うり坊
――ドルドルドルドル――。
カミナリが転がるような。
あるいは、猫がゴロゴロ喉を鳴らす、あの音を数千倍重くしたような。
そんな奇妙でやかましい音が、無人の街に響く。
「どうしたんですかディーゼルさん? さっきからずっとドロドロドロドロ……わっ、よく見ると、ちょっと甲冑も振動してますし、貧乏揺すりですか? それともおトイレですか? ばかでっかい猫が隣にいるみたいで落ち着きません」
ドジョウ風呂で死に戻りしてから、ずっとこんな感じだ。
「……あっ! ひょっとして、どこか痒いけど、鎧の中に手が届かないからそうやって掻いてるんですね? そういうフルプレートメイルって、カイカイできない地味な問題があるって聞いたことがあります! やだなぁ、言ってくれれば私が掻いてあげるのにぃ! ささ、脱いでください!」
そう言って俺の周りをくるくる回るショコラ。にょほほ……と、にやけ顔。
この奇妙な音は俺の甲冑の内側から漏れている。
――ドルゥン! ――ドルゥン!
いつもの嘆息の代わりに、そんな唸り声が転がり出した。
「……タバコがなくてストレス発散できず、いよいよ俺の堪忍袋の緒が切れそうだ」
「……帰ったら、いいお医者さん紹介しましょうか?」
心配そうに見上げてくるショコラ。
「医者? なんでだ?」
「今、禁煙が流行っているので、お医者さんにかかれば国から補助金出るんですよ。官製ブームってやつです。癒着の匂いがします」
さりげなく俺に禁煙させる気だ。
「……官製だの癒着だの、難しめの言葉を使いたかったのか?」
「えへへ」
禁煙なんて、やったことがない。そしてたぶんできない。
今回ダンマスが分煙という形で俺にハラスメントをしてきたのも、さすがに俺に禁煙させるのはマズいという本能的なブレーキがかかったからに違いなかった。
「やめておけ。多分だが、その医者…………死ぬぞ」
「いくら禁煙が辛くても、お医者さんに八つ当たりしちゃ駄目ですよぉ……しょうがないですねぇ。だったら私がヤニ管理してあげます。こういうのは、信頼できる人にヤニ管理してもらうのが一番の近道らしいですよ?」
「お前、禁煙に詳しいな」
「昔お父さんの禁煙を手伝ったことがありまして……実はタバコ型のチョコも、その時に使っていたんですけど、つまみ食いしている内に、逆に私の方が好きになっちゃったんです」
ショコラは、たはは……と笑った。
「そうか。だが、タバコを我慢するくらいなら…………俺は世界を滅ぼす」
「ええ……」
俺の力強い鏖殺宣言に、頬を引きつらせてドン引きのショコラ。
「なんなら明日にでもダンジョンの外に出ていき、禁煙啓蒙活動をしている連中を地上から根絶やしにしてやったっていい。世界中の虐げられているタバコ農家を保護した上で、ヤニランドという国を建国する準備がある。その国の通貨はタバコだ。税はタバコの煙で納めなければならない。すなわち、朝晩必ず家の軒先でタバコを焚かなければならない。君主である俺を讃える儀式だ。違反した者は死刑だ。見せしめに、タバコの煙で火あぶりっぽく燻り殺して処刑する。タバコをネコババした者や、国外に売り捌いた者には幽鬼を討手として放ち、地の果てまで追いかけて殺す。なぜなら、世界中のタバコは俺のものだからだ。無駄遣いは許さん。肥だめに隠れたってほじくり返して罰を受けさせる。刑罰は死体の穴という穴にタバコを刺して大陸中を引き回しとする。その姿に恐れおののいた者どもが、ヤニランドにタバコを献上しに巡礼するだろう。こうして世界中のタバコが俺の元に集まり、世界は俺の統治の元でモクモクと平和になるのだ」
「どんな暗黒時代ですか、ヤニランド。煙で太陽が隠れて昼が夜になる中、魔女狩りならぬ禁煙家狩りが横行しそうです。でもディーゼルさんは本当にやりそうだから怖いんですよねぇ……あ、せんせー! 葉巻はタバコに入るんですかー?」
「無論だ、ショコラ女史。葉巻はヤニランドにおける高額通貨である。ところで俺はヤニランドで世界初となる大胆な政策を実施する予定だ。つまりだな、手巻きのタバコをだな――」
そんなことを話していると、やがて俺たちの前に大きな施設が現れた。円形闘技場によく似た建物だ。この幻だらけの街において、この闘技場はちゃんとした実在する建物となっている。
「ここは?」
「すぐにでもスターチェイサーのケツに食らいつきたいところだが、すこし寄り道をしていく。ここは闘牛場だ」
「闘牛場、ですか?」
訝しげな顔つきになったショコラ。そんな彼女を内部に引き連れて行く。
「ここではタイマンで敵に挑戦でき、それに勝利するとアイテムが手に入る。それがお前にとっての必須装備なのだ」
内部に入ると、中央の円形広場を囲む形で観客席が並んでおり、まさに闘牛場といった趣となっていた。
その中段席に、どっかと腰を下ろしてから広場を指差す。
「さぁ行け」
「――え゛?」
ショコラはぎょっとなって俺を振り向いた。
「ここの敵は、相手のレベルに合わせた敵が出てくる。俺が出ると最強クラスの牛が出てくるはずだ。〈ベヒモス〉あたりが〈ロイヤル牛頭〉〈ロイヤル馬頭〉なんぞを伴って出てくるんだろうな。そうすると神魔大戦が勃発したかのような未曾有の争闘に発展するから、流石に相手をするのが面倒だ。だからお前が行け」
モンスターを召喚するのにもコストが掛かる。ベヒモスなんぞ呼び出してみろ、ごっそりダンジョンの力を消費することになる。
まぁ、それでも深層で飼うのであれば無駄とは言えないが、あまつさえ呼び出した直後に殺すなどと……いったい何をやってるんだお前は、という話だ。
俺がダンマスに正面切って堂々と物を言えるのは、俺がきちんと仕事をしているからだ。そんな意味不明な行動を取ったら、昨今ただでさえ厳しい俺に対する風当たりが、過去経験したことのないレベルの大型台風級に強くなってしまう。
そんなことをぼけっと考えていると、唇を噛んで同じように何かを考えていたショコラが、口を開く。
「――そ、そんなこと言ってぇ……負けるのが怖いんですね? ショコラちゃんに無様な負け試合を見せるのが、怖いんでしょう? このダンジョンで一番強いって言ってたストーリーが崩れちゃいますもんね」
……なるほど。俺を煽り立てる戦略を採ったらしいぞ。前にも似たようなこと、あったな。懲りない奴め。
「でも大丈夫ですよ。私はディーゼルさんの腕力以外の部分だってちゃーんと見てるんですから。むしろ、ショコラちゃんのため、負けを怖れずに前に立つディーゼルさんが素敵です。そういう侠気に惚れちゃいます。もし負けちゃっても、私が優しく看病してあげます。あ、それってむしろご褒美なのでは? 膝枕するだけでお金取れちゃう時代ですよ? 大サービスでちょっとだけ尻尾も触らせてあげますから、ね、ね?」
両手でゴマをスリスリ。これ以上ないほどに媚びへつらう笑顔になって、にじり寄ってくるショコラの頭を手甲で押し返す。
「つべこべ言わずに行けよ。見ててやるから」
「意気地無し! こんな可愛い女の子を身体を張った稼ぎに出して、自分は椅子にふんぞり返ってるだけなんて! ヒモ男ッ! 甲斐性無しッ! 引きこもりのへにゃちんッ! ED! 下手くそッ! ハゲッ! おたんこなす!」
ショコラの根も葉もない連続人格否定口撃!
しかし俺には効果がないようだ!
シュコーッと嘆息をつく。
「――お前のレベルなら、多分だが、モンスター未満の猛牛が出てくるだけだ。それくらいなら、お前でもなんとかなるだろう」
そう言って、彼女の装備をひとつひとつ指を差す。
「お前は身軽だ。ただの牛の突進なんて簡単に避けられるし、そのアイス・ファルシオンは掠らせるだけでも効果がある魔剣。服はランドレア・スキンで固めているから角で突かれた程度ではケガもしない。最悪、〈神威を拒絶する護符〉がある」
俺の言葉に、きょとんと自分の装いを見下ろすショコラ。
「お前は、自分自身のレベルに対して不自然なほどに強力なアイテムで身を固めているのだ。だからこの闘牛場とは相性が良い。敵の選定には装備の質は加味されていないからな。分かったら行ってこい。ひとつくらい自分の力でダンジョンの財を勝ち取ってきたらどうだ」
「うーん……そういうことでしたら……」
俺の説明に、ショコラが渋々と広場に入っていった。
彼女が広場に立つと、すぐに奥の格子戸が上がり始める。
「ひぇぇ……」
やや腰が引けながらも、アイス・ファルシオンを構えたショコラ。
彼女の見つめる先、闇の奥から現れたのは――。
「……うり坊?」
ショコラの呟き通り、うり坊。イノシシの子供だ。
きゅるんとつぶらな瞳。ちっちゃな牙。もふもふで丸っこい身体。独特のストライプ模様。ひと言で言うと弱そう。
「……く……くくくっ……」
兜の奥から堪えきれない笑いが漏れた。意外にも“普通の牛以上”のが出てきたが、絵面が最高にウケる。
「は、早くそのチビを斃せよ、ショコラ。くくっ……」
「……嫌」
カランカラン……と音が立った。うり坊に視線を固定したまま、ショコラがアイス・ファルシオンをその場に落したからだ。目にハートマークがが浮いている。
「おい……」
「か、可愛いッ! うちの子にする‼」
「つべこべ言わず早く殺れって! 終わらないだろうが‼」
「いやッ! この子は連れて帰りますぅー。ディーゼルさんはそこで見ていてくださいー。……さぁ、こっちだよー。良い子良い子。おいでおいで~」
「たわけがッ! モンスターだぞ! そいつはおそらく〈カリュドン〉の――」
「――がっはぁ……ッ‼」
手をパチパチ。子犬をおびき寄せるように前に進み出たショコラの腹に突き刺さったのは、うり坊。放たれた矢のように鋭い突進だった。
腹を両手で押さえて崩れ落ち、その場にうずくまったショコラ。
とっとこ戦場を駆け回り、再び距離を取って地面を獰猛に掻くうり坊。
「――幼体だ。迂闊に近寄ればそういうことになる」
装備で即死は免れたが、立ち上がったショコラはガクガクと膝を笑わせており、かなりのダメージを残しているのが見て取れる。
とはいえ、彼女の手にはしっかりとアイス・ファルシオンが握られている。目つきは鋭く、やる気にはなったようだ。




