渡河
フェニックスが飛び去った方向にイルバーンがいるはずだ。
俺はその推測を元に次のルートを選び出した。まともにスターチェイサーの後をついていくと、ショコラのドジっ子パワーで追いつけないので、当然連中を先回りするショートカットルートだ。
「――それで? このおもしろ運動会みたいな川渡りを成功させた先の、細い崖道を進むとぉ……?」
ショコラがぴょんと、氷の塊から氷の塊へと飛び移り、俺の答えを促した。
「温泉がある」
答えながら、俺も追って飛び移る。
俺の巨重が踏みつけた氷は大きくバランスを崩し、傾いた。しかしショコラは全然平気そうに、飄然とその上でバランスを取っている。
相変わらず、こういう身体能力テスト系トラップには強い。
ここは広い川だ。
身を切るような凍てつく気温の中、川の上に浮いた巨大な氷塊を渡っていくエリア。非正規ルートとなる。
足場がとてつもなく悪く、落ちれば零下の水に囚われてまず浮き上がれない。そして川は底なしなので、俺も底を歩いては渡れない。川なのに底なしというところが、実にN級らしいところだ。
「ふむふむ。……それで? ディーゼルさん? この川を渡りきった後、河岸に並んでいる不気味なトーテムの中から、にっこり笑った顔を探し出して、その奥の森を進むと人ひとり分の崖道があって、そこを抜けるとぉ……?」
ぴょんぴょん。ショコラが氷塊を渡りながら俺の答えを促した。
「温泉がある」
俺の回答に、にこーっと頬を緩ませ、うんうんと頷く。
もうずっと、こんなやり取りを続けている。
「おっ、んっ、せっ、ん~~~! いえ~~~~~~ッ!」
揺れる氷の上で両手でガッツポーズ。すごいバランス感覚だ。
やっぱりくねくねと別の生き物のように動く長い尻尾が、あの絶妙なバランスの良さの秘密なのだろうか。俺も尻尾の装着を検討しようか……。
俺が真剣に尻尾付きの統べる幽鬼の姿に思いを馳せていると、ショコラが突然、俺の視界に飛び込んできた。
「――どんな?」
目にキラキラと星を散らして見上げてくるショコラ。それは期待、好奇心、憧れ、そういったものの混雑。
「……そこは山腹を開いた場所にある。風光明媚な景観が楽しめる、開放的な露天風呂だ。自然噴出温泉でもある」
「しぜんふんしゅつ温泉? どんな、どんな⁇」
ショコラがぴょんぴょん跳ねながら俺に密着してくる。
「……砂利敷きの底からお湯が満遍なく、ゆっくりと湧き出してくるタイプの温泉で、上からチョロチョロ、ザーザーお湯が流れ落ちる音がしない。とても静かで雅な雰囲気の中、常に綺麗な源泉掛け流しを楽しめる、贅沢な風呂だ」
ダンマスの希望で作った露天風呂なんだ。自信作でもある。
「ちなみにお湯は美肌の湯。熱すぎず、ちょうど良い塩梅。飲泉も可能。温泉卵用の鶏卵を生むモンスターも、調理専用の湯釜も、その他温泉に必要不可欠と思われる一式は近くに完備されている」
俺の注釈に、ゴクリとショコラの喉が鳴った。
今度は俺が先に氷を飛び、後ろからショコラがついてくる。
ひとつ、ふたつ。俺が飛び立った後の氷塊はザップンザップン激しく揺れているのだが、ショコラは顔色ひとつ変えずに、そこをついてくる。
「……猫って、風呂は駄目なんじゃないのか?」
ふと、そんなことを思い出す。
「猫じゃないもんっ!」
意外な否定。そういえばそうだった。
「豹……だったか?」
「ピンポーン。むしろ綺麗好きなんですよぉ? むしろもう何十日もお風呂入ってなくて精神的に参りそうです」
「復活する度に身体は綺麗になっているんだがな」
「そういう問題じゃありません」
「そうか……でも駄目だ。風呂には入らない」
「は?」
俺が言うと、ショコラが表情を消して見返してきた。
「……な、なにが駄目なもんですか⁉ 理由はッ⁉」
「スターチェイサーに追いつくためだよ! 分かれよ! そんな時間あるものかッ‼」
例のごとく「きーっ!」となったショコラだが、さすがにここで飛びついては来ない。
「――いやッ! 絶対温泉入る‼」
「我が儘言うな‼」
「いーーーーやーーーーー‼」
ぴょーんと飛んで次の氷に降り立つと、ほとんど同時にショコラが隣に着地した。ものすごく真剣な表情を寄せてくる。
「――と、特別に……一緒に入っても……いいですよ? ディーゼルさんだけなんですからね?」
ぽっと頬を朱に染めたショコラ。
「誑かそうとしても無駄だ。温泉は鎧に悪い。錆びたりはしないのだが、豊富な有効成分が鎧の可動部で結晶化すると、ギーギー異音が出るようになって気持ち悪い。放置すると頑固な水垢になって後で取るのがすごく面倒くさい。すぐに中まで水滴を拭き取って丁寧に油を差さないと――」
「脱げよッ!」
ガンガンと俺の鎧を蹴ってショコラが続ける。
「温泉に、入る、時は、この、鎧、脱げって‼」
らしくない口調だ。魂の底から湧き上がってきたシャウトであるらしい。キャラぶれを起こしてしまっている。
「こんなにもエロ可愛いお姉さんが、一緒にお風呂入ってあげるって言ってるのにッ! お前というやつはッ‼」
「俺は幽鬼だ。性欲なんぞない」
「……男色なんですかぁ? ひょっとしてぇ?」
汗を垂らしつつも、今度はニマニマと俺を煽り始めたショコラ。
「それなら、はじめっから男の冒険者に声をかけている。……そうだな、その方がお前のようなポンコツ女を拾わずに済んだのだから、良かったのかも知れんな」
「ぐぬぬ、こいつぅ……」
そんなことを言い合いながら、川の中間付近まで到達し、立ち止まる。
氷の足場が途絶え、次の氷はかなり遠くに浮いていた。
ショコラを見ると、チョコの欠片をポイッと口に放り込んでいた。この女、チョコが好き過ぎる。歯を磨いているところを見た事もない。虫歯になるぞ、まったく。
「ショコラ、ロープを」
「はい」
不機嫌そうにショコラが取り出したロープを受け取り、それを“ショコラの”腰に巻き付ける。
「――へ?」
「――そうらッ‼」
ぽーんと、俺の剛腕で天高く放り投げられたショコラが寒空を舞う。
「っきゃああああああああああああぁぁぁ……⁉」
「ロープは放すなよーっ! あー、あと、舌噛むなよーっ!」
ショコラは悲鳴を上げつつも、空中でくるりと身体をひねり、足からストンと次の足場に着地した。
見事だ。こういう雑な扱いをしても、結構平気なんだと近頃気づいてきたところだ。




