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死想論

作者: 西崎 静

   コンクリートの中に、女の子を埋める人生でした。


 虎視眈々と、アリの巣の出口を見つめて。行き先もわからぬままに、世田谷公園の端のほう、ひっそりと。そのおおきな、偉大なアリの巣に、菓子パンを詰めこみました。僕は、きっと死ぬのでしょう、先立つ不幸をお許しください。

 気が触れ始めたのは、ほんの数年前でした。いつからか、線が真っ直ぐ引けなくなり。やがて、人々の顔立ちが、アリの巣に詰まる菓子パンのようだと、思い始めてから。あれま、そんな風に頭はパッションピンクに染まってしまって。心持ちは、ノミの心臓と変わらず。むかし、母にも言われておりました。ノミの心臓で生きてゆきなさい、あなたはきっと人様に顔向けできないことをしでかすかもしれないから。そんなことを芥川の羅生門を朗読しながら、そう言っておりました。

 そういうことなら、僕はいつからか、夏目漱石のこころが気に食わなくなってしまって。なんだか、ふわふわと、そわそわと、膝からしたがむず痒くなってしまいます。それが嫌で、アパートの階段、そこのコンクリートを削り始めたのです。

 最初は、スプーンでした。一階の三段目から始めて。ぼろぼろと、涙が出ていました。同じように、コンクリートの細切れが落ちてゆくのです、あの桟橋近くのアパートから。横に流れる、目黒川。どこまでも続きながら、けして僕を慰めるようなこともしない。それがどこか、とても、如何わしいものに見えておりました。

 やがて、スプーンは、割り箸に取って代わりました。鉄とも、なんとも言えぬスプーンはすぐに先が、折れてしまい。ああ、どうしようかと思えば、安売りしていた割り箸を見かけ。ふと、これを使って抉って仕舞えば、大家も小言を言わないだろうと、ほんの前触れに愚行しました。大家は、言うのです。コンクリートの階段、削ってはいけないなんて。そんなこと、なんてことを言うのだと、桟橋の桜を揺らしながら、思ったものです。

 あれは、外来種の毛虫。揺らした桜の木から、また、ぼろぼろと涙と同じ量、落ちてくる。それを受け止めきれない、小学生たちがランドセルを背負っておりました。僕は、けして一度たりとも、ランドセルを背負ったこともなく。彼らは、骨を軋ませながら、国の未来を背負って。彼らが、帰って息抜きで見る、テレビからは。そう、テレビからは、背負うものが、税というのです。あのキャスターは、もう寂れ始めて、フリーランスに転身しました。

 

 多くを言えば、女の子とは、生理という生命の神秘のばけものだと思っておりました。多くを言えば、そんなもんだったのです。僕は、たぶん、どこかおかしいのだと、指摘されてしまい、酔って、その特別感に酔うのです。酔うって吐いて、酔ってしまって、溜め息吐く。もう、こんな生活をかれこれ十年送っております。

 特別感、それは時たまの都会のコンビニで、ホームランバーを見かけたときと、類似するのでしょうね。溶け始める棒の先から、僕は殺してくださいと、煙草を吸うのです。吸った煙草、ポイっと灰を落として。それは、やがて座り込んだ金髪の女の子に、被って。そして、僕を怒鳴り散らす、口の大きさ。ワゴンから男を呼んで、左ストレート。また、ホームランと響く脳内に。僕は、じっと、べちょべちょのアイス、道路の上で舐め取りました。


 若いころは、気が触れたふりで済んでいました。努力も快楽も、自然と受け入れられて。寝起きに、当たるエアコンの風にすら、イラつかないで入れたでしょう。でも、僕は、そんなときにやっぱり、ベランダに煙草吸いにいって。ふと、下を見てしまうのです。あまり高くもない、そのアパートの下に生えたコンクリート。僕は、脳内ぶちまけた、このコンクリートを削りたくて。代用品に、階段を削っても、満たされない。あのとき、下を向いていれば、全て済んだことでした。

 だから、きっと、駅のホームに煙草のライター落としたのも。気の迷いで終い、そんなこと言えぬほど。わざとでした、わざとでいたんです。ネットで炎上して、謂れもない噂流されたいなんてことを。それが、全く関係ない社会差別に繋がることを望んでおりました。そのうち、路上で殴られてしまえればと、パーラメントを肺に押し込みました。ずいぶんとまえから、菓子パン詰め込んだ、アリの巣と変わらないように。満たされ続ける供与と、満たされ続けられない押し付けの不幸を噛み締めております。

 いつか、愛とやらを葬式で感じたいものです。まえに、恩師の葬式に出向きました。そこでは、泣く人なんぞ教え子のほとんどにおらず。通夜の酒を残したまま、馬鹿話をして。それで、目尻にしわをよせながら。飲み干したビールの後に、ひどく深いため息を吐くのです。笑い声があちらこちらで、恩師の息子さんが運ぶ、声が意気揚々として。それでいて、流れてくる曲は、途方もなく昭和で終えて。箸の持ち方が下手だった僕は、相変わらず。相も変わらず、重箱のかんぴょうをぼろぼろ。畳の上、こぼして、その他の教え子どもに、咳払いをされるのでした。その咳払い、それすらも笑い声にかき消されて、それがぼろぼろ溢せば溢すほど。そうしているうちに、しんみりと。ビールの泡が、消えてゆくのでした。

 そんな葬式だけが、正しい世の中でなくなればいいのです。それで、見えない、愛とやらを感じることは、箸で豆を摘むようなもので。僕にはちっとも、向いていないもので。そんなことだから、恩師も最後はお中元のお返しをお送りにならなかったのでしょう。あんなに、豆煮の詰め合わせを届けたというのに。きっと、僕はうっとうしい教え子だったのでしょう。そう思うことで、葬式の帰り道。見上げた空が、一番綺麗だったことは、焼けた恩師の骨が雲へ。その煙は、僕が吸う煙草もまったく一緒の形をしておりました。だから、一本吸えば、恩師を咀嚼したように。僕はその日から、ホームランバーが食べられなくなってしまいました。なんせ、僕の吸う煙草のパーラメントは、バニラの香りがしていたのです。甘い、甘ったるい香りを撒き散らしておりました。


 ホームランバーの特別感とやらを辞めてから、コンビニには煙草も買いに行かなくなって。それでも、スーパーにはあるものですから。こっそり、ホームランバーと缶酎ハイを買う日常を得てしまいました。なかなか、うまいもので、口足りぬときには、あたりめを食います。これが、むかしはうまいと感じなくても。今は、何よりも味わい深く。それは、葬式の後の霞よりも、食えたものでした。そういえば、仙人は霞を頂くらしいと、耳にしました。それは、良くないと否定的に捉えて。言うのです、仙人に愚かだと。人は、何かしら食わないといけないと。だから、もし仙人にお会いすることあるならば。僕は、蛆とミニトマトは同じ食べものだと教えることでしょう。


 蛆を食ったことがあります。それは、ミニトマトのような感触で、今でもぷちっと潰されてゆく歯の奥。そう、思い起こされるのです。あくまで、僕が、まだ、バージニアビーチにいた頃のことでした。あのバージニアビーチ、アメリカの東海岸。ダレスから歩き疲れた、ヒッチハイクの最終はそんな賑わい深い、土地でひとり。目が細いと、揶揄されるほど、居心地のよい。ちっともうまくないカキの揚げものが、なによりもうまく感じてしまうような、場所でした。そこで、黒人の女の子と仲良く。その子は、たべられるものがなくなったら、蛆を食べるしかないのよ、そんなことを言うのでした。僕は、曲がりなりにも、その子のことをちっぽけな自尊心から、淡く想って。蛆を食ってしまおうと、タイ料理屋の裏。ごみ漁りながら、蛆探してしまいました。そして、舌で包み込むさまを。僕の出来得ることを見せて、彼女は眉を顰めて。けして、言葉にせずにいたけれど。ただ、彼女は、僕にごめんなさいと呟くだけでした。そして、最後に、あなたと同じになれないわと、ラメを溢しました。ぱらぱら、ラメは散って。ぼろぼろ、僕は蛆を口からこぼしました。それは、真っ赤なルージュ。彼女のルージュから、聞こえた、さよなら。気が触れ始めたのは、いつからだったのでしょう。教えてください、先立つ不幸の許しが中々貰えないのです。


 僕の青春とやらが、僕を許さないまま時間が過ぎ去ってゆきます。結局、たどり着いた場所は、この広い世界の中でしかなく。コンクリートのジャングルへ、幾度とも戻ってきてしまうのでした。

 だから、僕は買えなくなったホームランバーの代わりに。そして、愛すべきパーラメントの代わりと。煙草は、キャメルを携えて。甘ったるい、甘すぎた菓子パンを買い込んで。幾重にも働き続けた、アリたちの巣へ、菓子パンを詰め込むのです。肌を滑るような優しさと、確かな悪意を持って、詰め込んで。やがてなくなる、菓子パンの行方を思いながら。空へ、手を拝むのです。今は亡き恩師への供物として、墓は好まないと行かないから、せめて。僕なりの供養を煙草に火をつけながら、するのです。そして、落ちる灰がアリの巣へ。菓子パンが、焦げ付いて、穴が開く。そこをアリたちが、ぞろぞろと。拙いと思って、立ち上がって。灰は、世田谷公園を風で吹いて巡って。あちちと、作業服の太ももを焼いてしまう。

 人は、惨めだと言うんです。でも、僕はコンクリートのジャングルの中、世田谷公園で菓子パンをアリの巣に詰め込むだけ。それだけが、日々の幸せと、人生の意義でした。それが、いつからか女の子をコンクリートに埋めるようになって。別段比喩でもなく。うっかり、若い立ちんぼの女の子が、ひとり落ちたんです。ある日、そうやって僕の管理する現場の夜に。ずぶずぶと、足から沈んで。それを僕は、翌朝の現場の確認で、見つけて。監視カメラの画面に、映り込む派手な女の子。金髪で、肌は少し日焼けして。真っ赤なルージュに、ラメが降って。ぼろぼろ、涙と泣き叫ぶ姿に。僕は、少なからず感動してしまって。それは、とても痛ましい事故でした。それから、そういった事故が増えていくのです。傷ましくも、消えてもいい人とやらが、そんな女の子たちの中にいて。特別感に酔うように、コンビニでホームランバーを見つけてしまうように、おかしいんです。おかしいほどに、特別感を得てしまう女の子たちが、ビールの泡に消えてゆくのです。しんみりと、笑い声を響かせながら。彼女たちは、そのまだ固くもないコンクリートへ、その身を投げて。僕は、ただ、下を向くように言っただけでした。

 ふらついて、涙を流す彼女たちを慰めて。コンクリートのジャングルの中で、なにもまだ完成されていないものを見せて。その、現場で、言いました。

 

 煙草を吸おう、そしたら下を見てごらん。


 楽しく会話したあと、彼女たちは、じっと見つめていました。いつかのコンビニで落としてしまった、ホームランバーのアイスのように。べちょべちょの、そのコンクリートの中を覗き込んで。しまいには、黙ってしまって。そうして、笑い声がしていた煙の中、彼女たちはそっとため息吐いて、身を投げました。ぼとん、頭からいった女の子は、もうなにも言わずに。足からいった女の子は、ぼろぼろと静かに涙を流しました。あの、監視カメラの画面にいた女の子とは違い、涙の粒を穏やかに。そこで、気がつきました。女の子は、生理のような神秘的なバケモノでしかないんだと。

 バケモノでした、僕にとって、女の子はかくも美しいバケモノでしかなかったのです。だから、ひどく恐ろしくなって。母の朗読した羅生門のことを思い出しました。そして、あの母の言葉が降ってきて。ノミの心臓でいなさいと、あなたはきっと人様に顔向け出来ないことをしでかすかもしれないのだから、そんなことをふと思い出したのです。なんだか、ふわふわと、そわそわと、膝からしたがむず痒くなってしまって。それは、あの夏目漱石のこころのときのように。こういうとき、大抵幼少期の愚図さを彷彿とさせます。こころは、懺悔のお話でした。それも、ひどく菓子パンをアリの巣に詰め込むような、お話で。三角関係の末に、親友を自殺に追い込んだこと、ずっと引っ掛かり覚えている男の、怠惰さ。なぜ、彼は下を向いてしまわなかったのでしょう。それは、確かに、僕と同じことをしていました。だから、僕は、すっかり怯えてしまって。せめて、せめてと、彼女たちの葬式に出向くことにしたのです。


 葬式は、啜り泣く声がしました。女の子たちの親や友人、どちらかがいました。僕は、なんとなく面を食らってしまって。でも、どこか安堵しているような表情に、なんて残酷な生きものだと。だけれども、むかし母が僕に言ったときの、顔にそっくりでした。それは、あのバージニアビーチのあの子の眉の顰め方に似て。まるで、さよならと言いたげな顔と、それにほっとしていることに困惑しているような。どちらにせよ、彼女たちが身を投げた一幕を見つけてしまった気がしていました。

 滞りなく、葬式は終いを迎えて。僕は、寺まで、ゆっくりとついて行くことにしたのです。慣れない車の運転を行いながら、きりきりと信号眺めて。まえのワゴンのナンバーだけをしっかりと。そのワゴンに、多くの人が乗っていました。多くの、彼女たちの墓まで行かなければならないと感じている人たちが。チカチカと、ウィンカーが鳴ります。寺に、着くことを望んでいないように、鳴っていました。でも、やがては着いてしまって、そこは桜の木だらけ。ぼろぼろと、毛虫は落ちてきて。そこで、多くの人の半分が、足を止めてしまいました。住職は怪訝な口を作りながら、経を読みます。僕は、それを聞きながら。皆が手合わせ終えて、帰るところを待っておりました。そこで、ふと花でも見繕えばよかったと、苛立ちが募って。葬式行くまえに寄った、コンビニ。そこで、買ったキャメルの煙草と、パーラメントの煙草。そして、弁当に割り箸。弁当の中身には、豆煮が混ざっていて。バックミラーちらちら、駐車場のコンクリートの上。ひとりで、その豆煮を詰めなかった割り箸と一緒に。ただ、みんな帰るのを待っていたのです。割り箸で、豆を摘むような愛を葬式で、感じました。やっと、女の子への淡い気持ちを心の底から。だけれども、いつまで経っても、彼女たちの友人はべらべらと話し込んでいて。つっーと涙浮かべながら、口角に笑みを。笑い声が、あまりしない、その参道。寺に、桜の木が幹を揺らしておりました。

 だから、僕はとても、とても喜ばしくなく。割り箸片手に、駐車場のコンクリートを削ることで、身を鎮めて。ひたすらに、待ちました。どこまで、彼女たちがコンクリートに埋まってゆくように。待っておりました、皆が帰っていってしまうまで。


 そして、ついに、彼女たちと僕しかいない、世の中。僕は握りしめた割り箸片手に、一生懸命に歩きました。やがて、彼女たちの墓に着いて。そして、唐突に、叫びたくなったのです。なぜだか、無性に下を向いてしまいたくなるような。僕を殺して欲しいというようなことでもない、ただ先立つ不幸をお許しくださいと。割り箸片手に、ぼろぼろ。なんで、彼女たちは放って行ってしまったのですか。僕は、人様に顔向け出来ない人なのでしょうか。煙草は、二種類ありました。僕も、二種類あれば、こんなことにはならずに済んだのでしょう。空拝めば、恩師の骨が降ってこないかと思いました。

 ふと、どこへも身投げ出来ぬ、下を見れば。そこには、アリの巣がありました。こんなときにでも、がむしゃらに働き続けるアリたち。もう、僕は菓子パンなんぞ、詰め込む気にはなれませんでした。アリの巣に菓子パンを詰め込むことも、また二種類の気持ちのせめぎ合いでした。肌を滑るような優しさと、確かな悪意。どちらとも、僕であるのです。だから、僕は、割り箸握りしめて。削り始めた、彼女たちの名前が彫られた墓石の戒名。割り箸で、コンクリート以外のものを削りました。でも、どうしようもなく、割り箸は折れてしまって。

 

 最後に、僕はアリの巣のアリたちを踏み潰していました。


 だから、どうか、どうか、先立つ不幸をお許しください。気が触れたのは、ほんの数年まえからなんです。それまでは、ちゃんとしておりました。僕のちっぽけな人生は、コンクリートの中に、女の子を埋めるものでしかなかった。ところで、質問があるのです。少しばかし、単純な質問です。


 どうでしょう、あなたは、女の子なのでしょうか。

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