表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/25

首吊りの木-4

 ……何か基準がなければ、それを決定する事はできない。

 なら、例えば、わたしがギターを始めた事はどうなるのだろう? どんな基準で、どんな意味でなら、“成長”と呼べるのだろう?

 サッカーをやっている時、わたしは最初自分の中にあった基準で、自分の行動を判断し、成長していると感じた。しかし、それを客観視して観た時、つまり、周囲の目を気にした時、それが“成長”である事に疑いを持った。

 男らしく……、というのは、ちょっと……、と思ったから。

 つまり、他人と比べて、相対化して自分のそれが“成長”であるかどうかを決めたのだ。

 でも、本当にそうなのだろうか?

 “成長”というモノは、そんなモノなのだろうか?

 興奮が冷め、冷静になり、他人の目を気にしなくなっている今、わたしの中で、サッカーの時に自分がああいった行動を取れた事は、間違いなく成長であると思えている。

 相対的な基準なんかじゃなくて、わたしの中にある絶対的な基準で、“成長”と決定できる、それはないのだろうか?

 ギターを始めてから、僅かばかりではあるけど、音に対する感性が上がった気がする。

 脳の様々な部分は、繋がっていて、だからその“成長”は、何かしら自分の中で、プラスになっているのだと思う。音に対してだけじゃなくて。

 だから、わたしの中の基準でなら、それは“成長”と呼べるのじゃないだろうか?

 ………、

 分からない。

 そもそも自分の中に、絶対的な基準と呼べるモノなんてあるのだろうか?

 例えば、今まで怒りを顕わにできなかった気の弱い人が、怒れるようになったとしたら、その変化をその人は“成長”であると思うかもしれない。だけど、それで怒りというモノに陶酔して、自己コントロール能力を失うのなら、それはとても“成長”であるなどとは言えないと思う。

 自分の中の、“基準”だって色々あるんだと思う。一つじゃない。ならば、自分の中の基準に絶対的なモノがあるとは、とても言えないのじゃないだろうか?

 社会のルールを覚える事。

 それに従うようになる事を、人はよく“成長”した、なんて言う。

 でも、

 社会のルールだって、間違っている場合があるんだ。それに対して疑う事もせずに、ただ諾々と従うだけの人間になる事が“成長”であるとは、わたしにはとても思えない。

 ……何か、違う気がする。

 もっと、そんな表面的な部分ではなくて、本質的な“成長”がある気がする。

 ………、

 ……もし、仮に、わたしがギターを始めた事が、相対的な基準で計られる事があったのなら、わたしはそれをどう思うのだろうか?

 つまり、周囲の人間に知られる事があったのなら。

 周囲の目が、冷ややかなモノであったとしても、わたしはそれを恥じないでいられるだろうか?

 恥じないでいられれば、或いは、わたしは自分の中の基準において、自分を評価できているといえるかもしれない。

 そして、それができる事、その状態は、わたしにとって、“成長”した状態といえる気もする。

 でも、その状態は、社会とは隔絶した状態であるようにも思う。“社会”というものを基準にするのであれば、それは“成長”であるとは言えないのかもしれない。

 それも、本質的な意味での“成長”ではないのだろうか…。

 ………、

 わたしは少し、その状態に対して興味を覚えた。

 その状態に陥った時、自分が自分を保てるのかどうか、ちょっとだけ試してみたくなったのだ。

 (“自分”がない人々の集まり。アメーバーに呑まれながら、それでも、侵食されずに己を保つ事ができるかどうか)

 ……でも、そんな状況は、やって来ないだろう。わたしは、ギターをやっている事を、これ以上他の人間に伝える事をしないつもりでいるから。

 と、わたしはその日までは思っていたのだけど……。

 

 その日、別に何も、明かな変化がわたしを取り囲む、周囲の環境にあった訳じゃない。

 そんな事は、別に大した事ではないんだ。

 だからそれは、極々わずかな囁きでしかなく、わたしは当初、まったくそれに気が付かなかった。

 ただ、時々、妙な笑い方で喋りながら、わたしの事を見つめる複数の視線があるように思え、それに対しては、微かな違和感を感じないでもなかったけど。

 しかし私は、それも気の所為だろうと片付けていた。

 そのまま、いつもと変わらない日常が流れた。そして、放課後近くになって、わたしの耳にはじめて、「ギター」や「作曲」といった単語が入って来た。それで、その時になってようやく、まさか、という思いが私の中に生れた。

 まさか、わたしのギターの事がばれている? しかも、噂になっている?

 凛子に尋ねようかと思った。この学校でわたしがギターの事を話しているのは凛子だけだ。口止めはしてないから、凛子が他の人達に喋ってしまったという可能性はある。けど、まだ確信がある事じゃないし、もし勘違いだったら、凛子を傷つけてしまう事になるかもしれない。

 それは避けたかった。

 だから、止めた。

 それに、噂がこんなに広がってるのもおかしい。

 一人二人に話しただけなら、一日中話題になるといった事はないだろう。大した事でもないから、噂は広がる前に消えてしまうと思う。故意に、たくさんの人に一度に話さなくては、こんな事態にはならないのじゃないだろうか。

 凛子がそんな事をするとは、とても思えなかった。

 でも、なら、誰が?

 ……やめよう。

 そこまでを考えて、わたしはそう思った。

 まだ、「ギター」や「作曲」という単語が絡んだ噂が囁かれているらしい事だけしか分かっていない。それが、わたしの話題であるという証拠は何処にもないんだ。そんな内から、想像を膨らませてはいけない。いけないはずだ。

 しかし、その噂が、わたしのギターの話題である事を、わたしは絶望的な知り方で知る事になってしまった。

 ………。

 放課後、わたしは下校しようと階段を降りていた。すると、前からわたしが気にしている、あの男子生徒が友達と戯れながら階段を昇って来るのが見えた。

 こんな状況下だし、相手が相手だし、わたしは思わず聴覚に意識を集中していた。

 そして、擦れ違ったわずかな後、

 (聞こえないとでも思ったのだろうか?)

 こんな会話を、わたしの耳は捉えてしまったのだ。

 「知ってる?今のあいつ、ギターで作曲なんかやってるらしいよ?」

 「うわ、本当?さむっ!」

 ………。

 楽しそうな声だった。笑い声が聞こえて来る。

 

  (………)

 

 外は、暗かった。

 曇天の空で、雲が厚くって、日の光を遮っているんだ。

 そういえば、台風が近付いてきているというのをニュースでやっていた。まだ、雨は降り出していないけど、風は強いから、その影響かもしれない。

 そう思った時、わたしはグランドの様子がどうなっているのかがふと気になった。

 台風が近付いてきているのなら、運動部は活動をしていないかもしれない。なら、グランドは空いているだろう。

 この暗い風景の中の、誰もいないグランド。

 わたしはなんでか、それを急に見てみたくなってしまった。

 それで、皆が台風が来るのを気にしてか、雨が降り始める前に帰ろうと急いでる中を一人、その流れに逆らってグランドへと向かった。

 ……、

 グランドは、わたしが思った通り誰もいなかった。

 誰もいない、寂しい風景。

 今のわたしには、それが素敵に思える。

 そういえば、このグランドの端には、あの“首吊りの木”もあるのだった。

 わたしは、突然それを思い出す。

 幽霊だとか、お化けだとかについて、田中さんは、いると思えばいるし、いないと思えばいないもの、そんな風な事を確か語っていた。なら、こうして、いると思ってしまっているわたしにとっては、それは存在しているのかもしれない。

 存在しない事は分かっているのだけど、それが“いる”とわたしは何故か思ってしまっている。

 あの、サッカーの時の錯覚の影響かな?

 そんな事を考えてみる。

 分からないけど。

 ………、

 本当に、分からない事だらけだな、この世の中は。

 …、

 凛子が噂を流したのだろうか?

 信じられないけど、それしか可能性は考えられない。

 きっと、故意にじゃなくて、偶然何かの機会に人に話したんだ。それで、何かの拍子で、それが皆に一斉に広まってしまったんだ。

 …、

 笑っていたな、あの男子。

 いっつも、笑っていたあの男子。わたしは、それが気になっていた。何がそんなに楽しいのだろう?って。……他人を馬鹿にするのが、そんなに楽しいかい?

 きっと、みんなと一緒にいるのが、安心で楽しくて、一緒に笑える材料を、どんなものでもいいから探していて、必死になって探していて、だからそれで、人の気持ちなんて考えてる余裕がなくって、それで他人を馬鹿にしてでも、笑うのだろうな。

 笑わないと、不安だから。

 (アメーバーなんだ、きっと)

 くだらない。

 独りぼっちは寂しいな。

 駄目だ。自分を保ってなんかいられないよ。自分独りの状況下は、ちっとも平気じゃない。

 やっぱりわたしは、そんなに強くはないみたいだ。

 ギターを始めた事を後悔してる。

 わたしは、今自分を否定している。

 テクテクと歩いて行く内、わたしはいつの間にか、あの“首吊りの木”の前まで来ていた。

 まるで、誘われるように。

 暗く、おどろおどろしい、木の淵に。

 

  ざわわ ざわわわ ざわ ざわわ

 

 たくさん繁った葉が、強い風に曝され、ざわめいている。

 まるで、うめいているように見える。

 多分、ここで首を吊ったという人は、今のわたしみたいに惨めな気持ちになっていたのだろうな。

 わたしと同じように。

 だから、首を吊ったんだ。

 そう思ったその時、

 首吊りの木の、枝の一本に、白い服を着た女の人の姿が浮かんだ。

 仲間だ。

 それを見た時、わたしはそう思った。

 怖くはなかった。だって、仲間だから。

 きっと、わたしを誘ってくれている。

 

 ざわわ ざわわわ ざわ ざわわ

 

 独りぼっちを癒してくれる。

 どうせ、生きていたって、もう駄目な気がする。

 向こうには、仲間がいる。

 わたしが見ている中で、ぶらさがっている人影が、どんどん増えていった。

 ポツリ、ポツリ、点、点、点。

 赤い服を着た女の子。

 ワイシャツを着た老人。

 オーバーオールの、男の人。

 幾人も、幾人も増えていく。

 そして、それらは皆一様に揺れていた。

 ゆらゆら、と、揺れていた。

 それはまるで、わたしを誘ってくれている仕草に見え、わたしはそれを嬉しく思ってしまう。

 『ありがとう。仲間に誘ってくれているのね。一緒に、仲良く、揺れましょう』

 わたしは心の中で、そう呟いた。その時、

 『何を言っているんだい? 彼らは、君の事を誘ってなんかいないよ』

 何処か、心の一方から、そんな声が聞えて来た。

 気付くと、

 ゆらゆらと揺れる、“首吊り”たちの、真中あたりの葉っぱ、その生い茂った暗がりに、白い姿が。

 生い茂った枝葉の上に、涼しい顔をして座するそれは、なんとあの“祭主君”だった。

 『祭主君…』

 わたしはそう呟く。

 『何しに来たの? どういう事?』

 祭主君は、澄ました顔で応えて来た。

 『ここにいる“首吊り”達。彼らが存在していない事くらい、本当は君は分かっているじゃないか。存在しない彼らに君が誘える訳はない。そんな事は当たり前の話だよ』

 わたしはこう返す。

 『そんな事は関係ない。わたしの中の基準では、彼らは実際に存在しているのよ!だから、関係ない。誘ってくれている!』

 『違うね…』

 祭主君は淡々と反論した。

 何よ…

 『それは、誘ってくれているんじゃない。君が誘わせているんだ。君は仲間を欲していて、だからその自分を慰める為に、同じ様な境遇の相手を死者に求めた。いると思えばいる、死者にね』

 まわりの“首吊り”たちは、シンシンと、徐々に徐々に消えていった。

 『君は自分の心の中で勝手に仲間を作って、その仲間入りをしようとしている。でも、本当はそれは自分自身さ。“他人”じゃない。“同じ”存在は、自分自身だよ。これは何も君の内なる世界だけの事じゃない。現実の世界だって同じだ。“同じ”存在を他人に求めて、仲間になろうとするのなら、本当はそれは他人なんかじゃない。その他人は、“別の”存在じゃなくて、自分自身なのさ』

 (アメーバー)

 『良いかい? 個性があるのなら、“自分自身”があるのなら、絶対に他人との間に溝ができる。その溝があるまま、他人と接していけば、お互いに傷つけ合う事になる。それはお互いがお互いの影響で“変化”する事でもある。それにはもちろん、苦痛が伴なう。だけど、それができなければ“成長”なんてできない。“社会”だって、“自分自身”だって、成長する事はできない』

 この痛みを享受しろと?

 でも、そんなにわたしは強くないんだ!

 『それを避ける事は、本質的に不可能なんだよ。何故なら、“変化”しない事自体が、僕らにとっての苦痛の原因になるからだ。変化を望む心理を、僕らは根本的に抱えている。苦痛から逃げる事ばかりを考えていては駄目だ。それに立ち向かわなくてはいけない時もあるんだよ』

 ………。

 わたしは、自己否定をしていたはずなのに、自己否定なんかしていなかったんだ。それから逃げていたんだ。

 “自殺”の心理は、それだけでは説明しきれない。凛子は確かそんな事を言っていた。

 その通りだ。

 死ぬ事を、逃げ場にしてしまえば、そこに“自己否定”がなくても、自殺できてしまう。

 ………、

 でも、わたしはどうすれば良いのだろう?今のわたしは、どうすれば?

 わたしはそんなに強くないんだ。

 『大丈夫』

 祭主君はそう言った。

 大丈夫。

 きっと、根拠なんかない。でも、何故かわたしはその言葉を信用した。

 そう。これはわたしが決めている世界の話なんだ。だから、大丈夫。わたしに、そう決定する事ができたなら大丈夫。

 「山中さん、なにやってるの?」

 突然、声が聞こえた。

 田中さんの声だ。

 わたしはびっくりしてしまう。

 ちょっとだけ困惑した表情をして、田中さんはわたしの事を見ていた。

 こんな台風が来る直前に、“首吊りの木”の前にボーッと佇んでいたなら、誰でも不安に思うかもしれない。

 「あははは、何でもないのよ」

 わたしは、良い言い訳も思い付かずに、そう誤魔化した。

 田中さんは、わたしのそんな様子に、尚も困惑した表情をしてみせたが、それ以上は追求してこなかった。

 その代わり、

 「この椿のね、あの首吊り事件がよく起こってるって噂話、やっぱり嘘だったみたい。そんな事件なんてないって」

 とわたしに向かって、そう言って来た。

 わたしは頷いてみせる。

 それで、田中さんが、わたしの事を心配してくれていた事が分かった。

 そして、田中さんは続けてこんな事を言って来た。

 「山中さんって、ギターをやってるの?」

 (!)

 あの事だ…、

 「うん。少し、ね。お遊び程度に」

 ……、わたしは声を小さくしてそう応えた。そして、それから、

 ……、

 「あの……、田中さん。何処で、その話を聞いたの?」

 勇気を振り絞って、そう尋ねてみた。

 「えっ? 知らなかったの?」

 田中さんは、驚いた顔をして答えた。

 「昨日、保護者会があったでしょう? 学校の」

 「……うん」

 保護者会………?

 「その保護者会の時に、山中さんのお母さんが、皆の前で言ったらしいわよ」

 はぁ?

 「それ、本当の話?」

 「うん。だって、家のお母さんだって言ってたもん」

 

 ――あんのっ、くっそばばぁ!

 

 わたしは、心の中で絶叫した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ