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霊安室の囁き-3

 ―――。

 眠る前、ベッドの中で考え事をする。

 両手を布団の上に乗せ、押し付けるような感じをつくる。なんとなく。

 夜だから、もちろん部屋は暗い。暗いから、あまり物はよく見えない。それでも、私はその暗がりの中にある何かを見てやろうと、瞳を思いっきり開いて天井を凝視していた。

 ここにだって、世界がある。

 山中さんの話が本当ならば、ここにだって、一つの世界があるはずなんだ。

 怪談。

 私はそれから、怪談の事を思った。

 先日の見学の時に、看護師さんから聞いた怪談。その内容は大体、こんなようなものだった。

 夜勤時に廊下を歩いていると、エレベーターのドアが開いた。当然、誰かが出て来るのだろうと思っていたら、誰も出て来ない。中を見てみても誰もいない。奇妙な違和感は残ったが、誰かが悪戯でもしたのだろうと、その時はそれで片付けた。しかし、後日、患者の一人がその時間に死んだ事を知り、悪寒を感じた。“もしかしたら、その患者が乗っていたのかもしれない”

 とても簡単な内容だけど、見学時の短い間だったから、それでも私には充分だった。ただ、その時に、その話を語ってくれた看護師さんは、「霊が存在すると思うと、やっぱり怖くなるわね。だって、霊安室かなんかで、病院の悪口とか皆で言い合ってたら、嫌じゃない。少しくらいは誰でも不満を持ってるものだからね」と、そんな事を言っていた。

 こんな発言が出る裏にはやっぱり、少しくらいは負い目を感じている部分がある、という事なのかもしれない。

 自分達の仕事に関して。

 そりゃ、あるだろう。看護師だって人間だ。当然、ミスの一つや二つ、あるに決まってるんだから。それに、例えば、どうしても気に入らない患者さんとかだって受け持つ事もあるだろうし。それで、その時には、どうしても避けるような態度を取ってしまって、それが後に罪の意識になるだとか……。

 もし、そのまま、その患者さんが死んでしまったりしたら…

 ………。

 仮に、霊安室で、死体達が囁き合っているとしたら、どんな事を言っているのだろう?

 自分達を救えなかった病院の文句を言い合っているか… それとも、懸命にがんばってくれた病院を褒めているか…

 「はぁ」

 私は溜め息をついた。

 目を閉じる。

 “看護”をする。人を救う道。人を助ける職業。

 他の職業だって、もちろん人を救っている訳だけど……、というか、互いに影響を与え合って、支え合っているんだ。それは山中さんとの会話の中で気付かされた。

 でも、看護医療という道は、直に人と接して、人を助ける。データとしてでも、理屈としてでもなくて、感覚や感情に直に迫る領域で、その影響を受ける。だから、罪悪感だって当然直に受ける。

 その点が、他の職業とは圧倒的に違うところだ。だから、看護医療はとても大変な職業なんだ。

 私はその道へ進もうとしている。

 人を救う。って、いつも成功するとは限らない。

 半ば消去法で、この道を選んでしまった私には、もしかしたら、その覚悟がないのかもしれない。人と接することには、辛さもある。

 “すいません。あなたを殺してしまったのは、私です”

 そういう場合だって、あるんだ。

 ………。

 どうしよう? 逃げたくなってきちゃったな………

 さっさと、やめちゃえば良い?

 ……でも、

 

 それから、私は、夢を見た。

 

 ………。

 病院の夜の廊下を、私は一人で歩いている。私の今晩のお仕事は、霊安室に安置されている、死体達の囁き声の捕獲。それを放っておいたなら、やがては病院外へその声が漏れ、病院側の落ち度がこの世間、生者の皆皆様方にばれてしまう。だから、ばれないように、ばれないように、その前に、その声を捕獲しようっていう訳。

 下っ端の看護師が交代で、その嫌ないやーな、役割を担ってる。

 コツリ、コツリ、と歩きながら、私は独り言を漏らす。

 『こんな仕事、絶対にさっさと辞めてやる!』

 その方が絶対に得なワケよ。

 静止した画像は乱れない。

 クリーム色した重い扉を思い感覚、ギーッと開ければ、そこにいるのは死体達。今晩もカサコソと囁き合っている。死体の全てには白い布が被せられていて、声を出しているのにも拘らず、その布は少しも揺れやしない。

 私はその死体達の囁きに耳を傾け、その全てをノートに記入していく。

 それで捕獲ができるのです。

 このノートは後で燃やす。そうして、証拠は残さない。この作業のお陰で、みんな安心っ!明日も看護ができますのよ!

 

 一人目はおじいちゃん。

 

 このわたくしが生きたのには、何か意味があったのでしょうか?わたくしは早くに死にたかった。チューブに繋がれ、とても不快で寝てばかり。何にも面白い事なんかなく、家族にも、他の人にも迷惑をかけた。苦痛で苦痛で仕方なかった…… もっと、自然に死にたかった………、

 のに…

 わたくしが無理矢理生かされた時間で、病院サマは、一体どれくらいお金を稼いだのでしょうか?

 教えて戴けませんかね?

 

 いつもの如くの、典型的な文句。

 こんなのは、もう聞き飽きている。私は適当に書き殴ると次へ行った。

 

 二人目は若い女性。

 

 私は助かりたかったんだ。

 なんとしても、助かりたかったんだ。

 もっと、あの医者が迅速に対応していれば、それで助かったのじゃないか? どう足掻いても無理だったのか?

 なんで死ななくちゃならないんだ!

 どうして!

 どうして!

 

 そんなの知らないわよ! あなたの運が悪かっただけ! 私には何の罪もないわ。体制をもっと良くしていれば助けられたかも?

 分かる訳ないじゃない!

 私は所詮、病院の一部よ! 体制を変えるなんて能力ないの!

 

 三人目は中年男性。

 

 俺は酒が好きだったんだ。

 でもよ、入院したらよ、医者の野郎が飲んじゃ駄目だって抜かしやがった。健康に悪い。早死にしたくなかったら。だってよ。でも、結局死んだじゃねーか。なら、俺は酒が飲みたかった。死ぬ前にもう少しだけ楽しみたかったよ…

 それとよ、看護婦さん。

 もう少しくらい、俺に優しくしてくれても良かったんじゃねぇか?

 確かに我侭は言ったかもしれんけどよ。俺は、もう少しで死ぬって立場だったんだぜ?

 なぁ?

 なぁ?

 なぁ?

 

 私にはそこまでが限界だった。

 “ごめんなさい”と謝りたかったけど、その言葉も出なかった。

 それ以上、その作業は続けられなかった。

 私は、山中さんみたく、強くないんだ。だから、自分がシステムを変えてやるだとか、そういった発想は持てない。もし、こんな残酷な現実にぶつかってしまったら、どう生きれば良いのか分からない。

 『辞めれば良いのじゃない?』

 その時、目の前に、あの友人が立った。

 並ぶ死体達。

 その中央に。

 『そんなに辛いと思うのだったら、辞めてしまえば良いのよ、さっさとね』

 そうね。それも一つの選択肢かもしれない。私は、あなたの考えを否定はしないわ。それも一つの生き方だと思う。

 でも……、

 私はまだ何もしていない。

 何にもしていないのよ?

 やっぱり、普通の会社に就職して、OLになってる自分の姿は、私には想像ができない。その方が得だからって、世間の人が言うそのままに、結婚をして主婦になるのもピンとこない。自分の将来を漠然と思い浮かべるのなら、看護師しか思い浮かべる事はできない。

 どう生きれば良い?

 ………。

 『やれやれ…』

 その時に声が聞こえた。

 え?

 私はそれを不思議に思う。

 それは私のちょうど背後に現われていた。目の前に現われた友人のちょうど反対側。

 白い影。

 私には、それが何であるのか完全には把握できなかった。その存在には緩やかで不確定な輪郭しかなく、つまり漠然とした対象でしかなった。しかし、それでも、その存在は、私に向かって問い掛けて来た。

 『君は何か忘れていないかい? 人を助けるって事に、メリットは全くないの? 君自身にとってのメリットはさ』

 私自身にとってのメリット?

 『もちろん、看護するって事には辛さもあるさ。とても厳しい現実が待ち構えている。そんなような、明かなデメリットも見えるね。君はこの数日間でそれを実感した。しかし、その前に君はメリットも見ていたはずだ。だから、君は看護師になる道を選択したのじゃないか? 君はそれを忘れているだけだよ。よっく思い出すんだ』

 忘れている? 私が?

 そんな……、

 『じゃなければ、なんでそんなに看護師になる事に君は拘っているんだい? ただの思い込みとでも言うつもりかい? なら、簡単に吹っ切れるはずだよ』

 ………。

 ザワザワ ザワザワ

 霊安室の風景が突然消えた。視界がフェードアウトして、白い光景の中で、人のざわめきが聞こえる。

 友人達のささやき。

 『田中さんって、子供っぽいわよねー』

 『小さくて可愛い』

 『十年後が想像できないわよ、私は。はっきり言って』

 定番の、その言葉たち。

 ……私は子供っぽい。

 本当にそうかな?

 『将来の事とかも、なんか可愛い理由で決めてそうよねー。ピュアだから』

 そんな事……、

 ない、と思う……。

 私が将来の事を決めた、本当の理由。

 

 ――人間という生物は

 

 ある日の、下井先生の授業。

 そういえば、その時の内容で、私は人を助けるって事の、自分にとってのメリットを教えてもらったんだ。

 『人間という生物は、集団で生活する性質を持っています。だから、同種である人間の攻撃を抑制するという性質を本能的に持っていて、それが働いている限りにおいては、人間は人を殺すなどできません。人を殺せる場合は、何らかの理由でエラーが発生し、その仕組みが働かなくなった状態においてのみですね。ただし、これは感情の機能においてある仕組みです。そして、感情の機能は直に接していなければ働き難い。だから、例えば、殺す人に全く触れない状況下で核ボタンを押すといった作業では、その機能は働きません。近代の戦争の恐ろしさの一つがそれですね。近代の戦争では直に接する機会が少ない為、人は、罪悪感をほとんど感じないで、人を殺せてしまう。解決しなければいけない問題の一つでしょう。

 そして、これの反対も実はあります。人間は集団で生活する生物だから、人を助ける事によって快感を感じるといった性質も本能的に持っている。母性本能に代表されるそれですね。そして、それも同じ様に感情の機能です。だから、遠くからデータとしてのみ助けるのじゃその快感は得られない。直に接していなければ、その快感は得られないのです』

 そうか、だからか。

 私はそれを聞いて思ったんだ。

 私はその快感が得たかった。だから、看護の道に進もうと思ったんだ。それは、直に人と接する、その職業じゃなきゃ得られない快感だから。

 子供っぽい理由かもしれないけど。

 『そうさ』

 その声と共に、スッと霊安室の風景が帰って来る。そして、あの白い影は私の前に立っていた。

 ……でも、これを言ったら、また子供っぽいって言われてしまう。違う。私は、子供っぽくなんかないんだ。ないのに。

 『君は自分が子供っぽいと言われる事を、実はとっても気にしていた。それなのに、気にしていないと、無理に思い込もうとしていた。それで反対に、無理矢理に、子供っぽい自分を演じて見せたりしていたんだね。本当は悔しかったくせに…… 強い自分をそうして護っていたんだ』

 子供っぽくなんか…

 『自分が気にしてないのなら、子供っぽく演じても平気なはずだから。それを自分自身に証明する為に。でも、本当はそう言われる事を嫌がっていたんだ。そして、それで…』

 私は、その、子供っぽい志望動機を隠していた。

 無意識の内に……、

 『だから、その理由に気付かなかった。そして、消去法だなんて言い訳をしてみせていた。だけど、本当はしっかりとした動機を持っていたんた。それで諦める事ができなかった。でもね、そんな事は実は最初から分かっていた事だったんだよ。君が悩み始めた最初からね。だって、そうじゃなければ、人を傷つけてしまうかもしれない事態を想像して、それに竦んだりなんかしない。君が看護師になる事を怖がった本当の理由は、志望動機の漠然さなんかじゃなくて、むしろ、その、しっかりとした志望動機によってだったんだ』

 それは、メリットの裏にあるデメリット。

 私は、それが怖かったのか…

 『人を傷つけてしまうかもしれない可能性が怖いかい?田中さん』

 『怖いわ』

 私は、素直にそう認めた。

 ――でも、

 少なくとも、その正体は見えた。

 『うん』

 その白い影は言った。

 『そうだね。君の中で漠然としていたそれは、もう“分からない”じゃない。それに、確かに人を救えない場合だってたくさんあるだろうけど、それは飽くまで生理的な事だよ。精神面では分からない。もちろん、それだって完全には無理だろうけど、それでも、君がマイナスの影響を与えるとは限らない。失敗もあるけど、患者達に少しばかりの安らぎを与えるといった事ならできるかもしれない』

 霊安室の死体たち。もう、何も言わないでそこにいる彼ら。

 “ありがとう”

 私はその言葉が聞きたい。

 『うん。分かってる』

 私はそう言った。

 “覚悟”は決まった。

 すると、その白い影はこう言った。

 『そうか。なら、もうここにいる必要はないはずだよ』

 『そうね』

 私はそう返す。

 『ありがとう。“祭主君”』

 そして、そう、彼の名前を言ってあげた。

 

 私は霊安室の扉を開けて外に出た。

 すると、病院の冷たい壁に寄りかかって、そこには人影があった。

 山中理恵さん。

 彼女だ。

 私にはそれが分かっていた。

 彼女の前を通り過ぎる刹那、彼女は私にこう問い掛けて来た。

 『どう? 生きる術は見付かった?』

 私は答える。

 『なんとかね』

 彼女はそれを聞くとちょっと微笑む。

 『良かったわ』

 『でも、山中さんみたく強くはないから、システムを変えてやる、なんてやっぱり思えないかもしれないけど』

 それに負けちゃうかもしれないけど。

 それを聞くと彼女は言った。

 『私だって強くないよ』

 ちょっと逡巡する。そして、

 『というか、強くないから強いんだ。私の場合は』

 そう言って来た。

 そうか、

 私はそれを聞いて思う。

 その通りかもしれない。あの、自嘲的な主張をしたその後で、ありがとう、と私に向って言った山中さん。

 『そうだね。できるか分からないけど、その可能性は考えてみる、私も』

 『うん』

 『その時は、山中さんを頼る事になるかもしれないけど…』

 彼女は私のそれにコクリと頷く。もちろん、これは私の想像の中の山中さんだ。でも、現実の彼女だって頷いてくれるように私には思えた。

 『またね』

 私は彼女にそう告げる。

 『また』

 そして彼女も、そう返して来る。

 私は、その道を、光の方に向って、ゆっくりと歩いていった。

悩んでいる感じを表現しようと思って、敢えて文章を整理しないで読み難くしてみた部分もあるのですが、改めて読み返してみて、ちょっと読み難くし過ぎたかなぁ とか、思っちゃいました。

一般の人は、どれくらい悩むもんなんでしょうかねぇ

僕は、やっぱり悩むのは必要だって思うのですが。

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