ダンマス
俺が遅れて駆け付けると、そこには黒くて半透明な球体に包まれて、うずくまっている二人が。
パチパチと電撃をこぼすその斥力場は、〈神威を拒絶する護符〉の効果によるものだ。ショコラの胸にあった護符は砕け散っていた。
「――ケイト、無事か?」
俺の呼びかけに応えたのは昏く冷たい眼。
色の抜けた、壊れた人形の眼だ。
しかしそれは一刹那のことだった。
すぐにそこに生気が宿り、涙が溜まり始める。
やがて綺麗な顔が歪み、口がへの字に曲がったと思ったら、すぐに決壊した。
「ひーん」
ショコラがよしよしと頭を撫でた。
「もう大丈夫ですよ」
「えーん」
ショコラに抱きついて泣きじゃくるケイト。怪我ひとつない。
ホーッと吐息が漏れた。
「――ショコラ、礼を言うぞ。よくやってくれた」
ショコラは無言で微笑み返した。
「ひーん……ディーぃいい~~~」
斥力場が消えると、ケイトが俺の足に抱きついてきた。彼女の金色の頭頂部に向かって苦々しく言う。
「まったく……こんなところまで出てきて……」
「あのー、ディーゼルさん? ……隠し子?」
ショコラがおずおずと聞いてきた。
「……この子供に見えるのがダンマス」
ポンポンと金髪の頭を撫でながら、
「この絆の深淵のダンジョンマスター……ケイトだ」
ざわりと空気が揺らいだ。そのざわついた気配は主に背後のスターチェイサーから伝わってきた。
「お前が連れてきたのか――クラリス」
ホールの奥に視線を送る。そこから一人の騎士が歩いてきた。
金髪ポニーテールの女騎士、クラリス。
彼女は黒く荘厳な甲冑を着込んでいて、悪悪しい斧槍を背中にかけていた。
「なんだディーゼル、またケイトを泣かせたのか」
からかうような口調でクラリスが言った。
「おいクラリス。今回の件……マイナス査定だからな? ケイトから目を離したのは看過できない重大なミスだ。給与は減額の上、研修生に戻してやる」
「う……っ! い、いや……それはだな! ケイトが急に一人で行くって言ったからであって……わ、私は止めたんだぞ⁉ でもな、ケイトが、もう大丈夫だからクラリスは遅れてついて来いって言うから――ちゃんと防護エンチャントはかかってたんだ!」
わたわたと慌てて言い訳し始めたクラリスを遮って、ピシィ! という乾いた音が聞こえた。
彼女の後ろ、ホールの奥のなにもない空間に、唐突に縦の切れ目が走った。
それはバリバリと音を立てて左右に広がっていき、巨大な真円状の穴が開く。
そこから歩み出してきたのは、燃え盛る巨獣――の骨格。
真っ黒なのに、七色に輝くフレークが無数に含まれてキラキラと光をまき散らす骨――総ブラック・オパール製の骨だ。その骨格に、蒼い炎が無数の蛇となって生き生きとまとわりついて蠢いている。
それは灼熱の火炎を身にまとった肉食恐竜の骨格とも言うべき、見る者全てを怖気づかせる威容。
「デンハム……やっとか」
ズンッ、ズンッと床を揺らし、バイパスゲートから歩み出してくるデンハム。
ガバアァァ……と恐るべき顎を開き、第一声、
「ディーゼル君、早く帰ってきて!」
声は可愛い系。
「ケイトがぐずって仕方がないんだ! ここに来たのだってケイトの我が儘なんだよ⁉ もー、僕が言っても聞かないんだから! ディーゼル君が何とかして‼」
見た目からは想像もつかない柔らかい物腰。あいつは中身も丁寧な性格をしている。最古参組の、俺の頼れる右腕であり、友人だ。
「――ほら、ケイト。ディーゼル君に謝って」
ぐーっと、燃え盛る肉食恐竜の頭蓋骨をケイトに近づけて促すデンハム。隣にいたショコラがケイトの身体をギュッと抱きしめて震え上がっていた。至近距離で見るデンハムの顔が怖いのか、ケイトを守っているつもりなのか……。
「嫌」
「え……」
デンハムが一瞬だけ絶句し、ガバァ……と口を開く。
「ケイト! 僕と約束したじゃないか!」
ガギンッ! ガギンッ! と危険な音を立ててデンハムの口が開閉する。すぐそばのショコラは卒倒寸前。
「ディーゼル君の唯一にして無二の趣味であり、癒やしでもある喫煙を、外堀から徐々に埋めていって、一枚一枚薄皮を剥いでいくようなリアルなサラミ戦略で禁煙ルールを既成事実化し、とどめはディーゼル君のタバコ購入予算を全面的に干上がらせ、近いうちにダンジョンを喫煙禁止にしようと密かに、でも真綿で首を力強く絞めるかのごとく画策していたことを、謝るって!」
「いーーーーーーーやッ‼」
グスッっと鼻をすすって首を振ったケイト。焦るデンハムと、面白そうに並んで見ているだけのマグノリアとクラリス。
あの女二人は、どこまでいってもケイト甘やかし組だ。あいつらのせいで最近ケイトの我が儘が加速しているんだよな、忌々しい……これ以上ケイトの毒になるなら、ダンジョンから追放してしまおうか……。
「ケイトッ! このままだとディーゼル君が本当にダンジョンから出て行っちゃうよ⁉ それでもいいの⁉」
炎を吹き上げる骨の怪獣が、小さな金髪の女の子を相手に必死で叱りつけている。最高にシュールな光景だ。ショコラの口からは魂が漏れてるけどな。
「嫌よっ、ディーが先‼」
「俺? 俺がいったい何をしたって言うんだよ……」
思わず呻いた。
「ダンジョンから勝手に出て行った!」
「それは……あんたが俺を怒らせたからだろう!」
「だからって勝手に出て行くなんてッ‼ すぐに帰って来なかったッ‼」
白目を剥いたショコラを振りほどき、地団駄を踏んだケイト。その傍若無人な言い草に釣られて、だんだん俺も苛ついてくる。
「帰ってこようとしたが、ちょっと失敗しただけだ! あんた全部見てたんだろう⁉ さっさと迎えに来いよ‼」
「勝手に知らない女の子とパーティ組んだ‼」
「そうしなきゃ帰れないだろうがッ‼」
「ショコラを騙くらかして無理やり契ったぁっ‼」
「ひぇ」
ケイトの流れ弾に、ショコラが瞬時に自我を取り戻し、総毛を立てて頬を朱に染めた。俺を見る女性陣の眼差しに険悪な色が乗った。すかさずフォローを入れる。
「言い方! 渇望の契り! 略すな‼」
「ディーが謝って‼」
「くううぅ……俺はぜっったいに謝らんぞ‼ 何も悪いことはしていないんだからなッ‼」
「意地っ張り‼」
「分からず屋‼」
「中身空っぽのくせに‼」
「あんたは心が空っぽだ‼」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん! デンハム゛ううううううう‼ ディーが酷いこと言ったあああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん――」
ケイトが大泣きしながらデンハムの牙をグイグイ引っ張った。
「ディーゼル君、言い過ぎだよ! もー、早くお互い謝って‼」
「うるさいッ‼ 貴様もケイトの肩を持つのか! それでも親友か‼」
エスカレートの一途をたどる口論。
呆気にとられて、そんな光景を遠巻きにしているイルバーン達が視界に入った。
いったん全身からブシューッと瘴気を吹き出し、落ち着かせる。シューッ、シューッと早いリズムで兜からも瘴気が吹いた。まるで圧力鍋だ。過圧で爆発しそう。
「俺は謝らん……絶対にだ‼」
癇癪をおこしたケイトに向かって言い放った。
デンハムに慰められている彼女のことは置いておいて、スターチェイサーに向き直る。
もう連中に戦意はないようだ。
「フウウゥゥ……見苦しいところを見せたな。見てのとおり、ガキなんだ」
背後から聞こえてくる泣き声のテンションが上がったが、無視する。
「――ひとつ聞かせろ」
「……なにかな?」
神官戦士に肩を借りたイルバーンが、苦笑いで答えた。
「魔王軍はどこまで侵攻してきている?」
「ライサンガルドが最前線だ。でももう長くはもたない」
ぬおぉ……すごい近くまで来てるな、おいっ!
ライサンガルドといえば、ここから山ひとつ隔てた向こうじゃないか。
魔王の奴め……真っ先にこの絆の深淵を版図に収めるつもりだな。しかも俺たちに気づかれないように、山の裏側から電撃的に軍を進めるという徹底ぶり。
気色わる……。
「――取引するか、星の勇者よ」
「聞かせて欲しい」
見れば、神妙な面持ちのスターチェイサー達。
――お。
もっと拒絶が返ってくるかと思っていたが、大人しくなったな。ようやく力関係が理解できたか。まぁ、急にこの絆の深淵における最高戦力の一角が集結してきたのだから、さもありなん。
あるいは、ケイトの姿に毒気を抜かれたか……。
「お前の言っていた聖剣とはなんだ? 〈リンギル〉か? 〈ストームブリンガー〉か? それとも〈レーバテイン〉か?」
「……〈エクスカリバー〉を求めて来た」
「エクスカリバーだと……?」
俺の空っぽの喉が鳴る。
「――よし。ではエクスカリバーをくれてやる。そのかわり、それを持って引き返せ。その上で魔王軍を押し返せ。魔王とかいう偉そうな肩書きを引っ提げたストーカーを、この絆の深淵に近づけさせるな」
「え……くれんの?」
リックがぽつり。他の面々も呆気にとられているようだ。
「ああ。エクスカリバーの一本くらいなら持っていけ。この先の深層に出るガイコツ兵の基本装備だ」
「この、先……ですって?」
女魔法使い――マキアだったか――が呻いた。
「ここは絆の深淵の最深部なんじゃあ……」
「最深部?」
笑える。
「馬鹿を言うな。ここは浅層の最終エリアだ。ここから中層が始まる。深層はそのまた先だ」




