表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/76

あの世の鬼

「やったぁ! さっすがミトラ、〈メンターズレイア〉の新星‼」


 フラミーの歓声が上がった。


 幽世(かくりよ)(そび)える山々に、何百年とやむことなく降り積もり続けた雪。その分厚い圧雪に蓄えられていた膨大な力が、ミトラの声に応えて決壊したのだ。


 荒ぶる勢いを乗せた雪崩(なだれ)が、彼女達の前方の空間を、津波のごとき容赦のなさで(さら)っていった。


 全てに死をもたらす冷たき自然の暴力が、全てに死をもたらす悍ましき闇黒(くらやみ)の暴力を流し去ったのだ。


 舞い上がった雪煙の中、ミトラは腕を振り下ろしたまま肩で息をして待つ。


 やがて白煙が収まると、そこには真っ平らに整地された雪原が現れた。


 その清浄な白い空間に、禍々しい瘴気を放つ怪物の姿は見えない。


「――はぁぁ……」


 力を使い切り、その場でペタンとへたり込んだミトラ。


「ふぅぅ……たいしたものだ。これが新進気鋭の精霊術士の力か」


 感心そうな声を上げたのはヘファイストン。その隣では、ボルドーが油断なく雪山に視線をさ迷わせていた。


 やがてボルドーも、ふぅと溜息を漏らして口を開く。


「ま、これだけの規模の雪崩に巻き込まれて生きてるわけ――」


 ドパァッとボルドーの足元が()ぜた。


 飛び散った雪の中から飛び出したのは巨大な黒い影。


 身体を真っ二つに切り裂かれたボルドーが、血しぶきを上げて、まるで割れた(まき)のように左右に倒れた。彼の身体は枯木のように乾いていた。


「ぼ――ッ⁉」


 ボルドーを切り裂いた影は、グルングルンと縦回転を伴って雪上を旋回する。


「馬鹿なッ‼」


 ヘファイストンが盾を構えたのと、前方の雪原が陥没したのは同時だった。


 ぽっかりと雪の平面に空いた巨大な穴。その穴底からは毒々しい暗黒の瘴気が、雪山の温泉のようにモクモクと吹き上がっている。


 その穴の縁を、がっしと掴んだ黒光りする手甲。


 ぬっと下から身体を引き上げたのは――幽鬼(アブザード)だ。


「ば、か、なぁ……!」


 愕然と狼の顔を戦慄(わなな)かせるヘファイストン。ミトラは座ったまま歯をカチカチと鳴らしていた。フラミーだけが戦意を保ったまま翼を広げ、幽鬼(アブザード)を威嚇している。


 立ち上がった漆黒の甲冑。


 ぐるり一周して戻ってきた戦斧が、ガァン! と音を立てて、その手に(しか)と収まった。


 幽鬼(アブザード)は健在だ。全身からどす黒い瘴気を吹き出し、その怒れる心の内を示しているようだった。


 敵は出現した当初から何ひとつ欠けていない。かたや、スターチェイサーは壊滅。


 ヘファイストンは予備の短剣を抜いた。しかし、ここから何をすれば良いのかは、数多(あまた)の戦場を駆け抜けてきた彼にすら分からなかった。


 逡巡(しゅんじゅん)して口を開く。


「……ミトラ。立て」


 ヘファイストンに声をかけられたミトラだったが、彼女は腰が抜けていて立ち上がれなかった。


「俺が食い止める。お前はフラミーと共に逃げろ」


「でも――」


「お前かフラミーが無事なら、エコーチームは復活できる。今は戦力の温存を最優先に考えるんだ。ここは俺たちのチームを犠牲にする。今、多少なりとも時間を稼げるのは俺しかいな――」


 ミトラが見上げる先で、瞬間的に鋭い影が走り、ヘファイストンの胴が()ね飛んだ。


 生気の抜けたミトラの顔に、吹き出した血がジャバジャバと()りかかる。


 ヘファイストンは構えていた盾ごと綺麗に切断されていた。


 幽鬼(アブザード)が遠く離れた場所で、戦斧を振るった姿勢のまま止まっていた。彼女には、なにをされたのか全く理解できなかった。


 ズシッ、ズシッ……と重苦しい足音を立てながら歩み寄ってくる黒鉄(くろがね)の甲冑騎士。


 (しり)を引きずって後じさるミトラ。


 そんな彼女の前に、勇敢にもフラミーが立ちふさがった。全身の体毛を逆立て、翼を広げた姿勢で精一杯身体を膨らませながら。健気な姿だった。


「だめ、フラミー……あなたは逃げて……」


 しかしそんなミトラの願いも虚しく、無謀にも幽鬼(アブザード)に飛び掛かったフラミーは、鋼鉄の靴で無残にも蹴り飛ばされた。


 遠くの雪原にフラミーが落ちて、白い煙が上がった。


 ダンジョンの侵入者に対して一切の容赦がない。


 (くら)(ひとや)を調停する、あの世の鬼。


 暴力の権化(ごんげ)


 無慈悲な死刑執行官。


 これが幽鬼(アブザード)幽世(かくりよ)の迷宮で最も怖れられる存在。


 ミトラは初めて見た。


 とても一人で立ち向かえる相手ではなかった。


 彼女のカラカラに渇いた喉がコクリと鳴った。


(復活はできる)


幽鬼(アブザード)に全滅させられても、入り口に戻されるだけ)


(分かってはいる)


(頭では分かってはいるのだけれども――)


(――怖い‼)


 あの凶悪な斧で、肉と共に魂を打ち砕かれてしまいそう。


 ここで死ねば、如何なる光も届かない闇黒(くらやみ)に囚われて、二度と目が覚めることはないという、不可思議な確信。


 そんな死に対する根源的な恐怖心を喚起(かんき)されたミトラは、幼子のように震えた。


「助けて――」


 幽鬼(アブザード)という厄災を目の当たりにした今の彼女は、無力な少女に過ぎない。


「ごめんなさい……助けて……ください……」


 できることは、唯一、(こうべ)を垂れて許しを請うことのみ。


「助け――」


 見上げた彼女の顔に影が落ちた。蒼白(そうはく)な頬を伝い落ちる一筋の(しずく)


 ふと、幽鬼(アブザード)がミトラの前で膝を折った。


「?」


 視線を合わされ、震える口に差し込まれたのは、先ほどまで漆黒の兜に刺さっていた白い棒。


 直後、ミトラの口に広がった場違いな感覚。


 それは舌の奥を刺激するキツい甘みと、芳醇な香り――。


「――チョコ?」


 その言葉を最期に、ミトラは雪原の赤い染みとなった。


 シュコーッという音と共に、幽鬼(アブザード)の兜から瘴気が漏れた。


 死神は、のっそりと(きびす)を返した。


 その時、遠くで立ち上る赤い柱があった。


 天を衝く火焔(かえん)の柱。


 瞬時に周囲の雪を蒸発させたそれは、幽鬼(アブザード)が吐き出す死の瘴気とは対極の、赤々とした生命の炎。


 見上げるほど高く上がった火柱から飛び出したのは、赤熱する影。


 赤い閃光が幽鬼(アブザード)に飛び掛かり、生命の炎を死の甲冑に振りかける。


 幽鬼(アブザード)(たま)らず腕を掲げてそれを防いだ。


 幽鬼(アブザード)が腕を下ろすと、火焔の余韻(よいん)がパチパチと一直線に残されているだけだった。殺されたはずの冒険者達の亡骸は、全て消え去り残り火となっていた。


「――フェニックス」


 幽世(かくりよ)の空を遠ざかっていく光点を見上げた幽鬼(アブザード)の兜から、そんな言葉が漏れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ