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着飾りちゃん-3

 その日の放課後。

 矢本さんが、生活指導の、上村、という先生に呼び出されたらしい噂が流れた。遂にか。とみんなは囁きあった。

 生活指導の上村先生は、厳しい事で有名だ。それで、以前から、一際目立っている矢本さんの濃い化粧を見逃すはずはない、と噂になっていたのだ。だから、いつかは呼び出されるだろうと、みんな思っていたんだ。

 きっと、酷く叱られるのだろうな。

 わたしは、その噂話を聞いてそう思った。そして、そんな事が本当に、矢本さんにとって良い影響になるのだろうか?と、疑問に思いもした。

 彼女は傷つくだろう。

 きっと。

 ……。

  …。

 わたしは、それから図書室へと向った。

 本を読みたかったんだ。

 なんだか、厭なもやもやが頭の中にあって、本を読む事によって、それを忘れてしまいたかった。

 ただ、図書室に入ると、文章の読み物には身が入らず、結局、手にしたのは漫画だった。

 わたしの学校の図書室には、漫画も置いてあるんだ。ただ、社会的に高い価値があると認められている作品に限ってだけど(もっとも、学校側が、その高い作品の価値を理解しているとはとても思えない)。

 わたしは、手塚治虫の『ブラック・ジャック』を手にとって読み始めた。手塚治虫の作品には、問題行動を執ってしまう人物がよく出て来る。『ブラック・ジャック』のピノコ、もそうだし、また『三つ目がとおる』の、写楽保介だってその部類に入るだろう。そして、手塚治虫は、そういった人物達のどうしようもない孤独を印象深く描いたりもしている。

 多分、この、偉大なる漫画の巨匠も気付いていたのだろうと思う。社会からの排除を行う、その、哀しい現象の馬鹿馬鹿しさに。

 (反骨、だよなぁ)

 ………。

 それから、何時の間にかにわたしは、『ブラック・ジャック』を読み耽ってしまっていて、気付いた時には既に、窓から見える景色に朱色が混ざり始める時刻になっていた。

 放課後の図書室は穴場で、人が少ないのが特徴。それで、環境が良くて、つい時間を忘れてしまっていたのだ。

 わたしはそれに気付くと、まずいまずい、早く帰らないと、と思い図書室の外へ出た。

 急いで廊下を行く。

 いつか見た、あの“手”の印の前を通り過ぎる。

 それから、階段を降りて、そのまま正面玄関を目指した。図書室がある場所は、ちょうど人が多い校舎の反対側になっていて、昼の間はまだしも、放課後の夕暮れの時間に歩くと、誰か人に巡り会うといった事は滅多にない。このルートには人が少ないのだ。

 そして、階段の直ぐ傍には、トイレがあるのだけど、そのトイレの前を通った時、わたしは、何か人の気配を感じた。

 水を流している音。

 恐らく、洗面所。

 ドキリ、とする。

 だが直ぐに思い直して、安心をした。人が少ない時間帯だからって、全く人がいない訳じゃない。誰か人がいたって、全然不思議ではないんだ。誰かがトイレを使用しているのだろう。

 水音が止まる。

 その気配は、今まさに、トイレから出ようとしている所だった。

 足音。

 ドアの開く音。

 人影が見える。

 不自然に染め上げている、茶髪があった。

 そして、それは、

 「矢本さん…」

 あの、矢本さんだった。

 わたしは、トイレから出て来たのが彼女であった事に少しの戸惑いを覚えた。

 なんで、こんな時間のこんな場所に彼女はいるんだ?

 そして、思い出した。

 彼女は、生活指導の上村先生に呼び出されていたのだ。だから、部活も何もやっていない彼女が、こんな遅くまで残っていたのだろう。そして、こんな人気のない場所のトイレを使用していた訳は…

 矢本さんは、わたしの姿を認めると驚いた表情をした。

 そして、それから直ぐに挑むような顔つきになって、わたしにきつい視線を投げて寄越して来た。

 なによ!

 って、感じで。

 ジロジロ見てるんじゃないわよ!

 わたしは、『着飾りちゃん』を思い出す。自分を褒めなければ、相手を殺してしまう『着飾りちゃん』を。

 ………。

 ……彼女の顔は、水でビショビショに濡れていた。化粧は落とされている。彼女は、恐らく、このトイレの中で泣いていたんだ。だから、人気のないこの場所を選んだんだ。上村先生に、よほど酷い事を言われたのか……。

 じゃなければ、化粧が落とされているはずはない。きっと、涙の痕を誤魔化す為に、全て洗い流したんだ。

 矢本さんは、わたしの視線を受けながら、じっと黙っている。

 その時、

 わたしの背後に、白い影がボウッと現れた。

 もちろん、それはわたしの妄想だ。

 ………祭主君。

 『どうしたんだい?』

 祭主君は、わたしに語りかけて来る。

 『彼女は“着飾りちゃん”なんかじゃないよ。彼女を“着飾りちゃん”にしてしまうのは、君自身だ。だから、君自身が、彼女をそう認識しなければ、彼女は“着飾りちゃん”なんかじゃない』

 そんな事は分かっている。

 『“規範の外”の、“分からない”に彼女をしてしまっては駄目だ。動くのなら、彼女に働きかけるのなら、今、この時しかないのじゃないか?』

 (分かっている)

 ――きっと、

 彼女にとって、今のこの状態はとても辛いはずだ。涙を流していたのなんて知られたくないはずだから。なのに、わたしはそれを見てしまった。そして、なのに、彼女はこの場所から逃げようとしない。逃げるのなんて、悔しいから嫌なのか、それとも、逃げてしまったら、自分が泣いていた事を認める事になってしまうからか。どちらにしろ、彼女は動けないでいる。

 今彼女は、触れてほしくない状態なのじゃないだろうか? そっと、一人にしておいて欲しいのじゃ……?

 彼女に触れるべき時は今しかない。しかし、そう悩んでしまって、だからわたしも、動けないでいた。

 ――でも、

 『そうだ。彼女は今までだってずっと独りだったんだ。きっと助けを求めているのに』

 今、このタイミングで、この場をわたしが去る事は、彼女の事を見捨てる事になってしまう気もする。

 あの、挑むような顔つきの裏で、きっと、矢本さんは助けを求めている。

 手を。

 ――わたしは、

 (そう信じる)

 口を開いた。

 (わたしだって、不器用かもしれないけれど、それでも…)

 動かなくちゃいけない。

 「……矢本さん」

 取り敢えず、名前を言ってみた。

 そして、次の言葉を……、

 ……わたしは、迷った。

 これを言っては駄目な気がする。

 でも、これ以外に、わたしは発する言葉を見付けられなかった。どんな表情をして、この言葉を発するべきだろう?

 分からない。

 「上村先生って、酷い先生よね。人の気持ちも考えないで……、」

 仕方なしに、わたしはそのままに戸惑った表情で、そう言葉を発した。この言葉は、きっと彼女を傷つける。彼女のプライドを傷つけてしまう。

 彼女に同情をする台詞。

 彼女の涙にわたしが気付いている事を、伝えてしまう台詞。

 矢本さんはそれを聞いても黙っている。

 下唇を噛んだ。

 しばらくして………、

 「山中さんは良い子ちゃんだから、あの先生に怒られた事なんてないじゃない。あの先生がどんなに酷い事を言うかなんて知らないはずよ」

 静かにそう返して来た。

 今度はわたしが何も返せない。

 確かに、そう、だけど……。

 わたしは迷う。どうしたら良いのか分からなくなる。しかし、その時に、祭主君が口を開いた。

 『大丈夫。これは、チャンスだよ。山中理恵さん。彼女は助けを求めている。そして、被害者であるのは、何も劣等な立場であるばかりではない。被害者である事の優越だってあるんだ』

 被害者である事の優越?

 そうか!

 わたしはその祭主君の語りで、なんとか、言葉を見付けられた。

 「うん。わたしは、怖がりだから、何か目立つ行動なんてできない。矢本さんみたいにはなれない。だから、人よりも目立っているだけで、叱られるなんて、そんな理不尽な酷い扱いを受けた事はない…」

 矢本さんの表情が微妙に変わった。

 「でも、偶には思うのよ。周囲の目なんて気にしないで、自分の思う通りにできたらなって」

 それは、本当の事だ。

 わたしは自由にしてみたい。

 矢本さんは、わたしの語りを黙って聞いている。それから、フルフルと震えて、顔を下に伏せた。

 きっと、優しくされて、また涙がぶり返して来たんだろう。

 「ねぇ、なんで矢本さんは、そんなに辛い目にあってるのに、そういう格好を続けていられるの?」

 わたしは、次にそう尋ねてみた。

 涙声で、彼女は返して来る。

 「だって……、悔しいじゃない。あたしの格好を……、みんなが変に思っている事くらい知っているわよ。……でも、悔しいじゃない!そんなの!だから、あたしはそれをもっとしてやるのよ!」

 その口調は、感情を曝け出した激しいものに変わっていた。

 でもそれは、わたしに対しての反感を込めたものじゃない。逆に、彼女が自分の心をわたしに見せた証拠だ。

 そして、わたしはそれを聞いて思う。

 エゴじゃなかったんだ…

 彼女の、この“着飾り”は。そして、もちろん、周囲の真似をしているだけのカメレオンでもない。

 反発だったんだ。

 周囲への反発。

 ただ、それは、だから、純粋な自己表現でもない。周囲への反骨からその格好をしているのなら、周囲からの影響がなければ、その格好を止めてしまうという事になる。そう考えれば、それは自己表現じゃない。

 だから、わたしは言った。

 「じゃあ、本当は、矢本さんは、そんな格好なんか、したくないのね?」

 そして、わたしのその言葉で、矢本さんの雰囲気が変わった。

 顔を上げる。

 え?

 というような表情。

 「どうしてよ?」

 涙は止まっていた。

 「だって、周囲の人がいなかったら、矢本さんはそんな格好をしない訳でしょう?なら、それは本当に自分の中から出てきた欲求じゃないわ」

 結局、集団に翻弄されているだけ。

 周囲から褒められたくって自分の格好を決めるのも、周囲に反発したくって自分の格好を決めるのも、そういう意味では、結局一緒のように思える。

 それは、自分の中の、本当、じゃない。

 わたしは、自然と優しい表情になって矢本さんの事を見つめた。

 それを聞くと、矢本さんは不思議そうな表情を見せた。そして、こう言う。

 「山中さんって、不思議な人ね」

 そして、なんと、微笑みを浮べたのだ。

 「面白い事を言う」

 その笑顔をわたしは、なんだかとても素敵に感じた。

 やっぱり、化粧をしない方が良いのかな?

 そして、そう思い、

 いや、そういう問題じゃないのかもしれない。

 と、それから、そう思い直した。

 なにしろ、わたしは、彼女の笑顔なんて見た事がなかった訳だから。

 「あたし、上村にね、お前のその化粧を塗りたくった顔は、周囲に不快感を与えるだけだから止めろ、なんて事言われたんだ」

 それから、矢本さんはそんな事を言って来た。それを聞いて、わたしは驚く。

 「そんな酷い事を言われたんだ…。わたしは、以前に、上村先生からじゃないけど、化粧をしないのは周囲に不快感を与えるから止めろって言われた事があるけど…」

 そして、そう言ってみた。

 自分の中から、本当に化粧がしたいって欲求が沸いてきたらなんて言ったけど、もしかしたら、わたしの中にそんな欲求が沸いてこないのは、周囲に対する反発があるからなのかもしれない。

 だとするのなら、

 アハハ…

 「矢本さん、わたし達、仲間かもしれないわね」

 わたし達は、反骨仲間だ。

 それを聞くと、矢本さんも笑った。

 ………。

 努めて触れ合う事を避けていた、矢本さんという存在。確かに、彼女には我が強過ぎる部分もあるし、きつい部分もあるかもしれない。でも、実際に触れ合ってみれば、それは全体の一要素に過ぎないんだと、その出来事で、わたしは実感できた。知識として在るだけじゃなくて。

 それに……、

 

 ………。

 「人間関係?」

 凛子はそうわたしに聞き返して来た。

 「そう」

 次の日。

 2限目前の、休み時間。

 わたしと凛子は例によって話し合いをしていた。

 「人が問題行動を執ってしまうのって、人間関係で悪い影響を受けてしまっているっていうのもあると思うんだ。本来は、問題行動を執ってしまうような人じゃないのに、周囲の扱いによってそうなってしまう。そんな事もあるのじゃないかしら?」

 それから、わたしはちょっと考える。

 「いいえ、それだけじゃない。人間関係で、人は変わるわ。良い関係を作り上げていけば、その人は問題行動を起こさないようになるかもしれない」

 そう。

 人は変化をする生き物なんだ。社会だって変わるし、個人だって変わる。

 “規範の外”の“分からない”にしないで、その存在を受け入れる事ができたなら、きっと、それだけで随分と改善されると思う。そういう人を、否定してはいけない。

 社会の為に。

 つまり、自分の為に。

 それを聞くと、凛子は言った。

 「ふーん、なるほどね」

 「もちろん、それだけで全てがうまくいくとは思えないけどね。どうしようもない事もある、けど、わたし達個人が何にも動けない訳じゃないと思うの」

 今度は、凛子が何か反論をする事はなかった。むしろ、同意を示しているようだ。

 「幼児虐待の問題。幼児虐待を行ってしまう大人たちを規範の外にしないで、真摯に周囲が悩みを聞いてあげれば、多分、それだけで、現状は良くなると思う」

 わたしは、付け足しでそう言う。そして、わたしがそこまでを語った時だった。授業開始のチャイムが鳴った。授業と授業の合間の休み時間は短い。わたし達は仕方なしに会話を止めて、前を向いた。次の授業は、英語。あの、例の、上村先生の授業だ。わたしは、少しだけ矢本さんの事を心配していた。実は、彼女は今日まだ来ていないのだ。一応、朝学校の方に電話で、遅刻するという連絡はあったらしいけど、でも、昨日あんな事があった後だから気になる。

 「さて、授業を始める」

 ドアが開いて、上村先生が入って来る。先生は教壇に立つとそう言って授業を始めようとした。そして、その時だった。

 ガララッ!

 と、教室の、前のドアが開いたのは。

 そこに立っていたのは矢本さんだった。

 前もって断っておくけど、わたしは、その時の矢本さんの姿を見た瞬間笑ってしまった。ただし、それは馬鹿にした笑いでは決してない。わたしが笑ったのは、爽快感を感じたからだ。なんとも気持ちが良かったんだ。

 もちろん、みんな、矢本さんの姿に驚いていた。

 上村先生など、大きく目を見開いたまましばらく凝固していた。

 「矢本……、その頭…」

 そして、やっとの事で言葉を発する。

 「校則違反ではありません」

 きっぱりと矢本さんはそう言う。

 ふふふ…。その通りだ。確かに、校則違反なんかじゃない。

 なにしろ、彼女は頭を綺麗に剃って、鮮やかで見事なほどの、スベスベの気持ち良さそうな、美しいスキン・ヘッドにその髪型を変えていたのだから!

 もちろん、化粧なんかしていない。

 アハハハハハハ!

 見事な反骨精神!気持ち良過ぎ!

 わたしは、彼女のファンになってしまいそうだった。

 絶対に、カッコイイ!

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