表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死者のタナトフォビア〜ある英雄譚の終わり〜  作者: 小坂 輝光
2章 大いなる善行と些細な悪行
13/33

12. 扉を叩く者

 アリーヌは痺れてきた尻を動かしながら、欠伸をした。廊下のスペースに設けられた、窮屈な待合所には自分以外にも三人の男達が横並びに座っている。彼らは皆、眠気で溶け落ちそうな眼を床のシミに向け、咥えた煙草からだらしない細い煙を立ちのぼらせている。


 イザベラ嬢の情報を聞くために停留所の事務所を訪ねたのはもう一時間近く前のことだ。責任者に会い話を聞く。それだけのはずだった。しかし、そのためには事務手続やら順番待ちが必要だったの予想外であった。


「次の人、番号札十二番」

「はい! はいはい!」


 執務室から顔を出した女性が番号を呼ぶと、アリーヌは手にした札を掲げ、縮んでいたバネのように勢いよく立ち上がった。


 ◇◆◇◆


「知らないね」


 対面で座椅子に腰掛ける男が、手にした似顔絵を一瞥するなり、吐き捨てた。


 狭い執務室で対面した停留所の責任者は、白い髪に長い耳のエルフだった。男は眉間に皺を寄せ、神経質な力強い視線でアリーヌを睨んでいる。


「その……馬車の出入り記録を調べてもらえませんか?」


 アリーヌがおずおずと尋ねると、男は噛み煙草の混じった痰を足元の壺に吐き捨て、それから前のめりにアリーヌと向き合った。


「あのな、お嬢さん。ちょっと子供が姿を消したくらいで騒ぎ過ぎだよ」

「ゆ、行方不明ですよ? 騒ぐべきじゃないですか。それに警察だって動いているはずです」

「はぁ? 警察? あのタダ飯食い共が働いてるのなんか七十年の人生で一度も見たことないぞ」

「で、でも、捜索願いが……」

「そんなの聞いたことないね。警察が街を捜索してる様子もない。この子供のことで私を訪ねてきたのは君が初めてだ」

「え?」


 それではバリス氏から聞いていた話とは違う。だが男が嘘をついているようにも見えない。


「え、えっと――」

「静かに!」


 困惑するアリーヌを男が、右手で制した。男はその姿勢のまま目を瞑り、聴覚に全身の神経を向けている。


「聞こえたかね?」


 不意に目を開いて、男が問い掛けてくる。アリーヌも試しに耳を澄ましてみた。が、遠くで微かに響く嘶き以外に何も聞こえない。


「いえ……」

「チッ、これだから人間(シーミウス)は……聞こえんかね? 破裂音だよ。パン、パンと、今も鳴ってるだろ?」


 改めて耳を澄ましてみる。言われてみるとそんな音が鳴っているような、鳴っていないような……どれだけ頑張ってもその程度が限界だ。


「待て、別の音に変わったぞ……臼? いや、車輪の音だ。早いな、何だこれは」


 男は最早アリーヌそっちのけで独り言をぶつぶつと呟いている。気が触れたのかと不安になったが、遅れてアリーヌも音を聞いた。大きな石が地面を転がり落ちるような重い音だった。その音が少しずつ大きくなっている。


 遂に音は振動を伴う。天井の電球が揺れ、卓上のカップがカタカタと震える。


「わわわわわ!」

「な、な、な、何だ!」


 そして極限まで張り詰めた不穏は、爆発のような衝撃と荒まじい轟音となって弾けた。


 ◇◆◇◆


「怪我人はいないか!?」「何が起きたんだよ!」


 執務室を出て待合所を抜けた先にある、馬車倉庫は酷い混乱に陥っていた。男達が怒声を上げながら駆け回り、倉庫全体が濃い土煙に覆われている。


 人波を押し除けるように、騒ぎの中心を目指す責任者の背後に、アリーヌはピッタリとくっ付いていて歩いた。


 何が起きたのか確かめたかった。決して野次馬根性が働いた訳ではない。何か言いようのない胸騒ぎがしたのだ。


 人垣を抜けると、馬車の搬入口を塞ぐ鉄製のシャッターが内側に捲れ上がるようにぶち抜かれているのが見えた。その穴から差し込む、眩い夕焼けが煙の奥に透けている。


 その下の地面を、怪物の足跡のように深い二本の線が通っている。その線を辿った先には干し草の山があり、バラバラに砕けた木片が散乱していた。


「何があった!」


 責任者が振り返り、事故現場を囲むように壁を作った男達を問いただした。男達は、不意に風に煽られた森のようにザワザワと頭を振り首を傾げるだけだったが、やがて一人の男が高らかに手を上げて前に出た。


「ば、馬車が物凄い勢いで突っ込んできました!」

「そんな馬鹿な!」


 慟哭する責任者を尻目に、アリーヌは慎重に干し草に近付いて


「フレッドさん、フレッドさん?」


 と小声で呼び掛けた。確証はなかったが、こんな馬鹿げた事故を起こしたのが誰なのかと考えたら、やはり彼ほどしっくりくる人物は居ない。


 名を呼びながら周囲を歩き回っていると、干し草の中から人の右腕が飛び出してきた。悲鳴を上げそうになったが、その手が黒い革手袋に覆われていることに気付いて、慌てて引っ張り出す。


 馬の赤子のように這い出てきたのは、やはりフレッドだった。背後で男達が悲鳴とも困惑とつかない声を漏らすのが聞こえた。


「フレッドさん……何してるんですか?」

「あ、あ……アリーヌ?」


 フレッドは視点の定まらない目で見上げながら、惚けた声を漏らす。


「……君も死んだの?」

「生きてますよ、私も貴方も」

「イザベラは無事?」

「え?」


 振り返ると、干し草から別の手が伸びていた。それは小さくて細い、子供の手だった。アリーヌは干し草に駆け寄り、先程よりも慎重に手を引いた。


 すると、赤い毛をした小さな女の子が干し草の中から姿を見せた。それは間違いなく、探し求めたイザベラに違いない。


 アリーヌは気を失っている少女を慎重に地面に寝かせると、熱くなった胸中のままに背後の観衆を振り返った。


「皆さん! 行方不明の、行方不明の、女の子が見つかりました!」


 両手を広げ高らかに叫ぶと、呆気に取られた男達が少しずつ拍手をする。拍手は徐々に音圧を増し、やがて音のカーテンのようにアリーヌ達を取り囲んだ。


 ――こうして、依頼は無事に達成されたのである。めでたし、めでたし。


 ◇◆◇◆


 揺れる馬車の中で、アリーヌは足元に落としていた視線を、対面のイザベラに向けた。すっかり日は落ちており、吊るされたランタンに照らされたイザベラの顔は一層、色白く感じられた。


「もう一回説明して頂いてもいいですか?」


 アリーヌが言うと、イザベラは呆れたように溜息を吐く。


「だから何度説明しても同じよ、私には家族も執事もいない」

「……そ、そんな」


 理解はできる。だが、受け入れることができない。あの老人が、あれだけ真摯に依頼を託してくれた老人が嘘をついていたとは、どうしても思いたくない。


「僕は最初に言ったんだよ。何か変だよって、なのにアリーヌが確認もせずに依頼を受けちゃったんだ」


 イザベラの右横でフレッドが馬鹿にするように下唇を突き出した。


「あれは!」


 憤慨して立ち上がろうとした。だが、足元の格子に固定された()()のせいで、せいぜい中腰が限界だった。


「煩いぞ!」


 御者席の警官が、警棒で鉄格子で作られた荷台を激しく叩いた。


「逃げられても、捕まっちゃ意味ないわね」


 イザベラが溜息混じりに呟き、二人も釣られて溜息を吐いた。


 治安紊乱、器物損壊、営業妨害。三人はあの後、呪文のようにそれらの言葉を誦じる警官の手によって逮捕され、この犯罪者輸送用の馬車に押し込まれた。


「まあ、でも、ほら、マルティアには帰れる訳だし」

「留置所だけどね」

「それも大丈夫だよ。僕達はやむを得なくやった訳だから、理由をちゃんと説明したら家に返してくれるよ」

「楽観的で素敵ねアンタ。死ねばいいのに」

 

 アリーヌはジッと二人のやり取りを見ていた。今日出会ったばかりにしては、随分と気の知れたような雰囲気である。これは……もう決定だ。


「イザベラさん」


 アリーヌは背筋を伸ばし、畏まった声でイザベラの名を呼ぶ。


「何よ?」

「貴女は一人なんですよね?」

「ええ」

「つまり行く当てもない」

「……それが何よ?」

「では! 私達の冒険者パーティーに入りましょう!」


 アリーヌが意気揚々と声を上げると、フレッドも目と口を丸くして「おー!」と叫ぶ。盛り上がる二人に対して当のイザベラだけが怪訝そうに眉を細めている。


「冒険者……ね」

「ええ! 冒険者です! 素晴らしい仕事ですよ! 人を助けて感謝される仕事です!」

「そして偶に牢屋に入る」

「それも冒険の内です!」


 イザベラはアリーヌから視線を外すと、柔らかそうな頬を膨らませたり、へこませたりしたりしながら、何かを考え込んでいる。


「……私は命を狙われているのよ」

「それは問題ないです! 私達は仲間を絶対に守ります!」


 ルーユで正体不明の敵に襲われた話は既に聞いていた。フレッドは「やっつけた」と言っていた。やっつけたという言葉のニュアンスや彼の戯けた態度から、戦闘は人死にが出るほど酷くはなかったことは容易に想像できる。


「イザベラさんは安心して首を縦に振るだけでいいんです! ねえ、フレッドさん!」


 フレッドに話を振る。だが、彼はそれには反応せず、忙しなく周囲に視線を巡らせている。


「……ねえ、馬車止まってるよね?」

「え?」


 勧誘に熱中していたせいで気付くのが遅れたが、確かに揺れを感じない。それに、声を張り上げていたにも関わらず、何故か警官から叱責が飛んでこなかった。


 アリーヌは精一杯立ち上がり、警官の姿を確認した。光が弱いせいで姿が朧げながらも、警官は御者席にまだ座っている。


「す、すみません! どうしたんですか?」


 声を掛けても反応はない。というか、ピクリとも動かない。


「ねえ、あれ何かしら」


 不意にイザベラが呟き、視線を反対側に向ける。


 見ると、暗闇の中に燃え盛る火の玉がいくつも、馬車を取り囲むように浮かんでいた。それが、こちらにゆっくりと近付いてくる。


 やがて馬の頭が見え、その上で跨る人が見えた。彼らは松明を手に持ち、帽子を目深に被り、口元をスカーフで覆っている。そして一見してわかるほどの敵意を、その目に滾らせていた。


 馬車のちょうど真後ろを歩く小さな男が馬を横にして、左手で外套を払った。ホルスターと、そこに差し込まれた拳銃が露わになる。


「ちょっと、また助けてよ……」

「無理だよ……杖は取られちゃたし」


 男が拳銃を引き抜き、銃口を三人に向けた。咄嗟に顔を手で覆った。途端に眩い閃光が視界を塞ぎ、耳を引き裂くような破裂音が鳴る。


 痛みは感じなかった。手を離して前の二人を見たが、彼らも驚いているだけで、撃たれた様子はない。


「このガキ!」


 不意に、不快な濁声を覆面の男が出した。


「わざわざ忠告してやったのに俺の顔に泥を塗りやがって!」


 男が拳銃を向けたまま喚き散らす。だが、言っていることの意味がわからない。


「やっば……忘れてた」


 対面でフレッドが小さく呟いた。アリーヌが問うような視線を向けると、彼は一瞬だけ視線を合わせ、すぐに気まずそうに逸らした。


「この黄金の炎(フラムドール)のヤン様を舐めるとは、いい度胸してやがる!」


 ヤンと名乗った男は尚も感情に任せて怒鳴り散らしている。


「一週間以内に街から消えないとどうなるって言った!? あ!? 言ってみろ!」


 男は明らかにフレッドを指し示しているが、フレッドは脂汗を浮かべながら、薄ら笑いを浮かべるだけだった。


 その時、ヤンとは別の男が馬から降りて鉄格子に寄ってきた。彼は手に警官の物である鍵束を持っており、格子扉を開けた。そのまま男はイザベラに手を伸ばし、彼女の手錠を解いた。


「いいか、そのガキは預かる! 返して欲しいなら、百万フロル用意しろ。明日の夕方までだ。もし無理ならガキを殺す。これが最後のチャンスだ!」


 ヤンの宣告を合図に、男がイザベラを担ぎ上げる。


「ちょっと! 降ろしてよ!」


 暴れるイザベラを強引に担いだまま、男が馬に乗る。アリーヌは抵抗しようと身を乗り出したがヤンに銃を向けられ、制された。


「サン・ベイグ通り五の二十七まで来い! 忘れるな!」


 男が手綱を振るうと馬は前足を上げ、そして走り出した。無数の火の玉がその後に続く。雪崩のような蹄音は遠のき、やがて聞こえなくなった。


 静寂が降りた空間に、二人だけが取り残された。


「フレッドさ――」

「待って」


 フレッドが真剣な声でアリーヌを制し、そして力強い視線を彼女に向けた。


「僕は、君が怒らないって約束してくれなきゃ、絶対に何も喋らないからね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ