ダンジョンマスターと鬼
目が覚めると、赤く染まった空が見えた。
雲が燃えている。
むくりと上半身を起こす。隣には万謝の燭がゴーゴーと燃えていた。
ここは、渡河直前のアンカーポイント――ではない。
「……ここは?」
ぐるりと首を回してみると、ここは山の中腹であるらしかった。遠くには水平線と、そこに沈む太陽が見えている。
「まさか……」
立ち上がり、歩く。
目的地はすぐに見つかった。
「――きゃあああああああ! ディーゼルさんのえっちいいいいい!」
ショコラだ。温泉に入っている。
近くには綺麗に畳まれた彼女の衣服と装備。
ここは険しい山の中腹からキラキラ光る水平線と、穏やかな入り江を見下ろす絶景の温泉だ。何度もダンマスからダメ出しを食らって作り直した苦心作でもある。
「――あれ? ディーゼルさん?」
何も言わない俺を不審に思ったのか、ショコラがきょとんと湯煙の中から見上げてきた。
「……お前、まさか一人であの川を渡りきったのか?」
「――ふっふーん……へっへーん! どんなもんですか!」
ショコラは湯船の縁に寄りかかって鼻高々。
「しかし、どうやって?」
「アイス・ファルシオン、忘れたんですか? 足場が遠い箇所は、あれで氷を作って渡れることに気付いたんです」
「なる……」
冷房代わりに、と思って渡しただけなのだが、なかなかどうして、意外と役に立っているぞ〈アイス・ファルシオン++〉。
「えへへ……私、役に立ちましたか?」
一瞬だけ憎まれ口を叩こうとしたが、諦めて「ああ」と頷く。
「ディーゼルさんがシャチさん達をやっつけておいてくれたからですよ~。女性のために死にがけの駄賃で敵を道連れにする漢って憧れます。惚れ直しましたよ?」
にんまり満足げなショコラ。その口が意地悪そうに開く。
「――初。ディーゼルさんの単独死でしたね」
満足げな彼女の指摘に、シュコーという音で答えた。
「復活って結構時間がかかるんですね。その間にひとっ風呂頂いちゃいました」
「そのようだ」
「もう行きますか?」
ザバァっと立ち上がりかけたショコラを手で制する。
「いや、しばらく休んでいて良い」
「え? そうですか……?」
俺の声に戸惑いながらも、彼女は再び湯船に身体を沈めた。
近くの木を蹴飛ばし、落ちてきた果実をひとつ、ショコラに放ってやる。
「美味いらしいぞ」
「わっとっと……ありがとうございまーす!」
目を細めてシャクシャクとかぶり付き始めた彼女に、入り江の一点を指し示す。
「――あそこは昔、ダンマスが住んでいたという家に似せて作ってある」
「え、どこどこ?」
ショコラはすぐに入り江の一画に作られた寥々たる小さな村を見つけ、じーっと凝視した。
「――かわいい村ですね。誰か住んでるんですか?」
「いや、無人だ。ダンマスはこの景色を見ながら風呂に入るのが好きなのだ。風呂上がりはあの家まで下りて、一泊して帰る」
「へぇ~……」
ショコラはジャプジャプと谷側まで風呂を泳いで行き、景色を眺めながら足をパチャパチャさせた。
水面から飛び出した尻尾をくるくると回して機嫌良さそうにしていた彼女が、水平線に沈む太陽を眺めながら「あっ」と声を上げた。
「――そういえば、ふと気が付いたんですけどぉ……この絆の深淵って異常ですよね? 地下にこんな空間があるの、とっても不思議です」
「気付くの、遅すぎないか……⁇」
そのおおらかさに、逆に戦慄する。馬鹿の次元が違う。
「――ここは幽世の迷宮という区分になる」
「かくりよ?」
「うむ」と首肯して、続ける。
「普通のダンジョンは、壁に囲まれた狭苦しい地下空間だ」
「はい。普通そうですよね。私も何回か潜ったことあります。たまに大きな鍾乳洞とか、水晶洞窟とかもありますけど。基本的に壁しかないです」
「あれは凡人のダンジョンだ」
「凡人って……」
何か言いたそうなショコラに向かって説明を加える
「人間に才能というものがあるように、ダンジョンマスターにも才能がある。普通のダンジョンマスターが作るダンジョンは、ああいう普通のダンジョンだ」
「ふむふむ」
「この絆の深淵のダンマスは、ひと言で言うと鬼才だ。ダンジョン界の麒麟児と言っても過言ではない」
「きりんじ……」
うんうんと頷いたものの、彼女の頭の上には「?」が浮いていた。
「生まれつきダンジョンに関する天賦の才を持っていたという意味だ。それは、何かができる、できないとかいうレベルの話ではなく、魂の形とでも言うべきか……とにかく、ダンマスはピタリとはまってしまったのだ」
「何にですか?」
「――幽い鍵穴にだ」
首をかしげるショコラ。
「そういう、億に一人の才能を持つものだけが、こういった荒唐無稽なダンジョン――すなわち、幽世の迷宮を生み出すことができる」
いったん区切ってダンマスとの出会いを思い出す。
「……そして、開いた扉の向こう。あの世とこの世の虚ろな狭間に漂う瘴気の海から、ダンマスは一発で引き当てたのだ」
それはダンマスが、というよりは、闇黒が彼女を選び、導いたとしか考えられないほどの恐るべき強運。
「――この俺という鬼をな」
遠く太陽が水平線に乗っていた。
「かあぁっくぃいい〜っ! 決め台詞、バッチリでしたね!」
ショコラがビシビシと指を差してくる。
「――じゃあ、ここのダンジョンマスターさんは夢が叶ったりなんですね?」
「夢だと?」
「はい。ダンジョンを作りたくてダンジョンマスターになったら、すっごい才能を持っていて、こんなすごい迷宮を作れたんですよね? いわゆるメイクドリーマー。ああ〜、私もダンジョンマスターになって、こんな自分だけの世界を作ってみたいなぁ〜〜〜」
ショコラは、ダンジョンマスターを憧れの職業か何かだと考えているようだ。
「――誰が好き好んでダンジョンマスターになど、なるものか」
「え、そうなんですか?」
「ダンジョンマスターは常に滅びと隣り合わせだ。ダンジョンはあらゆる勢力から攻められることになる。人族、妖精族、魔族、神族、竜族。ありとあらゆる欲深い勢力からな。その内部に溜め込んだ財宝は、世界の宝だと認識されているからだ」
「……」
「どういうわけか、ダンジョンマスターは生き物だとは認められていない。ダンジョンという財宝生成装置の一部であり、“究極の宝の鍵”程度にしか見なされていない。……おそらくダンジョンを滅ぼす側、つまり貴様ら冒険者などが、その略奪と殺害に躊躇しないように、だろうな。ダンジョンマスターに人格を認めると都合が悪いのだ」
「そ、それは……」
「昼夜を問わず自分を殺しに来る無数の乱暴者に怯え、穴蔵の奥底でたった一人、孤独の中で気が狂れぬよう心を強く保ち続けねばならない。正気でなければダンジョンの防衛はままならぬ。助けてくれるものはいない。祈るべき神も悪魔も、隣人ですらも敵。自分一人の力だけで世界に立ち向かうのだ」
シュコーッと息が漏れた。長寿のダンジョンが極端に少ない理由だった。
「――それで、そこまでして得られるものと言えば……ダンジョン。それしかない。未来永劫、ダンジョン以外にはありえぬ」
なんと空疎な作業だろうか。
「お前は、そんなダンジョンマスターになりたいか?」
ショコラは首を横に振った。
「それでいい……」と頷いて、続ける。
「まぁただ、ここのダンマスはそういった危機感に薄い。とにかく内に引きこもって好きな箱庭を作り続けるのが生きがいだ。そういった性根もまた、才能のひとつと言えるな」
侵入者をトラップですり潰すのが趣味なのも、泣いて引き返す侵入者を見てケラケラ笑うのが娯楽なのも、ま、ある種の才能だろう。
ここは絆の深淵。
ダンマスの自由放恣な空想が創る、狂気あふれるおもちゃ箱。
そして――。
「――ディーゼルさんは」
「ん? なんだ?」
踵を返しかけた俺をショコラが呼び止めた。
「そんなダンジョンマスターさんを、ずっと支えているんですね」
「――そうだ。とてつもない苦労だ。瘴気として漂ってた方がまだマシだったな」
まさか家事までやらされるとは思わなんだ。
「女性……なんですよね? その指環も、ひょっとしてダンジョンマスターさんからもらった物とか?」
ショコラが俺の指に視線を固定して聞いた。そこには碧く輝く指環がはまっている。
頭を巡らせれば、懐かしい記憶が蘇ってくる。
「――ああ。これはダンマスに渡されたものだ。このダンジョン創始の頃からずっとこの指にはまっている」
するとショコラはじっと指環を見つめ、不思議な微笑を浮かべて首をかしげた。
「好きなんですか? ダンジョンマスターさんのこと」
「……さてな」
水平線が燃え尽き、空から蒼い影が落ちた。
山腹を風がザァッと音を立てて撫でていった。
「俺は空っぽの幽鬼だ。心などない」
「ひゅぅ~~~~~~。しっぶぅい!」
口をすぼめて笛を鳴らしたショコラ。
「――ショコラ。お前とのダンジョン攻略は、当初思っていたよりもずっと有意義なものになった」
「? どういう意味ですか?」
「ダンマスと一緒に作り上げたダンジョンの歴史をなぞる面白みというか、懐かしみというか、不思議な感傷があった。これは、お前達人間が言うところのノスタルジーというものなのかも知れないな」
「ディーゼルさん……」
ショコラが神妙な面持ちで俺を見つめた。
「――よく自分の妄想でそこまで感じ入れますね……もうなんていうか、そこまで突き抜けてると感動すら覚えます。本物っているんですね」
「……はぁ、もう……それでいいけどな。それにしてもお前、裸を見られたから嫁に云々はもういいのか? 丸見えだが」
「今さらじゃないですか」
ケロリとショコラ。
彼女を動揺させることに失敗し、逆に俺が狼狽る。
「そ、そうか? まぁいいんだが……のぼせるなよ。ちょうど陽が落ちて、ここはもうすぐ暗くなる。すこしの間ここで休息を取るといい。起きたらまた走ることになる」
「はーい」
彼女の元気な返事を残し、湯釜に足を向けた。そこで温泉卵の準備をするためだ。




