洋館
群がるゾンビ犬。
飛び掛かってくるゾンビカラス。
押し寄せるゾンビ。ゾンビ。ゾンビ。
ここは洋館の庭。闇夜に浮かぶ頼りないガス灯がうっすらと辺りを照らす。
俺とショコラがそこを突破し、玄関に向かってまっしぐら。
「ディーゼルさあああああああああん‼」
「離れるなよ、ショコラ! 噛まれるんじゃないぞ! ゾンビ毒を中和する薬は持ち合わせていない! 絶対に噛まれるなよ! ベタなフリじゃないからなッ‼」
まだだ。まだ早い。
走るショコラを庇って大戦斧を振り回し、腐った肉の森を切り開いて進む。
ア゛ー、ア゛ーという濁声の大合唱。
飛び散る腐肉。緑の体液。眼球。その他諸々。
「鼻もげるぅぅぅぅ!」
「手はゾンビを押し返すのに使え! 鼻をつまんでいる場合か、たわけッ‼」
「だってぇ! 私って鼻が良いんですもん‼」
ようやく洋館の玄関に到達し、勢いのままに鉄靴で扉を蹴破って中に飛び込んだ。
ショコラが俺の横に倒れ込んできたのを確認し、すかさず身体を回して振り向きざまに大戦斧を一閃。〈虚空切り〉で洋館入り口に殺到していたゾンビどもをまとめて切り飛ばした。
急いで扉を閉める。
バタンという音とともに、急に静寂がやってくる。
「はぁ、はぁ……た、助かっ……てなあああああああああいッ⁉」
忙しなく上がるショコラの悲鳴。
その声に振り返ると、彼女の視線の先、玄関ホール天井には、四つん這い姿勢で張り付いた大量の狂人が。
「き、きもちわるうううううううい‼ なんかあの人達、ベロが大変なことになってますけど⁉」
普通の狂人と違い、口から青い舌をシュルシュルと伸ばしている。
「〈ブレイン・サッカー〉だ。その名の通り、獲物を組み伏せ、あの舌を耳に突っ込んで脳味噌をチューチュー頂くやつだ!」
「ひいいいいいいいい」
両腕に鳥肌を立てて両耳を押さえ竦み上がるショコラ。
「ここに休憩ポイントはない! 立てッ、ショコラ!」
「は、はい――って、なんか来ましたよッ!」
ボトボトと床に落ちてくるブレイン・サッカーども。問題はその奥。ショコラが指差した先の壁をぶち破って現れたのは巨大な影。
六本腕のムキムキ巨人ゾンビ――〈ヘカトンケイル・ゾンビ〉だ。深層に配置されるべき高レベルモンスターで、この時点だと冒険者は逃げるしかない。
この洋館は、あのヘカトンケイル・ゾンビから逃げ回りつつ、ゾンビとブレイン・サッカーの包囲を掻き分けて、かなり面倒な謎解きをしないといけないという、とんでもゾーンだ。
ダンマス曰く、チェス・ボクシング的な脳と肉体を同時に試す階層が欲しかったそうだ。ここの場合、さらに度胸も試されることになるが――。
「――俺は統べる幽鬼のディーゼル! 貴様らの上司だ! 覚えておけ、この腐れノータリンどもがッ‼」
ショコラの腰を抱き寄せ、甲冑に密着させると、片手で〈闇黒に絶る大瀑布〉を縦横無尽に振り回す。
玄関ホールは直後に、黒刃の巣と化した。
〈切り苛む爪〉。広範囲に斬撃のフィールドを作り出すスキルだ。
瞬時になます切りとなった愚かな狂人ども。
しかし、ヘカトンケイル・ゾンビだけはこの攻撃に耐えた。ズタズタに身体を切り裂かれながらも膝を突き、まだ立ち上がろうとしている。さすがは深層の怪物。
「むんッ――‼」
だがその抵抗も虚しく、続く俺の踏み込みを乗せた唐竹割りの一撃で真っ二つとなった。
ドパァッと床に飛び散る青い体液。
衝撃に鳴動する洋館。
そして今度こそ訪れた、いっときの静寂。
「――すっ、すっごおおおおいッ‼ やっぱりディーゼルさんって、頭はあれですけど、腕っ節は桁外れですよね! ほんと、そこだけは手放しで尊敬できるっていうか! かっこいいッ‼ よっ、にくいね、ディーゼル! ゴーゴー、ディーゼルぅぅ!」
ショコラが俺の腕の中でぴょんぴょん跳ねた。そんな彼女を放り出す。
「いいから、次に急ぐぞ! ここはまたすぐにゾンビの海になる!」
「いえっさーぁ!」
ホールを抜け、細い通路を走る。
追いかけてくるゾンビ犬。
その牙が、ショコラの尻尾を狙った。
「ショコラ! 尻尾‼」
俺の声に、反射的に尻尾を立ててゾンビ犬の噛みつきを避けたショコラ。
「――ひぇ」
彼女は顔を青ざめさせ、尻尾を両手で抱えて走る。
その直後、窓をぶち破って飛び出してきたのはゾンビどもの手。
「――っ、ぃぃいいいいい!」
思わず仰け反ったショコラが反対側の壁に寄ると、今度はバリンッと音を立てて何かが壁を突き破り、彼女の頬を掠めた。
壁から飛び出してきたのは斧の刃だ。
そのまま壁をバリバリと引き裂いて身を乗り出してくる殺人鬼――〈ブライトニング〉だ。
「っきゃああああああああ‼」
ブライトニングが全身を廊下に引っ張り出す寸前、俺の手甲パンチが奴の顔面を捕らえた。
再度、壁の奥に消えていった殺人鬼。
「こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい」
そんなことを言いながら頭を抱えてうずくまってしまったショコラ。しかし、それは悪手だ。俺の檄が飛ぶ。
「立てッ! ショコラ! ここで立ち止まってはドツボにはまるぞッ‼」
ガッと、体育座りのショコラの足を掴んだ手。
それは彼女自身の影から伸びていた。
ズルリと影から現れる白い仮面顔。悍ましくも、人を馬鹿にしたような歪んだ表情の亡霊――〈スクウィール〉と、至近距離でこんにちわするショコラ。
「ぎ、ぎやああああああああああああ‼」
「お前、ちょっと黙れ!」
影から身体を引き出してきたスクウィールを鉄靴で踏み潰し、体液をその場にぶちまけると、ショコラの腕を引っ掴んで立ち上がらせる。
「――っ⁉ おい、どうした! 噛まれたのか⁉」
しかしショコラはへなへなと立ち上がれない。
「こ……腰抜けちゃいましたぁ……」
シュコーっと嘆息が漏れる。しかし立ち止まっている暇はない。
やむを得ずショコラを肩に担ぎ上げ、走る。
立ちふさがるホラーモンスターどもを殴り殺し、ゾンビの海を掻き分け、俺の重量級のボディをぶち当てて道をこじ開ける。
洋館の廊下は狭くて戦斧がうまく振れない。こうして強引に突破するしかない。
幸い、俺は鎧だ。どれだけゾンビどもに噛まれても平気なのが救いだった。
このエリアは、最後にどうしても二人必要なのだ。
なんとしてでもショコラを無事に連れていくしかない。
やがて階段が見えてきた。迷わず駆け上がる。
壁に大量の人物画が掛かった、長いカーブ階段だ。
「――あれだっ! ショコラ、あれを取ってこい!」
「え、どれどれ? どれですか⁉」
俺に担がれたまま、ショコラがキョロキョロと首を振った。
「あの壁に掛かった絵だ!」
「……沢山あって分かりませんて!」
「絵に書かれたババアの目がぎょろぎょろ動くやつだ、その後ろに鍵がある!」
目的の絵は、階段踊り場の天井付近。高い位置にあって手が届かない。
「――? あ、分かったぁ! まっっかせてくださーい!」
するとショコラは俺の肩の上で立ち上がり、ぴょーんと飛び上がると壁ひと蹴り、ふた蹴り。
三蹴り目で彼女は絵をパシッと掴むと、そのまま落下してきた。
下で彼女をキャッチして、また走る。
そのままショコラを脇に抱えて、階段を駆け上がる。
「ないすきゃーっち! ――あっ、これですね? 鍵って。私、鍵開けは得意なんです。任せて下さい‼」
絵の裏から鍵を見つけ、ぺかーっと俺の眼前に掲げてみせるショコラ。
そんな彼女を、見えてきた通路の行き止まりに向かって放り投げる。
「――よし、それでそのドアを開けろ。鍵を差して、右へ三回、左へ一回、右へ三回。カチリといったら半分鍵を引き抜いて、時計回りに三回ほど回したら鍵を思いっきり奥へ押し込んで三回ノックし、花子さんいらっしゃいますか? と唱えろ!」
「――はい?」
鍵穴に鍵を差し込んでいたショコラが、手を止めて俺を振り返った。
「だーかーらー‼」
本来、もの凄く面倒臭い、嫌がらせのような謎解きをしないと分からないギミックだが、当然俺は答えを知っている。
「俺が敵を食い止めているから、早くやれ!」
通路を押し寄せる怪物どもを殴る蹴るラリアットで押し返す俺。その後ろでガチャガチャ必死なショコラ。
ガチャガチャ。ガチャガチャ。
「ぐぐぐっ――まだかッ⁉」
統べる幽鬼である俺が生み出す馬力は、並のドラゴンを圧倒する。しかしこの物量をいつまでも押し返せるわけでもない。本気を出したらこの狭い空間にあっという間に瘴気が充満してショコラが死ぬ!
「――あれれぇ? 何回もやってるのに、開きませんよこれ⁉ 花子さーん! はーなこさーん! ……ディーゼルさん! 花子さんは留守です! あるいは大です! お年頃だから返事してくれません!」
「クソがッ! よく聞け、もう一度言うぞ。左へ三回、右へ一回、左へ三回、回したら半分鍵を引き抜いて、……」
俺に叱咤されて、ショコラが半べそで作業に戻る。
「左へ三回、右へ一回……あれ?」
「なんだ!」
「さっきと言ってること違いません? さっきは右へ三回、左へ一回とか……」
「……」
会話が途切れ、ア゛ー、ア゛ーという濁声だけが俺たちの耳に残った。
「――あ、開いた! 開きましたよ、ディーゼルさん‼」
無言でショコラを抱え、ドアの中に躍り込む。
中は広い部屋だった。中央に大柄な敵が佇んでいる。
彼女を床に放ると同時に、抜き打ちざまの黒刃が閃いた。
部屋の中には、俺の大戦斧に匹敵する巨大なハンマーを携えたデブゾンビが待ち構えていたのだが、こちらを振り返る間もなく俺に袈裟切りにされ、血肉と化して壁に飛び散った。
ゴォンッ‼ という音を立てて、奴の巨大なハンマーが床に落ちる。
こいつは巨大なハンマーを狭い室内で振り回す恐るべき相手なのだが、まぁ俺の敵ではない。
間髪を容れず入り口ドアを閉める。
床の上で尻餅をついたショコラを一瞥し、怪我が無いことを確認できて、ようやくシュコーという安堵が兜から漏れた。




