死に芸
ここは九二階層。
市街地エリアだが、街並みは無人で、狂人の姿も見えない。うち捨てられた遺跡といった趣の強い、うら寂しい街だった。
グチョグチョグチョグチョ……という音が遠く聞こえてくるのが不吉極まりない。
一〇〇階層の入り口はここから見えている。
この市街地を抜けた先に巨大な城塞が鎮座しており、その城壁に囲まれる形でおどろおどろしい巨大な塔が頭を覗かせている。あの塔が一〇〇階層に当たる城本体だ。周囲の城塞エリアが九十五階層から九十九階層となっている。
城への入り口は塔の中腹にあり、城壁よりも高い位置にあった。そこ向かって馬鹿みたいに大きな上り階段が続いており、その先に繋がる荘厳な正面扉が一〇〇階層入り口だ。だからここからでも扉の様子がよく見えた。
まだ遠目には、城の正面扉は開いていない。
すなわち、スターチェイサーはまだ一〇〇階層に侵入していないということだ。奴らもまだ、この市街地か、あるいは城の周囲を囲む城塞エリアを彷徨っているはずだ。
「なんなんですかね、このグチョグチョグチョグチョっていう音……」
そんなことを言いながら、訝しげにキョロキョロと頭を振っていたショコラが、ふと、前方を指差した。
「――あっ! 噴水がありますよ、ディーゼルさん。なんかキラキラ光っててきれーい! あそこで休憩しましょう!」
と、俺の返事を待たずに、タッタッタッと交差路中央の噴水に駆け寄っていく。
「あ、おい――」
俺の制止は間に合わず、ショコラが地面を踏み外した。
「んぴ」
ギリギリ、地面の縁に手を掛けて落下を免れたショコラ。
「――な、なんで⁉」
「ここはな――」
「はぁ」と嘆息を挟んで続ける。
「蜃気楼の街なのだ。幻に彩られた街の正体は、スッカスカの落とし穴地獄。道を走れば下に落ちる。壁に手を置こうとすれば、すり抜けて向こうに落ちる。また、敵も壁をすり抜けて現れる。トラップもまた然り。壁をすり抜けて毒矢が跳んでくるなんてざら。逆に目に見えない透明な橋なんていうものまである。そういうエリアだ」
「早く言ってくださいよっ、そういうことは‼」
「むしろ、俺が何かを言う前に好奇心丸出しで飛びつくのをやめろよ……」
抗議の声を上げていたショコラが、這い上がろうとして藻掻く。しかし上手く地面に上がることができない。
「――あれ? どうして……あれぇ?」
これはショコラの身軽さから考えておかしな事だった。雑技団も真っ青な身体能力を誇る彼女をして不可解。本人も焦りを滲ませた表情を浮かべている。
「言っただろう。ダンマスはトラップに引っかかった挑戦者は絶対逃がさないし殺すマンだと……ショコラ、自分の足を見てみろ」
俺の言葉に誘われて、ショコラが視線を穴に落とす。
「――ひょえ」
彼女は目を剥いて乾いた声を漏らした。
彼女の足には、数体の幽霊が恨めしそうにしがみついていた。
オ、オ、オ、オ、オ、オ……という風洞音のような声が、靄となってショコラを引きずり込もうと彼女にまとわりつく。
「そういうことだ」
「助けてくださいよー、ディーゼルさーん。はーやくー!」
ショコラの声は、しかし、どこか落ち着き払っている。
――この女、俺が助けてくれると、心のどこかで信じているな。
そこで俺はしゃがみ込み、ショコラを引っ張り上げるフリをして、彼女の道具袋からタバコ型チョコを抜き取った。
「――えっ?」
引き上げてもらえると思っていたであろうショコラはびっくり仰天。
タバコ型チョコを兜に突っ込み、立ち上がる。
腕を組んで、茫然とした面持ちの彼女を見下ろす。
「――最近、お前の死に芸を見るのが面白くなってきてな。密かな楽しみなんだ」
「え? そ、そんな……えへへ、それほどでも……?」
混乱しているのか、俺の皮肉を謙遜するショコラ。
しばし見つめ合い、言い放つ。
「――だからそのまま死ね」
「っ⁉ そ、それが死線をくぐり抜けてきた相棒にかける言葉ですか⁉」
そう言って、ショコラは嘆息をついて続ける。
「はぁ……もう、落下死なんて、一瞬だから面白くないですよぉ。目の前で落ちそうになる恋人を助けられずに死に別れる二人ごっこは、川でもうやっちゃったから、ネタ切れです。引き上げて下さい。幽霊に掴まれた足首がむっちゃ冷たくて、だんだん感覚がなくなってきました。凍傷になったら、ディーゼルさんが私をおんぶしないといけないんですからね?」
「ドジョウ豆腐って、知っているか?」
「え、なに? どじょう……? え?」
俺の唐突な問いに、ショコラが目をパチパチ。
「生きたドジョウを豆腐の塊と一緒に冷たい鍋に入れ、火にかける。すると、段々と熱くなってくるお湯から逃れるように、ドジョウが豆腐に潜り込んでいくんだ」
「……はぁ」
ショコラの生返事。そこに俺が残酷な未来を告げる。
「この穴の底は〈キラードジョウ〉の巣だ。さっきから付近に充満するグチョグチョグチョグチョ……という音は、穴底で蠢くおびただしい量のキラードジョウの大合唱だったのだ」
「……」
「落ちると無数のキラードジョウがお前の穴という穴から押し入り、皮膚も食い破り、体内に侵入する。そして生きながらにして内臓をむさぼり食われて骨になるという仕組みだ。お前はさしずめ、ドジョウ豆腐の豆腐」
「ディーゼルさんの、いじわるううぅぅ……」
地面にしがみつきながら顔を突っ伏したショコラ。
ちなみに酒池蠆盆の刑という、古代の処刑方法にインスピレーションを得たらしい。どこでそんな悪しき資料を探し当ててしまったのか。
罠に掛かった挑戦者に対する二重三重の死体蹴りは当たり前。挑戦者をとにかくPTSDにしたい、ダンマス肝煎りの仕掛けだ。
「早く引き上げて下さいよぉ。時間ないんですよね?」
「……死ね」
少し悩んでから、再度言い放った。
「……嫌ッ! 死なない‼」
ショコラは断固拒否の構え。そこに上から言葉を被せていく。
「しーねーッ! 何度も何度もしょうもないトラップに引っかかりおって! 一度痛い目をみないと分からんのだ、お前はッ‼」
「分かってますぅ~~! 前にスライムで痛い目みてますぅ~~‼ あれすっごいキツかったんですよ⁉ 私もうお嫁に行けません! ディーゼルさん責任取って下さい‼」
「久々に出たなそれ! ……だが駄目だッ‼ 今ここで、今後は勝手なことをしない、何にも興味を示さない、俺を中心とした半径二メートルより外へは行かない、という三つの誓いを立てないかぎり――――んなッ⁉」
がっと、ショコラが俺の足首を掴んだ。
それだけならば、なんてことはないのだが、どういうわけかズルズルと俺の重量が引きずられて穴に吸い込まれていく。
「なにぃ、馬鹿なッ⁉」
バランスを取っても、腰を落としても何故か身体が止まらず、ついには穴の中へと引きずり込まれてしまう。
ガリィッと床の縁を掴んだ俺の手甲が、そんな不可解な現象の理由を暴いた。
俺が立っていた床一面が凍り付いていた。穴の縁もカチカチに凍っている。
「ま、まさか……ッ!」
ギョッとして視線を足元に落とすと、そこには凄絶な笑みを浮かべて俺の足を掴むショコラが。
そして、もう片方の手にはアイス・ファルシオンが握られている。
「き、貴様……アイス・ファルシオンをそこまで使いこなして――」
「私――」
ショコラが俺を遮って真顔で言った。
「ゾンビにされたことの恨み、忘れてませんから」
その言葉の終わりと同時に、パキパキと、俺の足を掴むショコラの手が凍り付いた。アイス・ファルシオンで氷結し、接着したのだ。
地面の縁を掴む俺、俺の足首を掴むショコラ、その足首を掴む無数の幽霊。そんな数珠つなぎの下には、キラードジョウの海。
「……このままじゃ、お嫁に行けない……ディーゼルさんを殺して私も死ぬ‼ 二人の血で汚名をそそぐぅ‼」
凄みのあるショコラの宣言。
「ど、どういう意味だ……分かった。お嫁に行けないのは分かったから、だからその手を離せ! この地雷女がッ‼」
「きーっ! 地雷女じゃないもん‼ 未来女だもん‼」
「マジでどういう意味なんだよ……」
錯乱した様子のショコラを、足を振って落とそうとするのだが、予想以上にアイス・ファルシオンの氷が硬くて上手くいかない。
「ディーゼルさん! 中身空っぽの鎧なら、ドジョウの海に沈んだって別にいいじゃないですか! あー、やっぱり嘘なんだ。統べる幽鬼だっていうの嘘なんだ‼」
「気持ち悪いんだよ! ドジョウが鎧の中に入ってくるのがッ‼」
「私なんてお肉の中にドジョウが入ってくるのにッ‼」
ショコラはついに俺の足を両手で掴んだ。当然、氷でコーティング済みだ。ひしひしと伝わってくる、絶対に離さないという彼女の闇深い決意に観念した。
「くっ……分かった、分かった。俺の負けだ。引き上げてやるから。暴れるなよ? まったく、こんなことをしている場合ではないというのに……」
次の瞬間、凍り付いた床が湯気を上げた。ショコラが氷を解除したようだ。
俺が、とりあえずまずは、まとわりつく幽霊を払い散らそうとして、背中から大戦斧を抜き払ったのと、床を掴む手がツルッと滑ったのは同時だった。
「あ」
「あ」
氷は、溶けかけの方が良く滑るのだった。
昏い穴の底が、テラついた黒光りして蠢き波立つ。
そこに吸い込まれていく鬼と猫の憐れな悲鳴。
九四回目の全滅。
一〇〇階層に到達するのが先か、一〇〇回全滅するのが先か。
それはまだ幽い闇の中。




