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不死者のタナトフォビア〜ある英雄譚の終わり〜  作者: 小坂 輝光
1章 悪しき者は追う人もないのに逃げる
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2. 羊飼いのジレンマ

 ――フィリップがフレッドになる少し前、ホテル『オトゥール・ドゥ・セルニュ』が血の海になった少し後。


 ◆◆◆◆


「わわわわ!」


 血と水が混じり合った赤い波を、フィリップは爪先で跳ねるようにして、どうにか躱した。


「あら、すみませんね」


 三角頭巾を被った老婆がペコリと頭を下げる。その間にも老婆はモップを器用に使い、床にこびり付いた血を落としている。彼女と同様の掃除係がホテルいたるところでモップ掛けをしている。


 屋敷の中は酷い状態で、血と臓物がそこら中に飛び散り、死体が散乱していた。だが、それをやった犯人は、他ならぬフィリップなので文句は言えない。


 血や死体を器用に避けながら、フィリップは身の覚えのある扉の前まで向かい、ドアノブを捻った。


 大きな寝室の奥では、血溜まりの中で女性が死体に跨っている。


「キーラ!」

 

 名を呼ぶと、少女は振り返り、血塗れの笑みをこちらに向けてきた。彼女の右手には真っ赤に染まった骨ノコギリが握られている。


 フィリップは床の汚れに気を付けながら、彼女の元へと歩み寄る。


「あれ? フィリップさん。どうして戻ってきたんですか?」

「いや、あのさ、汽車の切符を落としちゃったみたいでさ、見てない?」

「え、切符ですか?」


 言いながら彼女は作業に戻った。彼女が馬乗りになっているのは先程フィリップが始末した目標だ。男の傍にはまだ、あの古い拳銃が落ちている。


「キーラ、切符……」

「拾いましたよ! 少し待って下さい」


 キーラは手に力を込め、そして勢いよく引っ張った。すると男の右腕が血飛沫を上げながら千切れた。

 

「よっしゃ! 取れた!」

「うわぁ! グロすぎる!」


 たじろぐフィリップを気にせず、男の腕をトロフィーのように掲げながらキーラは微笑む。


「誰のせいでこんな仕事をしてると思ってるんですか?」

「まぁ、その通りだね」

「フィリップさんも一緒にどうです? 死体処理はできるに越したことはないですよ。必要になるかも」

「ハハハ、まさか」

「あ、どうぞ切符です」


 差し出された切符をフィリップ礼を言って受け取った。幸い特に折り目も切れ目入ってない。血で汚れてはいるが。


「もう行くんですか?」

「うん、汽車が出ちゃうから」

「寂しくなりますね。あっ、そうだ。ギルドマスターが最後に会いたいと言ってましたよ」

 「え?」


 フィリップは、大きな椅子に腰掛けて夕陽を浴びながらウイスキーを煽る小柄な男を思い浮かべた。


「……いや、行かない。話が長いからね、あの人」

「えー、悲しみますよ。ギルドマスター」 

「僕は静かに消えるとするよ。じゃあね、キーラ」

「ええ、さよなら。フィリップさん」


 ◆◆◆◆


「白ハムと揚げ玉葱多めで」

「はいよー」


 駅前の売店の店員が手際よくサンドイッチに具材を乗せていく。駅に着く頃には日が落ち掛けていた。乗車ギリギリだ。


「兄ちゃん、ソースはどうする?」

「うーん……マヨネーズかな?」

「悩んでるなら、トマトケチャップがおすすめだよ」

「何それ?」

「海の向こうの連邦で流行ってる調味料だよ。トマトのフレッシュな味わいそのまま!」

「へえ、じゃあそれで」

「フィリップ!」

 

 背後から名を叫ばれ、フィリップは身を竦ませた。振り返ると、道行く人々の中に、立ち尽くしてこちらを見つめる視線が一つある。


「ロラン……どうしたの?」

 

 背後の、十メートル程離れた位置に居たのは金髪に青い瞳をした青年だった。名前はロラン・デュポン。沢山居るギルドのメンバーの中では一番親しい相手だ。


「どうって、見送りでしょ? 君の新しい門出を見ない訳にはいかないよ」


 ロランは柔らかい笑みを浮かべる。彼はこんな仕事に就いている割には温和で人当たりのいい性格をしている。だから彼とは仲良くできた。


「ああ、ありがと――」

「兄ちゃん完成したよ!」


 呼ばれて振り返ると、台の上に美味しそうなサンドイッチが置かれている。サンドイッチの中には噂の赤いソースが挟まれている。


「うわぁ! 美味しそー!」

 

 手を伸ばしたサンドイッチに、上から追加のソースが掛かった。それは、より赤くサラサラとしている。顔を上げる。すると、店員が喉を抑えていた。喉には太い氷柱刺さっていて、止めどなく血が流れている。状況を理解するのに数瞬掛かった。

 

 ――フィリップは傍の鞄を胸元に構え、振り返った。太い氷柱が二本、鈍い音を立てて鞄に突き刺さる。


 同時に道を歩いていた誰かが悲鳴を上げた。人の波が濁流のように激しくなり、その場を離れていく。そんな中でフィリップとロランだけが動かない。


「やっぱり君みたいに上手に当てられないなぁ」


 人差し指を向けた姿勢のままロランが呟く。その声は平坦で感情が伺えない。


「何するんだよ」

「さぁ、殺したいのかも?」

「僕達、友達でしょ?」

「あれ、そうだっけ?」

「……僕はただ、街を出たいだけなんだけ」

「駄目だよ、君は出られない。君はね、頭を潰されてゴミみたいに捨てられるんだ」

「死んだら、僕もキーラにギコギコってされるのかな?」

「フフ、だろうね」


 ――鞄を投げた。するとロランは屈んで回避し、前に踏み込む。彼の手の中で小さな氷の粒が、急速に剣の形になっていく。フィリップはポケットから短杖(ワンド)を引き抜きロランに向けた。


 青白い一本の雷が、中段に構えた氷の剣に命中する。


 途端に眩い閃光に当たりが包まれた。


「ああ! クソッ!」


 目を開けると、ロランが両目を抑え膝を突いていた。咄嗟に駅の時計を見ると、発車時刻の五分前。このまま汽車に飛び乗れば逃げ切れるはずだ。


 フィリップは売店から離れ、駅の階段を駆け上がる。上り切った途端、向こうから扉が開いて拳銃を構えた二人の男が飛び出した。


「死ね! クソ野郎!」

 

 引き金を引くより早く、フィリップの魔法が一人の頭を吹き飛ばす。もう一人は銃弾を放ち、頬を掠めた。


 杖を素早く別の男に向け、男の下腹部を破裂させた。地面にひれ伏した男が耳を引き裂くような悲鳴が上げる。

 

 駅は完全に押さえられている。他の主要な道や建物は恐らく全て駄目だ。振り返り周囲を見渡すと、建物の間の細い路地に気付いた。踵を返して、今度は路地に向かって走り出す。


 路地に入るなり、日が遮られて視界が暗くなった。地面は湿気で泥濘んでいて、足を取られそうになる。それで何とか前に進む。


 その時、眼前の扉が開いた。急なことでブレーキが追い付かず、フィリップは顔面を扉に勢いよくぶつかった。


「いたぁ!」


鼻の中にじんわりと痛みが広がる。フィリップは潤んだ瞳で扉の中を睨み付けると、白く細い腕に胸ぐらを掴まれた。


 ◆◆◆◆


 複数の慌ただしい足音が通り過ぎていく。思わず肩の力を抜きたくなったが、喉元のナイフがそれ許さない。


「まだ、動かないで。ゆっくり十数えなさい」


 耳元に冷たい声が掛かる。フィリップ言われた通りに十秒たっぷり数え、丁度数え終わると同時に解放された。


 素早く相手から一歩離れ、振り返る。


「何するのさ、セシル!」


 鋭い瞳に尖った耳、痩せ気味の長身から全体的に鋭利で刺々しい。白いコートを羽織った彼女は腰まで伸びた白髪を揺らし、その長身と同じくらいに長いライフルを肩に掛けていた。セシルは、エルフの冒険者だ。


「助けてやったのに傲慢な奴ね」

「それは……ありがたいけど、鼻をぶつけたり、ナイフを突き付ける必要ないでしょ!」

「馬鹿な獣は暴力でしか制御できない」

「ひ、酷い言い方するね」


 鼻を啜ると、鼻血と埃の匂いがした。周囲を見渡すと、室内は荒れていて、いたるところに埃が溜まっている。


「君の家?」

「そう思ったのなら、私がお前を殺してやる」

「そう! それだよ! 何でみんな僕を殺そうとするの? 街を出たいだけなのに」

「アンタが嫌いだからに決まってる。私は止めておけって言ったけどね」

「うーん……そうなんだ。酷い奴らだ。本当の友達は君だけだよ」

 

 セシルは眉を顰め「違う」と吐き捨てる。


「私が止めたのは、アンタと戦っても勝てないからよ。全員で襲い掛かっても『虐殺』が起きるだけ、アンタを助けたのも、不要な死人を出さないためよ」

「ぼ。僕はそんな危険な奴じゃない」

「よく言うわ、死神。ついさっき、数秒で二人殺したのを見た」

  

 フィリップは曖昧に肩をすくめることしかできなかった。


「ねえ、フィリップ。この街から出たいなら、見つからないようにして。これを渡すから」


 セシルが一枚の紙を差し出す。受け取って広げてみると、無数の四角い箱の間を、縫うように一本の赤い線が描かれている。


「箱とミミズ?」

「地図よ間抜け。赤い線を通ればバレずに街を出られるはず」

「あー! 助かるよ!」

「絶対にバレないでよ」

「はいはい」


 首を縦に振り、地図を広げたままフィリップは扉のノブを回して外に出た。


 一応、左右の安全を確認しようと右を見ると、殺気だった男達と目が合った。


 ◆◆◆◆


「僕はただ、新しい街で、新しい生活を始めたかっただけなんだ」


 暗い路地裏の壁、座り込んで呟く。


「それなのに……こんなことになるなんて」

 

 あの後追手から散々追いかけ回され、逃げ切るのに相当苦労した。こうして息をつける頃には、日は落ち切り、月が空に浮かんでいた。


「みんな僕の送別会開いてくれたでしょ? 新しい街でも頑張れって、あれは嘘だったの? カーラなんてこっそり食事を持ち帰ってたクセに僕を散弾で吹き飛ばそうとした。それに――」

「あのな」

 

 掠れ声に話を遮られ、フィリップは傍で腰を下ろすマクウェルを見た。


「お前、い、今……死に掛けてる、あ、相手にする話かよ? それ」


 青い顔をしたマクウェルは、両腕を付け根から切断され、止めどなく血を垂れ流している。素人目に見ても彼の寿命は無駄話に耐え切れる程長くはない。


「もう、君しか残ってないから」

「……こ、この、イかれ野郎」

「でもね、僕は本気で自分を変えたいんだ。真っ当な人間になりたい。殺しも、暴力もなし。マルティアに着いたら誰からも慕われる人間になりたい。応援してくれる?」

「地獄に堕ちろ」


 フィリップは立ち上がり、路地裏から出るために歩き出した。街から出るにはもう馬車に乗る他ない。

 

 通りに面した位置まで移動し、慎重に通りに顔を出した。闇雲に走り回ったせいで自分が何処にいるのか正確には分からないが、アーク灯が点々と並んでいるだけの薄暗い通りには人影一つ見えない。


「あ!」


 思わず声を上げた。通りの一角、明かりを落とした商店の前に一台の駅馬車が停まっていた。


 周囲を見回して人が居ないことを確認してから、通りに飛び出し、そのまま小走りで馬車まで直進する。


「ちょ、ちょっと!」


 フィリップが声を掛けると、座席でウトウトしていた御者が弾かれたように身を震わせた。


「な、何ですか?」

「乗せて下さい!」


 もう一度言うと御者は眉を顰め、傍らのランタンを手にしてフィリップを照らした。フィリップがその光に目を細めていると、御者の表情が急に和らいだ。


「ああ、お待ちしておりました。乗って下さい」

「え?」

「お連れ様がお待ちですよ」


 フィリップの視線が自然と客車に向く。自分に連れは居ない。この街に居るのは、もう敵だけなのだから。


 黒色の客車の扉前に立ち、息を整えてから二回ノックした。

 

「入りたまえ」


 決して響く声ではない。だが扉越しでも真横から囁かれたようにハッキリと聞こえる声が返ってきた。


 フィリップは扉を開けて中に入ると、男の向かい側に腰を下ろした。

 

「その様子だと随分と大変な目に遭ったようだな、フィリップ」


 ねっとりと絡み付くような声が囁く。薄暗い室内にギルドマスターの大きく丸い目と白い歯が浮かび上がっている。右足が悪い彼は、杖を床に突き立て持ち手に体重を預けている。その佇まいは、まだ四十代にも関わらず老人のように重々しい。


「どうして貴方がここに? 滅多に執務室から出もしないのに」

「君に会いたかったんだよ。悲しいじゃないかフィリップ。特上のウイスキーを用意して待っていたのに……君は来なかった」

「汽車の時間があったので」

「でも乗れなかった。ざまぁない」


 ギルドマスターは鼻を鳴らす。この男の真意が、フィリップにはわからない。罠なのかとも考えたが、わざわざ彼が目の前に現れる必要はない。


「あれは貴方の差し金ですか?」

「いいや、君は私の息子同然だ。そんな君を襲わせる訳がない。まあ、止めもしなかったがね」

 

 彼は言いながら肩をすくめる。


「じゃ、じゃあ彼らはどうして僕を……」

「それは本気で聞いているのか?」


 ギルドマスターが笑みを浮かべたまま、眉間に皺を寄せた。


「君が怖いからだ」

「怖い?」

「ああ、怖い。君はその気になれば簡単に人を殺せる。そんな君が野放しになっているのは怖い」

 「そ、そんな僕は」

 

 ギルドマスターは杖をフィリップに突き付けた。


「君はいつも自分の利益になるのなら、何の躊躇いもなく殺す。それが私が買っていて、彼らが恐る君の素質だ」

「でもそれは、貴方が望んだから……」

「確かにそうだ。君を『死神』に仕立て上げたのは、私だ。そして君は私が望む通りに金持ち連中が持ち寄った殺しの依頼を忠実に完遂した。お陰で私は今や、この街、いや、この国で有数の権力者になれた」


 魚のような大きな瞳がこちらを覗き込んでいる。それは悪辣で、支配欲に呑まれた怪物の瞳に違いない。


「フィリップ、どうかね? ギルドに戻らないか? 我々が一緒なら、更に大きな事を成せる」

「それは嫌です。僕もう街を出ると決めましたから」

「そうか、残念だ」


 ギルドマスターは溜息を吐き、ガックリと肩を落とした。その様子をフィリップはまじまじ見つめた。


「あのー」

「ん、どうした?」

「何か、ないんですか? 脅すとか、断った途端に手下が乗り込んでくるとか」

「君には、私がそんな小悪党に見えていたのか? 私は見送りに来ただけだ」

「いや……ごめんなさい」

 

 少しの間、気まずい空気が流れ、ギルドマスターは口を開く。


「私が君を応援しているのは本心だよ。君は素直で純粋で……少し頭が足らない。応援したくなる」


 彼は手に持った杖で自身の右足を軽く叩く。


「私も昔はそこそこの冒険者だった。私が君の歳の頃には凶暴な魔物がまだそこら中に蔓延っていてね、あの時代はよかったよ。生きるか死ぬか、単純な価値観で皆生きていてね」


 座席に深くもたれ、暗い天井に視線を向けた。


「だが、時代は変わった。かつて空に星輝いていて、その下を冒険者が堂々と歩いていた。今はその両方が文明の光とやらに消されてしまった。我々は今や日陰者、闇に隠れて生き血を啜って生きている……まるで魔物のように」


 そう言いつつ、彼は自嘲気味に微笑んでみせた。


「君にそうなってほしくはない」

「ギルドマスター、僕」

「モルガンでいい、フィリップ。我々にもう主従はない。今はただの友人だ」

「じゃあ……モルガン。今までありがとうございました」

「こちらこそだ。私の幸運の死神くん」


 モルガンが右腕を差し出し、フィリップはそれを掴んだ。


「そうだフィリップ。一つ助言がある」

「え?」

「いいかい? 君がどこに行こうが何をしようが、私は気にしない。だがな……私の邪魔だけはするな」

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