バラバラ−1
「ねぇ 障害者の人たちと接するのってどんな感じなの?」
あたしと同じクラスに、鈴谷凛子という名前の女の子がいる。
彼女とは、結構近しい関係で、まぁ、親友って程ではないにしても、友達ではあると思う。
その、友達の鈴谷凛子の家の近くには、福祉作業所というモノがあるらしい。
色々な障害を持った人達がそこでは働いていて、つまりは、そういった人達の、社会進出の場なのだ。
家の近くにその福祉作業所があった為、幼い頃から鈴谷凛子は、障害を持った人達と接する機会に多く恵まれていた。
あたしは、だからそれで、その凛子から、そういった人達と接するという事が、一体どういったモノなのかを尋ねてみたのだ。
あたしが尋ねると、凛子は不思議そうな顔をしてあたしの事を見つめた。
そして、何かを言いかけて止め、その後で思い直したかのような仕草をし、それから初めて口を開いた。
「どう言って良いのか分からないのだけど……」
なんだか、ちょっと悩んでから喋り始めたのは、きっとあたしがそんな事を尋ねた事の意図を推し兼ねているからだと思う。
「そうね。言葉で聞くのと、実際に触れるのとじゃ、全然違うわ…」
まだ、悩んでる。
それでも、あたしが黙って辛抱強く次の言葉を待っていると、凛子は上目遣いであたしを見ながら、ゆっくりと続きを語り始めた。
「ボランティアとか、そういった事に関わる人達の事を、偽善的というか、良い事をして、周囲からよく思われたいと思ってる人達とか、世間で良いと言われている事をそのまま信じてるだけの馬鹿な人達とか、そういった目で見てるのなら、全然違うわよ?」
なんだか、申し訳なさそうな口調で凛子がそう語ったのは、多分、あたしの事を気遣っての事なのだろうと思う。
あたしの質問の意図によっては、恐らく、凛子はあたしの考えを批判しなくてはいけないと思っている。でも、それとは反対に凛子は、あたしの事を傷つけたくないとも思っているのだ。だから、それで、あたしの事を気遣って、そんなしゃべり方をしたのだろうと思う。
凛子は、時々そんな様子を見せる。
あたしは、そんな凛子の優しさに触れると、嬉しさももちろん感じるのだけど、少し寂しくなる。
だって、それは、凛子があたしに安心をしていないという事の裏返しだから。
「そういう訳じゃないの」
あたしは凛子の誤解を解こうと、それを否定した。
「ただ、あたしが全然経験した事のない世界だから、どんなかと思って、聴いてみたかっただけ」
あたしは少しだけ嘘を言った。
あたしの言葉を聞くと、凛子は唸ってまた悩み始めた。
「うーん。そうねぇ」
今度は、本当にどう説明したら良いのかを悩んでいるだけなようだ。
凛子が何を心配していたのかは分かる。
凛子は今までに何度か、その福祉作業所の障害者たちの話題をあたしに振ってきた事があったのだが、その度にあたしはその話題を避けてきたのだ。
理由は簡単である。
“分からなかった”から、だ。
それに安易に共鳴するのは、何だか偽善的な気がした。
(つまり、凛子が言ったような感覚を、あたしは“福祉”というモノに対して持っていたのだ)
自分が良い人間である事をあからさまにアピールしてるみたいで、なんだか抵抗を感じる。それが形を変えた、無神経なままエゴを剥き出しにする行為であるように思えて。しかし、一方で、それが決して悪いモノでない事もあたしは承知していた。
むしろ、そういった醜さとはかけ離れた、美しさがある事を。
つまり、だから、それで
“分からなかった”
のだ。
自分の中で、どう扱って良いのかが。
どう位置付けて良いのかが。
だから、凛子の話にも、どう合わせて良いのかが分からなかった。
そんなあたしが、突然、自分自身から積極的に、福祉の事を凛子に訊いたのである。凛子が訝しげに思うのも無理はない。
「ねぇ 人ってさ。子供を育てる生き物でしょう? ううん。それ以前に、人は集まって暮らす生き物だわ。単体じゃ生きられない」
悩むの終えると、凛子はそんな説明を始めた。
「だから、他人を受け入れるという性質を本能的に持っていると思うの。そして、犬や猫だとか、ペットに向けてもそういった感情を向ける事を考えても、その許容範囲は多分、私達が考えている以上に広いと思う」
凛子が何を言いたいのかは、なんとなくだが分かった。
「だから、そういった方面での感性を育てられれば、障害者の人達と接するのも別に何でもなくなると思うのよ。いいえ、それどころか、安らぎを感じる場合すらあると思う。子供と接している感覚に近いものがあるからね」
「ねぇ…」
凛子は言った。
「“自己犠牲”だと思う? 博愛精神かなんかだと?」
「分からない」
あたしは正直に答えた。
「感性さえ育てられれば、障害者の人達と接する事に、嫌悪感を感じる事なんてないわ。私は、福祉で働く人の事を、博愛主義だとか言う人は、単に感性が鈍い人なんだって思う。自分達にはその感覚が“分からない”から、自分達に分かる言葉を使って説明して、安心しようとしてるだけだって」
凛子の語り口調はやや熱を帯びていた。
だが、それから、自分のそんな感情の昂ぶりに気付いたのか、凛子は息をホッとはきだすと、ちょっとだけはにかんだ表情を見せた。
多分、それで自分を落ち着けたのだろうと思う。
(“分からない”
あたしには、その言葉が気になった)
そして、その凛子の動作の所為で、少しだけ、その場の雰囲気に間ができた。
あたしはその間を利用して語りかけた。
「ねぇ その言葉の通りだとすると、感性の鈍い人達は、障害を持った人達に嫌悪感を感じるという事になるわよね? だったらさ、なんでそういった人達は障害を持った人達に対して嫌悪感を感じてしまうのだと思う?」
その気持ちの発生と流れには、どういった要因があるのだろう?
実は、この質問は、あたしが凛子にこんな事を尋ねたそもそもの理由と、とても深い関係がある。
「それは…」
凛子は言葉を詰まらせた。でも、その表情は、答えを考えている、とかいった類のものではなく、言葉を選んでいるといった表情であるようにあたしには思えた。
あたしの質問に対する、自分なりの考えは持っているけども、それをどう表現すれば勘違いのないように伝えられるのかを考えているのだろう。
そして、その言葉を選んでいる凛子が口にしたのは、
「“分からない”からじゃないかな?」
“分からない”という言葉だった。
分からない?
また“分からない”だ。
あたしは、その言葉が再び出て来た事にびっくりした。
いや、自分の中に抱いていた、福祉に対する感覚と同じ“分からない”が出て来てびっくりしたのかもしれない。
「あ、これは、感性が鈍くて理解できない、というさっきの話じゃないわよ」
凛子は誤解のないようにそう付け加えると、その意味を説明し始めた。
「障害を持った人達って、わたし達から見れば異なった存在よね? 綺麗事で人間は皆同じ、なんて言いたがる人はいるけども、絶対にそんな事はないと思う。その主張は、個性を認めていない、とも取れるしわたしは好きじゃない。無理矢理に同じにする事はない。異なった存在として受け入れるべきよ。個性として、ね。同じであると考える事を、善い事だとするのって必ずしも適切じゃないように思うの。あ、これはまた別の話だけども…」
またその口調に熱がこもり始め、話が別の方向に行きかけたが、凛子は自分でそれに気付いたのか、一度言葉を切った。
そして、また息をはきだし自分を落ち着けると、それから続きを語り始めた。
「でも、同じ存在でもあるのよ。障害者の人達は、わたし達と同じ存在でもある。だから、それで、“分からなくなる”のだと思うの。その嫌悪感を抱いてしまっている人の中での位置付けがね。あの存在を、どう把握すれば良いのだろう?自分達と同じなのか、そうでないのか」
凛子の説明したそれは、あたしが感じていた感覚ととてもよく似ていた。
否、むしろ同じかもしれない。
「人は“分からない”に不安を覚えるものだから」
凛子は続いてポツリとそうこぼした。
“不安”
か。
そして、人は、不安を生じさせるものに対して敵意を持ち易い。
あたしはそっと目を閉じた。
あたしが凛子に対して質問をした本当の理由。
新学期になって、転校生があたし達のクラスにやって来た。
祭主智雄くん、という。
この祭主くんは、ちょっと特殊な事情のある男子だった。
彼には色素がないのだ。
先天的に、色素が全身から抜け落ちている。つまり、アルビノ。白子なのだ。
そして、あたしの気持ちは、この祭主くんの事を拒絶していた。もちろん、関わり合いにならなくてはいけない何かがある訳でもないから、はっきりと行動に現われる訳でもないのだけど、それでも、やっぱり彼の事を避けていた。
受け入れる事ができない。
でも、
あたしは、あたしのその感覚に対して疑問を持っていた。
このあたしの気持ちの流れは正しいのだろうか?
もちろん、彼の事を避けるような態度を執るのはあたしだけじゃない。クラス全体の雰囲気も、彼の事を受け入れてはいなかった。
彼はいつも一人で、彼の存在は、教室内で自然と浮いていた。
ただ、暗黙の了解みたいなもので、幸いいじめの類が発生する事はなかったが。
これはもちろん、良い事なのだけど、逆に考えれば、祭主くんの色素異常を、皆ハンデキャップとして捉えているという事でもあった。
特別視。
彼の立場に同情しつつも、それを怖れている。
そんな立場に自分がいたなら、どんなに孤独だろうかと思う。
……さっきも述べたけど、あたし一人が彼の事を避けている訳じゃない。でも、この問題は、皆がそうなら自分も別に良い、とかそういった類の問題じゃない。
………。
あたしは自分の感覚を疑っていた。
否、
自分の事を否定しようとしていた。
そんな感覚を抱いてしまう、このあたしという存在は、とても弱くて醜いのではないだろうか?
そんな思いが頭の中に浮かび、離れないでいた。
それで、あたしは悩んで凛子に相談したのだ。
あたしが凛子にその本当の理由を言わなかったのは、あたしのそんな醜さを凛子に曝したくなかったからなのかもしれない。
(つまりは、あたしの方だって、凛子に対して心を開いてなどいないのだろう)
そして、
“分からない”
どうやら、あたしが悩んでいる問題のキーワードは、それらしかった。
………。