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Section2-2 しがない古本屋とダンディの追及

「久しぶりだな……中川君。いや――ミクリル・ダンディ君」

「お久しぶりです……会長」


 その顔には見覚えがあった。

 いや、見覚えがあるとかそういう問題ではない。私の、「クライアント」なのだ。つまりは、ミリア電子から情報を抜き出してくるという、そういう「指令」の根源でもある。まさかの向こう側からの接近に、俺は面食らっていた。


「私の最近の『呼び名』を知っておられたとは」

「当り前だ、中川君。ワタシの情報網を見くびってくれては困るぞ」

「はあ……すみません」


 会長――正式に云えば、『株式会社サンシャイン・エレクトリック』の前社長で現会長、日向(ひゅうが)巌九郎(がんくろう)氏である。逆に簡単に云うなら、ミリア電子株式会社の、ライバル企業の元経営者。

 会長が古書店を俺の配達ルートのその途中にわざわざ開店し、これ見よがしにサンシャイン・エレクトリックの象徴である『太陽』のマークを看板につけたのには、深い意味があるに違いない。


「そ、それで……私にどんなご用件でしょう」

「ご用件だと? わからないのか。いつも物事には迅速な君が、だいぶてこずっているようなんでね……手伝いに来たのだよ」

「いや、それはご勘弁ください。これでも、私はプロの産業スパイなのです」

「ほほう……。それは殊勝な物言いだな。だが、スパイの動きを探るスパイ――というのもこの世の中には存在するということを、君はよく理解しておくべきだな」


 ――なんだと?


 俺は、会長の言葉に愕然とした。

 ということは、俺のことを探っている奴が、俺にの身近にいるってことじゃないか!

 言葉の出ない俺に、会長が俺の目を見据えながらニヤリと笑う。


「スパイのプロフェッショナルと云うならば、早急に私からのミッションを完遂していただきたいものだ」

「もちろん、そのつもりです」

「うむ。だが、一応訊いておく。……ミッションクリアーに関して何か問題でもあるのか?」


 俺の胸の内が激しく鼓動した。

 まさか、日向会長にミリア電子の標的(ターゲット)に恋しました――なんてことを云える訳がないではないか。


「い、いえ。何もありません」

「ならば、早めに頼むぞ。ミリア電子の、『次世代通信システム』に関する極秘情報を、とにかく早く手に入れるのだ」

「了解です」


 最後の会長の目は、真剣(マジ)だった。

 背中に冷たいものを感じながら、店を出る。通いなれたミクリル販売店へと向かう足取りは、かなり重たかった。



 ☆



 その日の夜、23時――。

 ミリア電子の飲み会――いやいや、ミッションクリアーのための情報収集の場に、眠い目を擦り擦り向かう、俺。しかし、それにしても不覚だった。なんと、俺ともあろうものが、ついつい長い昼寝をしてしまい、予定していた時間をオーバーするほどにがっつりと寝過ごしてしまったのだ。

 数か月前に買った目覚まし時計がまだしっくりとせず、目覚ましをセットし忘れたのが原因である。


 ――いかん。この時間では、みんな帰宅しちゃったかも!


 急いでいるのに、忍びとしての癖で、ついつい夜は忍び足で歩いてしまう。

 そんな足取りで音もなく近づいたのは、我が宿敵「香取大五郎」の経営するショットバー「KATORI」だ。本来なら顔も見たくない相手なのだが、ミリア電子工業の面々が贔屓にしている店なのだから仕方がない。


 ――ん?


 と、店の入り口のある小路に入った途端、感じた違和感。

 入口のドアが開けっ放しになり、そこから明かりが漏れている。

 冬本番も近いこの季節に、扉をあけっぱなしにしてお客を迎えようとする店なんてある訳ないじゃないか……。


 ますますの忍び足で店の入り口に近づき、すぐ横の壁にヒラメのようになって張り付いた。しかし、どうしても人気(ひとけ)と空気の流れを感じない。ただ、クールなJazzの音色だけが俺の耳と肌の感覚を刺激した。

 いったい、どうしたというのだろう――。


 俺は、意を決して身をひるがえし、揺れるお腹周りの肉のことなど気にせずに店の中へと踏み込んだ。しかし、そこで俺が目にした景色は、俺の想像をはるかに超えていたものだった。


「大五郎!!」


 Jazzが混合された空気で満たされた店内に、散らばるナッツ。

 カウンターには倒れたマティーニ・グラスがひとつと、ジンのショットグラスがひとつ、片付けされずに残っている。そして、カウンターの向こう側の床には、シックなバーテンダーの服に身を包んだ店主の大五郎が俯せに倒れていた。

 カウンターの内側へと飛び込んだ俺は、大五郎の背中の動きを確認した。少しだが、上下している。大丈夫だ、大五郎は、息をしている!


「いったい何があった!? 知美さんは無事か?」


 虫の息の大五郎の肩を左腕で抱えた俺は、ゆっくりとした動きで彼を仰向けにすると、彼にそう訊ねた。


「知美さんが……男に……連れて……いかれた」


 それだけ聞けば、十分だ。

 残ったグラスの状態からすれば、一目瞭然。

 宴会後、ひとり店に残った知美さんが大好きなギムレットをゆっくりと味わっていたそのときに、あとからやって来てジントニックを頼んだ男が無理矢理に彼女を連れて行ったのであろう。

 また、床には血痕がなく、ナッツだけが散らばっている。

 そのことは、大五郎が弾代わりに発射したナッツが謎の男に対して傷ひとつ与えることができなかったこと、そして――ここが一番大事だが――知美さんが男から傷つけられた事実がなかったことを示している。


 ――知美さんは生きている!


 大五郎が生きている事実を知ったときの100倍の嬉しさが、込み上げてきた。

 しかし、問題はこれからである。

 なにせ、俺と「いい勝負」の手練れであるはずの大五郎が、いとも簡単に破れてしまった手強い相手なのだ。しかも、どんな目的で彼女をさらったのが全くわからない、と来ている。


 ――これは厄介なことになりそうだぞ。


 そう思った矢先、大五郎の倒れていた床の奥側に、何やら一つの物体が転がっているのを見つけた。


 ――花束?


 俺は花の種類には詳しくないが、恐らく、『蘭』だろう。

 真っ赤な花びらでできた蘭の花が5本、きれいに透明なフィルムに包まれる形で、ひとつの束にまとめられている。

 大五郎の体を無造作に床に置いた俺は、花束を取り上げた。

 この大五郎が、こんなしゃれたものを買ってくるはずはない。恐らくは、知美さんをさらった犯人が、ここに残していったものなのだ。


「…………」


 俺は、大五郎のために救急車を呼ぶことも忘れ、しばらく花束を見つめ続けた。

 カウンターのギムレット・グラスだけが、知美さんという存在の残り香を微かに放っていた。


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