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不死者のタナトフォビア〜ある英雄譚の終わり〜  作者: 小坂 輝光
2章 大いなる善行と些細な悪行
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15. 権威の衝突点

 スプーンを傾けると白雪のような砂糖がコーヒーに降り注ぎ、見る間に飲まれていく。その様をじっくりと楽しんでから、スプーンをコーヒーの中に入れる。掻き混ぜると指先にもったり重たい感覚が伝わってくる。加減は完璧だ。


 スプーンをテーブルに置き、カップの持ち手を掴む。


「砂糖、もう要らないの?」


 それまで不気味に沈黙していたルイーズが口を開いた。そのせいでフレッドはコーヒーを迎えようと首を傾けたキツい姿勢のまま、上目遣いで応じる羽目になった。


「もう十分だよ。お構いなく」

「別に構ってる訳じゃない」


 その妙に刺々しい言い方が引っ掛かり、フレッドはカップを置く。


「どういうこと?」

「いえ、ただ、対竜榴弾砲がない以上、この場で一番アンタに有用な武器は砂糖だから」

「え?」


 フレッドはカップの中に視線を落とす。スプーン二十三杯分の砂糖を吸い込んだコーヒーが泥のようにカップの底に張り付いている。量はいつも通り、多くも少なくもない。


「これが完璧な具合なんだよ。苦くも酸っぱくもないし、コーヒーの変な匂いもしない。君もどう?」

「概念的コーヒーって訳ね。遠慮するわ」


 フレッドは味のわからん相手への失意を隠さずに肩をすくめ、コーヒーを啜った。一啜りした途端、爆発的な甘みが駆け抜け、後には何も残らない。


 ――駐屯地の一際厚い扉に覆われた一室に連行され、何もないまま二時間近く経過していた。窓の一つもない、この真っ暗な部屋が、フレッドには尋問部屋なのか金庫室なのかすら未だ見当がついていない。


 ルイーズがコーヒーを持ってきて入室したのが五分ほど前だった。二人が腰掛けるテーブル席の真上には、唯一の光源である裸電球が吊るされているが、その小さな光は部屋全体が暗闇に包まれていることを相手を認識させる道具に過ぎない。


「昨日、ルーユに居たわね?」


 ようやく、ルイーズが本題らしい話題を口にした。待ちに待った展開だが、内容は歓迎できそうにない。


「……居たけど?」

「そこでアンタは地元のギャングと撃ち合いになり、二十六人を殺害し、十二人に重軽傷を負わせ、そして街の設備に二千六百万フロル相当の損害を与えた。ここまでは間違いないわね?」


 元来より数字が嫌いなフレッドである。更にその数字が好ましざる物であるなら、彼は顔顰める他ない。


「……そんなに沢山?」

「ええ。でも安心して、別に広場に吊るすつもりはない。ただ事実確認をしただけ」


 「安心して」と言う割に、ルイーズは無表情のままで、こちらを安心させる気があるようには見えない。


「大事なのはこの先よ。アンタはルーユで少女を拾った。赤い髪の、ませた子供を」

 

 きっと、イザベラのことである。


「うん」

「認めたわね? じゃあ、単刀直入に言うわ、あの少女の身柄を私達が預かる」

「え?」

 

 ルイーズは、その決定に疑問を挟む余地がないと言いた気である。


「だ、駄目だよ! イザベラは僕達の仲間なんだ」


 すかさずフレッドが反論すると彼女は実に官僚的な、小さく短い溜息を吐いた。


「アンタの頭にはクソすら詰まってないのね? 状況がまるで見えてない」

「見えてるさ!」


 フレッドは威勢よく机を叩いた。それから彼は少し考えてから「見えてるさ……」と弱々しく繰り返した。それを見たルイーズは怒るでも呆れるでもなく、ただ小さく頷いてから喋り出す。


「まず、アンタと例の少女をルーユで襲った連中はギルドの息が掛かってる。それは知ってる?」

「知ってる。ロランがどうとか言ってたからね」

「そう。じゃあ、政府が彼女の身柄に一億フロルの懸賞金を掛けていることは?」

「え?」

「それじゃあ『コルディエ財閥』が四億フロルを掛けていることは?」

「コ……コル?」

「アンタ、この街にいて財閥のことも知らないの?」


『影の列強』『偉大なる資本主義の皇帝』『クソブルジョワの親玉』――世界最大の金融機関であるコルディエ銀行を母体とした企業の集合体である財閥は、大国に並び立つ、世界で有数の影響力を持つ存在だ。


 財閥はマルティアが1802年に自治を獲得して以降、彼の地に本社を構え、一港湾都市に過ぎなかったマルティアを地図上に輝くダイヤへと変えたのだ。

 財閥はマルティア内に『マルティア土地会社』を始めとした多数の子会社を抱え、市の経済活動の82%を占有している。マルティア市は言わば皇帝の帝冠なのである。


 という説明をしようとしたルイーズは、しかし思い止まって、一言だけ伝えた。


「……なんか、大っきい会社よ」

「へえ、そっか!」


 合点がいったフレッドは手をポンと叩く。


「私が言いたいこと理解できた?」

「うん、コルなんとかは大っきい会社なんだね?」

「そうじゃなくて……その前の部分、あの少女に政府と財閥が懸賞金を掛けてるって話」

「ああ、それか。同じ人を探してるならさ、懸賞金統一したらいいのにね、そしたら安く済むでしょ?」


 それは自分でも驚くほどの妙案であった。対面のルイーズも感銘を受けたのか、顔を強張らせたまま動かなくなる。


「……いい? 財閥と政府は本質的に対立関係にあるの。それは1802年のフレンシア革命から続く……まあ、難しいことはいいわ。とにかく財閥と政府は不仲なの? わかる?」

「わかった」

「その二つの巨大な勢力が、あの少女を巡って争ってるの。それだけじゃない、ギルドや他の連中も独自にあの少女を探してるの。つまりアンタは今、物凄く不味い状況の中心でアホ面をしてる訳なの」

「ほえ?」


 フレッドは大きく目と口を開いて首を傾げた。それは決して意図していない見事なアホ面だった。


「ま、待ってよ、イザベラは何をしてこんな状況になったのさ?」


 それはルーユで彼女と出会った時からずっと抱いていた疑問だった。


「……それは知る必要がない」

「いやいや、あるよ!」

「断言するわ、知る必要はない」


 ルイーズの額に深い皺が浮かんだ。彼女は明らかにこの話題を続けることにストレスを感じている。


「知らない方がいいことも世の中にはあるの。アンタの正体とかね」

「……でも」


 ()()を引き合いに出されては、フレッドに反論する術はない。


「理由はどうであれ、彼女の身柄を私達が預かるのが最適よ。騎士の名誉に掛けて約束する、絶対にあの子に嫌な思いはさせないし、危険な目にも合わせない」


 ルイーズが数百年も続く騎士としての誇りを固く、青い瞳に宿し、フレッドに向けた。

 フレッドは言葉通りしたが、彼女の言う『私達』とは、とどのつまり軍事省とフレンシア王国政府のことである。


 ――フレッドはそれが当然の権利であると受け入れてはいるが、ルイーズがこうやって、わざわざ彼にイザベラの処遇について許諾を得ようとしているのは政府や財閥というボードゲームのプレイヤーにとって『フィリップ・ルヴィエ』という存在が、悪戯好きな大型犬だからである。

 要するに、彼を適切に慎重に扱わなければその圧倒的な力と気まぐれを持ってして、ゲーム盤そのものをひっくり返す危険性があるのだ。


 そんなことも露知らず、フレッドは腕を組み頭を捻った。だが、内心は何も考えていない。結論は最初から出ているのだ。考えたフリをしているのは、ルイーズに対する彼なりの敬意だ。


 ……正直言って、ルイーズの話はフレッドからすれば狭い室内で聞かされた、よくわからない話に過ぎない。セーフとかザイバツと意味不明だし、実際に見た訳でないのだから現実感がない。

 そもそもフレッドの知る限り、イザベラは少し生意気であるという以外に嫌われる理由がない。それをだ。その何でもない少女を国中の権力者が探してるって? 少し誇張が過ぎるのではないか?


 フレッドは論理よりも結論が前にある男だ。彼はこうと決めて掛かればそれに合うように都合よい情報だけを受け入れる。そこに道理や筋道などはない。


「断る」


 故に、彼はこうも大胆なのである。


「正気なの?」


 呆然としたルイーズの眉がひっくり返ったカマキリの足のようにピクピクと痙攣している。


「わ、私の話聞いてた!?」


 堪え切れなくなったルイーズが勢いよく身を乗り出す。その慌ただしい動作が、それまで慎重に醸成されていた彼女の威厳を吹き消した。


「聞いてたよ。その上で断るんだ」


 フレッドは自らの思い切りの良さに心底敬服し、腕を組んだまま深く頷く。


「馬鹿言わないで……大変なことになるわよ?」

「仲間は絶対に見捨てない。それが冒険者だよ。冒険者なら、理想に殉ずるくらいの覚悟を持たなくちゃ」


 いつぞやのアリーヌの受け売りだ。


「その冒険者ごっこもできなくなるのよ?」


 ルイーズは未だに交渉しようと踏ん張ってはいるが、声色は既に懇願するかのようである。


「とにかくノンだよ。僕達は自分の身くらい自分で守れるからね」

「チッ、私がその気になれば……アンタを帝国の間諜にも無政府主義者にだって仕立て上げられるのよ?」


 ルイーズの瞳が不意に鋭くなり、低く唸るような声出す。


「ど、どういう意味?」 


 言葉の意図を測りかね、フレッドが不思議そうに片眉を上げる。


「だから、アンタを自由に牢屋に入れられるってこと」

「え? でも、僕は無政府主義者じゃないよ?」

「……だから、そういうことにして捕まえられるって言いたいの」

「え? 僕捕まってないの? ほら、さっき銃で人を撃っちゃったじゃん。それで連れてこられたんだと……あ、そういえばあの人平気? 後で謝りたいんだけど」

「それは名目よ……本当はさっきの話がしたかっただけ」

「え? じゃあ僕は捕まってないの? 銃で人を撃っても捕まらないんだ」

「……いや、捕まえることもできるけど捕まえてないの」

「というかさ、無政府主義ってだけで罪にならないでしょ? ほら、政治信条の自由ってやつでさ」

「それはモノの例えで言っただけで……」

「ところで撃っちゃった人は無事? 無視しないで答え――」

「きゃああああああああああ!!!」


 ルイーズが突然立ち上がり、耳が引き裂かれるような甲高い叫び声を上げた。見る間に彼女の顔が赤く染まる。


「なんなのよ!! 何よアンタ!! 人が一生懸命説明してんのに!! この間抜け!!」


 理性を奪われたかのように頭を掻きむしりながら、ルイーズは喚き散らす。フレッドはその様子を、椅子にしがみ付いて、声も出せずに怯えながら見上げる他なかった。


「もう嫌ぁ!! うわあぁぁぁぁ!!」


 彼女は椅子を頭上の高さまで持ち上げ、壁に投げ付けた。木製の椅子が音を立ててバラバラになるのと同時にルイーズが胸を抑え崩れるように座り込んだ。


「ふう、ふう、は、はぁ、はあ、どうしま、しょう、息が、上手く、吸えない」

 

 フレッドは慎重に席を立ち、口を大きく開け荒く不規則に呼吸をする彼女に、背後から近寄った。


「だ、大丈夫?」

「え、ええ、の、飲み物を……」

 

 テーブルからコーヒーカップを掴み、口元まで運ぶと、彼女は上唇だけをカップに付け、チュルチュル音を立てて啜った。


「あ、あ、甘、甘い、甘いわ、凄く」


 ◇◆◇◆


 尋問室から解放され、駐屯所の外に出ると、空は既に茜色に染まっていた。イザベラをあの屋根裏で見つけたのが、丁度一日前である。それから、二つの組織と揉め、二度逮捕されたのだ。思い返すと実に慌ただしい二十四時間である。


「フレッドさん、どうしたんですか? 青い顔して」


 大通りを横に並んで歩くアリーヌが、顔を覗き込んでくる。


「え? ああ、ちょっと怖い目に遭ってさ」


 フレッドは先程の錯乱したルイーズを思い返し、顔を歪めた。人がブッ壊れる瞬間を見たのだ。誰だってそりゃビビる。


「二人はどうしてたの? 狭い室内に閉じ込められなかった?」


 アリーヌは笑顔のまま首を振り、反対側で手を繋いだイザベラも「いいえ」と小さく呟く。


「私達は普通の応接間でお茶菓子を食べて寛いでましたよ? えっと誰でしたかね?」

「ジュールス、ジュールス・ガジェ」

「そうです! その人が話し相手になってくれました!」


 余程、楽しかったのかアリーヌは軽快に指を鳴らしてみせた。ジュールスという名前には聞き覚えがある。黒人の若い男で以前はルーイズの兄を補佐していたはずだ。きっと今はルイーズを補佐しているのだろう。


「ねえ、ちょっといい?」  


 イザベラに手を引かれ、フレッドとアリーヌが立ち止まる。


 彼女は目深に被った大きなハンチング帽の隙間から朱色の瞳を覗かせている。上目遣いに見上げるその瞳は鋭かったが、今は年相応のあどけなさも感じられる。


「私、仲間に入りたい」


 イザベラはポツリと呟いて、目を伏せた。フレッドがアリーヌを見る。彼女は予想通り、顔に満面の自信を蓄え、鼻から深く息を吸い込んでいた。


 屈んでイザベラと目線を合わせたアリーヌが力強い声で言う。


「もちろん! イザベラさんは仲間です!」


◇◆◇◆


 セザールはカフェのテラス席に座り、目の前の通りを行く人々の音や匂いを感じながら、供されて久しいぬるいコーヒーに口を付けた。砂糖の入っていないコーヒーは苦く酸っぱい。


 コーヒーを飲み干し、通りの反対側で立ち止まる三人組の男女を見つめる。若い彼女らは遠くから見ていてもわかるくらいに希望に満ち溢れ、人生を楽しんでいるようだ。


 ……実際、彼らが本当に希望に満ち人生を楽しんでいるのかは知らない。だが彼の、心の奥底を這いずる良心は絶え間なく「お前は彼らから希望も喜びも奪うのだ」と責め立ててくる。

 

 ハンカチを胸ポケットから取り出して、空になったカップを先客の口紅まで残さず丁寧に拭き、音立てないようにソーサーに置く。それからシルクハットを被って、鞄を手に取り店を後にする。


 ふと、上を見上げると、雲が僅かに懸った空が鬱血したかのように赤黒い色に染まっている。もうすぐ日は完全に落ち、空は青褪めるだろう。そして我らが為の夜がやってくるのだ。


 周りを仕事終わりの人々が軽やかな足取りが流れていく。セザールが一歩その中に踏み出すと、足音は溶けて、混ざり合った。



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