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呪いの黒板-2

 ………。

 そんな中で、一学期が終った。

 夏休みが始まる。

 長い休みが始まっても、理恵からの電話が頻繁になる事はなかった。受験生だし、私達二人が揃うと実はあまり勉強ははかどらないから、無理もないかもしれないが。しかし、そう思いながらも、何処かで私は、孤独な自分に言い訳をしているような自分の姿を否定できなかった。

 自分は、一人ぼっちなんかじゃないんだと、そう信じ込みたいあまり、私はそんな言葉を唱えているのかもしれない。

 休みが始まっても、私はほぼ毎日学校に通った。夏休みでも、学校は開いている。図書室やその他の施設も自由に使う事ができ、だから実は勉強をするのには、結構適している上、人が少なくて穴場なのだ。ただ、私が毎日通っている理由はそれだけじゃない。制服に着替え、学校に行くと、気持ちが切り替わって、勉強に集中できるように思えるからだ。

 図書室には参考書もあり、しかも、他に人がいないお陰で、それを自由に使う事ができた。

 私は、午前中いっぱいを勉強に集中すると、それから少し休憩時間にした。図書室で昼食を取る事は禁止されている。別に、今は司書教諭だとか管理者が近くにいる訳じゃないから、ばれる心配はないが、一応気が引けるので、私は外に出た。

 三階の渡り廊下は青天井で、半ば屋上のようになっている。天気の良い日は気分が良く、私は、そこで昼食を取る事にした。そこまで行く為には、実に様々な場所を通らなくてはならない。その過程で私は、この学校に数多ある、色々な怪談スポットの事を思い出していた。

 怪談のほとんどは、田中さんという、理恵と私の共通の知り合いから聞かされたものだった。彼女は怪談がとても好きで、しょっちゅうそんな話をする。そのお陰で、私達も随分とこの学校の怪談について詳しくなってしまっていた。

 フォークロア。

 私は、そこで、その言葉を思い付く。

 確か、下井先生が言った言葉だ。

 この学校というものは、一つの小社会である。その場所には人々が活き、ルールがあり、習慣があり、考え方がある。つまりは、そこには文化が在るのだ。だから民間説話も生まれる。怪談奇談の類は、その代表的な例だ。

 確か、そんな事をあの先生は説明していたように思う。

 つまり、それらはフォークロアなのだ、と。

 その時私は、ふと、そこに“女性原理・男性原理”を当て嵌めてみようと思った。

 “女性原理・男性原理”で、言えば、社会に誕生した民間説話はどちらになるのだろう?

 もちろん、物語には様々な要素が入り乱れているので、結論は安易に出してしまう訳にはいかない。どちらの部分も多く含まれているのだ。けれど、私は、基本的には女性原理的要素が多いのじゃないかと思った。

 男性原理的なモノ。

 ルール。

 それは、幾ら集団が大きくなっても、直に、そのままに人々に適応できる。法律だとか、社会倫理だとか。それら決まり事は、そこで暮らす人々に影響を与える事ができる。しかし、女性原理的なモノの場合はそうはいかない。協調し共感しようとする“気持ち”での機能に頼るそれは、ある程度近くで接していなければ、働かせる事はできない。ならば、集団が大きくなれば、全体に直に影響を与える女性原理的な要素は全く消え失せて、無くなってしまうのだろうか?

 私は、そうは思わない。

 それは、物語、という形で残るのではないだろうか?

 共通した物語を読む事によって、私達は女性原理的なモノを共有する事ができているのだ。“物語”は、同時に様々な多くの人に、その影響を与える事ができる。それが、本質的には全く“同じ”モノではないにしても、それでも、ある程度は“同じ”感覚を伝える事ができる。それで、同じ文化内に活きる存在としての私達個人個人を、“物語”は繋ぎとめているのじゃないだろうか?

 だから、民間説話は、女性原理的な機能を果たしているのじゃないかと思ったのだ。

 もちろん、それは“物語”のみに限った話ではないけれど。

 音楽。絵画。ファッション。その他諸々のそういった人の感性に訴えるモノにも、そういった女性原理的な要素は渦巻いているのかもしれない。

 同じ趣味を持った仲間。同じ絵を素晴らしいと頷く人達。そして、同じ服装に身を包んだ、同じグループの仲間達。

 私は、そこまでを考えて、別の、下井先生の授業を思い出した。

 日本人は共感する事を重要視し、その為の判断基準で動こうとする。だから、それぞれ個人は、皆と“同じ”になろうとする。

 そんな事も、あの先生は語っていた。

 同じ、に。

 日本人は、もしかしたら、女性原理的要素を強くもっているのかもしれない。だから、女性原理的要素では扱いづらい問題を解決する事には不向きなのだ。

 和。共感。協調性。同じ存在。

 ………。

 同じだ、とそう認識されて一体となっていられるのなら、その場所はとても気持ちが良いのかもしれない。居心地が良いのかもしれない。しかし、“同じ”じゃない存在になってしまったらどうなるのだろう?自分が別の色を持ってしまっていたのなら。

 同じ、存在にはとても優しい。しかし、反面、同じじゃない存在に対してはとても残酷なのも、この集団主義社会の特性だ。異分子は、排除しようとする。だから、その為にとても気を使わなければならず、その所為で人間関係に疲れてしまう。

 “平等”といえば、皆が同じになる事だとばかり考えて、個性を潰すような内容が、正当生を持って語られる、そんな社会。

 ――私は、異分子だ。

 そこまでを考えて、私はそう思った。

 

 この学校の怪談の中に、“呪いの黒板”というものがある。昼食を取り終えた三階の渡り廊下からの帰り道、私はその事を思い出していた。

 生物実験準備室にかけてある小さい黒板。まだ、何かが書いてある所を私は見た事がないのだが、その黒板に、誰か人の名前を書くと、その人物に呪いがかかる、という噂話がある。

 もちろん、馬鹿馬鹿しい話だ。だけど、そこに人の名前が書いてあるのなら、それはその人が誰かから嫌われている。否、或いは、憎まれてすらいる可能性がある事実を示している事になる。

 それは、あまり気持ちの良いものじゃない。

 図書室まで戻る道のりで、私はその生物実験準備室の前を通る。

 ――生物実験準備室。といえば、図書室にも置いてないような生物の図鑑があったはずだ。

 それから、更に、私はそれを連想した。

 どうしよう?

 受験勉強に直接関わるような類の調べ物じゃない。しかし私には、ずっと気にかかっていた事があった。中々行く機会がなかったけど、今この帰りならば、立ち寄るのに都合が良い。生物実験準備室の図鑑でならば、調べる事ができる。

 しかし私は、そう思いを巡らせながらも、自分が言い訳をしている可能性について考えていた。“呪いの黒板”“異分子”私は、そこに自分の名が書かれている可能性を恐れていた。それに不安を感じていた。

 ――私は、異分子だ。

 だから、それを確かめて安心をしたいだけなのかもしれない。何か生物実験準備室へ行く理由を作って、そこに、誰の名も書かれていない事を確かめたいだけ。

 私は、嫌われてなんかいない。

 そう思いたくて。

 

 ――生物実験準備室の、表側、廊下から入るドアは閉まっていた。これはいつもの事だ。しかし、生物実験室の方から、準備室に入る事のできるドアがもう一つあって、こちらはほとんど必ずと言って良いほど開いている。だから生物実験室に入れる状態ならば、準備室にも入る事ができる。

 私は、そのいつもの経路を踏んで準備室へと入った。

 そして、

 図鑑。

 図鑑を探した。

 意識してそう思おうとした。黒板にはできるだけ目を向けないようにして。

 ――でも。

 今まで何かが書いてるのを目撃する事すらなかった準備室の小さな黒板に私は、白い線で何かが書かれているのを、視界の隅で認めてしまっていた。そしてその瞬間、どうしても目を向けない訳にはいかなくなってしまっていた。

 鈴谷凛子

 そして、そこにはそう書かれていた。

 確かに。

 私は愕然とするしかなかった。

 まさか、

 そう思った。しかし、それはどう足掻いても事実だった。そこには、私の名前が書かれている。

 誰かが、私を嫌っているんだ。

 私は涙が出そうになった。異分子。嫌われ者。境界線の外。いらない存在。皆は排除しようとしている。私を。私の事を。

 ところが、その時だった。私がショックを受けて立ち尽くしていると、声が聞えて来たのだ。

 「こら! だれだぁ そこにいるのは」

 それは塚田先生の声だった。塚田先生は女性教師で生物の担当だ。外見は大人しそうに見えるのに、ラフでいい加減で、そして、とても気さくな感じのする人。

 私は慌てて黒板の自分の名前を消そうとした。しかし、その時には既に遅く、塚田先生は準備室の中に入って来てしまっていた。

 「なんだ。鈴谷じゃないか。どうしたんだ?こんな所で」

 私を見ると塚田先生はそう言った。

 分かっていた事ではあったけど、何も怒っている訳ではないのだ、この先生は。それでも、あんな言い方をする。

 「いえ、図鑑を、少し見せてもらおうと思いまして…」

 私はそう言う。

 しかし、塚田先生の視線は既に私を見てはいなかった。塚田先生は、黒板をじっと見ていた。

 私の名前を見ていた。

 それから、私を見る。

 「お前が書いた訳じゃ、ないよな?」

 私は黙って俯く。

 その後、この先生はどう言うつもりだろう? 私は、どんな言葉を聞いても傷つくような気がする。

 ところが、

 「って事は、誰かお前に憧れている若人でもいるって事か」

 その後で塚田先生はそんな事を言ったのだった。

 私には意味が分からない。

 私は驚いたような不思議そうな顔を塚田先生に向けた。その顔を見て塚田先生は言う。

 「知らないのか? この黒板の噂話」

 私は首を横に振ってこう応える。

 「いえ、知っています。これは呪いの黒板で、ここに名前を書くと、その相手を呪う事ができるのだって…」

 しかし、それを聞くと塚田先生はこう言ったのだ。

 「なんだそりゃ? 私が知っているのは、ここに名前を書くと、その相手と恋仲になれるってものだぞ? 何処でどう話が変化したのかな?」

 私は、それを聞いてもちろん驚いた。

 

 今まで長い間生物教師として勤務し続けている塚田先生の話によると、どうやら、噂話の主流は、書いた相手と恋仲になれるというモノであるらしかった。由来もはっきりしている。塚田先生が教職に就く前に、勤務していた生物担当の女性教師は、課題を忘れた者への罰として、生物準備室の掃除をやらせていたらしく、そしてここの黒板をその罰当番用として使っていた。その日の、掃除をする生徒の名前を書いていたらしいのだ。そして、そんな中で、ほとんど毎回課題を忘れて来る男子生徒がいた。当然、毎週のようにその男子生徒の名前はこの黒板に書かれる事になった。ところが、その男子生徒は卒業をすると同時に、その女性教師と結婚をしてしまったのだという。それが噂になり、それ以来、ここの黒板は恋人になる為のおまじないの場所として、校内で囁かれる事になったらしい。因みに、それでその女性教師は退職をし、塚田先生が赴任する事になった。

 「それ、本当の話なんですか?」

 私は全て話を聞き終えると、そう問い掛けた。

 「もちろん」

 塚田先生は、そんな事で嘘を言ってどうするよ?といった感じで整然と答える。

 「お陰で、私はここの黒板を使えないでいる程だからな。愛憎両極性とか、好きと嫌いは、案外近い関係にあるとか、色々あるけど、これも、そういった現象なのかもしれないぞ。ある地方で禁忌とされているものが、ある地方では神様の化身だったりするだろう?民話とかでも、さ。 そんな感じで、ここのこれも、何処かで悪い噂へと変化してしまったのかもな」

 しかし、私はそれでも尚も眉を顰めた。

 「でも、それでも、“呪いの黒板”の方の噂があるのも事実です。私の名前が書かれたこれが、どちらの意味かは分からないじゃないですか……」

 「そうかな?」

 それを聞くと塚田先生は首を傾げた。

 「かなりの確率で、ラブラブおまじないの方だと思うぞ、私は」

 「なんでです?」

 私を安心させる為の、無理矢理の嘘を言うつもりなら嫌だ。塚田先生はそういう事をしなさそうに見えて、実は生徒の事をとても慮る所がある。

 「鈴谷の名前は、夏休み前には書かれていなかった。私が見てるんだから、それは間違いない。で、だ。これを書いた相手が、もし嫌がらせのつもりで書いたとしたんなら、人目の多い時期に書こうとするとは思わないか?こんなの、人に見られて初めて効果があるんだ。だから、誰かに見られる前に消されたら意味がない。なら、夏休みに入ってから書くのはおかしいはずだ。そして、な、この相手がお前と恋仲になりたいと思っているのなら、その逆なんだよ」

 「逆?」

 「そう。できるだけ見付からないようにして書きたいと思うだろう?そういうのって。お前に告白するよりも前に、こんなおまじないをするような気の弱い奴なら、きっとそうだ。それに、多くの人に字が見られるのもまずいかもしれない。筆跡でばれるかもしれないからな。なら、夏休みの間に書いて、終わりの頃に消しておこう、とか思っての犯行である可能性が高いのじゃないか?」

 私は塚田先生の説明を聞いている内に、安心感がこみ上げて来るのを感じていた。説得力は……、あるような気がする。

 理屈よりかも、これだけ確信のある言い方をされると、信頼をしてしまえるのかもしれない。或いは、塚田先生の持っている独特の雰囲気のお陰か。

 これは、“女性原理”的な効果だ。

 でも、そうすると…、

 「どうだ? どこの誰だかは分からないが、人から好かれているって思うのは悪い気分じゃないだろう?」

 意地の悪い笑みを浮べながら、塚田先生は私に向かってそんな事を言って来た。

 私は、ちょっとだけ赤くなった。

 

 ……その晩、私は自分から理恵に電話をかけて、久しぶりに、長電話をした。心の底から、笑った気がする。

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