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不死者のタナトフォビア〜ある英雄譚の終わり〜  作者: 小坂 輝光
2章 大いなる善行と些細な悪行
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17. プロローグ

 アルマンは鼻先で手を組みながら、木目の黒いシミを眺めていた。ホクロのようなそのシミは、見るからに木の模様ではない汚れだ。いつ付いたのか、何由来の汚れなのか。普段なら気にしないその小さな汚れが、今はとても気になる。


「アンタ、ドラゴンを狩ったことがあるって本当か?」


 対面に腰を下ろす、黒い肌の男が尋ねてきた。自分と同じ壮年の、室内で帽子も脱ぎやしない無作法な男だ。


「解体の援助に行っただけだ。ドラゴンをバラすのに、肉屋が街一つ分は必要なんだよ」

「ん? 俺は殺したって聞いたぞ。随分と凄腕だったそうじゃねえか」

「誰に聞いたか知らないが、噂を鵜呑みにするべきじゃないな。特に我々の世代に関する噂は、虚実が混ざって誰にも判別できない」

「あの頃はよかったぜ……どいつもこいつも骨があったし、頭だってキレた。何より胸を張って『冒険者』だって名乗れた」

「いいや、バカとロクデナシしか居なかったさ。何せ自ら食い扶持を絶滅させたんだからな」


 アルマンが返すと、男が帽子のつばを指で持ち上げ笑みを浮かべた。琥珀色の男の瞳は腐肉食性の獣を想起させる、獰猛さと陰気さを兼ね備えている。

 男の右頬には特徴的な、植物の根を思わせるような放射状の傷跡がある。傷跡は男の頬を伝って下顎から首筋まで伸びている。雷に打たれた者が持つ『不運』

の刻印だ。


「それでも俺は、あの時代の方が好きだったがね」

「あの時代は……死と絶望が人々に蔓延していた。それでも良き思い出に感じるのは、一重に今の私達が無価値だからだ。あんな時代でも必要とされていたから、我々はあの日々を思い出し、そして美化する」

「ふん……アンタ、これから殺されるっていうのに随分と態度がデカいじゃねえか」


 男の顔の笑い皺が徐々に取れ、冷淡で無機質な殺人者の顔に変わる。それは明らかな脅しだ。アルマンがそれに怯えないと知っていて行う、明け透けで白々しい脅しだ。


「私は死を恐れないよ、ムッシュ・デリダ」


 アルマンが睨み付けると、ニコラス・デリダは、その表情を再び緩めた。どうやら彼の好きな『骨のある奴』だと思われたのだろう。

 デリダは嬉しそうな表情のままジャケットの裾を払う。


「これを見てくれよ」


 ホルスターから拳銃を取り出し、テーブルに置いた。それは六連の回転式拳銃とは異なる、変わった形の拳銃で、四角い箱のような弾倉が取り付けられている。


「帝国製の試作拳銃だよ。五十メートル先のシラミだって撃ち抜ける。財閥の連中はこうやって、いつも楽しいオモチャをくれるのさ」

「ふん、財閥の連中は相変わらず商売上手だな。代わりに君は命を差し出した訳なのだから」

「ああ! 後は週給200万フロルも付いてくる」


 拳銃を手にしたデリダは、黄ばんだ歯を剥き出しにして銃口をアルマンに向けた。


「両手を挙げるのが作法かな?」

「へへ、構やしねえよ好きにしな」

「何か命じなくていいのか? 私は敗者だ。勝者の意向には逆らわないぞ?」

「敗者? アンタは勝ったんだよ。ムッシュ・デュール。勝ったから負け惜しみで俺が派遣された。『せめてあのムカつくウジ虫だけでも潰せ』ってな」

「ウジが沸くのは、連中が腐った死体だからだよ。アイツらはガスで膨らんだ資本主義の腐乱死体だ」

「おいおい、隠遁生活中に共産主義にでも目覚めたのかよ」

「庶民が率直な一意見を伝えたまでだ。それに、私はイデオロギーにうつつを抜かしたことなんてない。私が信じるのは……家族だけだ」


 アルマンは瞬きをせずにデリダを見つめ続けた。きっと目を少しでも閉じてしまえば、あの子が――アリーヌの姿が瞼に浮かんで、二度と目が開かなくなってしまうからだ。


「ところでムッシュ、ゴブリン狩りの心得はあるかな?」


 アルマンが水を向けると、デリダは困惑したように片眉を上げ「ゴブリン狩り?」と言葉をそのまま返した。


「ああ、そうだ。ゴブリン狩りだ。工程は簡単だ……まず猟に出た個体を狙って負傷させる。するとだ、賢いゴブリンという生き物は、助けを求める為に群れに逃げ帰る。だからそれを追跡すれば群れが見つかる訳だ。ゴブリンの群れは通常、半年は動かない。ので、一度頭数を揃えて戻り、一気に潰す。群れの規模にもよるが、五十から百匹は一度に狩れて、死骸を市場に流せば三千万フロルは固い。我々南部の冒険者が好んでいた。危険で冷酷、しかし理に適った方法だよ」


 アルマンが説明を終えても、デリダは困惑顔を崩さない。


「……何が言いたい?」

「これらの工程に必要なのは『目』だ。若いゴブリンを見つけるのも、ゴブリンに動けるが命に関わる程度の適切な傷を付けるのも、森の中を追跡するのも、群れを壊滅させられ且つ報酬が減りすぎない人数を弾き出すのも、市場で商人とやり合うのも、全て物事の本質を見抜く『目』が重要だ」


 アルマンは身を乗り出し、デリダの目を見つめる。


「私は自分の『目』に絶対の自信がある。だから今まで生き残れた。今回も()()な人物を用意したつもりだよ」

「……このキチガイが」

「褒め言葉として受け取ろう。ところで、私がそうしたように……君も為すべきことを為したまえ」


 アルマンは口の端に笑みを浮かべた。決して、この眼前の小間使い相手に勝ち誇りたかった訳ではない。ただ、死を前にして、長らく失われていた情熱が甦りつつあることを皮肉に感じたのだ。


◇◇◇◇


 アリーヌはドアノブに手を掛けた。鉄の冷たさは、既に氷のように冷たいアリーヌの右手に届かない。


 心臓が高鳴っている。この先にある光景を想像し、軋んでいた。逃げ出したかった、泣きたかった。だが、それを許してくれる人はもう居ない。


 ドアノブが静かに回り、扉が悲鳴のような鈍い音を立てた。暗い室内に一本の光の道が伸び、彼を照らし出した。


「ああ……」


 叔父のアルマンが椅子の背もたれに身を預けるようにもたれ掛かっていた。床には赤い血が絨毯のように広がっており、アルマンの額には大きな穴が空いていた。


 その惨状に反して彼の死に顔は随分と穏やかだった。だが、それすらも自分を気遣っての彼の配慮に思え、アリーヌは細やかな安堵すらできなかった。


 室内に足を踏み入れると、微かにタバコの匂いを感じた。アルマンは煙草を吸わない。誰かがこの場に居たのだ。


 死体に近付いて覗き込む。間近に香る死の奥に、叔父の古い絨毯みたいな埃っぽくて安心する匂いがまだ残っていた。


 アリーヌは屈んで、アルマンの耳元に口を寄せると、囁いた。


「闇が優しく貴方を包んでくれますように」


 そして、頬に口付けをして立ち上がった。


 これ以上、別れを惜しむ時間はない。やらねばならないことが、アリーヌにはあるのだ。


 膝を叩いて自身を奮い立たせ、奥の寝室へと向かう。ベッドとクローゼットがあるだけのその部屋には、人が生活していたような痕跡はまるで感じられない。その様は、潔癖で質素で、そして無気力な叔父の人柄を端的に示していた。


 木造の床が軋む音を感じながら、アリーヌはクローゼットの前に立った。ダークウッドのクローゼットは簡素な作りをしていて明らかに古めかしい。一頻りクローゼットを眺めてから、アリーヌはクローゼットの側面に指を掛け、力一杯に横に引いた。


 床が甲高い悲鳴を上げながら重いクローゼットが横に動いていき、背面に隠れていた黒い穴が姿を現した。


 ――この先に何があるのか、アリーヌは知らない。叔父は「中に悪魔が住んでいる」と言っていた。眼前の漆黒はその言葉が比喩なのかも不確かに感じさせる。ただ一つ確かなのは、この先にある物がアリーヌには必要だということだ。


 クローゼットを開け、唯一置かれていたランタンを手に取り、マッチで火を付ける。掲げると、真っ暗な穴の奥に、地下へと降りる為の階段が見える。


 アリーヌは一度深呼吸をして、闇の中に足を踏み入れた――

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