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首吊りの木-2

 確かに、日本に比べて他の文化の社会が、そんなに素晴らしいとも思えない。つまりは、日本文化の特性にもメリットがあってデメリットがあるし、他の社会の特性にもメリットがあってデメリットがある、という事なのだろう。

 だから、そんなに日本の社会を卑下する事もないのかもしれない。

 それに……、

 祭主君の存在は、今ではすっかり教室の中に溶け込んでいた。みんな、彼の存在に慣れたのだ。つまり、みんな自分達を“変化”させる事ができたのだ。時間は結構かかった訳だけど(でも、この場合、時間がかかったというのは、むしろ良い事なのかもしれないとも思う。それが表層的な変化じゃないって事になると思うから)。

 ……取り敢えずここに、日本の社会を希望的に感じさせてくれる実例の一つがある。

 

  …………、

 ……実は、近頃のわたしの中で起こった“変化”は、もう一つある。

 大した事ではないのだけど。

 …

 気になる男の子が、できてしまったのだ。

 (わたしに)

 ……

 と、言っても、恋だとかそういったレベルでは全然ない。なんとなく、いいな、と思う程度なのだけど。

 でも、そんな感情を味わうのは、実に久しぶりの事だ。

 別のクラスの男子生徒で、偶に見かける事があったのだけど、その度にいつも笑っているものだから、何がそんなに楽しいのだろう?なんて、思ってる内に、段々と気になり始めてしまった。

 相手の事をほとんど知らない訳だから、これは本当に思い込みの内で、それが自分でもよく分かっているものだから、積極的な行動に出るつもりなんて、全くないのだけど……。

 でも、思い込みも恋のうち、とも言うけど。

 ………。

 体の成長…、“変化”の影響を、心というものは確実に受ける訳で、だから生物学的に正常に発達しているのであれば、こういった気持ちがわたしの中に芽生えて沸き上がって来るのは、実に当たり前の現象である訳で…、

 (でしょう?)

 ほっておいても、その“変化”は確実にやってくる。

 だから“変化”を無理に拒んでいては、色々とわたしの中で様々な“不調和”が生まれてしまうのは当たり前の話で…、

 だから、

 わたしは、その“変化”を取り敢えずは、自然体で受け止めてみようかと思っていたりするのだ。

 ……何を言ってるのだか、分からなくなってしまいましたが、

 つまりは、こういう“変化”もある訳なんだ。

 人の“変化”には。

 

  …………。

 

 さて。

 そんな訳で、最近のわたしたちは、人の“変化”について考えている。そして、人の“変化”を考える上で、外せない現象が一つある事に気が付いた。

 それは、

 “自殺”だ。

 何故か、ロックの歌詞には自己否定に伴ない、自殺を彷彿させるもの、或いはそのまま自殺を書いたものが多い。

 ………。

 “自殺”と“変化”を一番初めに結び付けて考えたのは、凛子だった。

 凛子が突然、「“変化”というのなら、“自殺”は物凄い“変化”よね」と言い始めたのだ。

 わたしは最初、それはどうかと思っていたのだけど、『生まれ変わりたい』なんていう変身願望に使われる言葉には、考えてみれば“死”の意味が隠れて存在しているように思うし、自ら死を選ぶ人の遺書には、来世では幸せになりたい、なんてニュアンスの言葉が多いと聞いた事があるのを思い出して、それを調べ始めた。

 まず、初めに調べたのは、文学者だった。

 専門書を当たるほどの気力もなかったし、書店で見かけた自殺の本は、どれもわたしの望んでいるモノではないように思えたからだ。

 それに、自殺といえば、芥川龍之介だとか、太宰治だとか、三島由紀夫だとか、文学者が有名な気がするし、小説という形で自己表現もしているから、調べ易いとも思ったのだ。

 と、言っても、大した資料は用いなかったけども。

 まずは、芥川龍之介。

 有名な話だけど、芥川龍之介が『羅生門』を書いた経緯には、好き仲になった恋人との縁談が、家の反対によって破れてしまった事件が影響しているのだという。そして、芥川龍之介は、家に対して抗えなかった自分自身を卑下し、否定していたらしい。

 また、『或阿呆の一生』というタイトルの小説がある事からも分かる通り、自己を否定していた記述も目立つ。

 自己否定は、もちろん、自己変革を望む心理に深く関係している。今の自分に満足している人間が、自分を変えたい、とは思わないだろう。変える必要などないのだから。自分を変えたい、と思うのは、やはり今の自分を否定しているからに他ならないのではないかと思う。

 (芥川龍之介の場合、精神病罹病に対する恐怖も、自己否定に関係している事は充分考えられるのだけど…、でも、それがどの程度の直接的な要因になっているのかは、疑ってみるべきだと思う)

 そして、自己否定といえば、太宰治は外せない。

 言うまでもなく、『人間失格』は、そのまま自己否定だし、その他でも、自己否定的な記述はその作中内に数多く出てくる……らしい(実は、そんなに多くは読んでいないので、確かな事は言えないの)。『斜陽』の中での、主人公の弟の記述を読んでみて、これほどまでにパワフルな自己否定も珍しいのではないか、とわたしは思ってしまった。

 それと、太宰治といったら、共産主義運動に関わっていた事も見逃せない(若い頃だけ、みたいだけど)。そして、太宰治の家は金持ちだった。共産主義といえば、労働階級の運動。それで、太宰治は、自らの生まれて来た環境に罪悪感を覚え苦悩し、自らを否定していたらしい。

 “生れてごめんなさい”

 (これは、単なる思い付きで、だから、真剣に取り上げるような事でもないのかもしれないのだけど、太宰治のこのペンネームには、一体どういった意味があるのだろう? 太いという字と、宰相の宰。太いを宰どる? 又は宰のウ冠が家の意味で、その下に辛い、だから、家の中にいるのが辛い、という意味だろうか? それとも、太宰はダザイで、多罪、或いは堕罪なのか……、…でも、考えすぎかもしれない。地名とかで、「太宰」ってあるし)

 三島由紀夫については、正直な話、本当によく知らないのだけど(一作もまともに読んでいない)、戦後社会を批判して決起を促しつつ、割腹自殺をしたという事実はちょっと気になった。

 何故かというと、文学者の次にわたしが調べようと思っていたのが、ロックミュージシャンだったからだ。

 昔は、自殺をしていたのは文学者だった。でも、最近になって自殺をしているのは、ミュージシャンであるような気がしたから。

 尾崎豊だとか、hideだとか。

 (ただ、この二人は手近な所に、歌詞を調べられるようなモノがなかったので、調べなかったけど…)

 ロックといえば、社会批判…というか、変革を求める精神だろう。三島由紀夫のその行動は、明かにそれに繋がっている。そして考えてみれば、太宰治も、共産主義運動に参加し非合法活動まで行っていたのだ。その、変革を求める欲求はかなり強かったのではないかと考えられる。芥川龍之介についても『河童』などから、その社会批判精神を感じ取る事ができる。

 (そういえば、変革を行おうとしている小泉首相は、ロックバンド、XJAPANのファンだったな…)

 

 ………。

 もしかしらたら、“変化”を求める欲求というのは、内に向けても外に向けても発揮されるものなのだろうか?

 

 “根本的な部分では、それらの心理は未分化で同じなのです”

 

 確か、そう下井先生は言っていた。

 そうなのかもしれない。“変化”を求める欲求に関わらず、人の心理は、その内の奥に入れば、未分化な領域が現われるモノなのかもしれない。

 その領域では、内と外を区別せず、“変化”させようと働きかけてくる。

 或いは、例え外に向けての欲求であっても、本質的には全て主観内の事柄であるからなのかもしれないが。

 

 …ただ、別の心理作用も、破壊衝動が自分に向かって働く理由として、考えられるけど、

 ………、

 飽くまで想像なのだけど、これはこういう事なんじゃないかと思う。世界が自分を否定してきた。その否定して来た世界に対して、反骨精神も生じるのだけど、同時に別の心理も生まれる。ごめんなさい、ゆるして、という子供が助けを求めるような心理が。

 その心理からしてみれば、世界を攻撃している自分はとても悪い存在に思えてしまう。

 だから、それで、

 “ごめんなさい、ぼくは悪い子です”

 罪悪感が生じる。

 この、世界から否定をされた時に生じる、多分母性とも関係があるんじゃないかと思える、相手を攻撃しない、優しくて哀しい心理作用。それが、もしかしたら、“自己否定”の発生に繋がってくるのじゃないかとわたしは思うのだ。

 内にも外にも、変化を求める欲求が生じる原因として。

 ……………、

 ………、

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