イルバーンの挑戦
「――消し飛べッ‼」
その冷酷な声に応じて、拳大の恒星が音もなく飛び出した。
瞬時にイルバーンの姿が純白のハレーションに消えた。
閃光がホールを支配する。
見る者全ての視界が白飛びし、とてつもない熱量が爆心地から放射された。
それほどのエネルギーの解放があったにもかかわらず、音や鳴動はなく、しばらく経って光は静かに引いていった。
全てが収まった時、床の上には氷結した跡が一直線に伸びて残されていた。
そしてその向かう先には、骨すら残さず蒸発したスターチェイサーの滓が残されているだけ――のはずだった。
統べる幽鬼が放ったのは火焔と氷雪の化身。
それが走った床の凍結痕を、逆に突っ込んでいく赤い人影があった。
「――ほぅ」
感心そうな声を上げて半身をひねった闇黒の騎士。その胸をすれ違いざまに掠めていった熱い剣閃。
統べる幽鬼の甲冑に浅い傷が残された。この戦いを通じて、初めてのダメージだった。
傷を与えたのは――イルバーン。
彼は全身を赤々と燃やし、剣を構えて統べる幽鬼と対峙する。見れば、スターチェイサーのメンバーは全員無事だった。
対峙する幽鬼とイルバーンに挟まれた空気が緊張で歪む。
「目がぁあああああーーーー‼ 目がぁああああああああーーーーー‼」
間抜けな悲鳴がその緊張を削いだ。
両目を押さえてゴロゴロと床の上を転がるショコラと、足下の彼女を困ったように見下ろす黒髪の女。
幽鬼が拳を握り締めてわななかせ、シュコーッと瘴気を吐いた。
「――なるほど。〈満ちて宿す器〉でフェニックスそのものを体内に受け入れたか。多芸だな」
イルバーンの全身がフェニックスさながらに燃え盛っていた。その答えを闇黒の騎士はひと目で見抜いた。
「それはすなわち、〈神人降誕〉――」
重々しく手甲の指を突きつけて続ける。
「だがな、そんなものは無茶な“まやかし”だ。長く続ければ魂ごと燃え尽きるぞ」
「その前にお前を斃す」
イルバーンは決然と言った。
幽鬼の口調が、わずかに呆れを含んだものに変わった。
「そこまでして、なんになる? ダンジョンで手に入るものは、お前達地上の生者を幸せにはしない。むしろその逆だ。ダンジョンの財を地上に持ち出せば出すほどに、お前達は災いを招き、滅びに近づいている。分かったら、大人しく俺に殺されて陽へ帰るといい。魂まではとらん」
統べる幽鬼の諭すかのような発言に、マキアとミトラが当惑気味に眉をひそめている。
「それでも、僕はやらなければならない……!」
イルバーンは赤く輝く剣の切っ先を闇黒の騎士に突きつけて叫ぶ。
「――僕は勇者として、絆の深淵を攻略し、聖剣を持ち帰る‼ 地上で待つ人々のために‼ 魔王を斃して地上の悲劇を食い止める! その使命を果たすためにここまで来た‼」
少しだけ、黒鉄の甲冑が仰け反ったように見えた。
幽鬼の小さな呻き声が聞こえてくる。
「……勇者、だと……?」
「僕は星の勇者だ‼」
〈星の勇者〉という単語が、うるさくホールに木霊した。
沈黙の中、甲冑騎士が身じろぎした。
「――そうか。星に撃たれて勇者になった口か。スターチェイサー……まさかとは思ったが……」
幽鬼が頭を振って続ける。
「ふっ、星の遺物でも追っている冒険者どもかと思いきや、勇者に連なるものか。紛らわしい」
「知らないで戦ってたの、あなた? 呆れた……ただの冒険者ごときに、この絆の深淵が厳戒態勢を敷くわけないじゃないのよ。勇者が潜っている時はどんなにちっぽけな相手でも厳戒態勢を解かない。昔に自分で決めたルールでしょう……」
黒髪の女が眉をハの字にして言うと、シュコーッという音が答えた。
「――是非もない」
幽鬼が大戦斧を肩に担ぎ上げた。
「俺はディーゼル。統べる幽鬼のディーゼルだ。この絆の深淵の最奥を守る騎士にして、貴様ら侵入者を屠る処刑人――」
甲冑から放たれるプレッシャーが、明らかに変わった。
「改めて問う。勇者よ、なぜゆえにこの絆の深淵を荒らす?」
「僕は人々の希望を背負ってここまで来た。世界を救うために、このダンジョンの秘宝が必要なんだ」
「俺に挑戦した勇者は過去に十八人。生き残って地上に帰れたのは三人だけだ。残りは全てダンジョンに食われた」
「――う、嘘ッ! 嘘ですッ! そんなの聞いたこともありません!」
ミトラは古今東西の記録や英雄譚を学んでいるが、勇者が二十人近くもひとつのダンジョンに食われたなどという話はどこにもない。
「わざわざ負けの記録を残さんのだ。お前達人間が勇者に転じる際の士気に関わる。貴様ら冒険者は、結局はどこまでいっても為政者の駒にすぎん」
「イルバーン、闇黒の声なんかに耳を貸すな」
「そうですとも。その幽鬼はあなたを怖れているだけです」
リックとオレガノの言葉に、黒髪の女が深く嘆息をついて肩をすくめた。
「過去に俺に挑んだ勇者どもも、何か使命があったようだが、あっけなく散っていった……本来、お前達の使命とやらと、ダンジョン攻略は関係がない。勇者どもが俺に偉そうに語ってみせた話も、俺に言わせてみれば、ダンジョンの宝がなければ果たせぬ使命などではなかった。お前達は騙されている。迷宮の宝が欲しいのは、お前らを操っている者どもだ」
「それは承知してます。僕もまた彼らを利用しているのですから。お互い様です」
イルバーンは小さく笑った。
「――ちっぽけな冒険者どもであれば、その心に恐怖を刻んで追い返すだけで事足りる。しかし勇者とあれば別だ。このダンジョンにとって真に危険因子となり得る貴様ら勇者の相手をする時は、俺は絆の深淵の守護者として手加減はせん。すると……復活は出来んぞ? 一発で真なる死を迎えることになる。使命は果たせずにダンジョンに食われておしまいだ。悪いことは言わん、別の道を探ると良い」
ひと呼吸置いて、悪夢の甲冑騎士が続ける。
「――それでも退かぬか」
「魔王の苛烈な侵略を前に、どっちにしろ僕ら人類は崖っぷちだ。退けない」
シュコーッと、黒鉄の兜から瘴気が漏れた。
ドクンッ! と、どこか深い深い地底から一拍の鼓動音が届いた。
幽鬼の体躯が膨らんだように見えた。
ドクンッ! ドクンッ! と、鼓動音が加速していく。まるでこのホール全体が生物の腹の中に飲み込まれたかのような息苦しい圧迫感がスターチェイサーを襲った。
音は、甲冑の内側から漏れ出している。
ドロドロドロドロ……と、やがてそれはカミナリが転がるような唸り声に変わり、やがて甲冑の全身から黒い瘴気が勢いよく噴き上がった。
堰を切ってブシューッと吹き始めた瘴気ガスが周囲を漂い、甲冑から放射される禍々しい波動が暗黒の霧を電離させ、周囲がうっすらとネオンに輝く。
その威容を目にしたスターチェイサーのメンバーは金縛りにあった。
しかしイルバーンだけは勇敢にも一歩前に出た。
勇者――不可能に挑戦する者。そして時に、その壁を打ち破る者。
その瑞々しく、大きな背中にスターチェイサーの全員の硬直が解けた。
「――〈精霊達の調和を〉‼」
「〈光の恩寵よ、かの者に宿れ〉――これで私の魔力は終わりです、頼みましたよ、イルバーン」
ミトラとオレガノのエンチャントがイルバーンの肉体に流れ込んでいく。
「イルバーン! ソーマだ!」
放り投げられた小瓶を受け取ったイルバーンが、それをひと息に飲み干す。
「あなたならできるわ。闇黒になんて負けないで――〈疾風迅雷よ宿れ〉」
「――ありがとうございます。皆さんは下がっていてください」
その一連の行動を邪魔もせず鷹揚に構えて見守っていた幽鬼。しかしその獰猛な鼓動音は、今や爆発寸前にまで高まっている。
「――では古の習わしに従い、名乗りをあげよ。若き挑戦者よ」
「僕はイルバーン、星に選ばれた勇者。この魂を賭けて……統べる幽鬼、ディーゼル! お前に一騎打ちを申し込む‼」
そう気合いを発したイルバーンが構えを取った。
「しからば受けて立つ」
応じて統べる幽鬼も大戦斧を構えた。
勇者の挑戦が始まる。




