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短編

滑落

Chute libre


「お前たちも知っているだろう。去年の冬に八ヶ岳の大岳で俺が起こした滑落事故のことを。実は今から滑落事故の真実を話そうと思う。この件でお前たちには色々と迷惑をかけた。すまない。お前たちの尽力がなければ、大学の学生課の圧力で山岳部は廃部になっていたかもしれない。本当にありがとう。幾ら感謝しても足りないくらいだ。本当にありがとう」

「それで滑落事故の真実についてだが……あまりにも荒唐無稽な出来事だったので、警察にも言ってはいない。と言うより言えなかった。俺たち三人の経験した事は確かに起こったことだった。自分でも未だ信じられないんだがな……」

「まずは滑落事故を起こしたパーティーのメンバーとルートを確認しておこう。リーダーは芳野先輩、サブリーは渡部先輩、先輩たちは当時4年生で今年卒業している。そして当時2年の俺は先輩二人に連れられて、この冬山山行に出かけた」

「山行ルートは、ロープウェイを使わず北横岳を登りそこでテント泊、翌日大岳をピストンで登り、双子池ヒュッテでテント泊。そして来た道を戻り、帰りはロープウェイを使って下山。2泊3日の行程で、リーダーの芳野先輩、サブリーの渡部先輩は技術経験とも問題なし。俺がもっと技術と経験を積む為の訓練合宿でもあった。とは言え半分は気楽な個人山行としてだったけれどな」

「初日は曇、風はそこそこだったが、まあ特に問題なく登れた。一日目のテント泊。順調だった。二日目は快晴、岩稜地帯も問題なく抜け、大岳を登りそして大岳を下山、それから双子池ヒュッテで2日目のテント泊。事故報告ではこの日の大岳を下山中に滑落事故を起こした事になっているが、あれは真っ赤な嘘だ」

「そして、双子池ヒュッテのテント泊では、俺たちは初日同様に20時には就寝した。一度、夜中に俺は目が覚めた。時刻は0時過ぎだった。腕時計で確認したから間違いない。外は風が強かった。そして俺は再び眠りに落ちた」

「テントの周りを歩く気配があった。それで目が覚めたんだが、不思議な事にこれが夢の中の出来事だと俺は解ったんだ。何故、それが解ったかは判らない。気配はテントの周りを何周かした後、テントの出入り口の処で足音が止まり、それから声が聞こえ始めたんだ。女の人か、男の人か分からないしわがれた声で『左脚を知らないか。左脚を知らないか』と」

「夢の中で先輩たちは、その声の主の左脚がどこにあるか、何故か解ったらしいが、答えてはいけないと思い『知らない』と答えたんだ。逆に俺は左脚のありかなど全く知らなかったのに、何故か『知っている』と答えてしまった。するとテントが揺れ引き裂く音がしたかと思うと、顔の肉が削げた血塗れの人間、いや化け物が俺の左脚を掴んで『左脚を返せ』と言いながら、俺をテントの外に引っ張り出そうとした。俺の抵抗も空しく引きずられた時、先輩二人が俺の体を引っ張てくれて外に出されるのを阻止してくれたんだ。もし先輩たちが引っ張てくれなかったら俺はテントの外に引きずり出されていた」

「そして、先輩たちは俺を引っ張りながらが『左脚なんて知らない』と早く言えと何度も言うんだ」

「俺は先輩たちに言われた通り『お前の左脚なんて知らん』そう叫んだ。すると、突然俺たち三人は眼を覚ました。それも全く同時に。俺たち三人は顔を見合わせた。言葉なんてなかった。信じられるか、俺たちは全く同じ夢をみていたんだぜ」

「すぐに芳野先輩が俺の脚を調べろと言った。俺はシュラフから出られなかった。左脚が痛過ぎて。先輩二人にシュラフから引っ張り出して貰って正直ビビった。俺の左脚は血塗れになっていて、それどころかニッカポッカも皮膚も肉も裂けていて骨が見えていたんだ。もう意味なんて解らない。そして芳野先輩がトランシーバーで怪我の状況を説明しながら救助を呼び掛けたんだ。5分後にアマチュア無線の人から応答があって、警察に連絡してくれた。有難い話だよ」

「俺たちは俺の左脚の大怪我について、本当の事を言っても信じて貰えないどころか、噓つき呼ばわりされるか、錯乱したとされるのがオチだと判断した。どちらにしろ部の存続にはいい事はない。それは明白だ。俺たちは俺の怪我を滑落事故として口裏を合わせる事にしたんだ」

「信じられない話だろう?俺も未だに信じられないんだ。こんな事だったら、俺の不注意で怪我をした方がよっぽど良かった……」

「お前たちにこの話をすることは芳野先輩と渡部先輩から了解を貰っている。後、この話は他言無用。学生課の耳に入ると、冗談抜きで廃部にされかねないぞ。あいつらは新聞やテレビのニュースで未熟な冬山登山と言う見出しと大学名が出たことを根に持っているからな。この事故で大学の印象が悪くなったと思っているんだ」

「悪かったな長い話に付き合わせてしまって。晩飯どうする?いつもの中華料理屋に行くか?おごるぞ」

「現金な奴らだな、じゃ行こうか」

 そこに、影は、ひとつ。


  了

冬山山行の記述はフィクションです。簡単に登山ができそうに書いていますが、実際はとても危険です。

本作はかなり脚色はしているのですが、知人三名の実体験に基づき創作しました。尚、この三名はこの恐怖体験を「あの時は真剣に怖かった」と笑い飛ばしていました。

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― 新着の感想 ―
[一言]  登山での宿泊はある意味、外界とは隔離された世界へ踏み入ることですもんね。  遭難して、遺体も見つかっていないひとの情念が、下山も昇天もできずにうろついているのでしょうか。
[良い点]  この二千文字と言う短い中で、ここまで重厚な内容で凄いなあ、と思いました。  主人公が死んでしまっているのか、登山部が廃部になってしまい主人公は狂ってしまっているのか、など色んな考察ができ…
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