首吊りの木-5
どうも、話の内容から察するに、わたしのギターの事よりも、噂の中心になっているのは、わたしの母親の事であるらしかった。
わたしの母親は、とんでもない場違いなタイミングの、かなり印象的な言い方で、わたしのギターの事を発言したらしい。
(しかし、ここまで話題になる言い方って一体どんなだ…)
当然、わたしはその日帰ったあと、母親と喧嘩をした。
「単純な、願望充足型の物語ってあるでしょう?」
わたしが何の伏線も張らずに、そう発言をしたものだから、凛子はちょっと不思議そうな顔をして、わたしを見た。
「うん」
「例えば、さえない男の子が主人公で、可愛い女の子がいっぱい出てきて、その女の子たちが、みんなその主人公の男の子を好きなるとかいった感じの」
「あるわねー」
ちょっと厭そうにして、凛子はそう応える。
「その物語と同じ様にさ、自分の中で都合の良いように想像して、例えば寂しくなった時に、自分を誘ってくれる相手がいると想像して、自殺の名所なんかを訪れたりする場合ってあると思わない?」
それを聞くと、凛子はなるほど、といった顔をした。
「それが、自殺の名所ができてしまう原因じゃないかって言いたいのね?」
「まぁ、そう」
自殺が起きると、それが原因となって、別の自殺を引き起こす。
“引亡霊”
“縊れ鬼”
いると思えばいる、のが霊。
……、
「想像の域は出ないけど、一つの可能性ではあると思うのよね」
「そうね。そういった場合もあると思うわよ、きっと」
凛子はにっこりと笑ってそう応えた。
………、
「ねぇ。自殺といえば、元々は“変化”の話題だったわよね? あれから、何か考えに進展はあった?」
それから、二人とも沈黙し、しばしの間ができた後で、凛子は思い出したようにそう口を開いた。
「うん。ちょっとなら、あったわよ」
わたしはそう応える。
「どんなの?」
「何か基準がないと、物事って決定できないでしょう? だから、その“変化”が“成長”かどうかって事も、何か基準がないと決められない、基準が変われば変化する、とまずはここまで考えたわ」
「ふむ」
「でもね。そこから、それは表層的な部分の“成長”なんじゃないかって思ったの。もっと、本質的な、普遍的な基準での成長があるんじゃないかって」
「普遍的?」
「“人間”というモノを基準にした、というか」
凛子はそれを聞くと、嬉しそうな、満足げな表情を浮かべて、ふーん、と言った。
「で、例えばどんなのが、その普遍的な“成長”だと結論付けた訳?」
「“変化”するべき方向を、見定める力、そしてそれだけじゃなくて、“変化”を行う力、その能力を上げる事が、“成長”なんじゃないかって、わたしは取り敢えずそう結論付けてみた」
「変化するべき方向を見定める力?」
「もちろん、それには“変化”しないって選択肢もあるのだけど、例えばかっこ良さに憧れて、やくざになんかになって、凶暴になってしまった人の事を“成長”した、なんてとても言えないと思うの。それは間違った方向に変化してしまったのだと思う。そういう間違った変化を行わない、適切な変化を見定める能力の事。これには、理論的思考能力ももちろん関わってくるわね。そして、もちろん、変化するべき方向が見定められたって、その“変化”を行えなければ意味がない。だから、ストレスに抗って“変化”を行う力も必要だと思う。例えば、煙草を止めようと思っても、ストレスに克てなくちゃそれは無理だわ。これには、感情のコントロール能力が強く関わってくるわね。それら、二つの能力を身に付ける事が、“成長”だと思う訳」
凛子は、わたしの弁を聞き終えると、そうか、と言って、頷いた。そして、それから、
「実は、わたしも考えたのよ」
と、そんな事を言って来た。
「どんな事を?」
「理恵の言った事と似てるけど、やっぱり違う感じの事を」
感じ?
それから、凛子は語り始めた。
「子供から、大人へ。生物学的に成長すると、色々な事が変化すると思うの。それに合わせて、感性も色々と変わってくる。大人になれば、子供を可愛いって思う気持ちが強くなるし、包容力も上がる。もちろん、それは生物学的なものばかりで変わる訳じゃないからただ体が成長すれば良いってもんでもないのだけど、私はそれが成長じゃないかって思うのよ。欲望にも色々と種類があるでしょう?刺激的なモノを求めるそれから、穏やかな柔らかなモノを求めるのに変わるのも、その一種かもしれない」
ふーん、今度は、わたしがそう声を発した。
「まぁ、“成長”って言っても、色々な側面がある。どれか一つをとって、これが成長だ、なんて言えないのかもしれないけどね」
その後で、凛子はそう言った。
……、
そういえば、“変化”“成長”といえば、もう一つあったのだった。話題が。
そしてその事で、わたしはちょっと疑問に思う事があったのだ。
「ねぇ、“成長”って言ったらさ、“自分”を形作る事も“成長”よね?」
「ん? ああ、そうねきっと」
もしかしたら、マイナスの成長、というのも“成長”に加えてしまうのであれば、それこそが“成長”の本質かもしれない。
「ならさ、なんでファッションだとか、考え方だとかには“自分”がないのに、食べ物の好みには“自分”がある人が多いのだろうと思う? 食べ物の好き嫌いで、他人を真似するのって少ないでしょう?」
流行の食べ物ってのもあるけど、そういうのはファッションとかに比べれば少ない気がする。
「うーん」
凛子は悩んでから答えた。
「食べ物とかそういうのって、ファッションとかに比べれば、より原始的な事よね?生物が生きる事に密着している。だから、食べ物の好みの場合、早い段階で“自分”が形作られるのじゃないかしら?」
なるほど。
凛子はそう答えると、それで何かを思い出したらしく、
「ねぇ、理恵。こんな話を聞いた事ない?」
そう言って、別の話を語り出した。
「人が、何か他の人の考え方を受け入れるのって、正しさだとか、そういった事を基準にするのじゃなくて、自分の考えと同じかどうかを基準にして受け入れるというの。自分と同じ考えならば頷いて、自分と違った考えであるのなら、拒否をする」
聞いた事はなかった。
でも、それは、人の変化を嫌う特性を示す、一例であるように思えた。
凛子はわたしの表情から、そうわたしが考えた事を読み取ったらしい。わずかに頷いてみせた。
「それとね、こんな事もあるらしいの。学者とかの権威のある人達の言う事を、人は信用し易いでしょう?ところが、そうやってレッテルによって信用した事は、その人の考え方としてあまり根付かないらしいのよ。直ぐに変わってしまう。それに対して、自分でさんざん考えて、正しいのだと結論出した事は、自分の考えとしてしっかり根付く」
つまり、“自分”で考えた事は、“自分”の考え方、になる訳か。
自分の考え方、を持つ事ができない人。というか、自分の考え方、というものが存在する事をそもそも実感し理解できない人は、より正しいそれに触れても何もないのだろうな。
拒否したいのだけど、その正しさは否定できず、それで、自分の考え方は本当に正しいのだろうか?と、自己否定をして揺れたりだとか。
わたしはそれを聞いてそう思った。
………、
考えてみれば、凛子と私、それぞれ自分の考え方を持っている。その二人が話し合って、お互いに影響を与え合い、少しずつ変異をしながら、それでも二人共通した認識を作り上げている。
これは何なのだろう?
この私達二人を主体にするのであれば、その変化の過程はもしかしたら、“成長”と呼べるのかもしれない。
さんざん考えたけど、この事に対する“答え”は、やっぱりまだよく分からない。
でも、
いずれにしても、私達が生きて進んで行くのなら、そういった事々は避けられないのだろうと思う。もちろん、急激にそれを行う必要はない。変化による苦痛が酷い場合は、逃げる事だって必要だ。自分の状態を自覚して、その上でしっかりと進むべきだろう。
私は、なんだか、色々な事を覚悟した気分になった。