懸命な説得
「はぁ……もういい。復活アイテムくらい、あとで俺がくれてやる。だからその女を離せ、ショコラ。お前のために言っている。引いては俺のためでもある。とにかく俺の言うことを聞け」
「――えっ? ディーゼルさんが持ってるんですか⁉」
「いや……だがフェニックスの涙なんぞ、ダンマスに言えばすぐに出てくる」
「で、でもでも……コスプレにしか興味ないディーゼルさんがそんな高価なもの持っているわけなくて……コスプレとタバコに散財して、食事はいらないなんて痩せ我慢するほど赤貧な駄目人間のはずで……私を騙して人質を解放させようとしているのかも知れなくて……私はイルバーンさんからフェニックスの涙を奪い取って欲しくて……この方はディーゼルさんの大事な女で、人質に取っちゃったから、もう後には引けないっていうか……」
露骨にオロオロし始めたショコラ。目をぐるぐる回している。あいつ、脳がパンクしかかっているぞ。見ていて凄く心配だ……マグノリアを傷つけるなよ……。
すると、アイス・ファルシオンを首に添えられていたマグノリアが、眼球だけで背後のショコラを見て、面倒くさそうに口を開く。
「――ところであなた、さっきから変なことばかり言うけれど、私のことを誰だと思っているの?」
「え? ……えーっと、ディーゼルさんの脳内ダンジョンマスターさんのモデルになった方ですよね? メンヘラで、考え方が幼稚。嫉妬深く、ずぼら。不健康の極みな生活を好む、究極のめんどくさがり。トラップの張り方が精神的病の気を思わせ、おまけにヒステリー持ち。見た目がピッタリ、そのまんまじゃないですか」
ナチュラルに飛び出したショコラの毒に、青筋を立てたマグノリアがピクピクと頬を引きつらせていた。
彼女の指先が、背後のショコラにすーっと近づいく。
「のーーーーーッ⁉ まてい! まてまてまて早まるな! ――だから殺すなっつってんだろうがッ! その手を今すぐ引っ込めろボケぇッッッ‼」
「ええーーーーっ⁉」
俺の珍しい物言いにびっくり仰天のショコラ。
「い、いえ、その……人質を取っている私が言うのもなんですけど、実はぜんぜん傷つけるつもりはないというか……」
「違う――ショコラ、お前は重大な勘違いをしている」
「勘違い?」
ショコラが首をひねった。
「その女はダンジョンマスターではない」
「?」
「その女の名はマグノリア。悪鬼ですら尻尾を巻いて逃げ出す悪夢の魔女、マグノリアだ」
「まじょ……?」
「お前はマグノリアの首に剣を突きつけているつもりだろうが、そうではない」
諭すように手甲で空気を何度も上から押さえつけながら、能う限り優しい声音で説得を続ける。
「お前こそが、心臓に死のナイフを突きつけられているのだ。それ以上その女を刺激すると本当に殺されるぞ。俺と同じく、マグノリアはダンジョンのルールを超えて一撃で真なる死を与える力がある。不可逆的にアンデッドにもできる。とにかくその女は危険なのだ。マジで。俺みたいに、ちょっとオイタをしでかしてもお仕置き程度で済ませてくれるような話の通じる相手ではない。だからその剣を下ろせ」
「……」
動かないショコラ。完全に石化した。もうちょっとだ。
あとひと押し。あとひと押しが欲しい……。
「ショコラさん……残念ですが、僕はフェニックスの涙を持っていません」
イルバーンが仲間に助け起こされているところだった。近くで瀕死だったフェニックスも、エルフが抱きかかえていた。
「――それなッ!」
そんなイルバーンを振り返りざまに指差す。
はっきり言ってナイスだ。よく言ってくれたイルバーン。
全力で乗っかってショコラの気を削ぎにいく。
「ここまでコテンパンにやられているのに、誰も涙を使わない時点でお察しだ。今のお前がやっていることは無意味だ、ショコラ。そのままだと犬死にするぞ。今ならまだ間に合う。さぁ、その剣を下ろせ。故郷で姉が復活を待っているんだろう?」
「うっ――」
涙ぐんだショコラ。攻め時だ。ここで決める。
「……よし分かった。俺が手伝ってやる。お前の姉の件は俺が預かる。王という王から神および悪魔に至るまでを恫喝できる、多方面に悪名高い絆の深淵のラスボス様だぞ? この俺がついていれば百人力どころか万人力なんだぞ? ほら、もう姉の復活は約束されたようなものだ。だが姉を生き返らせる前に、お前が死んだら元も子もないだろう? ……な?」
ゴクリとショコラの喉が動いた。
「そもそもどうして人質を取ったんだ。俺が助けてくれないとでも思ったか? しかし思い返してみろ。これまで俺がお前のお願いを聞かなかったことがあったか? 手間のかかるやつだが、お前の底力は十分承知しているし、本気で人質を取るような女ではない事もよーく分かっている。俺はちゃーんとお前のことを大切な仲間だと思っている。もうあれほど一緒に死んだ仲だ。見捨てたりはせん。よくここまで一人で頑張ったな。あとは俺が全力で助けてやるから、ショコラ、俺を信じろ」
「でぃ、でぃーぜるざぁぁぁぁん……」
カランカランと、音が跳ねた。
俺のまくしたてに、ショコラは半ベソでがっかりと肩を落し、ついに剣を手放した。
ホーッという珍しい吐息音が俺の兜から漏れた。
解放されたマグノリアが不快そうに首をさすりながら前に出てくる。
「――ディーゼル。あなた、どうしてこの失礼な獣人の肩を持つの?」
「――言っただろう。俺のパーティーメンバーだからだ。その女が死ぬと、俺も死ぬかもしれん。死なないかもしれんが……前例がないから、どうなるか予想がつかん」
「別に、それなら屍鬼にして言うこと聞かせればいいじゃない。強制的に外に連れ出してパーティー解除させてあげるわよ」
マグノリアは降霊魔法を遣う。いわゆるネクロマンサーの類いだ。気に入らない相手、言うことを聞かせたい相手はみんな殺して屍鬼とかスケルトンとかにする、本当に病んだ女なのだ。
「そういう話じゃない。そいつと一緒に生きて最奥まで到達しないと、パーティーは解除されんのだ。しかも生きた状態でなければ駄目だ。そういう契約になっている。ショコラを屍鬼にしてしまったら、永久に契約解除のチャンスを失う」
それどころじゃない。ショコラが死んで俺が生き残ると、渇望の契りの揺り返しで大変なことになる。
「パーティは解除されないまま。つまり俺はこの先、永久にゾンビ・ショコラという負債を背負っていかなくちゃならなくなる。さすがに勘弁してくれ……」
言ってて辛くなり、小さく項垂れた。
「契約って……? まさか、この獣人と〈渇望の契り〉を交わして、ここまで攻略して来たの⁉」
マグノリアの声がうわずった。
「――ああ。そうしなければ、この俺と挑戦者がパーティーなんぞ組めんからな」
「ばっっっっっっかじゃないの⁉」
たっぷり溜めた罵倒に、返す言葉もない。
「そんなリスクをしょい込んでまで、なにやってるのよッ‼ 自分の立場分かってるの⁉」
「ぐぅ」と呻く。あまりに正論。部下に説教されるとは。
迂闊だったのは認める。もっと、すんなりいくと思ったんだよなぁ……だって俺、内部の造りを全部知ってるんだぞ?
もっとも、いざ挑戦者の立場に立ってみると、確かに、この絆の深淵がN級とされている理由が分かった。
ここに来るまでの全滅回数は九九回。ダンマスの才能を身に染みて実感した。相棒がショコラでなかったとしても、結局はかなりの回数を死んでいたような気がする。スターチェイサーは相当優秀だったと言える。今さらだが、敵ながらあっぱれだ。
そんなことをしみじみ考えながら、ダンマスと一緒にこの絆の深淵を作り上げていった昔の記憶を思い返していると、その記憶の中から、俺に向かって歩み寄ってくるダンマスの小さな姿と、今見ている現実のシーンが重なった。
「――ん?」
トコトコと、ショコラの隣を横切って駆け出してきたのは金髪の少女。その姿に思わず声が漏れた。
こざっぱりとしたワンピースに、肩からさげた小さな鞄。ピクニック・スタイル。おおよそ、戦闘の爪跡が色濃く残るこの戦場にふさわしくない格好だった。
ホール内に戸惑いと困惑の空気が瞬時に広がった。
彼女は柱の横まで来て立ち止まる。
「――謝る気になった?」
両手を腰に当て、ふんぞり返って偉そうに鼻を鳴らしたケイト。
場の全員が俺の反応に注目する。何とか言えよ。そんな気まずい空気が広がって俺を包み込んだ。だか、なんて言っていいのかが分からない。
その沈黙を破ったのは、けたたましい崩落音だった。
俺とイルバーンの戦いで崩壊寸前だった柱が、前触れもなく崩れた。
その下にはケイトが――。
「――しまっ! ケイ――ッ‼」
「危ないッ‼」
俺が飛び出すよりも早く、彼女の元に飛び込んだのはショコラだった。
誰よりも早い、目にも留まらぬ駆け込みだった。
ケイトを庇うように覆い被さったショコラ。
大きな瓦礫が二人を押し潰したのは、その直後だった。




