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不死者のタナトフォビア〜ある英雄譚の終わり〜  作者: 小坂 輝光
2章 大いなる善行と些細な悪行
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14. 臆病者の受難

 二人は眼前に聳える古めかしい屋敷を見上げた。道路に面した屋敷は何でもない住宅街の一角で、左右を民家に挟まれていた。恐らくは没落した名家が庭や門扉のあった土地を売り払い、屋敷だけを何とか守ろうとしたのだろう。だが、その様はサーベルと上着を剥がされた将校のように威厳に欠く。

 

「ここで間違いないね?」

「そうですね」


 フレッドが蔦が這った白壁を見上げながら問うと、アリーヌは静かに返事をした。

 あれから二人はどうにかマルティアに戻り、可能な限りの準備をした。準備と言っても、百万フロルという大金を手に入れる当ても、相手を出し抜くような作戦を思い付く頭もないので、ほとんど手ぶらである。


 フレッドは杖を取り出し、指で『mle 1862』の刻印を撫でた。傍らのアリーヌも同じように手にした棍棒を摩っている。


「アリーヌ、やっぱり僕一人で行くよ」

「いいえ、ダメです。私も行きます」

「うーん……でも危険だよ?」

「行きます」


 フレッドにとって誤算だったのはアリーヌが思いの外、乗り気であったことだ。彼女はイザベラを連れ去られた以上に、他の冒険者パーティーから攻撃を受けたことに憤慨した。怒りは相当なもののようで


「仮に、仮にですが、百万フロルが手元にあっても、あの無礼で野蛮や無法者どもに金を渡すつもりはありません。彼らは打倒されるべきです」


 と、妙に「仮に」を強調しながら語っていたくらいである。

 

 正直、アリーヌが一緒だとやり辛い。しかし、彼女を止める術もない。


「とにかく、僕の背後に隠れててね」


 慎重な足運びで正面の扉まで近付く。作戦は単純だった。金を払う素振りを見せ、イザベラの元まで行き、隙を見て敵を無力化する。作戦と呼ぶにはあまりにも単純だが、そのくらい単純な方がフレッドは好きだ。


 古い二枚扉の目の前で立ち止まる。息を整え、袖の中に杖を忍ばせた。そして咳払いをして、拳で扉を叩く。


 ガラスが割れる、けたたましい音が鳴った。反射的に音の方を向くと、二階のガラスの一枚が割れ、そこから男が飛び出した。悲鳴とガラス片がパラパラと雑草の上に落ちる。


 フレッドと同じく一部始終を見ていたアリーヌが、驚愕で顔を強張らせたまま、男に慎重に近寄った。


 仰向けに倒れた男は、苦痛に悶え、呻いている。二人は男を見て、それから顔を見合わせ、また男を見て、再び顔を見合わせた。


 ――その時、屋敷内から続け様に銃声が聞こえた。


「イザベラさん!」


 我に返ったアリーヌが血相を変えて、扉に向かって走り出す。遅れてフレッドも続いた。


 ◇◆◇◆


 扉の奥は酷い有様だった。シェーレグリーンの壁紙に彩られた吹き抜けになった広い玄関ホールは、壺や彫刻などの装飾品は壊され、カーペットは皺だらけになっており、見る影もない。

 そして何より驚いたのは、その至るところに男達が倒れていたことだ。彼らは壁にもたれ、床の上に大の字になり、二人を出迎えたのだ。

 それはまるでフレッドが作った光景のようだったが、血の一滴も流れていないという点で異なっていた。一人に近付いてみると、息はあるようで、心臓は正常に動いていた。気を失っているだけのようだ。


 フレッド以外の、竜巻のような何かが男達を薙ぎ払い、そして去ったのは明らかだ。


「何が……あったんでしょう?」


 呆然と呟いたアリーヌは既に強烈に抱いていたはずの怒りを忘れてしまったようである。


「……と、取り敢えずイザベラを探そう」

「は、はい!」


 玄関ホールを進み、最奥の、大きな回り階段を上る。二階も一階と同様に、争った痕跡と敗れた男達が散らばっている。


 二人は廊下を進む。進むべき道は男達が身を挺して示してくれているので迷わない。


 ホールの外縁に沿う道を右に折れると、屋敷の端まで伸びる長廊下が現れた。その最奥に、厳しい金色の二枚扉が見える。その光景にフレッドは猛烈な既視感を抱いたが、眼前の光景に意識を引き戻し、振り払った。


 倒れた男達を跨ぎ、割れたガラスに気を付けながら扉に近付く。二人は扉の両側に取り付き、耳をそばだてる。


「――やめ――返え――」


 微かに聞こえる嗄れ声は間違いなくヤンのものだ。声からは明らかな怯えが感じ取れる。どうやら彼は、屋敷を制圧した相手と会話をしているようだ。


 フレッドは杖を握り、アリーヌも棍棒を強く握り直した。二人は互いの顔を見て頷き合うと、扉を勢いよく押し開けた。


「動くな!」


 杖を構え、フレッドが声を上げた。新たな来客に、椅子に座って両手を上げたヤンが目を丸くする。そして、机を挟んでヤンの前に立つ男が、ゆっくりと二人を振り返った。


「うわぁ! 出た!」


 フレッドは白髪の少年。いや、一見少年に見えるハーフエルフの男の顔を見るなり、悲鳴を上げて飛び退いた。


「マルクさん?」


 アリーヌに名を呼ばれたマルクは顔を顰め面倒そうに舌打ちをする。


「ど、どうしてここに?」


 アリーヌが質問すると、彼は少し悩むように口を結んでから、左手に持った紙袋を掲げた。


「配達だよ」


 そうでないことは、ここに来るまでの惨状を見るに明らかだ。


「き、君があの人達を倒したの?」

「いや、違うね。アイツらは初めから倒れてた。な、そうだろ?」


 マルクが同意を求めると、ヤンは無精髭の生えた丸い顔に媚びるような笑みを浮かべ頷いた。


「よし、じゃあ、お客さんも来たようだし、俺は帰るとするかな」


 マルクが不意にわざとらしく手を叩く。そして彼は歩き出し、二人の間を割って廊下に出た。


「ちょ、ちょっと――」

「そうだ」


 呼び止めようとしたフレッドの声を掻き消すように、マルクが人差し指を立てる。彼はその姿勢のまま、くるりと振り返り、フレッドに指を向けた。


「お前、玉ねぎのピクルスは食えるか?」

「え?」

「食えるか?」

「……うん」


 頷くと、油を差し忘れたような硬い笑みを浮かべたマルクが、紙袋の中から包装紙に包まれた何かを手に取り、唖然とするフレッドに渡した。


「美味いサンドイッチだ。やるよ」

「え? あ、ありがとう……」

「礼は必要ない。じゃ、今後ともウチをご贔屓に」


 言うが早いかマルクは踵を返して去っていく。聞きたいことは山ほどあった。だが、呼び止める気は起きない。


「あ、あの」


 不意に背後から声がして二人はヤンを見る。彼は両手を上げたまま薄ら笑いを浮かべ続けている。


「ガ、ガキと百万フロル……交換する?」


 ヤンが足元の方に視線を送る。見ると、床の上に両手足を縛られたイザベラが転がっていた。口を塞がれた彼女は不機嫌そうに目を細め、ジーッと二人を見上げている。


 ◇◆◇◆


「この! この! この馬鹿者! 恥を知りなさい!」

「ムー! ムー!」


 棍棒を握ったアリーヌが、机に拘束され剥き出しになったヤンの尻を一生懸命にシバいている。壁際に腰を下ろしたフレッドとイザベラが半分に分けたサンドイッチを頬張りながら、その光景を眺めていた。


「ほんと無事でよかったよ」

「ええ、私もそう思う」

「で、何でマルクがここに居たの?」

「あのハーフエルフよね? 知らないわ」


「でも」とイザベラが首を傾げる。


「銃を返せって、そこのプリケツに詰め寄ってたわよ」

「銃?」

「そう、銃よ。よくは知らないけど『銃を返せ』って言ってたわ」

「へぇ、銃まで売ってるんだ。意外と品揃えいいんだね」

「……なんか気の毒になるくらい必死だったわ」

「必死?」


 その表現に違和感を覚え、聞き返す。するとイザベラは上目遣いにフレッドを見上げ「そう、必死なのよ」と、神妙に眉を顰めた。


「何ていうか、汽車が出る一分前みたいな感じで、慌ててたし、イラついてた」

「……そんな風には見えなかったよ」

「アンタらの気配を感じた途端に取り繕ってたわ」

「その銃に何かあるのかな?」

「さあ? 見てみましょう」


 イザベラは言うと、立ち上がって机に近付き、引き出しから拳銃を取り出した。それを見たヤンが顔をケツと同じ青紫色に染めた。


「ま、まだ残ってたの?」

「ええ、彼が回収するより早くアンタらが来たから」


 イザベラは再びフレッドの横に腰を下ろし、手にした銃を繁々と眺めた。そのそそっかしい様に、慌ててフレッドが銃を奪い取る。


「ちょっと!」

「ダメ! 十年早いよ!」


 銃の形状から見るに、それは一般的な官製品の回転式拳銃のようだった。特に珍しい品でもなければ、不審な点も製造番号が刻まれていない以外は見当たらない。その不審点も銃を回収する理由にはならない。何故なら製造番号が消えているならば、余計に銃を回収する必要はないはずだからだ。


「……普通の銃だね?」

「弾が問題とか?」


 弾倉を開け、銃弾を一つ手に取る。金属薬莢の銃弾は至って普通である。


「普通だね」

「普通ね」


 明らかに興味を失ったイザベラがつまらなそうに溜息を吐く。だがフレッドの目からは未だに好奇心の光は消えていない。彼は弾を込め直し、扉に銃口を向けた。


「何してんの?」

「撃ってみる」

「はぁ?」


 呆れ声を漏らすイザベラを無視して、フレッドは銃の引き金を引いた。たちまち銃口が閃光を吐き、同時に破裂音が響く。


 飛び出した銃弾が扉に穴を開けた。少しの沈黙の後、煙が吹き出す銃口を見つめながら、フレッドは片眉を上げた。


「普通だね」


 そう呟いたフレッドの耳に、低い呻き声が届いた。それは、扉の向こうから聞こえてきた。恐る恐る、ドアノブに手を掛け、引くと、真っ赤に染まった腹部を抑えた男が仰向けに倒れていた。


「う〜、マジで、今日は、最低な、一日だ……」


 その男は先程、窓を突き破って外に飛び出したあの男に違いなかった。


「あら、驚いた」


 男の横に立つ、青い軍服姿の少女が優雅に口元を手で覆う。


「殺人未遂で逮捕ね、フレッド・ロス」


 ルイーズが、フレッドの目を真っ直ぐ見据え微笑した。


 ◇◆◇◆


 ――ヤンの尻が青紫になる少し前。


「――で、ウェスト・バーラ社の株を買った訳です。その結果どうです、大儲けしました」


 サンドイッチを頬張りながら、一人で喋り続けるチャーノフを無視して、マルクはテーブルに伏せ、ウェイターがカップに注ぐコーヒーをジッと眺めていた。


「ちょっと、聞いていますか私の話?」

「うるせえ、興味ねえ」

 

 昼時のカフェのオープンテラスは休憩中のビジネスマンや主婦でごった返しており、海から流れてくる潮風も相まって居心地は最悪だった。中にはこの潮風が好きだと言う者もいるが、半端にエルフの血が混ざり嗅覚が鋭いマルクにとっては魚の腐った匂いと何ら変わらない。


「驚いた。まだ怒ってらっしゃるようで」

「怒っちゃいねえよ。気に食わねえだけさ」

「あの冒険者達に道具を売ったことがですが?」

「他に何があんだよ?」


 睨み付けるマルクの視線はチャーノフの軽薄な笑みとぶつかった。


「連中、アレを何使うつもりだよ?」

「さあ? 私の知ったことではありません。まあ大方、婦女を脅迫したり、強盗したりでしょうね」

「……良心は痛まねえのかよ?」

「良心!」


 チャーノフが心底愉快そうに、その単語を復唱する。それから彼はサンドイッチを皿に置きテーブルの上で手を組んだ。


「ムッシュ、罪悪感があるのは理解できます。ですが考えてみてください。もし貴方が売った商品で人が死んだとして、それは罪になりますか?」

「……なるだろ」

「ならば酒屋と煙草屋、それとお菓子屋も裁かれなければいけませんね」


 マルクは舌打ちをした。この腐った資本主義者が、少しでも触れると延々と膿のよう減り口を垂れ流すことを知っていたからだ。それに付き合っても馬鹿を見るだけだ。


「貴方はもっと、簡単に考えるべきですよ。我々商売人は肋骨から生まれた女性と同じ。つまり需要が先にあってそれを満たす為に生まれたのです。人生、マスをかくだけじゃつまらない。我々が彩りを与えています。その結果どうです? 私達はこうして太陽の下で健康的なサンドイッチを食べている。実に素晴らしい共生ではありませんか」

「そうかそうか、お前は本当に商売人に向いてるよ」


 チャーノフの演説にうんざりとして、マルクは席から立ち上がる。


「おや、どこに?」

「帰る」

「え? まだサンドイッチを食べてないでしょ?」

「要らねえよ」

「いやいやダメですよ。ここの玉ねぎのピクルスは絶品なのに食べなくていい訳がない。ウェイター、包み紙!」


 ◇◆◇◆


 紙袋を左手に持ちながら、マルクは人通りの多い通りを歩く。一人で居るのは、やはり誰かと居るよりもいい。何か考える必要も、口を開く必要もないからだ。


  紙袋を開け、中を覗いてみると、紙に包まれたサンドイッチが入っている。チャーノフは美味いと言っていたが玉ねぎは嫌いだ。


 昼時のマルティアは今日も夏前の、冷たく涼しい風が吹いている。日差しも柔らかく、シャツとベストだけでは少し肌寒いくらいだ。 


 ――ポン。


 そんな音がしてマルクは足を止めた。視線は自然と歩道の反対側に向く。道沿いの料理屋のテラスで栓の抜いたワインボトルをウェイターが手にしている。彼はそれをグラスに傾け、赤い液体を注いでいる。人の切れ間に見えるその光景から目が離せない。


 身体中のあちこちを冷たい汗が伝う感触があった。胸の中では、心を爪で引っ掻かれるような気持ちの悪いざわつきが少しずつ大きくなる。


 ――また、この感覚だ。忌々しい不快な感覚が胸の中を蠢いている。マルクは舌打ちをする。だが出るのは湿気った本を静かに捲るような情けない音だった。


 路地に体を滑り込ませた。薄暗い路地の壁に背を預けて一度深呼吸する。それなのに肺が膨らむ感覚はなく、息が苦しい。手足が痺れてくる。


 震える手でポケットから煙草入れを取り出す。煙草を吸おうと煙草入れを開けたその時、手元が狂い、足元に煙草入れを落とした。


 煙草が地面に散らばった白い煙草をマルクは呆然と眺めていた。長い時間そうして、それから満身の力で震えごとタバコを踏み潰した。

 

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