踊る人影-1
真っ白い光だった。
でも、辺りを包むそれは、けして目を痛める類のものじゃなくて、柔らかく、存在の緩やかな寂光だった。
その白が徐々に薄れて、駐車場やら、歩道やら、桜の樹やらが顕わになる。
何故にそんな光が私を包んでいたのか、最初のうち私には分からなかったのだけど、考えている内にその正体に気が付いた。
桜の花だ。
その、私が自転車で進んでいた通りには、たくさんの桜が咲いていて、例年よりも少々早い時期に満開になったその桜たちは、何かの冗談じゃないかと思える程の量の花びらを、その辺りにばら撒いていた。
そして、薄いピンクの花びらは光を返す。
だから、あまりにたくさんの花びらがあれば、それは乱反射を起こす。
日の光を各々の花びらが返して、返して、白く、白く。
そして、幾ら光を返しても、元の光の強さは変わらない。返せば返すほど、それはむしろ弱くなり、自然柔らかな光になる。
そうして、薄くなった光によって包まれた空間が、そこにできあがったのだ。
私はその中を通ったのだろう。
もっとも、近くの駐車場に水たまりがあったから、それが照り返した光もあったかもしれないけど(でも、それだけなら、あんなに柔らかな光にはならなかったと思う)。
これは、私が春先に経験した本当の話だ。
人間というのは、こんな風な感じにでも、不思議な体験というもの味わう事ができるのだ。
なんとなく、原因が分かっている事、予想できる事でも、それを不思議だと感じる事ができる。
………。
三年生に進級して、一つ事件があった。
祭主君が、転校して、この学校から去ってしまったのだ。
家庭の事情らしい。
もっとも、大して深い関わりがあった訳でもない私達には、そんなに衝撃的な出来事でもないのだけど、それでも、私はちょっとだけ揺れた。
それは、祭主君が、恐ろしく私的で内的に、私にとって思い出深い存在であったという事ももちろんあるのだけど、それ以上に、あの幻想の中に出てくる“祭主君”の事があったからだった。
そう。
私は、現実の祭主君が転校してしまった事によって、あの幻想の中の“祭主君”にも、もう出会えないような気分になってしまっていたのだ。
確かに、あの“祭主君”と現実の祭主君は別の存在で、本質的には現実の祭主君が転校しようが何しようが関係ない、はずだ。でも、私の認識の中ではまったく無関係とばかりはいえない。私の中で、祭主君はもういない、となってしまえば、あちらの“祭主君”ももう出て来ないかもしれない。
(もっとも、今までだって会えたのは、そんなに多くないのだけど)
このままではもう会えない、と私はなんとなくそう予感していた。
そして、私のその予感通り、それからあの“祭主君”に出遭う事なく、私の学校生活の日々は流れていった。
春が過ぎ、夏になり、秋になり、そして冬に。
そこには“怪的”な要素など微塵もなかった。高校生活最後の年らしく、進路の事で頭を悩まし、受験勉強にストレスを溜め、そして漠然と感じる将来への不安や期待から、自分自身の事を見つめ直していたりした。
私の進む方向は、本当にこれで良いのだろうか?
とか。
(でも、答えなんかでない)
(…、)
(当たり前だけど……)
そして、そんな中で、私はこんな噂話を耳にしたのだ。
久しぶりの、怪談… のような話。
それは、校舎から校舎への渡り廊下。一番上の、三階のそれには天井がないのだけど(つまり、半ば屋上のような感じ)、その渡り廊下に、真夜中になると、謎の人影が現われ、踊るのだという。ただ、それだけのものだった。
しかし、何故か、私の中でその存在はあの“祭主君”と重なってしまった。
あの“祭主君”が踊っているような気がした。真夜中に、とても寒い、冷えた空気の星空の下で。
ただ、だからって何か行動に出ようなどとは思わなかった。何をすれば良いのかも分からないし。
まさか、真夜中の学校に忍び込んで、渡り廊下に行くなんて訳にもいかない。
(そんな事をしたって、恐らく出遭えないだろうし)
それに、その噂話だって、本当に噂話と呼べるレベルなのかどうかも分からない程度のものなのだ。
つまり、単に誰かの思い付きで、一人か二人にしか話されなかった話を、私が偶々耳にしてしまったという可能性がある。
だから私は、その噂話が気になった事はなったのだけど、別に何をするでもなく、それを放っておいた。
下井先生の、最後の授業を受けるまでは。
…、
下井先生の最後の授業。
下井先生の様子は、その日いつもよりも真剣そうに見えた。
この先生の事だから、最後でもいつもと別段変わる事もなく、飄々と授業をこなすのだろうと思っていた私には、それは少々意外だった。
どうしたのだろう?
下井先生は、寂しげな笑みを浮かべて語り始めた。
「みなさんは、微分積分というモノが、一体何に使われているのか知っているでしょうか?」
返答の期待のない問い掛け。
「実は、微分積分というモノは、応用範囲が非常に広いのです。社会の中で、とても役に立っている数学の分野なんですよ」
下井先生はそう言うと、ちょっと間を置いた。そして、
「学校の授業では教わらないでしょうが」
と言って、説明を続けた。
「微分積分は、物理学、化学、生物学、経済学、そしてそれらの応用によって成り立っている実際的な技術、そういった分野の全てでなくてはならないモノなんです。計算式で現す事のできる全てのモノに対して、応用が可能だ、と言い換えても良いかもしれません。例えば、建築物、その構造を計算式で表現できれば、微分を用いて、何処の部分に一番力がかかるか、などを求める事ができる。そしてそれによって、強く補強するべき個所が分かるのです」
そこで一旦、下井先生は止まった。
「ですが」
それから、
「こういった事を、皆さんは知らないで今まで勉強を行って来たのではないでしょうか? 役に立たない、とでも思っていたのではないですか? 実は、それがなくては社会が成り立たないほど、重要なモノであるのにも拘らず」
そう、悲しそうに言葉を続けた。
「実は、それはとても不幸な事なんです。みなさんにとっても、この社会にとっても。本質的な学習意欲というモノは、“必要”から生れるのです。それが自分にとって、“必要”だ、と感じなければ、学習意欲は沸かない。しかし、今の教育体制はそうではありません。テストの成績を競い合わせ、その競争心によって勉強をさせようとしている。これでは、勉強嫌いな人間を多く生み出してしまうのは当たり前です。更に、そうやって、テストの点ばかりを気にして身に付けた能力は、実際には活かせない場合が多い」
“不効率です”
“無意味です”
静かな怒りを湛えて、下井先生はそうこぼした。
「だから、みなさんが勉強を行う時は、まず、その勉強が何の役に立つのかを知るべきです。学校がそれを教えてくれないのなら、自分で調べるしかないでしょう。そして、もちろん、その逆もしかりです。つまり、将来あなた方がやりたいと思っている事には、どんな学習が必要なのか、といった事も調べるべきなんです。そして、もちろん、テストの点数とは別の所で、それを身に付けなくてはなりません」
下井先生は、明かに、今のこの学校の体制を批判していた。
どうしたのだろう?
私はそう感じて、再びそう不思議に思った。
……もしかしたら、
「ですが、それだけでも、本当は足りません」
含めるような口調で、下井先生はそう言った。
「世の中というモノは、この世界というモノは、そんな風に型に嵌ったモノではないのです。自分のやりたい分野でこれが必要、というのは、飽くまで現段階での事に過ぎません。これから先、それがどう変わるかは分からない…、いえ、それをどう変える事ができるかは分からない、のです。一見全く関係のないように思える学門が、その分野で役に立つという事は往々にしてあります。例えば、デザインの分野で数学が活かせます。正確に波のラインを描きたいとしましょう。三角関数のグラフは、実は波をそのまま表現できます。だから、パソコンにそれを打ち込めば、自分の思い描いた波のラインを作る事ができる。また、アニメーションの新しい技術、プログラミングによって表現された、動物の“群”の動きは、複雑系という新しい学門の分野に関係があります。こういった事を、自分自身で新しく見付ける能力も、あなた方は身に付けるべきなのです。役に立つかどうか、ではありません。役立たせる、のです。常識の型に嵌めて、その学門を学習してはいけません。柔軟な発想で応用すれば、その学習したモノから、もっと別の何かが産み出せるかもしれないのですから。その為には、その学門にどういった性質があるのかを充分に知らなくてはいけませんがね………」
下井先生は、それから口を閉じた。
しばしの沈黙が流れる。
「私は、」
そして、口を開いた。
「そういった能力を身に付けさせる為の授業を、今まで行って来たつもりです。テストで良い点数を取る為の授業ではなく」
………、
“社会”という分野で。
……もしかしたら、下井先生は、この私達の学年の授業が終ったら、もうクビになるのかもしれない。いよいよ、この学校を追い出されてしまうのかもしれない。
珍しく私情を語る下井先生を見て、私はそう思った。
……考えてみれば、何だかヘンテコリンな印象は受けたけど、この学校の授業の中で、一番楽しかったのは、下井先生の授業だった。そして、それだけじゃなく、一番私達の心に残って、影響を与えていたのも、下井先生の授業であったような気がする。
もちろん、全ての授業が、下井先生のようなスタイルであったのなら、それはそれで問題があるかもしれない。
だけど、
下井先生の授業も、この学校には、いや、この社会には、必要なモノなのじゃないだろうか?
もし、下井先生がクビになるのなら、それは間違った事であるように私には思えた。
(高校に限らず)今の、学校という、モラトリアムを経過していくシステムには、そぐわないものであるようには思うけど。
………、
……そして、私は、そう疑問に思った途端、分からなくなってしまっていた。
では、その間違った判断を起こしてしまう、間違った教育システムの上に乗っかって私の一度しかない人生を進む事は、私にとって本当に正しい事なのだろうか?
……
だから、
私は、どうしても、あの“祭主君”にもう一度出会わなければいけなくなってしまったのだ。