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まぁちゃん

作者: はやはや

 二十年近く前のこと。


 当時、教育大の三回生だった私は保育園へ実習に行った。自分が卒園した園に行く子が多い中、私の実習先になったのは実家の近くにある保育園だった。


 うちは転勤族で、当時はH県の北部に実家があった。その街は盆地で、夏は暑く冬は雪が積もるほど寒い。温泉地として有名な街だった。カニの時期になると、観光客がこぞって訪れた。

 高校の時にその街に引っ越し、三年住んだ後、私は大学進学でH県南部の街で一人暮らしを始めた。

 だから実家がある街には、あまり馴染みがない。

 縁もゆかりもない保育園に実習に行くのは、少々気が重かった。


△▼△


 実習前に一度、挨拶に行った。命蓮寺みょうれんじ保育園という名前だけあって、お寺の敷地内に保育園はあった。園長はお寺の住職でもある。


 スキンヘッドのお坊さんが来るかと思いきや、綺麗な白髪で眼鏡をかけた、年配の女性が現れた。他の職員から徳子のりこ先生と呼ばれていた。

 徳子先生は私を見るなり、「まぁ若い学生さんだこと!」と言った。その言い方は嫌味な感じではなく、小さな子どもを愛おしむようだった。

 この園長先生なら、実習を頑張れるかもしれないと思った。


 保育園には座禅の時間があること、裸足保育を推奨していることを徳子先生から聞いた。そして、朝の会で歌う〝観音様〟という曲の楽譜を渡された。

大田おおたさんにも弾いてもらうからね。練習してきてね」

 徳子先生は笑顔で言った。


 そして六月に入り、実習が始まった。二週間も実家に帰るなんて、大学に入学してから始めてのことだ。

 梅雨入りしたこともあり、初日は雨だった。

 私は年中、年長の混合クラスに入ることになった。授業である程度、子どものことを習っていたけれど、本当の子どもを目の当たりにして、「こういうことかー!」と納得した。


 例えば、お絵かきで地面を描く姿を見た時。(空間の認知ができるようになる)、友達と喧嘩して部屋の角でふてくされているのを見た時。(自分の気持ちに折り合いをつけようとしている)

 

 子ども達は人懐っこく、私のことを「大田先生!」と呼んだ。それに慣れるまでしばらくかかった。


△▼△


 ある日、保育園の近くにある公園へ散歩に出かけることになった。園舎のテラスで子ども達は二列に並び、保育士は人数を数えている。


「あ! まぁちゃん」

「ほんとだ! おーい!」


 列の後半に並んでいた男児と女児が、顔を上げて言う。まぁちゃんって何? と思いながら私は二人の目線の先を見た。

 そこには立派な瓦葺きの二階建ての建物があった。命蓮寺会館という、お寺が所有する建物だった。二階部分に窓がある。二人の子どもは、その窓に向かって手を振っていた。

 私は目を凝らす。日差しがたっぷり入りそうな、大きな窓の向こうには誰もいない。

「まぁちゃん、公園行ってくるねー」

「ばいばーい」

 目の前の二人は間違いなく何もいないはずの窓に向かって手を振っている。

 鳥肌が立った。


 私には見えないものが、子ども達には見えている。


△▼△


 私が通う大学の卒業生である先生と、休憩が一緒になった時に尋ねた。その保育園で、一番若い先生だった。

「あの、まぁちゃんって知っていますか?」


 私の問いかけを聞いた先生は、一瞬驚いた顔をし、すぐに笑顔になった。

「保育園あるあるだよ。子どもが何もない壁に向かってバイバイするのと一緒。保育園って何かいるらしいんだよねー。

 先生でも見える人いるみたい。倉庫の棚の上で正座しているおばあさんとか、給食室をずっと覗いているおじさんとか。


 うちはお寺だからね。余計にかもね」


 怖いことをさらっと教えてくれた。なおも話は続く。


「まぁちゃんってね、名前、本人が言ってたらしいよ」

「え? 幽霊本人が?」

 先生はマグカップに入ったお茶を、一口飲んでから頷く。

「庭で遊んでいる時にね、二、三人の子どもが会館の二階に向かって、手を降ってるから何事かと思ったの」

 私は箸でミートボールを摘んだまま、話の続きを聴く。

「『女の子がいる』って『まぁちゃんって言ってる』って子どもが言うわけ。やっぱり、ここにもいたか……って感じ。大丈夫だよ。何も悪さとかしないから」

 先生はおにぎりを齧った。

 

△▼△


 それから二年後。私はH県内の保育園に就職した。その頃、実家はE県になっていた。父が転勤になったのだ。

 一歳児クラスの担任をしている時だった。


「あ、あっ、あ」


 子ども達と一緒に小さな積み木を積んでいると、一人の子どもが私の後ろを指差した。その瞬間、命蓮寺保育園のまぁちゃんを思い出した。

 私の後ろは壁しかないはずだ。

 

 大人には見えないとわかっていても、振り返る勇気はなかった。


「あ、あっ、あ」


 しばらく子どもは指を差し続けた。

 この保育園にもやっぱりいるのか。

 でも、我慢できた。それは職場だから。


△▼△


 子ども向けのキャラクターが出ていた教育番組から、アニメに変わる。時刻は午後六時。


「ばいばい」


 今日も我が子が、部屋の隅、観葉植物を置いている後ろ辺りに向かって言う。

 毎日、午後六時から数分それは行われる。まるで儀式のように。

「ばいばい」と言う我が子の表情は固い。保育園の子ども達みたいに楽しそうじゃない。そこに誰がいるのか。


――やめてほしい


 去年、このマンションを購入したばかりなのだ。三十五年のローンがある。

 夫と私と娘と、誰か……がここには住んでいる。

 読んでいただき、ありがとうございました。

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