21. ニーラム
――書類に目を通していた男はふと顔を上げ微笑んだ。自身をジッと見つめる不躾な視線に気が付いたのだ。
「ムッシュ、書類を拝見いたしました……融資がお望みですね」
テーブルの上で指を組み合わせ銀行員が問う。
「ここは銀行だろ、他に何があんだよ?」
椅子にふんぞり返ったマルクが眉間に皺を寄せると、男は目を見開いて「おお……」と感嘆混じりの声を漏らす。今のマルティアは金を払ってでも金を借りて欲しい好景気だが、それでもこんなに態度がデカい借り手は珍しいのである。それに、
「開業からずっと赤字続きのようですね?」
ここまで商売下手な奴も珍しいのだ。
「ああ、きっとクソみてえな不景気のせいさ」
「不景気……ですか」
「まあ、ほんの八百万フロルでもあれば当座は凌げる。貸してくれ」
「はあ……」
銀行員は笑顔のまま目だけを下に背けた。他ならぬマルティア土地会社のチャーノフ氏の紹介とあって喜んでお通しした相手が、まさかこんなバケモンだとは思いもしなかったのである。
「ムッシュ、そのー、提出して頂いた書類だけでは、融資が可能かどうか判断しかねます。何か今後の事業の計画が分かるものがないと」
マルクが提出したのはここ三年の収益と経費が書かれた紙一枚だけだった。明瞭で簡潔であるのは美徳だが、行き過ぎたそれは単なる不足だ。
「本日は一旦お引き取り頂いて日を改めて――」
「もういいぜ」
口の端に苛立ち混じりの笑みを浮かべ、マルクが吐き捨てた。
「貸したくねえんだろ? 俺がこんなんだからよ」
言いながら彼は自身の白い髪を引っ張ってみせた。エルフ特有の雪のような純白の髪だ。
「しかも名前が帝国系ときた。そりゃあ貸し渋るのもわかるさ。テメェらは亜人種も帝国人も嫌いだもんな」
「いえ、別にそんなことは……」
今回の件に関しては本当に関係ない。
「なあ、おい、グダグダ言い訳並べてやがるが、俺にだって我慢の限界があるぞ? 貸すのか貸さないのか、さっさと言わねえと、テメェのナニを切り取って質に入れてやる」
「そんな無茶苦茶な!」
本当に無茶苦茶だ。普通の融資でもこんな早くに審査が終わる訳がない。そもそも散々待たされたように言ってるが、来店後即部屋に通して数分しか経っていない。
しかし無碍に扱うこともできない、忘れそうになるが彼はマルティア財界の大物の知り合いで、しかも今にもナニを切り取らんと勇んでいるのだ。
「で、ではせめて口頭でもいいので事業計画を……」
「チッ、さっきから何だ、その事業計画ってのは」
「ゆ、融資したお金をどのように使うかですよ」
「あ? 金なら借金の返済に使うんだよ」
「は?」
「他の銀行で借りた借金の期限が迫ってるからな、ここの金でそれを払う。それだけさ」
◇◆◇◆
マルクは椅子に腰掛けカウンターに足を乗せながら、天井のシミを見つめていた。そうしていると頭の中はすぐに思考未満のクズゴミで一杯になり、その度に煙草の煙と共に吐き捨てている。そうやって堆積したクソ山が今の自分である。
マルクは火の付いた煙草をカウンターに置いた革製の帳簿に押し付けた。帳簿には既に十数本の煙草が押し付けられており、煙草が屹立する様はさながら墓標だ。
墓標……それは少し先の自分そのものだ。何せ次期に店も土地も魂も根こそぎ奪われるのだから。後に残るのは空っぽの、『マルク・カルスナー』という名の刻まれた骨と肉だけ。素材が肉か石かというだけの違いしかない。
……もういっそ、全て終わらせてしまおうか。なんなら地下にたんまり隠しているダ――
「あのう……」
突然正面から声がした。恐ろしげでない。どころか遠慮するような嗄れた老人の声だったが、変に感覚が鋭いせいで不意を突かれたことのないマルクは仰天し、椅子から転げ落ちた。
だが無駄にある身体能力を発揮してすぐに立ち上がった。その為に、相手には別人が入れ替わりで現れたように見えたことだろう。
「なんだこの野郎……」
マルクは眼前の老人を睨み据えながら唸った。相手が客なら事だが、まずそんなことはない。
老人はタキシードを着込み、長い煙突のようなシルクハットを手にしている。服は下ろし立てのようでパリッとしていて、口髭や頭頂部の禿げ上がった髪は綺麗なシンメトリーに整えられている。老人からは几帳面さと気品が漂っていたが、同時にどこか草臥れた印象も併存していた。そして何故か、安物の葉巻の匂いがする。
「し、失礼しました。驚かせるつもりはありませんでした」
老人は恭しく謝罪すると、ゆっくりと汗ばんだ禿頭を撫で上げた。金貸しの手先かと訝しんだが、それにして老いすぎているし覇気もない。それなら客なのか。こんな店に? 冗談だろ?
マルクが考え込んでいると、老人は値踏みするような視線に耐えられなくなったのか、上着の内ポケットに手を入れた。武器かと身構えるが、取り出されたのはなんてことはない一枚の紙だ。
「これを見て来たのですが……」
そう言って広げられた紙には、具合の悪い蛍光色の背景に赤いミミズのような文字で『お悩み事は〈自由の剣〉まで!』と書かれていた。
途端にあの馬鹿っぽい三人組の姿が過った。
「依頼があるんです」
老人はいかにも悩み事を抱えているといった風の、苦悩に満ちた顔をマルクに向けた。……向ける分にはタダだが、自分には薄給で人の使いパシリをするような趣味はない。
「じいさんよ、店を間違えてるぜ。その連中なら向かい側だ」
「え……ああ! そうなのですね! 大変失礼しました」
老人は慌てふためいて手にした紙をポケットに戻そうとした。しかし焦っているせいか上手く仕舞えないでいる。
「おい、じいさん。客もいねえし慌てる必要なんか――」
その時、老人のポケットから何かが落ちた。見たところ分厚い封筒であるそれは、床に叩き付けられ、重い音を出す。
マルクはゆっくりと首を伸ばし、カウンター奥の床を見た。そこにあったのは封筒からちんまりと顔を出す金だった。
「し、失礼しました」
老人が慌てて封筒を拾い上げた。老人が金を封筒に押し込み、ポケットに入れ直すまでマルクの眼は封筒を凝視し続けていた。
「重ねて非礼をお詫びますムッシュ。代わりと言いますか、今晩のワインを数本買わせてください」
「いや」
マルクは首を小さく横に振った。
「依頼があるんだろ? 俺に話してみろよ」
「え?」
「アンタは依頼があって、目の前には冒険者がいるんだ。ほら、話せよ」
「で、ですがさっき違うと……」
「はは、揶揄ったんだよ。俺が自由の剣のマルクだよ」
「そ、そう……なんですか?」
「ああ」
マルクは頷きながらカウンターから売り場に出ると、扉まで歩いてプレートを『準備中』にひっくり返して鍵をかけた。
「あ、あの……」
「ああ、心配すんな。話を真剣に聞きたくてな。邪魔が入ると気が散るだろ?」
マルクは自分でも信じられ程に完璧な営業スマイルを浮かべながら老人の肩を抱き、店の奥へと押し込む。
「奥でゆっくり話そう……ところでどんな依頼だ?」
「えーとですね、役所の職員を騙った泥棒に妻の肩身のペンダントを――」
◇◆◇◆
まず最初に意識だけが戻った。視界は暗く、耳も聞こえはしなかったが。それらもすぐに後を追ってきて、耳が薪の燃える音を、鼻が鉄臭い匂いを感じとる。
石膏で覆われているかのように固まって感覚のなくなった身体が、動くのかと心配したが、思い切って力を入れた指先はすんなりと感覚を取り戻し、他の関節もパキパキと音を立てながら動作した。
そこでやっと、その脳と身体は自分が『マルク・カルスナー』であることを思い出し、今に至るまでの記憶が鮮明に蘇った。
マルクは柔らかい、恐らくはベッドであるそれから首だけをもたげ、瞼越しにも伝わる灯りを見つめた。
薄っすらと目を開けると、焔色の煌々とした光に目が眩んだ。それでも怯まずに光を眺めていると、徐々に暖炉の前で胡座をかく人影が見え出した。
人影は片手を掲げ「ヒョエー」だの「ウヒョー」だのの奇声を上げている。
マルクは人影が掲げる先を凝視した。その、大きな青い宝石があしらわれたペンダントを。
「おい」
気付けばマルクは立ち上がり、人影を睨み付けている。ほんの一分前まで気を失っていたのに、既に不調はなかった。
「そのペンダントは俺のだ」
マルクが言うと、人影が上体だけで振り返る。フレッドは目と口を必要以上に開き、意識でもしなければできないようなアホ面でマルクを見た。
「あ、起きたんだ!」
フレッドはアホ面をそのまま満面の笑みに変え、立ち上がりマルクに身体を向けた。その過程で彼がさりげなくペンダントを尻ポッケに仕舞うのをマルクは見逃していない。
「いやぁ、よかった。君がなかなか目を覚さないから心配したよ。それで、たまたま知り合いの家が近くにあったから、君を背負ってきたんだ」
言われてマルクは無意識に部屋を視線だけで素早く見渡した。部屋は簡素なもので、暖炉とベッド、それと大きなクローゼットしかない。
「あの女にはまんまと逃げられたけどさ、まだチャンスはあるよ。今度は協力して捕まえよう」
「いや、その必要はねえ。俺はお前が今、尻に隠したペンダントがあればそれで十分なんだ」
マルクがフレッドの腰辺りを指差す。するとフレッドは目を一瞬大きく見開き、そして細めた。
「これは僕のだ」
出来うる限りの低い声を出したのだろうが、元来声が高いせいで、少しばかり迫力に欠けた威嚇であった。
マルクは溜息を吐いた。こいつの相手がいい加減面倒になってきていた。アホで子供っぽく、意地汚く小狡い。関わるだけで体力が奪われていく。まさに疫病神だ。
「……あのな、いい加減にしろよ。それは俺が探してたもんだ。俺のもんだ」
「でも先に拾ったのは僕だ。というかさ、僕は気絶した君をここに連れてきたんだよ? 命の恩人だよ? 譲るべきだよ!」
「そもそも誰のせいで気絶したと思ってんだ、このウナギ野郎……」
言いながら無意識に歩み出していた。言葉を重ねるのが無駄だということが身体に染み付いているのだ。
「ちょ、ちょっと止まりなよ!」
突然マルクが迫ってきたことに驚いたフレッドは両腕を竜の前腕よろしくチンマリと胸元で構えた。
「か、掛かってくるなら容赦しないぞ!」
射程に入ったマルク目掛けて繰り出されたのは大振りなフックだった。それを頭を下げて軽々と避け、フレッドの胴体にしがみ付き、彼の後方に回った。
「え!? ちょっと!!」
フレッドを持ち上げ、力任せに振り回しクルクルと、さながら優雅なダンスのようにその場で回転する。そして風切音がフレッドの悲鳴を上回ったその瞬間、マルクは手を離した。
フレッドの身体は横に回転しながら宙を舞い、そしてクローゼットに正面から激突し、扉にめり込んだ。途端に、古ぼけた家具が甲高い悲鳴を上げ、巨大な歯車が噛み合うような正体不明の音がその後に鳴った。
次の瞬間、フレッドの身体を受け止めていたクローゼットが後ろ向きに倒れた。衝撃で外壁が外れたのだと思ったが、倒れたクローゼットの奥にあったのは外の景色ではなく、深淵を模ったかのような暗い穴だった。
たちまちその穴に吸い込まれたクローゼットは音と共に階段を滑り落ち、やがて底に着いたことを知らせる甲高い破砕音が鳴り響いた。
クローゼットを平らげたそいつは、底魚のようにポッカリと口を開け、次の餌が飛び込むのを待っている。




