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バラバラ−6

 次の日。

 「ねぇ」

 あたしは凛子にこう話しかけた。

 「あの自分にとって“分からない”対象に嫌悪感を抱いてしまうっていう人の心理の話だけど」

 凛子は、キョトンとした表情であたしの事を見た。

 「何?」

 「それとは反対に“分からない”対象を受け入れようとする心理も人にはあるのじゃないかしら?だから、その感覚さえ刺激する事ができたなら、それを克服する事ができると思うの」

 あたしは、あたしの中で、既に祭主くんの事を拒絶してはいなかった。

 あの“夢”のお陰だ。

 “夢”の中で、祭主くんに助けてもらった事によって、擬似的に“分からない”を受け入れる心理を体験する事ができた。

 そしてそれで、あたしは、あたしの中の弱さを克服する事ができたのだ。

 あたしの話を聞き終えると、凛子は牛乳をストローを使って飲み始めた。

 今は、昼休みなのだ。

 考え事をしている表情。

 ジュルルルっと、凛子は牛乳を全部飲み干すと、口を開いた。

 「例えば?」

 「例えば…、ほら、何かの物語のヒーローとかって、人外の存在である場合が多いでしょう? ロボットとか、妖怪の少年とか、宇宙人とか、 人間の場合でも、正体不明って事が多い気がするし。これって、“規範の外”の“分からない”存在を積極的に受け入れようとする心理が、人にはある事の現われじゃないかしら?」

 あたしの説明を聞くと、凛子は「うーん」と唸った。

 「確かにそういう心理もあるかもしれないけど……」

 難しい顔をしている。

 「それって、必ずしも“分からない”を受け入れる要素が全部じゃない気がする」

 「どういう事?」

 あたしが尋ねると、凛子はこう答えてきた。

 「“分からない”存在だと、どんな能力があるのか、文字通り“分からない”わよね? すると、想像力が働いて、こんな事もできるかもしれない。あんな事もできるかもしれないってなるのだと思うの。それが楽しいのかもしれない。未知の可能性が楽しい。それに、それだと自分達にとって有益に働く場合のみだわ、“分からない”を受け入れるのは。自分達にとって害になる場合は、むしろ必要以上に怖れるのじゃないかしら? いえ、害になる可能性があるだけでも、それをよく確かめもせず“分からない”場合は相手を怖れると思う。印象で判断する場合、“分からない”事自体が恐怖だと思うから」

 あたしはそれを聞いて何も言えなかった。

 確かにそうだ。あの“夢”の中で、“祭主くん”があたしの事を助けてくれたから、あたしは現実の祭主くんの存在を受け入れる事ができた。でも、あの“夢”の中で“祭主くん”が、あたしの事を攻撃していたらどうだったろう?

 ………。

 「それに、ヒーローとかの場合って、ある意味じゃ特別視しているでしょう? 本質的な意味じゃ、受け入れているとは言えないのじゃないかしら?“分からない”存在のままだから、ある日突然、人々がその存在を怖れだすって事もあると思う」

 あたしはその凛子の言葉で、ヨーロッパの魔女狩りの話を思い出していた。

 これも下井先生の授業でやったのだ。

 魔女は、実は元々は村社会にとって有益な機能を果たしていたのだという。薬草の知識を用いて、病気を治したりだとか、何か村に問題が起こった時に、それを解決したりだとか。

 しかし、その機能を果たすのに未知に対する人間の心理作用を、つまり“分からない”を用いていた為、社会に様々な不幸な出来事が重なり、不安が世の中に溢れた時に、魔女はその原因にされ、虐待され、虐殺されてしまったのだ。

 例えヒーローであっても、“分からない”のままでは、本質的には受け入れられてなどいないのか……。

 「まぁ、受け入れる切っ掛けにはなるかかもしれないけど」

 凛子はそれからそう呟いた。

 「うーん」

 あたしは、それを聞いてそんな声を上げる。

 そんなあたしの様子を見ると、凛子は優しげな表情になって、こう語りかけて来た。

 「理恵が、障害者の人達の話と関連させて、そんな事を考えているのならね、もしかしたら、ちょっと捉え方が違うかもしれないわよ……」

 え?

 「もっとも、完全に関係がないとは言い切れないとは思うけど… ほら、感情の機能って、実際に触れ合わないと働かせる事ができないでしょう?何処か遠くで飢餓で苦しんでる子供がいても、助けたいって気持ちはそんなには沸いてこないかもしれないけど、道端で苦しんでいる子供がいたら、人は助けたいって強烈に思うと思う。“分からない”対象に対して嫌悪感が働くのって、この場合は、認知の混乱って意味でも捉えられる。どう認知して良いのか、混乱して結局その存在を避ける為、嫌悪する。そしてね、その混乱を静めるのは、この場合感情の機能の範疇だと思うのよ」

 「どういう事?」

 あたしは尋ねた。

 分からなかったのだ。

 すると、凛子は困った表情を浮かべながら説明してきた。

 「うん… わたしにも上手く説明できないんだけど、つまり、そういうのって、能動的に働きかけるものじゃなくて、受動的に享受するものだと思うの。もちろん、絶対的に全ての場合においてそうだとは言い切れないだろうけど、“分からない”が現われて認識が混乱した時は、それを避けるだとか、積極的に取り入れるだとかじゃなくて、ただただ享受する事が重要なんじゃないかって思うのよね…」

 あたしには、凛子の言っている意味が、やっぱりよく分からなかった。

 でも…、

 凛子は考え込みながら、慎重に言葉を選んで続けた。

 「ほら、母性本能ってあるわよね? 多分、そういう方面の感覚に近いものだと思う」

 でも、それが何か重要な意味を持っているだろう事は感じ取れた。

 きっと、凛子の言っている事は、あたしが前に悩んで自問自答していた事にも関係があるのじゃないだろうか?

 凛子も、まだ悩んでいるようだった。

 ………。

 

 この日の午後の最初の授業は、下井先生の“社会”だった。

 この授業で、下井先生はいきなりプリントを皆に配った。

 しかし、その配られて来たプリントを観ても、それが何であるのかは全く分からなかった。テストであるはずはもちろんない(この先生に限って、こんな形でテストを行う事はまずないから)。プリントには、縦長の顔の絵や、丸い顔の絵なんかが描いてあり、それらが並んでいる。何かの資料に見えなくもないけど、一体何の資料なのかは予想もつかない。

 プリントが配り終えられると、下井先生は口を開いた。

 「さて、皆さん。配ったプリントを見て下さい」

 言われなくても、皆不思議そうにそのプリントを見ていた。

 「そこに描かれている、顔の絵を見て皆さんはどう感じますか? 縦長のものからは間延びしたイメージを、ふっくらしたものからは温和なイメージを感じたりはしませんか?」

 疑問系だけど返答を期待したものではない、いつも通りの語り口調。

 下井先生は続ける。

 「もちろん、個人個人で少しの差異はあるかもしれません。しかし、それでも、ある程度は皆さん、共通して感じる同じ部分はあるでしょう。つまり、それが、皆さんが生得的に持っている事物に対する美醜の感覚の一例なのです」

 どうやら、今日の授業は、先の授業の続きであるらしい。

 このプリントは、恐らく、先の授業では言葉だけだった説明を、実感してもらおう、という意図のものなのだろう。

 もっとも、それがどれくらい成功しているのかはやや疑問だけど。

 「そういった生得的に持った性質を下地に、皆さんの感覚は後天的影響を受けて形作られていくのです。昨日の授業で言った通り、平均的な顔を美しいと感じるのは、その代表例ですね」

 自分が一番見慣れた“規範”を、人は美しいと感じる…。

 結局、その程度のものなんだから、そんな事に価値基準をおくのは、馬鹿馬鹿しいと思う。……。馬鹿馬鹿しいから、あたしはそれを何とか乗り越えたかったのかもしれない。

 あたしがそれを聞いて、そんな事を考えていると、下井先生は続けてこんな事を語った。

 「もちろん、後天的影響というのは、一度きりではありません。人は、日々生活する中で、常にそれを受け続けています。ですから、後天的影響によって形作られる基準というモノは変化し続けるのです。美しい顔の基準だって、だからそうなのですよ」

 下井先生は、ちょっと間を置くと、それから、

 「だから、昨日の授業で残念に思った人も安心してください。出会い続ければ、その人の基準は変化するのですからね」

 と、笑いながら言った。

 基準が変化する?

 あたしはそれを聞いて、思う。

 確かにそうだ。祭主くんの事を拒絶していた自分と、受け入れている自分とでは明らかに変化している。

 あたしは変わったんだ。

 「ところで、後天的影響は何も“平均的な顔”だけではありません。文化によって定められた“美”の影響もあります。例えば、太っている人が美しいとされる時代が嘗てあったというのは有名な話ですし、足が小さければ小さいほど美しいとされた文化もありました。これは中国の話ですが、だから、纏足などという事も行われたのですね。これと似た話は世界中にあって、曖昧な記憶で申し訳ないのですが、髪の毛を巻き上げ、その頭が大きければ大きいほど美しい、とされた文化が確かヨーロッパの貴族の間ではあったはずです。もっとも、これは直ぐに廃れていってしまったそうですが。また、首長族の首長の文化なども、その一例に加えて良いかもしれません」

 下井先生は、そこまでを語ると、それから突然、厳しい真剣な表情になって続きを語った。

 「これらは、明かに生得的にある美醜の感覚とはかけ離れた“美”に対する感覚です。つまり、文化による後天的影響というモノは、場合によっては先天的なそれを超える事ができてしまうのです。だから気を付けねばなりません。何故なら、そんなモノは幻想で、体や精神面で害になる事すら美しいと感じさせてしまう場合がままあるからです。もちろん、それは幻想な訳ですから、切っ掛けがあれば直ぐに消えてしまいますが」

 幻想?

 後天的影響によって形作られる基準は、変化をする。

 しかしその基準が、簡単に変化するほど脆弱な場合もある。という事だろうか?

 「皆さんは、現代社会ではそんな事はないだろうと思ってはいませんか? しかし、現代でもこういう現象は往々にしてあるのですよ。いえ、むしろ現代社会の方が酷いかもしれません。例えば、最近では“ガングロ”ブームなどがありましたよね?顔が黒ければ黒いほど美しいとされ、どんどん顔を黒くする若者たち。集団心理の幻想に気付けず、そんな事を行ってしまうのです」

 あたしは、先生の話から、あたしが今回悩んだ問題との関係を考えない訳にはいかなかった。

 先生の話に照らして考えるのなら、祭主くんという存在を受け入れる為に、あたしは自分の中の基準を変化させようと、さんざん苦労したという事になる。

 でも、その基準を簡単に変える事ができてしまう人達もいるんだ。

 それとも、あたしも場合によってはそうなのだろうか?

 (ただ、それが良い事であるとは思えないけど)

 凛子の話していた事もある。

 あたしは、今回の悩みを取り敢えずは解決する事ができた。でも、どうやら、問題自体の答えは、まだまだ出てなんかいないみたいだ。

 「ふーむ」

 あたしは、唸って頬杖をついた。

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