黒髪の女
リックが道具袋を取りに動き始めた頃――。
片腕を失ったヴォルフは大剣を支えにして、統べる幽鬼の正面に対峙していた。
視界の端でリックの動きを捉え、心中でぼやく。
(早くしろ、リック……)
もはや一矢報いることも諦めている。それほどまでに実力差は歴然だった。目の前の怪物には、もはや突出した個の力でしか対抗できない。今の自分に出来ることはそのための時間稼ぎだけ。
「――なんっつーバケもんだよ……ディーゼル、とか言うんだったか?」
「……ショコラのやつめ、ペラペラと俺の名を言いふらしおって」
シュコーッと兜から瘴気が漏れた。
「てめぇは、なんであの嬢ちゃんとパーティなんて組んでんだよ。いったいあの子が何をしたって言うんだ。解放してやれ。こんなところにいるような女じゃない」
「解放? 何のことだ……事情があってパーティーを組んではいるが、同意の元の契約に基づいている。一方的に拘束しているつもりはないぞ」
再びシュコーッと兜から瘴気が漏れた。
「――まぁ、これで貴様らを始末すれば、ショコラの復讐とかいう目的が達成されたことになるからな。後は俺と共にこのダンジョンの奥底まで帰ればそれで契約終了だ。なに、ここまで来られたならば、もうなんの問題もない。おまけに生きて絆の深淵から帰す、という条項も契約に含まれている。あの女のことは心配無用だ」
「その、さっきも言ってた復讐って何のことだ」
この点に関しては、ヴォルフは時間稼ぎという目的を別として確認したかったことだ。イルバーンの名誉に関わる。
「――イルバーンは、ショコラの姉を騙し、里の宝を盗み出させ、裏切り、彼女を廃人になるまで貶めたそうだ」
「――はぁ? イルバーンがそんな事するわけねぇだろう」
「そのように見えるな」
あっさりと幽鬼が肯定したことに、ヴォルフが逆に困惑する。
「真偽はどうでもいい。俺には関係のないこと。ショコラがイルバーンを狙っていて、俺がその手伝いをする。そういう契約だ……さて、お前らのネズミがコソコソとやっているようだが、そろそろお前も眠りにつく時間だ」
「……ちっ」
統べる幽鬼の刺々しい手甲がヴォルフの顔面に伸びる。
「――ディーゼルさーーーーん! その人! 私がちょっとお世話になったので! いい人なんですから! 必要以上に虐めちゃ駄目ですからね~~~~~~ッ‼」
黒鉄の手甲が止まった。
空っぽの兜が天を仰ぐ。
ショコラが遠くでぴょんぴょん跳ねて手を振っていた。
「へっ、伝説の怪物があの嬢ちゃんの尻に敷かれてんのかよ……傑作だな」
「……一応、今は仲間だからな」
大戦斧が振り上げられた。ヴォルフの顔に影が落ちる。
「俺を後ろから狙った、あの一撃は悪くなかったぞ」
「……そりゃどうも」
ヴォルフの頭部が弾け飛んだ。
フォックスチームの最期だった。
その返り血を浴びつつ幽鬼が振り返ると、既にフラミーが空中に飛び上がっており、オレガノも立ち上がりつつあった。
「チッ……これだからフェニックスは嫌いだ。殺しても殺しても灰から湧き出して飛び回る。まるで蠅の化身だな」
悪夢の騎士が兜をショコラの方に向けた。
「――おい、後ろを向いていろショコラ」
「――え? は、はいっ!」
突然話を振られてびっくりしたショコラが、後ろを向いてうずくまり、尻尾を巻いて獣耳を押さえた。目までギュッと閉じている。本能的に何かを察知したようだ。
幽鬼が視線を戻すと、ミトラとマキアも起き上がっていた。
漆黒の兜を振ってイルバーンの姿を探す幽鬼。
その時、ホールの真上から水滴のように落ちてくる光輝があった。
落下の勢いを乗せた〈フラッシュ・スラスト〉だ。
イルバーンは黒刃に身体を弾き飛ばされた勢いを利用し、ホールの天井付近にまで上って身を隠して待っていた。
凡庸ならざる機転。
死角を狙った、音もなく降り注ぐ会心の一撃――。
しかしそれが敵の脳天を捉えることはなかった
惜しくも、その切っ先はあと僅かのところで弾かれた。
幽鬼がブゥンと大戦斧を振り回し、イルバーンをあっさりと弾き飛ばしたのだ。完全な死角であったにも関わらず。
「――惜しかったな」
「――くっ、これもだめ……」
イルバーンは床の上を転がりながら、チームに合流した。
これで残るスターチェイサーの全員が、一カ所に固まったことになる。
「ちょうど良い、まとめて――」
「――ちょっと、何してるのよディーゼル。さっさと始末しちゃってくれる? もうずーっとダンジョンが閉じてて、自粛疲れしてきたわ。私、早く露天風呂にゆっくり浸かりたいんだけど」
統べる幽鬼の声を遮って、ホールの奥から艶のある声が届いた。
そこに現れたのは女。
豊艶な体つき。
丸みを帯びた柔らかな起伏がはっきりと見える、あられもない薄衣を羽織っただけの立ち姿。
腰まで伸びた黒髪。気怠げな目つきに、目尻の泣きぼくろ。面倒くさそうに髪を掻き上げながら語る口調からは、高慢さが滲み出ていた。
「……あら?」
ふと、足元でうずくまっていたショコラに気付いた黒髪の女。
二人の目が合った。
「――? ――あ、あれぇ⁉ え……えーっと……ショコラです。こんにちわ」
「……こんにちわ……?」
お互い気まずそうに挨拶を交わす。
「あの女……最奥から出てきたわよ」
茫然と零したマキア。リックも目を丸くして呻く。
「あの怪物に……指示を出してやがる……」
「あれが……絆の深淵のダンジョンマスターですか……ッ⁉」
オレガノが興奮気味に言った。
統べる幽鬼が忌々しそうに黒髪の女を振り返った。
「――お前、この俺をほっぽり出して今まで何をしていた?」
「そこの連中が邪魔で、ダンジョンが厳戒態勢だったのよ。分かってるくせに……あなたこそ、こんなに長く仕事ほっぽり出して何してたのよ」
「自力で帰れなくなったんだ。察して迎えに来いよ」
「さっさと死に戻りして帰ってくればいいじゃない。それなのに挑戦者と一緒になってダンジョン攻略ごっこなんてしちゃって。あなた、このダンジョンの最高執行幹部でしょう? 自覚あるの?」
「……いや、それは……」
「はぁ……もう、何でもいいから早くあいつらを始末して」
黒髪の女が鮮やかに装飾された爪をスターチェイサーにビシィッと突きつけた。
漆黒の兜がシュコーッと鳴った。
「――まぁいい。話は後だ」
黒鉄の甲冑が改めてスターチェイサーに向き直る。
「さぁ……もう存分に悪夢を味わっただろう――」
「皆さん、僕の後ろへ」
剣を構えて前に出るイルバーン。
「これで終わりだ――〈消し炭にしてくれる〉‼」
力の篭もった統べる幽鬼の声。
前方に掲げられた手甲に、全身甲冑の隙間から湧き出した瘴気がズルズルと這い上がって集束していき、やがてそれは手の中で球体を形取る。
水晶玉を持つようにして現れた黒球。
そこから放射される不気味な殺気は、さながら夜空にひそみ、いずれ全ての星を食い尽くすと言い伝えられる暗黒星そのもの。
「フラミーさん、やりますよ‼」
「うん、やろう! イルバーン‼」
フラミーがイルバーンの肩に降り立ち翼を広げた。
幽鬼はそんな彼らの様子に構わず、手甲をグッと前方に突き出す。
すると暗黒の球体の中から、恒星のごとき強烈な光を放つ真球が、ブドウの皮を剥くようにつるりと姿を現した。
見ているだけで顔の皮膚が焼けるほど熱いのに、その球体からはキラキラと大量の霜が落ちている――。




