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不死者のタナトフォビア〜ある英雄譚の終わり〜  作者: 小坂 輝光
2章 大いなる善行と些細な悪行
12/33

11. ルーユの虐殺

 暗闇にアーク灯が灯るように、意識が少しずつ広がっていく。同時に体の感覚が戻っていくなかで、最初に感じたのは頭痛と耳鳴りだった。


 床は冷たく埃臭い。目を開けて、周囲を見渡しても暗くて何一つ見えない。手足は硬く縛られているようで、動かそうものなら縄が食い込んで酷く痛む。


「ようやく起きたの?」


 幼いながらも高圧的な声が頭上から降ってくる。首を精一杯上に傾けると、辛うじて少女の小さい靴が視界に入った。


「え、えっと……」

「声を落として喋るのは許すわ。今、下には誰も居ないから」

「……イ、イザベラ。僕は君を助けに来たんだ」

「寝起きにしたってバカな嘘ね」

「ほ、本当だよ、君のためにマルティアから来たんだ」

「そう。じゃあ、さっき下で生皮がどうとか話していたのは別人かしら? ロランさん」


 よりにもよって、一番面倒な部分を聞かれていたようだ。


「あれは……ややこしいんだけど、話を合わせたんだ。僕はフレッド・ロス。アリーヌって女の子と一緒にパーティーを組んでる、ただの冒険者だよ」

「へぇ、フレッド・ロス」


 イザベラが歌うようなリズムでその名を反芻する。


「もっと、まともな偽名は浮かばないのかしら? それとも相当打ちどころが悪かった?」

「本当だよ」


 寝返りを打って仰向けになると、額に冷たい物を突き付けられた。


「変な動きをしたり、大きい声を出したら、その空っぽな頭を吹き飛ばすから」

 

 少女の黒い輪郭が物騒な言葉で恫喝してくる。正直言って、彼女の振る舞いは予想外だ。良家のお嬢様ならもう少し怯えていても不思議ではない。だが少女の声には震え一つない。


「ま、まずさ、聞いてよ僕の話を」

「嫌よ、これ以上、嘘なんか聞きたくない。それよりも教えてくれる?」

「何を?」

「私を狙うのは何故?」


 それはフレッドが知りたいくらいだった。恐らく、裏に冒険者ギルドが関わっているのを見るに彼女の両親が原因だろうが、親でなく少女を狙う理由がわからない。


「し、知らないよ。でも、きっと君の両親が原因だよ」

「両親?」

「僕達はバリスって執事の人に依頼されたんだ。君がこの街で行方不明になったって聞いてね」

 

 執事であるバリス名を出せばイザベラの態度も和らぐ、そう考えていた。しかし何故か、自分を見下ろすイザベラの表情は未だに固く冷たいままだ。


「……えーと、君のご両親やバリスさんも心配してるんだよ? ね、帰ろうよ」


 変わらずイザベラからの反応はない。彼女は未だ無言のまま、銃口を強くフレッドに押し付けている。


「まず、言いたいことが一つあるわ……」


 そこでイザベラは深く息を吸った。


「私に、家族はいない」

「……え?」

 

 理解が追いつかず、ただ疑問符が口を突いて出る。


「そ、そ、そ、そんな訳だろ。僕はたしかに会ったんだ!君のことが大好きで、君を心配して涙する執事と!」

「チッ、声を落として。……私のことが大好きな知らない爺さんが、私が行方不明だと騒いで捜索するために冒険者に依頼して挙句落涙したっていうの? 怖い話じゃない」


 少女が嘘をついている様子はない。代わりに感じるのはあるのは困惑と少しの恐怖だ。


「本当に……知らないの? 反抗期とかじゃなくて?」

「ええ、自慢じゃないけど私は独りぼっちよ」


 フレッドは頭を抱えた。実際には抱えていないが、内心で抱えた。足元が突然崩れた気分だった。彼女の両親も涙を浮かべたあの老人も全てが嘘だったというのか。


「し、信じられない……証拠を見せてよ」

「それはこっちの台詞よ。アンタが存在もしない私の両親と執事とやらに会った証拠を出しなさい」

「証拠ならあるよ……胸ポケットに君の似顔絵が入ってる」


 イザベラは銃を押し付けたまま、屈んでフレッドのポケットから紙を取り出した。


「動いたら――」

「動けないよ。手足が縛られてるんだ」


 そう言うと額に押し付けられていた銃口が外され、目の前で銃を置く重い音がした。その後、暗闇の中でマッチを擦る音がして、初めて場に灯りがついた。


 広げた似顔絵を、顰めっ面で眺める少女がぼんやりと浮かぶ。少女は似顔絵の通り、幼くも引き締まった顔立ちをしていて、年に不釣り合いな理知的で美しいという印象を受ける。ただ一つ違うのは彼女はボロ布のような大人用ジャケットとハンチング帽を身に付けているという点だ。その格好はとても上流階級で流行ってそうにない。


「これは私ね」

「でしょ? 君の執事だっていうお爺さんからその似顔絵を貰って、言われたんだ。君を見つけてってね」

「この似顔絵……誰が描いたの?」

「それは聞いてないよ」


 フレッドは会話をしながら、足に結ばれていた縄を解いた。同様に手の縄も解く。仰向けになっているおかげで結びは少女に見えていない。目の前で屈む少女の足元には長身の散弾銃が置いてある。


「……でも、これだけじゃアンタが味方だっていう証明にはならない」

「なら、どうしたらいいのさ」

「それは――」

 

 イザベラが口を開こうとした瞬間、フレッドは銃を掴んだ。イザベラも咄嗟に銃を掴み返したが、大人の力に敵う訳もなくそのまま床に引き倒された。マッチの火が消え、再び暗闇が戻る。

 銃を握ったフレッドは立ち上がり、少女を見下ろす。


「どうやったの?」


 彼女の口調は今だに気丈であったが、微かに震えていた。


「縄抜けが得意なんだ」

「……首に結んで吊るすべきだったわね」

「フフン、次があればそうしなよ」

「早く撃ちなさいよ」


 覚悟が決まっている様子のイザベラを無視して、散弾銃の閉鎖機構を外す。銃が折れ、弾倉が剥き出すになると、薬莢が勢いよく飛び出してフレッドの額に当たった。


「いたっ」


 薬莢は音を立てて床に落ち、暗闇の中を転がっていった。これでもう銃は撃てない


「イザベラ、これで証明になったよね?」


 フレッドは片膝を突いて、少女の影と目線を合わせた。


「僕は君を殺せる状況でもそうしなかった」


 右手を、少女に差し出す。


「もし僕を信用してくれるなら、君を無事にこの街から逃す。約束するよ」


 ◇◆◇◆


 裏口の扉に耳を押し付け、外の様子を伺った。しかし正直なところ風の音やらの環境音が煩くて何もわからない。振り返ると右手を繋いだままのイザベラが不安そうにこちらを見上げている。


 ギルドいつ到着するか不明な以上、ここでモタモタしている暇はない。


「いいかい、三つ数えるよ。そしたら飛び出して、全力で坂道を下るからね。三、二――」

「ちょっと待って。ちゃんと人がいないか確認――」

「一、それ!」


 フレッドはイザベラの手を引っ張って、外に飛び出した。


「おい、何してんだ」


 呼び止められ、フレッドは前傾姿勢のままピタリと静止する。


「おい、アンタ」


 二度目の声でフレッドは直立の姿勢になり、声の方に体を向けた。同時にイザベラが背後に隠れる。


「や、やあ、また会ったね……」


 頬を引き攣らせながら、男と向き合った。粗野な印象を受ける相手は、劇場までフレッドを案内した男だ。


 男の背後には仲間達も居る。合わせてざっと十人、両者の距離はおおよそ十メートルしかない。


「間抜け」

 

 背後で小さな罵りの声が聞こえてきた。カチンときたが、それどころじゃない。


「き、君達もこれから捜索?」


 軽い世間話を振ってみるが反応はない。男達の関心は既にフレッドにはなく、その背後に向けられていた。


「なあ、今アンタの後ろに隠れたのって、あのガキだよな」

「違うよ! 違う子だよ! この子は僕の知り合いで、えーと……とにかく違う子だよ!」

 「嘘をつくな」

 

 男の声に最早友好の色は微塵もない。そして男達から続け様に雨音のように連続で軽い金属音が鳴る。それは男達が各々、拳銃を引き抜き、撃鉄を起こした音だった。


 先頭の男もジャケットを手で払い、腰のホルスターから短杖を引き抜いた。 

 

「さて、説明してもらおうか」

「こういうことよ!」


 背後で大声がして、振り返る。いつの間にかイザベラがポケットから短杖を引き抜き、それを男に向けていた。


 杖先に白く細い煙が集まり、それが瞬く間に氷柱を形成する。氷柱は軽い破裂音と共に撃ち出され、フレッド同様、呆気に取られている男の腹に突き刺さった。


 その瞬間、極限まで膨らんでいた場の緊張が弾けた。フレッドは咄嗟にイザベラを庇うように抱え、無我夢中で坂を下った。


 後方で無数の銃声が鳴り響く。銃弾が側を掠める鋭い音が耳をつんざく。止まれば間違いなく蜂の巣だ。


 ◇◆◇◆



 狭く薄暗い路地にて、フレッドは壁にもたれ肩で荒く息をする。


「……何で撃ったの?」


 フレッドは静かに真横のイザベラに問う。


「アンタを信用できないから」


 イザベラが涼しい声で答えた。ずっと抱えらていた彼女はフレッドとは違い汗粒一つ見えない。


「信じてくれたんじゃないの?」


 疲労のせいで怒る気力もないフレッドはただ悲しげに呟いた。


「まだアンタが連中と仲間の可能性だってあったし、そうじゃなくても、あの状況なら私を売るのが普通の選択よ。だからその選択肢を潰す必要があった」

「あっそう、君の言うとーりだよ」

 

 フレッドは段々と、この疑り深く小さくて傲慢なノームのような少女が嫌いになってきた。


「そうだ。杖、返してよ」

 

 フレッドはイザベラに向けて手を差し出す。すぐを杖を手渡されることを期待していたが、イザベラは何故か杖を渡そうとしない。仕方なく視線を向けると、彼女の感情の見えない視線とぶつかった。


「六十発」

「え?」


 イザベラが不意に正体不明の数字を口走る。


「アイツらの持ってた拳銃は六発装填、相手は十人。連中、頭に血が上って空になるまで撃ってた。だから合計で六十発」

「それが……なに?」

「それだけ撃たれて無傷だなんて変だと思わない?」

  

 フレッドは少しだけ首を捻り、何かを考えるフリをする。


「偶然だよ」


 それから億劫そうに、そう答えた。


「そんな偶然あるかしら?」

「ある! 世の中は偶然で作られてるんだ! そんなに考え事が好きなら一人でしなよ! 僕は帰るからね」


 フレッドは壁を押し、跳ねるようにして体を起こした。すると、イザベラも壁から怠そうに身を起こす。その緩慢な動作が妙に鼻につき、フレッドはまたも内心に怒りを溜めた。


「さて、行こうか!」


 フレッドは路地の奥に向かおうとイザベラの手を握った。


「ちょっと待って」


 だがイザベラは杭のようにその場から動こうとしない。フレッドは舌打ちをしながら振り返る。


「どうしたの? 早く逃げないと」

「知ってる。でも逃げるなら路地は止めた方がいい。それならまだ大通りを進んだ方がマシよ」

 

 イザベラが反対側の大通りを指差した。フレッドは呆れや怒りを感じるよりも、この少女が暗い路地を恐れる普通の少女であることを知れて嬉しい気持ちになった。


「ふふ、暗い路地を進むのが怖いのは分かるよ。でも大通りなんて進んだら、一瞬で見つかっちゃうよ?」

「やっぱアホね、アンタ」


 ムッとするフレッドを無視してイザベラは続ける。


「鼠を捕まえるのに罠を部屋の真ん中に置く奴なんかいないわ。それと同じで連中はきっと路地とか人気のない場所を警戒してるはずよ。それに路地で挟まれたら逃げられないし、人通りの多い通りなら連中も派手なことはできないでしょ?」


 一理ある。一瞬過った思考をフレッドは揉み消した。こんなガキの、適当な予測が当たる訳がない。そんな推測より、自分の経験則の方が絶対に正しい。そうに決まっている。


「……いいから行くよ」

「ちょ、ちょっと」


 フレッドは強引にイザベラを引っ張って、狭く薄暗い路地を進んだ。


「後悔しても知らないわよ」

「はいはい、わかったわかった」

 

 イザベラが、まるで子供の失敗を嗜めるかのように言う。だが、実際は子供はイザベラの方であり、彼女は駄々を捏ねているに過ぎない。


 フレッドは足早に路地を進み、眼前の角を直角に曲がった。


「あ」

 

 足を止め、目を大きく開く。対面の三人の男達も同じような間抜け面をしている。男達は先頭に一人、後方に二人という立ち位置で、全員が長身のライフル銃を手に持っていた。


 握っていたイザベラの手が、するりと抜ける感覚があった。


「この野郎!」

 

 先頭の男が雄叫びを上げながら銃を構えた。フレッドは咄嗟に右手で杖を抜き男に向ける。

  

 引き金を引くよりも早く、青白い雷が放たれ、先頭の男が額から血を吹き出して後ろに倒れる。フレッドは杖先から吹き出す煙を、杖を指の間で回して払いながら、遅れて銃を構えた二人に詰め寄った。


 空いた左手で左側の男の銃身を掴み、男の方に力任せに押し込む。薪が割れるような小気味良い音が男の額で鳴り倒れる。そのままの流れで右側の男に杖先を向ける。男はフレッドの素早い動きに追い付けないようで、銃口は未だ正面を向いていた。


 杖に魔力を込め、稲妻を男に目掛けて飛ばす。突然、眩い光が見えたことに驚いた男が、僅かに顔を逸らす。


 稲妻が男の右頬頬を沿うように切り裂き、耳を吹き飛ばした。パックリと割れた頬から鮮血が流れ出し、悲鳴が周囲に響く。フレッドが男の顔を左手で鷲掴みにし壁に叩き付けると、その悲鳴は止んだ。


 瞬く間に三人の男達は倒れた。フレッドは壁にもたれるようにして倒れている男を見た。男の頬にはナイフで切り裂かれたかのような裂傷ができており、彼の頬を掴んだ左手の革手袋にはべっとりと血が付着していた。


 視線を最初に撃った男に向ける。彼は目を見開いたまま眉間の黒点から細い煙を吹き出していた。明らかに即死だ。


「やっちゃったよ……」


 本当は以前の強盗のように軽く鎮圧するつもりだった。しかし咄嗟の戦闘に手元が狂ってこのザマだ。誰も殺さずに生きるという目標は一週間とちょっとで駄目になった。


「死んでるの?」


 背後で声がして振り返ると、背後に立ったイザベラが興味ありげに男達を覗き込んでいた。


「だ、駄目だよ! 見ちゃ駄目!」


 慌ててフレッドは彼女の目を塞いだから、イザベラは煩わしそうにそれを手で跳ね除けた。


「大丈夫よ。私はそんなので動揺しない」

「そ、そういう問題じゃないよ」

「それよりも、アンタ強いのね。少し見直した」

「……そぉ?」


 褒められると自然に頬が緩んだ。それを見たイザベラの瞳から、一瞬浮かんだ尊敬の色が消えたことに当のフレッドは気付かない。


 その時、上方で大きな物音がした。見上げると前方の建物の窓が開き、そこから銃が飛び出していた。銃口は二人に向いている。


 冷静に杖を構え魔法を放つ。稲妻は真っ直ぐ銃口に吸い込まれ、すぐ後に大きな破裂音が鳴った。


 手が銃を窓外に投げ落としながら、建物の中に引っ込む。銃は地面に衝突し、木製のパーツが砕け散った。


「やるじゃない」


 イザベラが感嘆したような口振りで呟いた。フレッドは鼻の穴を膨らませ十分息を吸ってから


「まあね」


 と、溜めた呼吸と共に吐いた。

 

「ぎゃああああああ! いてええええ! 指がぁ! 俺の指がねえよおおおお!」


 男の絶叫が周囲に響き、二人は同時に視線を上に向けた。声は明らかに開きっぱなしの窓から響いている。


 フレッドが咄嗟にイザベラの両目を手で覆う。


「意味ないわよ」

 

 ◇◆◇◆


「さて……どうする?」


 フレッドは路地から大通りの様子を伺いながら傍のイザベラに話しかけた。だが反応がない。


 振り返るとイザベラが元々鋭い目を更に鋭く細め、こちらを睨んでいる。

 

「何か、私に言うことがあるんじゃない?」

「え、えっと……何かな?」

 

 フレッドは首を傾げながら目を逸らした。


「アンタ、一度襲われても懲りずに路地を強引に進もうとして三回、連中と鉢合わせたわよね? で、三回目を撃退した後に何も言わずにここまで戻ってきた」

「あ……あああ!」


 フレッドは突然大声を上げながら、振り向いて大通りの方を指差した。


「見てよイザベラ! 馬車がある! あれに乗って逃げよう!」


 路地からは、大通りに停められた運搬用の馬車の後部が僅かに見えていた。


「三二一で行くよ! 三、二――」

「ちょっと待ちなさい!」

「一、それ!」

 

 イザベラを連れて強引に大通りに飛び出す。周囲に人影一つなく、フレッドは一直線に馬車を目指した。


 視界の中で揺れ動く馬車の車体がどんどん大きくなる。そして、御者席に飛び付き乗り込――もうとして動きを止めた。


 フレッドは御者席から離れ、首を引いて馬車の全体を眺めた。荷物運搬用で、荷台がオープンになったタイプの馬車だ。作りは堅牢そうで使っている材木も比較的新しい物のようだ。これならきっと遠くまで故障もなく走れる。そう思った。ただ問題が一つある


 馬が付いていないのだ。


「アンタ本当に、本当に救いようがないバカね」


 横でイザベラが呟く。彼女の声は怒りや呆れを通り越して、感情を失ってしまったようだ。


「い、いやあ、今日は運が悪いね」


 フレッドは背後の壁に背を付け、ポリポリと後頭部を掻く、その時、頭の横で土煙が舞い、小さな穴が壁に空いた。呆然としているとすぐに銃声がいくつも鳴り響き、フレッドとイザベラは身を屈めて馬車の側面に取り付いた。


「ほら! やっぱり大通りでも待ち構えてるじゃん!」

「今そんなことはどうでもいいでしょ!」

「ど、どうしよう!」

「少し持ち堪えて!」

「どうするの?」

「いいから!」


 杖を握ったイザベラが馬車の下に潜り込んだ。


 意図はわからないが、フレッドも仕方なく杖を握る。正面の建物、通りの前後、敵はそこら中に居た。人を殺したくないとかどうとか言ってられない状況である。


 立ち上がって魔法を放つ。雷撃はちょうど通りを左様に移動中の男の足を穿ち、転倒させた。男は悲鳴を上げたが、それはすぐに無数の銃声に掻き消された。


 通りのいたるところで真っ白な硝煙がモクモクと立ち込めている。


 フレッドは屈んでは立ち上がるのを繰り返しながら、一つずつ煙の出所を潰した。なるべく膝や肘、肩を狙って殺傷力を落とそうとしたが、撃った位置から赤い血煙が吹き上がっており、恐らく意味がない。 


「うおおおお!」


 突然真横から雄叫びが聞こえ振り返ると、銃剣を取り付けたライフルを構えた男がこちらに向かって突撃してきた。男は既に影を踏まれるくらいの距離まで迫っている。


 銃剣は顔を目掛けていた。フレッドは剣先が鼻に触れるすんでのところで銃剣を左手で掴んだ。杖を捨て、右手で左拳を握り込むようにする。

 受け止められても尚、男は銃身と銃床を掴み、手で押し込むように力を込めた。男は体を魔力で強化しているようであり、凄まじい力がフレッドの両手に掛かった。耐えるのが精一杯で、少しでも力を抜けば、頭部を果物のように貫かれるのは明らかだ。


「イ、イ、イザ、イザベラぁ!」


 少女の名を叫ぶのと、同時に男の重心がガクンと右に傾いた。フレッドはその隙に銃剣を顔の横に逸らし、下がった男の顎に蹴りを放った。男の頭が持ち上がり、そのまま円を描くように床に仰向けに倒れる。男の左膝には見覚えのある氷柱が刺さっている。


「ありがとう」

 

 フレッドは馬車の下にいるイザベラに聞こえないように礼を言ってから、男が手放したライフルを憎々しげに傍に放り投げ、杖を拾い直した。


「さあ、いいわよ」


 馬車の下に潜っていたイザベラが顔を出す。彼女は下から這い出すと、フレッドに杖を投げて返した。


「何してたの?」

「車輪を凍らせたわ。これで坂を滑って脱出するわよ」

「そ、そんな無茶な!」

「私は先に馬車に乗るから、アンタは車体を押して加速させてから乗りなさい。じゃあ、三二一で行くわよ。三、二――」

「ちょ、ちょっと!」

「一!」


 イザベラ荷台の板に足を掛け、荷台内に乗り込んだ。仕方がないのでフレッドは射線の通る車体後方に移動した。


 背中で車体を押しつつ、発砲してくる敵を片っ端から二本の杖で撃つ。


 車体は予想より軽々と動いた。押している内に徐々に車体は加速し、最終的にフレッドのことを置き去りにしそうな勢いで車輪が回転した。焦ったフレッドが車体に飛び付く頃には地面が細い線に見えていた。


「掴まって!」


 車内からイザベラが小さな手を差し出し、フレッドはそれを掴んだ。その間にも銃弾が近くを掠める感覚はある。


 イザベラの力を借りながら、フレッドは何とか荷台に倒れるように入り込む。ガタガタと揺れる感覚が直に背中に伝わってくるが、先の喧騒に比べれば心地良いくらいである。


「な、何とかなったね」

「ええ、アンタは撃たれなかった?」

「大丈夫、今日の僕はツイてるみたい」


 フレッドは上体を起こし周囲を見渡す。街の風景が色の着いた糸のように目まぐるしく流れていく。きっと、この馬車が世界で一番早い乗り物だ。


「イザベラ」

「何よ?」

「この馬車、どうやって止めるの?」

 

 イザベラは周囲を一瞥してから、ゆっくりと首を捻った。


「さあ、知らないわよ」

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