表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

Section2-7(エピローグ)

 午後三時。

 ようやく終わった一日の労働を振り返りながら、俺はまだ明るい外の景色を肴にロマネ・コンティの注がれたグラスを傾けた。

 いつもなら、お気に入りの白いガウンを身に付け、タワーマンション上層階の窓から見える夕焼けをつまみにワインを飲んで楽しむところであるのだが、今日は早朝から忙しく働いたので先ほどから既に眠気が俺を襲っており、その余裕はない。


 ――に、してもだ。


 眠い目を擦りながら、安堵の溜息をつく。

 安堵とはつまり、和美さんのその後のことだった。

 朝、いつものようにミリア電子工業にミクリルを運びつつ社内の様子を確かめてみると、そこかしこで「和美さんが無事に見つかった」という歓喜にも似た噂話が飛び交っていたのだ。

 ほっとしたのと同時に、思わず力が入ってしまった腕。

 それは、売り物のミクリル一本をぐしゃりと潰して無駄にしてしまったほどだった。


 こういうとき、いつも思う。

 我ら忍びの者は、常に『影』の存在なのだ。

 自分が彼女を救出したとしても、関係者の歓喜の輪の中に入ることはできず、人知れず喜びを噛みしめるしか、ない。

 今度は、俺の口から乾いた溜息が漏れた。


 ――影の存在といえば、だ。


 俺は、スナックカトレアでの戦いで、どこからともなく飛んできたバラの花飾りのついた棒手裏剣のことを思い出した。

 俺の脳裏には、それを放った人物の姿が朧気(おぼろげ)には浮かんでいる。

 だが今は、それを無理矢理に結論付ける時期ではないだろう。いずれ、わかるはずだから。


 ――ねむっ!


 いよいよ、瞼が重たくなってきた。

 心地よい眠りを取りたいと寝室に行きかけた俺だったが、不意に思い出したくもない出来事をひとつ、思い出してしまう。

 それは、ミクリル販売店係長、安田(やすだ)氏の説教だった。

 たった、三分だ。

 たった三分の遅刻で、まるで鬼の首を取ったかのような勢いで俺に遅刻の罪悪について説教を始めた安田係長。

 始めは素直に聞いていたが、あまりのしつこさに、俺も切れてしまった。

 もしもあそこで、我が上司、佐川班長が間に入ってくれなかったら、危うく売り物のミクリルを手裏剣の如く投げつけ、係長にミクリルクラッシュを浴びせてしまうところだったのだ。

 今日は一日、なかなかいい日だったが、それが唯一の汚点だった。

 そう思うと、急に胸がむかむかとむかついてくる。

 気を紛らせようとグラスに残ったワインを喉に流し込んではみたが、それはかなりの不味(まず)さだった。


 と、そのとき鳴った、インターホンのチャイム。

 気分も悪いしそのまま無視しようかとも思った。が、何度か鳴らされたので仕方なく出ることにする。

 出れば、相手は若い男だった。

 マンションの共同エントランスからの通話だった。


「すみません……僕、千葉(ちば)と申します」

「ちばさん? はて……何か私に御用ですか?」

「ええ。私を弟子にして欲しいんです、あなたの」

「で、弟子ぃ!?」


 思わず、インターフォンの通話スイッチにかけていた指が震えた。


「な、何を云っているのかわかりませんね。私は、弟子を取るようなそんな人間ではありませんよ、では」


 インターホンの通話スイッチを切りかけた、その瞬間。

 やや低いトーンで、相手の男は囁いたのである。


「あれ、いいんですか、ミクリル・ダンディさん? いや……甲賀(こうか)忍者で産業スパイの中川総一郎さん。僕を仲間にしておいた方が、これから先、何かと役立つと思うのですがね……」


 ――いったい、こいつは何者?


 俺は、共同玄関扉の鍵を開錠し、彼を部屋に招き入れることにした。


「いいだろう……まずは、入れ」

「ありがとうございます、師匠!」

「師匠はまだ早い。まずは、話し合おうか」


 俺の眠気は、すっかり吹き飛んでいた。



―  乳酸飲料なダンディEpisode2「ミス・ミリア電子の蘭」 Fin  ―


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ