沈没
「――! ――‼」
向こうで何か言っているようだが、遠くてよく聞こえない。
言っていることが分からないので、無視してグイグイとロープをたぐり寄せる。すると引かれて水に落ちそうになったショコラが、慌てて四つん這いになって足下の氷にしがみついた。尻尾がピンと立っている。
ほどなくして、俺の乗った氷と、ショコラの氷が引き寄せられて近づいた。
ぴょんとショコラの方の氷塊に飛び乗る。
「――とまぁ、これがこのエリアのギミックなのだ」
「先に説明してくださいよッ! 手を動かす前に、口でッ! この耄碌ホモサイコダンジョンオタクヤニ中ッ‼」
強い剣幕で俺に詰め寄ってくるショコラ。なかなか面白い罵倒だった。その肩を掴み、ポンポンと優しく叩いてやる。
「――お前の力を信じていたからな。その目を見張る体捌きならば、説明するまでもないと思ったのだ。実際、上手くいっただろう?」
「え……? え~? えへへ……そうですかぁ~? しょうがないなぁ~。でも次はちゃんと先に言ってくださいよ? 忘れちゃ嫌ですからね?」
ピクピクと耳を揺らして身体をくねくね。
チョロいな。
直後、氷の地面が大きく斜めに倒れ始めた。
「きゃッ! なに、なんですかこれ⁉」
「――チッ! 早すぎる……」
しまった、ダンジョンが厳戒体勢だから、いつもより早いのか……。
「何が早すぎるのか詳しくッ‼」
「〈ダーケスト・オルカ〉が来たのだ」
俺たちが乗る氷の足場近く、水面下に巨大な影がふたつ見えていた。
「ダーケスト・オルカ? なんですかそれ?」
「シャチだ。ただし普通のシャチよりも大きく、獰猛で狡猾。この川の支配者だ。渡河に時間をかけすぎた冒険者をパックンチョするのが仕事だ」
「パックンチョ……でも、シャチなら氷の上にいれば安全ですよね?」
「ところがだ――」
また足場が大きく斜めに倒れた。先ほどよりも角度がキツい。
「こうして足場を崩して水に落とそうとしてくる」
「な、なんて獰猛で狡猾……」
「急げ。強行突破するぞ」
「らじゃーっ!」
ショコラが先行し、俺が後を追った。
しばらくダーケストオルカと俺たちの追いかけっこが続いたが、やがてダーケストオルカの襲撃が止んだ。
不審そうにキョロキョロ頭を巡らせつつも、ショコラが跳ぶ。
「あれれぇ? 諦めたんですかね――ぇええええええ⁉」
ショコラが着地で足を滑らせたのはその瞬間だった。
スッテーンッ! と綺麗に転倒した。
あいつ、調子に……いや……違う。ダーケストオルカだ。
奴ら、先回りして氷の上に水を掛けて、つるつるに凍らせておいたな。
「くっ……なんて獰猛で狡猾な……」
「いやああああああああ! シャチさんにパックンチョはいやあああああああ‼ 私美味しくないですよぉおおおおお‼」
みるみるうちに足場が斜めに傾き始め、ショコラが為す術なく水面に向かって滑り落ちていく。
「でぃいいいいいいいぜるさあああああああん! 助けてええええええ‼」
「チッ……」
ショコラの足場に飛び乗ると、そのまま今にも水に落ちそうなショコラの元に駆け込んで、彼女の手を取った。
「ぬおおおおおおおおおおおお‼」
「きゃあああああああああああ⁉」
思いっきりショコラを投げ飛ばし、遠くの足場に放った。そして、俺も駆け出して思いっきり跳ぶ。
黒鉄の脚甲が宙を漕いだ。
着地音は、バグンッという鈍い音だった。
「――⁉ しまっ……‼」
ショコラの隣に着地した直後、俺の下の氷が砕けた。
所詮は氷。全力で跳んだ俺が着地する衝撃に耐えられなかったのだ。
なんとか氷の端を掴み、水没を免れる。
「でぃ、ディーゼルさん⁉」
半身を水に沈めた俺の手甲を、ショコラが握り締めた。
「頑張ってください‼ 今助けますよー! ふんぬ~~~~~~ッ‼」
顔を真っ赤にして俺を引っ張るショコラ。
ピクリともしない。
「――無駄だ」
その行為を声で制止した俺。はっとなったショコラ。
「お前の体躯と腕力では俺を引き上げられんし、俺がひとたび力を込めれば、今度はお前の乗る氷がひっくり返ってしまう」
「そ、そんな……ッ⁉」
ショコラが絶望に表情を歪め、四つん這いになって俺の兜に顔を寄せた。
「――私も……私も一緒に死ぬわ」
彼女の声は震えていた。寒さのせいか、吐く息が白く、唇が青ざめている。
そんなショコラに首を振って見せる。
「――君はこんなところでは死なない。……君は年を取って、暖かいベッドの上で死ぬんだ」
俺の言葉に、涙をこぼして顔をくしゃっと歪めるショコラ。
「わかったわ……誓う。誓うわ。ディーゼル……」
ダーケスト・オルカの気配を背中に感じた俺は、手を離した。
すかさず〈闇黒に絶る大瀑布〉を水中で抜き払い、大口を開けて迫ってきた巨大シャチの頭を叩き割る。
さらに置き土産にもう一匹の影に大戦斧を水中で投擲した。
その巨影に斧が食い込んだのを見届けて、水面を見上げる。
鮮血が混じり合う水面に、俺を見つめるショコラの悲壮な顔が揺れていた。
俺が手を伸ばすと、ショコラが俺の名を呼んだのが聞こえた。
感動的な音楽が流れてきそうな最期だ。
ショコラは、なかなかこういうときの演技が上手だ。顔も整っていてスタイルもいいわけだから、女優を目指した方がいいのでは? このダンジョンを出る時はアドバイスしてやろう。
まぁなんにせよ、この先は一人だと進めないし、もう戻れない。
あいつもじきに死ぬ。
俺は腰からタバコ――型のチョコを取り出した。ショコラに分けてもらったものだ。これが案外効果がある。
長年のルーチンが封じられるというのは、なかなかのストレスだった。形だけでも咥えておくと、気分が楽になる。ショコラのヤニ中という指摘は当たっているのかも知れない。
また死に戻りか……。
暗然と水面を仰ぎ見る。
ゆらめく光芒が幾重にも落ちていた。
タバコ型チョコを兜に突っ込んだ漆黒の甲冑が、仄昏い厳寒の川底(底なし)に飲み込まれていった。




