正真正銘の怪物
直後にレンレンの死体が燃え上がった。蒼い炎が彼女の肉体を包み込む。
やがて炎は彼女の表面を舐め回すように這い回って集結すると、一匹の大鷲の姿を形取った。
完全に炭化したレンレンの残骸の上に現れたのは、蒼い火の鳥だった。それを指差してカシージャスが叫ぶ。
「――禍死鳥……〈エフェックス〉か‼」
それは暗黒の夜空を飛び回って災禍をまき散らす枯死の鳥。生命の鳥たるフェニックスとは対極に位置する怪物だ。
エフェックスは間髪を容れず、近くにいたフラミーに襲いかかった。
絡み合い、ホール上空に舞い上がる赤と蒼の焔。
それを見届けた統べる幽鬼が、一歩前に出た。
ズンッ……という重い歩みに合わせて、どす黒い瘴気が甲冑の隙間から吹き出した。ホールに冬が来たかのような悪寒がスターチェイサーの首筋を襲った。
その威圧感を切り裂いて先制したのはカシージャスだった。
黒鉄の甲冑に一直線に飛来する鋭い矢。
幽鬼は微動だにせずその矢を受けた。
甲高い音を残して弾き飛ばされた鏃。
「―― ⁉ 攻撃が通るぞ!」
カシージャスが驚きの声を上げた。そこには困惑と興奮が含まれている。
サイクロップスでさえ矢除けの障壁を備えていたのに、遙か上位者と思わしき統べる幽鬼が、まったく防御魔法を備えていなかったのが意外だった。逆に罠を疑ったほどだ。
あるいは、そのような小細工が必要ないほどに、あの甲冑は硬いのか――先頭に立って対峙するイルバーンが奥歯を噛み締めた。
黒鉄の甲冑騎士がゆっくりと大戦斧を振り上げる。
次の瞬間、敵はイルバーンの正面に肉薄していた。
目にも留まらぬ踏み込み――。
「――ッ‼」
激しい光と金属音を散らして互いの武器を打ち合わせた二人。その衝突点を中心に破裂した空気が衝撃波を生んだ。
岩をも砕けそうな大戦斧の一撃に、イルバーンは一歩も引かずに確と斬り結んだ。しかしその圧力を受け止めきることはできず、彼の足は後方にずるずると滑っていく。
その時、突如としてドッと鈍い音がしてイルバーンの身体が後方に吹き飛んだ。幽鬼が腹をめがけて前蹴りを見舞ったのだ。
「かはぁ……ッ!」
転がり、乾いた呼吸を漏らして倒れ込むイルバーンと入れ違いに前に出たのはヴォルフだ。
駆け込みざまに、体重を乗せた大剣を甲冑騎士に叩き付けるが、それは軽々と大戦斧に防がれてしまう。
そのまま足を止め、一合、二合と斬り合わせる。身の丈を超える大剣と大戦斧の衝突は、身の竦む鋼の悲鳴と、赤い火花をホールに散らした。
ゴァンッ‼ という音を立てて鍔迫り合いの姿勢となったヴォルフ。
「重、てぇ……こんんんのぉ――ッ⁉」
思い切り力を込めて押し返そうとした直後、彼の姿勢が前のめりに崩れた。
幽鬼が、ヴォルフが力を込める呼吸に合わせて大戦斧を引いたのだ。
信じられないほど熟達した体捌きに、ヴォルフが後れを取った。
つんのめって無防備な姿をさらしたヴォルフの目の前で、身体を一回転させる暗黒騎士。
回転の加速を乗せた大戦斧の漆黒の刃が、為す術なくがら空きの胴に迫る。
「しまっ――‼」
「〈主よ我らを護りたまえ〉!」
オレガノが間一髪、祈りの言葉を発して身体を滑り込ませた。神聖な加護を宿した彼の盾が、大戦斧の払い上げをがっちりと押し止めた。
そのまま両者の動作が拮抗する。
オレガノは歯を食いしばって踏み止まったが、すぐさま自身の不利を悟った。盾を包んだ光の膜に、ヒビが入り始めていたからだ。次の一撃は受け止められない。
「――〈闇を打ち払う光の鉄槌よ〉‼」
乾坤一擲。オレガノが盾を手放して一気に勝負に出た。
両手でメイスを握り込む。
全身の筋肉が張りつめて膨らんだ。
あらゆる邪悪を打ち払う強力な光魔法を付与した打擲――それは神官戦士の真骨頂ともいえる一打。
「――ッ⁉」
たっぷりの綿を叩いたかのような柔らかい手応えがあった。
オレガノの表情が苦々しく歪んだ。メイスを受け止めた黒鉄の手甲が、そこに宿る清浄な光輝を闇黒で包み込んで握りつぶす瞬間を見たからだ。にわかに信じがたい光景だった。
「闇が光を飲み込む、だと……ッ‼」
咄嗟に足元に転がった盾に手を伸ばしたオレガノ。しかしすでに大戦斧は彼の頭上に振り上げられている。
大戦斧がオレガノの頭部を叩き潰し、脳漿を飛び散らせる。まさにその寸前に、暗黒騎士の兜が小さく揺れた。
兜の隙間に突き刺さっていたのは、カシージャスの矢だった。
ほんのわずかだけ生じた、幽鬼の動作の隙。すかさずオレガノが盾を引っ掴んで身体を転がした。大戦斧が硬い大理石の床を抉ったのはその直後だった。
無造作に兜から引き抜かれた一本の矢。それを見たカシージャスが呻く。
「――くそ、やはり中身は空っぽか」
「さっきから鬱陶しいぞ、狗め――」
幽鬼がそう言い捨て、続いて力強い鉄靴の踏み込みが床を抉った。
あたかも手斧を投擲するかのような軽々しさで大戦斧が飛んだ。
バッバッバッバッと、空気を力強く切り裂きながらカシージャスに飛来する暗黒の大車輪。
一体どれほどの膂力があればあのような真似が出来るのか。カシージャスの身体が一瞬だけ竦んだが、彼の肉体は考えるよりも先に動いた。
ギリギリのところで横っ飛びになって大戦斧を避けたカシージャス。それを見送った次の瞬間、狩人の肝の据わった心臓がドキリと跳ねた。
「逃げろ!」
なんと大戦斧が空中でその軌道を変えたのだ。なめらかにカーブした大戦斧が向かう先には、合成術の準備をしていた無防備なマキアとミトラが――。
「――あぶねぇッ‼」
あまりにも予想外の事態に飲まれて硬直していた魔法使い二人組。そんな彼女達を抱きかかえてリックが飛び退いたのと、彼らの立ち位置を大車輪が削り取っていったのはほとんど同時だった。
「きゃぁ!」とミトラが悲鳴を上げて尻餅をついた。
あえなく二人の集中は霧散した。スターチェイサーが出せる最大火力である合成術は失敗に終わった。
「――大きな魔法は無理ね……今のは、確実に私達が狙われてたわ」
旋回してホールを飛び回る大戦斧を睨み付けてマキアが言った。
「――ミトラとカシージャスはフラミーの援護をして! 男どもは私がサポートするわ……」
そう言い残して走り出したマキア。
彼女は熟練の魔法使いだ。ある程度動き回りながらでも上級の魔法を扱える。だが弟子のミトラには、まだそれは無理だった。訓練も経験も足りていない。
ぐるっとホールを一周した大戦斧が、ドォンッと音を立てて幽鬼の手に戻った。
重苦しい甲冑がホールを揺らしながら悠々と歩み出す。
押し潰されそうな緊張感のただ中にいるスターチェイサーとは対照的に、庭を散歩するかのように緩やかな歩みだった。かの闇黒の騎士には、彼らの抵抗がまるで眼中に入っていない。ただひたすら前に出てくる。
その堂々たる振る舞いからは、心の弱いものであれば全てを投げ出してひれ伏してしまいかねないほどの王威が放射されている。
――闇黒の暴君。
地を這うように、その怪物に正面から飛び込む影があった。
リックだ。シーフが正面から統べる幽鬼に挑むとは、あまりに無謀な行為だった。
床を削りながら大戦斧が振り上げられ、その刃がリックの影を下から斬った。
「む」
直後、漆黒の兜から小さな呻き声が漏れた。
真っ二つになったはずのリックの姿がなく、そこには代わりに光り輝く石が浮いていたからだ。
あらゆる攻撃を回避するリックの十八番――〈ミラージュステップ〉。彼はそのスキルで瞬時に敵の間合いから離脱し、置き土産に月煌石を残したのだ。統べる幽鬼にも自分の技が通用したことに、走りながら彼は内心で胸をなで下ろしていた。
緑の月煌石――月煌緑玉が甲冑の鼻っ面で炸裂するのと同時に、マキアの険しい声がホールに木霊する。
「――〈来たれ怒れる大地の雷よ〉‼」
数え切れない月の風刃と、地面から湧き上がった激しい雷光が幽鬼を包み込んだ。
甲冑は雷撃を止められない。そんなマキアの予想は正しかった。一瞬だが幽鬼の動作が止まったのが見えた。
その隙をイルバーンとヴォルフは見逃さない。
並んで殺到する二人。
しかし彼らは直後に表情を歪め、急ブレーキをかけた。
幽鬼が、何事もなかったかのように風刃と雷光の巣から飛び出してきたからだ。
漆黒の脚甲がギャリリと床を削り、その踏み込みと同時に水平に振り抜かれた大戦斧が二人を斬った。
各々、辛うじて武器を割り込ませてその一閃を防いだものの、二人ともホールの端までひと息に吹き飛ばされてしまう。
これにより幽鬼と、その正面奥に佇むマキアとを隔てるものが何もなくなった。
黒い脚甲が床を蹴った。マキアをまっすぐに見据えながら――。
マキアは逃げなかった。
手のひらをかざして迎え撃つつもりだ。
魔法使いにあるまじき蛮行。
漆黒の甲冑騎士の姿が壁となって彼女の視界を埋め尽くしたその瞬間、彼女の指にあった指環が光り輝き砕け散る。
すると瞬時に全ての予備詠唱を省略して、強大な魔法が発動するのだった。
「――〈貫け、いと深き水よ〉!」
金属すらも切断できる水圧を内包した群青色の水槍が、マキアの背後から何十本も伸びた。至近距離でこの水刃の嵐を受けて無事でいられる生物は存在しない。
この局面でカウンターに打って出たマキアはさすがだろう。この並外れた胆力は彼女が踏んできた場数の証明だった。
だがしかし、その判断はまだ甘かったと言わざるを得ない。
博識であるはずの彼女は、依然として統べる幽鬼の脅威を過小評価していた。知識があるからこそ、とも言える。なぜなら彼女の瞳に映る闇黒の騎士は、古今東西のモンスターの常識からは逸脱した、正真正銘の怪物なのだから――。
黒鉄の甲冑に突き刺さった水槍の槍衾がパァンッ! パァンッ! という音を立てて次々と爆ぜた。
そうして出来上がったのは霧。その中に浮き上がるのは虹。
それら一切合切を無視して突っ込んでくる甲冑の巨影。
闇黒が急膨張して見えた。真正面からその無慈悲な殺気を受けたマキアの総身が凍り付いた。




