得体の知れない女
ショコラがイルバーンに向けて前に出ると、それを遮るように燃え盛る鳥がイルバーンの肩に舞い降りた。フェニックスのフラミーだ。鋭い目つきでショコラを見ている。
「――イルバーン、その女の人おかしいよ」
「おや、フラミーさん。おかしいとは?」
フラミーの登場に、ショコラの動きがピタリと止まった。
「見てよ、あの装備――あの胸の飾り。それにあの耳の輪っか。生命力の化身である僕の目には、あの装備が放つ禍々しい闇黒のオーラがよく見える……まるで、あの幽鬼の甲冑から漏れる、幽い空ろな瘴気そっくりだ」
フラミーがくちばしで指し示したのはショコラの胸にかかる黒く輝く柱状結晶。そして猫耳にはまった、一切の光を反射しない真っ黒な円環だ。
「それに攻略速度も異常だ。雪山で出会ったのに、今ここでまた出会うなんて、僕らの全速力より早いペースでここまで来たことになる。しかもたった二人で」
「それは……確かにそうですね」
にわかに場の空気が緊張した。スターチェイサーの面々は平静を装ってはいるが、フラミーの指摘を聞いて、同様に疑問が湧いたのだ。
――この女、何者だ。
一瞬にして、ショコラという人当たりの良さそうな人物から、得体の知れない気配がゾワリと湧き出して来たようだった。
そんな無言の問いかけの空気を破ったのはレンレンだった。
「それはさー……だってショコラちゃん達が凄腕だからでしょ? 私、見たよ。地下でエクセノモルフをぶった切ったショコラちゃんの流れるような動き。拳闘士である私から見ても綺麗で見事な体捌き。……あれだけ動ければ、ねぇ?」
レンレンは依然としてショコラにベタベタ。しかし、そんな素振りを続けながらも、彼女はショコラの背後に回り込みつつあった。いつでも両腕で羽交い締めに拘束できるような立ち位置だ。
「ショコラさんの、相棒という方のお名前を伺ってもよろしいでしょうか? この絆の深淵を九九階層まで熟知しておられるのであれば、さぞ高名な方でしょう」
ミトラが一歩、後ろに下がって言った。魔法の間合いだ。マキアも既に杖を携えて同様な距離を保っている。
そこに、沈黙を守っていたオレガノが質問を被せていく。
「――そうですね、ショコラさん。ついでに言うと、その不吉な装備の出処も教えていただけませんか? フラミーが言うように、ちょっと真っ当な代物には見えませんので」
神官戦士であるオレガノにも、彼女の装備が放つ異彩が見えていた。自然な動作で、盾を携えてショコラに近づいていく。
ヴォルフは大剣を担ぐ手に力を込めており、カシージャスも油断なく目を細めてショコラを見ていた。
しかしこれほどのプレッシャーのただ中にあって、ショコラが心外だと言わんばかりに頬を膨らませるのだった。まるで街角で雑談をしているかのような気楽さを見せて。
「――不吉じゃないですよぉ。これはプレゼントなんですから。変な言いがかりはよしてください」
「そんなものを授けられる奴なんて、まともな生き物であるはずがないよ」
フラミーが言った。
「うう……まぁ、まともな人ではないのは、確かですけどぉ……」
ショコラが自信なさげに続ける。
「――でも、ただの世話好きで、鬼畜な、酷い妄想癖のある……サイコキラーを装った……この絆の深淵のことが三度の飯よりも大好き過ぎる、でも実力は確かな……悪夢信奉者すらひれ伏す……ドSレイヤーさん……で……すよ?」
「――はぁ」
ショコラが語った、闇鍋とも言うべき人物像に、イルバーンは困ったように生返事する他ない。ショコラ自身も途中から懐疑的な顔つきになって首をひねっていた。
「――おい、今、悪夢信奉者すらひれ伏すって言ったのか?」
ヴォルフが問い正すと、ショコラは頷いた。
「あ……はい。比喩じゃなくて、本当にひれ伏してました。ははーって」
「んだよ……おい、嬢ちゃんの相棒は悪夢教団関係者だ」
ヴォルフのひと言に、張り詰めた空気がわずかに弛緩した。
それほどまでに、悪夢教団という単語は強力だった。あの気狂いどもならあるいは。そんな風に、一流の冒険者達の判断をも狂わせるほどのパワーワードだった。
ブィイン、ブィイインッ! という物騒な音が聞こえてきたのは、その時だった。
「――なんだ?」
カシージャスが弓を構えて音の出所に視線をやると、建物へと繋がる出入り口の暗がりから歩み出してくる大柄な人影があった。
ブィイイイイイインッ‼
「チェイソンか――」
チェイソンはこの付近では、さほど珍しい敵ではない。近接されると、あのチェーンソーと呼ばれる武器が脅威ではあるのだが、こんな広い場所で単独で出てきたチェイソンなどスターチェイサーの敵ではない。
カシージャスがいつも通り眉間への一射で仕留めようと矢を番えたその直後、彼の表情が困惑に歪む。
「なん、だ……?」
彼の視線の先、建物の出入り口からゾロゾロと中庭に出てくる大量の影。
それらは全て悪夢のホラーモンスターどもだった。
カシージャスが上げた驚きの声に、全員がその異常事態に気が付いた。
「うげええぇ……」
モンスターどもが戦列を作る、という異常事態に言葉を失ったスターチェイサーだったが、その中で真っ先にうんざり顔になって声を吐き出したのはショコラだった。
敵の数は今見えているだけでも既に十匹を超え、なおもその数を増やしている。
「――わっはははははははは‼」
突如先頭のチェイソンが大声で笑い始めた。中庭によく響く声だった。
これにもまたスターチェイサーが息を呑む。
笑うモンスターなど、初めて見たからだ。
「見つけたぞスターチェイサーのカスどもが! ダンジョンの財を狙う卑しき略奪者どもめ! この儂が閣下に代わって成敗してくれるわッ‼」
「あ、あいつ言葉をしゃべってるぞ……⁉」
ドン引きのリック。ヴォルフが大剣を構えて前に出る。
「こいつら人間――まさか……悪夢信奉者か‼ まさか嬢ちゃんの――」
「違います違います‼ 私の相方はもっと格好いい人です‼」
ブィインッとチェーンソーを鳴らしたチェイソンが、大上段に振りかぶる。
「悪夢の御心のままに‼ 者ども、儂に続けえぇぇぇッ‼」
甲高い雄叫びを上げて加速したチェイソン。その動きは、大兵な見た目からは想像もできないほど素早かった。
咄嗟に大剣をチェーンソーと打ち合わせたヴォルフ。その刀身がガリガリと音を立てて火花を散らす。
「ぐぬ……お前ら、いったいなにを……」
ヴォルフは胸中で舌打ちした。チェーンソーから伝わってくる圧力が、彼の予想を上回るものだったからだ。
その脇を駆け抜けていく複数の影。
「悪夢と共に‼」「悪夢バンザーイッ‼」「あくむちゅわああああん、今行くよおおおおお‼」「これで俺も悪夢だあああああああああ‼」
もはや正気とは思えない文句を口々にわめき散らしながら、スターチェイサーに迫るホラーモンスターに扮した悪夢信奉者達。
その異様な気勢に、全員が武器を構えた。
「あいつら、こんなところにまで来られるのぉ……?」とレンレン。
「なんで襲ってくるんだよ! ダンジョン内での争いは犯罪だぞ‼」とリック。
「皆さん、止まってください!」と言ってイルバーンが手で制する。
しかし悪夢信奉者達はそんなスターチェイサーには“目もくれず”、一直線にその合間を駆け抜けていく。
茫然とそれを見送ったイルバーン達。
悪夢信奉者達が殺到する先は――。
「――え? うそ⁉ ちょっと待ちなさいッ‼」
マキアの制止の声が虚しく響いた。
万謝の燭に飛び込んでいく悪夢信奉者扮するホラーモンスター達。
ガシャアア……とけたたましい音を上げて崩れ落ちる炎。
派手に飛び散った無数の髑髏。
火だるまになってのたうち回る悪夢信奉者達。
「あくむぅううううう……」
「あくむあああああああああったかあい……」
「あく……む……」
一様に焼死していく悪夢に魅入られた者ども。
万謝の燭は破壊できる。しかもそれはとても脆い。有名な話だ。
何百年にもわたって冒険者が入り浸っているダンジョンだ。ついうっかりぶつかってアンカーポイントが消滅した、などという半分笑い話に近い、しかしまったく笑えない恐怖体験は広く知れ渡っている。
ゆえに冒険者は万謝の燭を赤子を扱うように大事にし、ダンジョンの中で唯一冒険者の味方をする、このおどろおどろしい焚き火を畏れ敬うのだ。
なぜ、万謝の燭が崩れただけで冒険者は慄くのか?
それは、万謝の燭が敵除けという重要な役割を担っているからだ。
「しまっ――やられた‼」
カシージャスが慌てて残骸に駆け寄るも、もう後の祭り。
「――であえ、であえええぇいッ‼」
チェイソン男の掛け声に応じて、中庭の周囲から背筋が凍るような殺気が膨らんだ。
このチェイソン男こそが襲撃の首謀者。
刃を合わせていたヴォルフが獰猛な唸り声を上げる。
「悪夢信奉者のイカれた連中め……いよいよ血迷ったか!」
「貴様らはここで死ぬのだ、悪夢の秘宝を漁る乞食どもめがッッッ‼」
チェイソン男の目は正気を失っていた。
「て、敵が――っ! 中庭になだれ込んできます‼」
ミトラの言うとおり、中庭に面する建物中のドアから、窓から、あるいは、中庭を囲う城塞を乗り越えて、異形の怪物どもがぞろぞろと湧き出して来た。




