンダントを売った金額を山分けしない」


 薄ら笑いを浮かべ一か八かでそう切り出したフレッドに、マルクは殺し屋さながらの仏頂面を返した。

 

「お前が選べるのは二つだ。俺にペンダントを渡すか、顔面がトマトみたいになるまで殴られてから、俺にペンダントを渡すか」

「わ、分かったから落ち着いてよ……」


 フレッドは渋々ペンダントを入れた尻ポケットに手を突っ込む。指が紙屑やらゴミを掻き分けて、ペンダントのチェーンを掴んだ。一気にそれを引き上げてマルクの眼前に垂らした。


 やはり綺麗なペンダントだ。チェーンは金ピカで装飾はキラキラ。そしておっきな青い宝石がどーんとぶら下がっている。……まあ、その宝石は粉々に砕けてしまっているのだが。


「…………まあ、こういことも――」


 頬にマルクの拳がめり込む。途端に明滅する脳内を真っ赤に熟れたトマトの幻影が過った。


 ◇◆◇◆


「さあ、早く入りやがれ」

「ちょっ、ちょっと待ってよ……」


 すっかり暗くなった空の下、屋敷の赤い扉の前に立たされたフレッドは背後のマルクに文字通り背中を押されていた。フレッドにとって今や眼前にあるのは我が家ではなく、深い谷底だ。


「簡単だろ? お前は今から屋敷に入ってお友達にこう言うんだ。『この屋敷は明日から売りに出されるから三十分以内に荷物を纏めて失せろ』ってな」

「ぼ、僕はそんな喋り方じゃないよ。それに追い出されたらどこに住めばいいのさ?」

「下水管にでも住めバカ野郎」

「そんな酷い!」

「へっ、恨むなら金貸しを恨め。おら、早く入れ」

「ちょ、ちょっと!」


 足で扉に身体を押し付けられ、フレッドは堪らずドアノブを捻って扉を押し開けた。弾き出されるように室内に飛び出したフレッドは、ソファーに横並びに腰掛けた二人と視線が合った。


「あ、フレッドさん! どこに行ってたんですか、お客様が来ていますよ」


 アリーヌが頬を膨らませ、非難する。すると彼女の対面に腰掛けていた客が上体をこちらに向けた。


「やあ! こんにちはフレッド君。()()()()()。君は優秀なんだってね? こちらのマドモワゼルから聞いてるよ」


 女は芝居がかった朗々とした声を出す。彼女は紺色のシルクハットを親指で持ち上げ、怪しげな紫色の瞳をこちらに向けていた。


「私はリースだよ、よろしくね」


 女が柔らかく微笑んだ。同時に背後でマルクの慌ただしい足音が聞こえる。



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