蝶々が見たい
「ではショコラ、ついてこい。このゲートをくぐれば一気に最奥に――――⁉」
シュン……という音を残してゲートが忽然と閉じた。
俺の手甲がその残像を掴もうとして、前方を掻いた。
ギギギ……と握り込まれた拳。
ギギギ……と黒鉄の兜をデンハムに向けて回す。
「でぇ、ん、は、むぅうう……!」
「ぼ、僕じゃないよ!」
「ねぇ、ディー」
いつの間にか、俺の前にケイトが立ち塞がっていた。
幽い深淵を見通す眼が、俺をまっすぐに見ている。
「……なんだ?」
「私、最近巷で見つかったっていう“蝶々”を見てみたいの。ディーがかわりに観察してきて。獲ってきてもいいよ」
「――はぁ⁉」
素っ頓狂な声が出た。
「それまでは、帰ってきちゃ――駄目」
ケイトが俺の鎧に手を突いた。
グッと前から押される。
ふらふらと、たたらを踏んで後退した。
そのまま、しばし無言で見つめ合う。
……そうか……そういうことか…………。
“蝶々”か。
だが今は喧嘩中だ。素直に従ってやるものかッ!
「――おいおい……おいおいおい。それはさすがに意地悪すぎじゃないか? 仕事にかこつけて嫌がらせ……やり方がねちっこ過ぎるだろう⁉ 大体そんなもの、クラリスにでもやらせりゃ――」
「ねぇ、ショコラ」
俺を無視して、くるりと振り返ったケイト。
ショコラが「ん? なになに?」とぴょこぴょこ歩み寄っていく。
ケイトが肩に提げたバッグをゴソゴソと探って、何かを取り出した。
「――これあげる。助けてくれたお礼」
それは涙滴型の、透明な、七色の煌めきを放つ結晶。その内部では小さな火種が揺らめいていた。
そんな光景を、内心で驚愕して見守った。
「ん? なぁに、これ?」
「フェニックスの涙」
「――えっ⁉」
ショコラが口元を手で押さえた。
そんな彼女に向かって「んっ」と結晶を突き出したケイト。
ショコラは両手でそれを受け取った。茫然と手の中の結晶を眺めている。
「それと、ディーを貸してあげる」
「ディーゼルさんを?」
「俺を?」
思わぬ申し出に、困惑気味に顔を上げたショコラと、俺。
「お姉さんを生き返らせてあげて。それ、使うにはそれなりの力が要るから」
「え……いいのっ⁉ でも高価なものなんじゃ……」
「へいき。まだいっぱいある」
「――ありがとう、ケイトちゃん‼」
そう言って膝を突いたショコラがケイトを抱き締めた。
「よくないッ‼」
そんな二人に向かって叫ぶものの、無視される。
「――でね、その後はディーの手伝いをしてから、一緒に帰ってきて。そうしたら私の家に案内してあげる」
「うん、分かった。約束ね。指切りしよっか!」
「分からないッ‼」
ズンズンと床を蹴って地団駄を踏むと、ホールがミシミシと悲鳴を上げた。
そんな俺を無視して指切りする二人。
「何で俺がそこまでせにゃならんのか⁉」
「さっき大見得切って――よし分かった。俺が手伝ってやる。お前の姉の件は俺が預かる――って言ったから?」
言ったな……確かに……。
「ディーが一緒なら万人力だっけ? すごいね」
ケイトが俺にジト目を突き刺してくる。
「……魔王軍が近くに来ているって言っていただろう! その時に俺がいなかったら危険だ! 万が一がある! ショコラの件はもちろん手伝うが、それこそクラリスを代理で――」
「デンハムがいるし、マグノリア達もいるから大丈夫」
そう言ってケイトがデンハムのあご(骨)を撫でた。ゴロゴロ……と何処からともなく気持ちよさそうな音が転がってくる。
「しかし――」
「イルバーン達に武器を渡したから、そもそも、しばらくここには辿り着けないよ。そのためにあげたんでしょ、エクスカリバー。私に相談もなく」
俺の反論を上から上から被せ気味に絶え間なく押し潰してくるケイト。それをはね除けにいく俺。
「――とはいえだ! 先に俺を最奥へ行かせろ! そうすればショコラとの契約は解除されるんだよ! このままだと俺は外でも、ずーっとこいつとパーティーを組むことになるんだぞ!」
「別にそれでもいいのに」
「危ないだろうがッ! 俺が消えたらどうするつもりだ⁉」
「ダンジョンの外なら、ショコラが死んでもディーは平気だよ?」
「ぐぬぅ……」
その通り。復活が効かなくなる真なる死、および連座制の死は、幽世の迷宮特有の現象なのだ。メンバーがリーダーから離れ過ぎると死亡するという制約もまた然り。
ショコラが死ぬと渇望の契りの揺り返しが俺に来るが、すぐにショコラを復活させれば問題ない。
実は俺が外でショコラとパーティを組み続けることに、さほどのデメリットはないのだった。見事に論破されてしまった。一か八か、苦し紛れに悪夢信奉者の驚異論をぶち上げてみようか? 無理だ、あの集団は面白系ズッコケ枠に過ぎない。そしてもうネタがない。
拳を握り締めて憮然と首を垂れた。
ケイトが眼を細めてそんな俺を見た。
「――そんなに帰りたいの? “私達”の部屋に」
「……そうだ。俺は一刻も早く、“俺”の部屋に戻りたい」
「なら、土下座……」
待っていましたとばかりに、ケイトは困ったように首を傾げた。
「――する?」
陰湿。
陰湿以外の何ものでもない。この女はそういう性根の持ち主だ。
メキメキと甲冑が力む音がした。
「す…………」
ガシャガシャ……と、両膝を突いた。
「し……す……し……」
両手も突くところまでいった。
だが、たっぷりの苦悩の果てに、俺のプライドが勝った。
「――ない‼」
「じゃ、よろしくね?」
そう言って、ケイトは鞄からゴソゴソと何かを取り出し、四つん這いになった俺の兜に突っ込んだ。
それは一本のタバコだった。
ケイトは俺にだけ見えるよう小さく微笑みかけ、兜にひとつキスをすると、バイバイと手を振って背を向けた。
再び開いたゲートへ、てくてくと歩み去る彼女の背中を暗然と見送る。
「じゃあね、ディーゼル。部屋の掃除はしておいてあげるわ」
と言い残し、俺の前を颯爽と横切ってゲートに向かうマグノリア。
「ごめんね、ディーゼル君。出張が終わって帰ってきた時、平時だったら僕がお迎えにいくから。みんな待ってるから早く終わらせてきてね? 新しいボードゲームがあるから、帰ったらみんなでやろうよ!」
と申し訳なさそうに、しかしあっさりと帰って行くデンハム。
「がんばってくれ、ディーゼル。ケイトの世話ならこの私が――」
ヘラヘラと俺を前を横切ろうとしたクラリス。
その瞬間を狙いすまし、彼女の腕をがっしりと掴み取る。
「――なっ、なにを⁉」
「お前も来い。クラリス」
「げっ、なぜだ⁉」
「業務命令だ。上司の俺が働いて、一番下っ端のお前が、のうのうとできると思うなよ」
無慈悲な俺の通告に、愕然となったクラリス。
「――お、横暴だ! 権力乱用‼ パワハラ‼ モラハラ‼ 女性差別反対‼ 異動命令はお互いの合意の上で決定しましょう‼ 上司と部下の信頼関係の崩壊は、職場の士気低下に繋がります‼」
さすが元務め人。面白い抵抗を見せる。だが許さん。
「解雇してもいいんだぞ? 特にお前が来てから、ケイトの堕落が酷い」
「それ――ぐぅ……」
大人しくなった。
俺は部下を思いやり労る理想的な上司であり、職場の風通しの良さに気をつかって、社員同士の和を重んじているが、言うべきを言う上司でもある。
次の瞬間、ゾロリと甲冑の隙間から這い出した闇黒がクラリスの腕を伝って、まとわりついていった。
「――――はっ、これは⁉ や、やめろおおおおおおおおッ‼」
恐怖に顔を引きつらせて暴れるものの、俺の握力からは逃れられない。
「クックックッ……お前もこの歴史的攻略隊に加えてやる。光栄に思え」
「くっ、殺せ……ッ‼」
ドスの効いた拒絶。
「お前の仲間にされて辱められるくらいなら死を選ぶ‼」
凄絶な表情で俺を睨んだクラリス。
「うわー……完全にくっころオークですねぇ」
とショコラが顔を引きつらせていた。
すると徐々にクラリスが表情を弱々しく崩し、いやいやと首を振った。
「お、お前のパーティーになんて入りたくない! ときどき千里眼で見ていたぞ! あの酷い攻略の様子! 抱腹絶倒ッッ‼ 私はあんな風にみっともなく死にたくなあああい! 記録に残ったら末代の恥だ! いやだあああぁ‼」
「これで勝手に一人で死んで、最奥に死に戻りすることは叶わんぞ。観念しろ」
「ひいいいいいいいぃぃぃ」
クラリスのパーティー加入が完了した。
「地獄の一丁目へようこそ」
手を離すと、彼女はがっくりと膝を突いて両手で顔を覆い、さめざめと泣いた。
「よ、汚されてしまった……真っ黒いのでドロドロに……」
そんな戯言を眺めながら立ち上がり、ケイトが俺の兜に突っ込んだタバコにパチンッ、パチンッと火花を散らす。
パチンッ、パチンッ。
「大丈夫ですよ。私も散々弄ばれてますから」
「うう……ある意味、なんだ、ディーゼルのなんとか姉妹だな、私達は」
クラリスの肩を抱いて慰めるショコラ。面白い寸劇だ。
パチンッ、パチンッ。
火が……つかない。
チョコだ、これ。
「――行くぞ」
天を仰いだまま、決然と言い放った。
「あ、お姉ちゃんの身体は、私の街で保存されていて……」
「それは後だ」
「へ?」
ショコラが目をパチパチと瞬かせて俺を見返した。そんな彼女の口にタバコ型チョコを突っ込む。
「むぐ……」
「こうなれば意地だ……このままダンジョンを完全踏破する‼」
「モグモグ……むぅええええええええええ⁉」
「ま、まさか私を連れて挑む気なのか⁉」
ガビーンと顔を上げたクラリスに「当然だ」と首肯した。
クラリスが入ったから、戦力的にはグンと向上した。筋金入りの元聖騎士だぞ。回復も復活も補助魔法もありだ。
これなら……いける‼
「で、でもでも。先に外のお仕事終わらせたら、ちゃんとディーゼルさんを迎えに来てくれるって、あの恐竜さんが――」
「あの女に宣戦布告を受けた」
ぴしゃりと言い放つ。
「これはな……意地と意地のぶつかり合いだ。今後百年の力関係を占う、一歩も引けない労使紛争なのだ……!」
シュコーッ。
「――ダンマスのあんちきしょうに……ひと泡吹かせてやる‼」
グッと拳をつくって決意表明。肩に大戦斧を担いだ。
「さぁ立て二人とも‼ この絆の深淵に労働者の日を打ち立てるぞッ‼」
肩を怒らせて歩み出す。
「そうしたら、次は中層……行ってみるか! 一年もあれば抜けられるだろう‼ 最奥に突き立てる旗を準備しておけ‼」
「嫌ですよぉおおおお⁉ 先にお姉ちゃんを生き返らせてくださああああいッ‼」
「考え直せ、ディーゼル‼ その娘の気持ちを考えてやったらどうなんだッ‼ 仲間なんだろう⁉ 先に外へ行くぞおおおおおおおお重たいッ‼ クソッ、さすがは総幻想金属製‼」
縋り付いてきた二人が全身全霊で俺を引いた。
そんな顔を真っ赤にした二人を無言のまま引きずって、俺は鼻息荒く中層へと繋がる扉に手甲をかけるのだった。
明日エピローグで完結となります。




